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七色ばたけに 妹の [folksongs]

イギリスの農村.jpg


桜は散って選手交代、はやくもツツジが咲いていました。

それどころかチューリップも。
桜は入学式、卒業式のイメージがありますが、ツツジやチューリップは新学年のイメージ。

そのほかタンポポはもちろん名の知らない花がまさに百花繚乱。
いつも通る公園の花壇での話ですが。

さらにはモンシロチョウまで。
モンシロチョウが赤い花々の上で躊躇しているのを見て、わたしの脳内蓄音機の針が下り、
♪緑のそよ風 いい日だね
と懐かしき歌が再生されました。

♪ちょうちょうもひらひら、……

そのあとがでてきません。
♪七色ばたけに 妹が……

またストップ。
以前にもこんなことがあったような。デジャヴか。

童謡唱歌はわが脳内アーカイブスのなかでも最も奥にあるというか古いもの。そういうものから順番に壊れていくんだな。

まあ、家へ戻ってパソコンくんに訊ねてみれば答えはすぐに出てきます。
でも、家へ着いたときにはすでに「歌を忘れた」ことを忘れていたりして。
まぁ、そんなことを心配しても埒はあきません。
まさに春爛漫ではありませんか。
暖かくなると思って一枚脱いできたのですが、もう一枚脱ぎたい気分。中途半端な「緑のそよ風」の鼻歌をうたいながら気分の良い公園の帰路でした。

さて帰宅して、ひと休みしたら音楽を。
ひとり童謡を聴くというのも恥かしいので(誰もいないのに?)、「緑のそよ風」にちなんで「みどりの歌」を。
これは内外たくさんあります。
イージーですが「緑の地平線」とか「緑の風のアニー」とか「グリーン・グリーン」とか「グリーン・アイズ」とか、「グリーン・オニオン」とか。

でも今日は、いちばんはじめにレコードを買ったフォークグループ、ブラフォーことブラザース・フォアの「グリーン・ソング」3曲を。

はじめは前述した初めて買った洋楽レコード。とうじ聴いていた洋楽のなかではマイナーチューンが新鮮でした。

https://youtu.be/dERADmL8fAE

つぎは映画「アラモ」の主題歌。デイビー・クロケットに扮するジョン・ウェインが自ら監督しました。ほかにジム・ボウイのリチャード・ウィドマークほか錚々たるメンバーの西部劇でした。3時間以上の大作でしたが飽きませんでした。
作曲は「真昼の決闘」や「OK牧場の決闘」のデミトリー・ティオムキン
たしか、この映画より前に観たやはり長時間映画でチャールトン・ヘストンが主演した「北京の55日」(これもティオムキン)の主題歌もブラフォーがうたっていました。

https://youtu.be/GRPPKZzClWE

さいごは、イングランドのトラディショナルソング。いまとなってはこのなかでは一番好きな歌です。「緑の袖」にはいろいろな意味があるようですが、届かぬ愛の悲しみが伝わってきます。

https://youtu.be/cKUZq-MRkwA

冒頭の「忘れな歌」ですが、帰って調べました。
♪ちょうちょうもひらひら 豆の花
でした、「そうだった!」とはならず、へえそうだったのか、という感想が悲しい。
♪妹の つまみ菜つむ手がかわいいな

もはや「妹の」を「妹が」と違えていましたし、「つまみ菜」もまさかの「初耳」。でも♪……手がかわいいな
は「そうだった、そうだった」と記憶がよみがえり、すこし嬉しかった。

3番の「草野球」をする場面も思い出しました。
ああ、いつまで覚えていられることやら。

最後にオマケでYOU-TUBEでみつけた「緑の袖」をもう一度。

https://youtu.be/VFfvsLrepCM


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盗作だとか剽窃だとか part2 [country]

永遠の絆.jpg


調子に乗って「似た歌(曲)」アゲインです。

カントリー、あるいはオールド・タイミー、ルーツミュージックと呼ばれるアメリカの古い歌のファンの間では「似すぎている」と言われているのがこの曲。

https://youtu.be/4QCpJpGbN_Y

そしてその元歌といわれるのがこの歌。

https://youtu.be/qjHjm5sRqSA

[Will the circle be unbroken]は元々讃美歌で、それを1930年代、カーター・ファミリーが詞をアレンジし、広く知られるようになった歌。邦題は「永遠の絆」といいなぎら健壱がカヴァーしています。
母親の死にたちあった少年が、悲しみに打ちひしがれながらも家族の絆を守っていきたいと強く願う歌で、アメリカでも広く知られたセイクレッドソングです。

それが1970年代に入るとり、カントリーロックのバンド、ニッティ・グリティ・ダートバンドが多くのカントリーシンガーを巻き込んだ同名のアルバムがヒットし、再評価されました。その後カントリー系を中心に多くのシンガーが持ち歌にしております。

https://youtu.be/36xj-2B_ZBQ

まぁ、甲本ヒロトがカーター・ファミリーを聴いていたとは思えないので、もしインスパイアされたとしたらニッティ・グリティじゃないでしょうか。
カーター・ファミリーをベースにしてると思えるのはこちらの歌では。

https://youtu.be/XcUhACXKx7g

もう一曲これも70年代はじめ日本でよく聴かれたカントリー調の和製フォーク。

https://youtu.be/4xnXZntMB5w

70年安保で挫折した学生たちが愛した歌、なんて解説を読んだことがありますが、60年代安保の「アカシヤの雨がやむとき」ともども、かなり強引な伝説。
ただヒットしたことは間違いなく。日本人の「さすらい幻想」を喚起したことも間違いありません。

https://youtu.be/sIo5x-q1GNo

これはハンク・ウィリアムズの「淋しき汽笛」I Heard That Lonesome Whistle。

家も彼女も失い刑務所入りした男が夜な夜な外から聴こえる淋しい汽笛をききながら、来し方を後悔するという「どうにもならない」歌。
自由を求めて旅立つ「どうにかなるさ」とはまるで違う内容。

ムッシュはもともと日本のカントリーシンガーからスタートし、ロカビリアン、グループサウンズ、フォークシンガーと時代の波をうまく乗り切ったシンガーソングライターサ。トライはしたけれど唯一乗り切れなかったのが平尾昌晃、守屋浩、水原弘らのような歌謡曲シンガーでしたが。

彼の名をもっとも知らしめたのがスパイダース時代。
その引退後のセカンド・ソロアルバムが「どうにかなるさ」。
彼の自伝「ムッシュ」(面白い!)では、「どうにかなるさ」のあとのビッグヒット「我が良き友よ」について吉田拓郎との交流も含めてそのメイキングを詳細に綴っていますが、「どうにかなるさ」については「カントリー&ウエスタン調の歌をつくった」とだけで、あっさりしたもの。
ソングライターがメイキングについては詳細に語りたがらないものなのでしょうが、やっぱりどこかうしろめたい気持ちもあったのではないでしょうか。インスパイアの域を超えていますからね。
でも、日本人の9割以上はハンクの「淋しき汽笛」なんて知りませんからいいのかも。

ただカントリーファンとしては、「赤色エレジー」の作曲が八洲秀章ならば、この歌もどこかにハンクのクレジットを入れてほしいとは思います。
とはいえ、恥ずかしながら当時牢屋のような狭い部屋で弾き語りなどしていたくらい好きな歌ではあるのですが。

最後に、もう一曲。
最近YOU-TUBE巡りをしていて「あれっ?」と思った曲を。

https://youtu.be/uq4pe0cKQc0

ボブ・ディランの60年代の歌、「時代は変わる」The Times They Are A Changin
YOU-TUBEはバックバンドだったバーズがうたっています。
何の歌に似ていると思ったのか、これは僭越ですがクイズということで。あくまで部分的に似ていると思っただけで、盗作だとか剽窃だとか言うつもりはさらさらありませんから。
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盗作だとか剽窃だとか [歌謡曲]

赤色エレジー.jpg

https://youtu.be/kHvBv7pIx0s

あがた森魚の「赤色エレジー」を聴いていて思い出したことがありました。

現在、ソングライティングは作詞・あがた森魚、作曲・八洲秀章となっています。
しかし当時は詞・曲ともあがた森魚でした。

あがた森魚はシンガーソングライターですから、「春の嵐の夜の手品師」とか「最后のダンス・ステップ」など名曲があります。

作曲者が変ったのは、「赤色エレジー」が20年あまり前の歌謡曲「あざみの歌」に似ているという指摘があり、レコード会社(ベルウッド)が争わず受け入れてそうなったのだとか。

https://youtu.be/TMiQqNTaHBQ

「あざみの歌」は昭和25年伊藤久男でヒットした歌謡曲で、作曲が八洲秀章、作詞は「下町の太陽」や「哀愁列車」を書いたキングのエース・横井弘。
八洲は、やはり伊藤久男の「山のけむり」や辻輝子の「さくら貝の歌」などの抒情的な歌謡曲を得意とした作曲家です。

私の記憶ではひと悶着あったと思ったのですが。あがた森魚はやさしい人だから受け入れてしまったのでしょうね。たしかに歌い出しは似ています。歌い出しがもっとも印象に残るパートで、その意味では不運ともいえます。全篇を聴けば「異曲」という主張がとおりそうな気がします。

詞はその類似性を指摘するのにさほど困難ではありません。たとえば海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」は中原中也の「頑是ない歌」をヒントにつくられていますし。谷村新司の「昴」も啄木の詩との類似性を指摘されました。
しかし、曲は止まっておらず流れているので難しい。「八小節」がほぼ同じなら、という「同曲」の判断があるとかないとか。


かつてその類似性が裁判沙汰になったケースもあります。
服部克久作曲のテレビバラエティの番組テーマ「記念樹」(1992年)が1966年につくられた小林亜星のCMソング「どこまでも行こう」に似ているとして訴えられたもの。
結局最高裁までいって、訴えが認められ、版権をもっていたテレビ局が2000万円あまりの賠償金を小林側のレコード会社に支払った。その後のことはわかりませんが、クレジットを変えて出ていることは考えにくく、「廃盤?」となっているのではないでしょうか。

この2曲については以前ブログで書いた記憶もありますが、わたしにはどちらも「セントルイス・ブルース」をつくったW.C.ハンディの[Loveless Love](Careless Loveとも)に聴こえたものでした。


もうひとつ盗作疑惑の裁判がありました。
昭和38年といいますから、1963年、「女の意地」や「赤坂の夜は更けて」の作詞作曲で知られた鈴木道明の「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」(ザ・ピーナッツほか)がアメリカ映画「ムーラン・ルージュ」の主題歌「夢破れし並木道」を剽窃しているとしてアメリカの音楽会社から訴えられた事件です。
その2曲がこれです。

https://youtu.be/nfclBmrQLA4

https://youtu.be/LAW-BUtTmyc


いつ訴状が出されたのかは不明ですが、やはり最高裁までいき結審は1978年。
こちらは訴えが認められず晴れて「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」はオリジナルとして生き残ることに。
しかし、その影響があったのかどうか、その後鈴木道明の先の2曲や「銀座ブルース」「夏の日の思い出」はラジオからしばしば流れていましたが、「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」はあまり聴かなくなったような気がしました。気のせいかもしれませんが。


もっと古い歌謡曲ですがこの二曲はどうでしょうか。

https://youtu.be/vMD0bfmMFNs

https://youtu.be/ucTzjDhVgr4

「三百六十五夜」(詞・西條八十、曲・古賀政男、歌・霧島昇・松原操)昭和24年と
「月よりの使者」(詞・佐伯孝夫、曲・佐々木俊一、歌竹山逸郎・藤原亮子)昭和23年

かなり似た曲ですが、これは確信犯といいますか、後者の佐々木がプロデュサーから現在ヒット中の「三百六十五夜」のような歌をつくってほしいと依頼され、できあがったのが「月よりの使者」。

ウソかホントか佐々木はレコードが出来上がる前に、一升瓶をもって古賀政男の家を訪れ、「盗作の承諾」を得に行ったとのだか。
佐々木はビクターレコード、古賀政男は当時コロムビアレコード。
レコード会社の異なる作曲家が、それもその時ラジオから流れているような1年前のヒット曲を「拝借」してしまうとは、豪気というか大胆というか。

ほかに「無情の夢」とか「燦めく星座」、「島の娘」、「明日はお立ちか」など戦前戦後にかけて多くのヒット曲をつくった佐々木俊一は奇人だったようで、ほかにも豪傑話にことかかないとか。

しかし、剽窃だ盗作だなどと裁判でお金や時間を費やすことなく、一升瓶ですませてしまえたのは佐々木の人柄もあったのでしょが、そうした「ぬるい」「ゆるい」ある意味「良き時代」のなせるわざだったのかもしれません。いまなら完全にOUTでしょうが。


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花ふぶき舞う道を [on the park]

エロス+虐殺02.jpg


午前中のどんより雲った公園では、昨日ほどではなかったけど、少なからず人出がありました。
昨日はすごかった。一昨年の花見と変らない、いや昨年できなかった分上乗せで、あちこちで宴が行われていました。ただ多人数でという光景は見られませんでした。

昼前から雨が降り始め、午後になり風も強くなっているそうです。
もし夜も嵐がおさまらないのなら、公園で灯りのなかを降りそそぐ雨と桜吹雪を見てみたという思いもありましたが、残念ながら気力体力とももはや……。

桜は黙っていても美しいですが、散ってゆく姿に見とれてしまう人も多いのでは。
はらはらと散り始める花びらをつい目で追ってしまいます。春の嵐のなかをまさに雪のように降り注ぐ桜吹雪も壮観ですが、散り始めや散り終り数枚、数十枚の花びらの舞う光景もとても風情があります。

桜の歌が多いということは、その散る様子をうたった歌も多いのではないでしょうか。残念ながらJPOPにはほぼ無知なので、相変わらずの古い歌のなかから散る桜、とくに激しく散る「桜吹雪」の歌を聴いてみました。

1970年代はじめ、政治の季節が終ろうとしていた頃、生かじりのヒッピー文化が仇花のように一瞬花開いたとき、懐古趣味にあふれたこの歌が聴こえてきたのでした。

https://youtu.be/dKBFWMQHR58

古くて新しかった。
ジンタのリズムや昭和ロマンをつめこんだ歌詞。それにミスマッチがなんとも新しかったジーパン(デニム)に下駄。
あがた森魚が林静一の描いた劇画「赤色エレジー」を昭和ロマンに脚色しました。
いちおうフォークソングにジャンル分けされておりました。

当時フォークといえば「神田川」や「結婚しようよ」「傘がない」など自分たちの生活に根差した、小さな出来事や思いをうたったいわゆる「四畳半フォーク」と呼ばれるスタイルが主流でしたが、この歌はそれをロマンチシズムに昇華させていました。

また、わたしの不完全な記憶では日本のフォークにヴァイオリンを使用したのはこのうたが初めてだったのでは。少なくともグレープの「精霊流し」よりは先でした。


1980年代に聴こえていた「花吹雪」はまるで歌舞伎や大衆演劇の小道具さんが天上から降らせる桜吹雪に模した紙吹雪のようにイミテーションであり、ポップであり、抒情というよりはファッションとして、あるいは「ばえ」として使われていました。

https://youtu.be/uZYaK6Tm5Ts

アン・ルイスは1971年に「白い週末」でデビューし、74年の「グッバイ・マイ・ラブ」あたりまでは清純路線でしたが、78年の「女はそれを我慢できない」あたりから豹変というか変身といいますか、自立する、ロックを身にまとった女に成長します。
いまでいうジェンダリズムとかフェミニズムともいえますが、あれから半世紀近く経ちますが、何も変わっていません。て、話が逸れますので軌道修正。


桜吹雪はまた、人生の門出の象徴としても使われます。入学・入社とか、卒業・退職とか。
おそらくJPOPにはありそうですが、わたしは知りません。くどいようですが。

昭和の時代にも、といいたいところですが、実際は平成のはじめ頃に聴こえてきた「桜吹雪」がこの歌です。

https://youtu.be/f7kkQ6vddS8

日本テレビの24時間TVのテーマソングとしてつくられた歌で、谷村新司の抒情的な詞と加山雄三の抑揚のあるメロディーが感動的な楽曲になっています。
タイトルが「サライ」ではなく、もう少しわかりやすかったらもっと普及していたのではないでしょうか。
わたしなど「さらい」と聞いて「さすらい」の「す」を抜いたもの。つまり酢をいれないシャリにネタをのせた鮨かと思いましたから。ウソですが。

新しい世界へ巣立ったり、ひとつの世界をまっとうした、ある種「希望」や「慶び」の象徴としての「桜吹雪」もありますが、その反対に明るいから暗く、愉しいから淋しいという「桜吹雪」もあります。

https://youtu.be/Q3duALFEk10

近年亡くなった森田童子の歌は、春と死をうたったものがいくつもある。
後年テレビドラマに使われて彼女の代表曲となった「ぼくたちの失敗」(石川達三の「僕たちの失敗」からタイトルを拝借したのではないでしょうか)にも、
♪春のこもれ陽の中で きみのやさしさに うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ

この歌は春を連呼しておりますが、それは春を謳歌するというよりはまるで「なんでそんなに明るいの」「なんでそんなに愉しいの」とまるで春を恨んでいるように聴こえます。

この歌では「桜吹雪」ではなく「花吹雪」とうたわれております。
一般的に「花吹雪」といえば「桜の花」のこと。俳句の季語でもそうです。そもそも俳句では「花」イコール「桜」ですから。

最後にもうひとつ「花吹雪」の歌を。

https://youtu.be/tDIwmhXWa9c

ジャックスの早川義夫が60年代最後につくった歌です。レコードは競作で女性ユニット・もとまろや岩淵りりでヒットしました。
聴けばわかるとおり、ハッピーソングではありません。
元カノの結婚式の日の、未練男の心情をうたっております。映画の「卒業」なんてまずあり得ない世界で、実際はこの「サルビアの花」が現実。当日その場所へ行ってしまうという狂気。いまでいえばストーカー。でも失恋の極地とはそういうものなのでは。

以前からこの歌について不可解に思っていたことが。
サルビアはだいたい夏に咲く花です。桜咲く三月、四月には見たことがありません。ということは、この歌でうたわれている「花吹雪」は桜ではないのでしょうか。
桜以外の花吹雪とは、それも夏に降る花吹雪とはなんの花なのか。
それとも、失恋の春とサルビアの花を捧げたかった夏の日にはタイムラグがあったということなのでしょうか。
名曲であることに変りはありませんが。

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ああ、あれは春だったんだね [spring]

たんぽぽ⑥-2.jpg

桜が満開です。

いつも通る公園でも見事な桜をまとった木々の数々。まさに桜最盛の春。

人もかなり出ておりました。みなさんいい顔しております(マスク越しですが)。
花々にスマホを近づける人も。女性が多いようです。学生さんも年配の方も。

去年の今どきのことは忘却の彼方ですが、コロナであっても薄曇りであっても桜は心をなごませてくれます。歩くのが少しも苦でない。むしろ桜を求めてもっと歩きたい。

いつもスマホでうつむき加減の方々も、さすがに上を向いて歩いております。
そんな方々に背いて足元に視線を落としますと、タンポポが。

タンポポは見たとおりのキク科の草花で、桜とともに春を告げる花でもあります。
子どものころの思い出は、あの花びらではなく散った後の種子。つまりあの丸井綿毛。あれを吹いて飛ばして遊んでおりました。耳に入ると聴こえなくなるなんていわれてね。ああ、あれは春だったんだね。

そもそもタンポポは大昔より日本に自生する花ということですが、たとえば時代物の小説を読んでも、映画を見てもお目にかかった記憶がありません。
昔はとるに足らない野辺の花で、記す価値もなし、と相手にされなかった名無し草だったのでしょうか。それとも、いまほど「どこでもタンポポ」状態ではなかったのかも。

流行歌に「花」は欠かせません。
それは今も昔も。多くの歌が抒情を装うために「花」をつかってきました。

歌の中の花といえばなんといっても桜。
続いて情熱的な薔薇、清楚な百合、明朗健康な向日葵、霊験悲愴な彼岸花などなど。

タンポポもたまに聴きますが、向日葵同様、戦前の流行歌ではまず出てこない。
戦前の花で頻度が高いのが「愛国の花」で女性を象徴している桜、梅、椿、菊。
ほかでは芥子、月見草、藤、菖蒲、薊などなど。

タンポポで唯一聴いたことがあるのが昭和18年に楠繁夫と菊池章子がうたった「戦ひの街に春が来る」。杏と共にたんぽぽが出てきます。

https://youtu.be/13IzFrKU2t4

まるで戦争が終って平和が訪れたような詞は西條八十。曲は古賀政男。
このあと地獄の戦いが始まるとは思えない暢気な歌。よく検閲に引っかからなかったなと思うほど不思議な歌です。

戦後になってタンポポがでてくるのは33年のこの歌。

https://youtu.be/ALtH-dj73t0

映画にもなった江戸の市井物で、映画は観ていませんが、YOU-TUBEでは確かに出てきます。ということはやっぱり江戸時代でも野辺の花として存在していたのか。それともひばりの時代劇にありがちな時代考証無視?。

ただ記憶にあるのはこんなもので、30年代の歌謡曲黄金時代でもまず聴かない。

ときどき聴こえてくるようになるのは西暦でいうと1970年代。昭和でいうなら40年代中盤あたりから。

「たんぽぽ」というタイトルでは昭和46年にGARO、50年に太田裕美、51年に芹洋子がうたった楽曲があります。

https://youtu.be/UJzXBYLPCFY

しかしこの年代の「タンポポ」といえば、やはり松任谷由実の「ダンディライオン 遅咲きのたんぽぽ」。

https://youtu.be/DnSz1YQcPMA

昭和58年のシングル。かつて傷ついた女の子のセカンドラブ。少し不安だけど彼を愛する控えめな幸福感をうたった名曲。
ちなみに、ローリング・ストーンズの「ダンディライオン」は1967年で、「この世界に愛を」のB面。♪タンポポは嘘つかない、だれをも賢くする……タンポポのタネを飛ばして遊ぼう なんていうサイケな歌でした。

https://youtu.be/IxOpl37tysw

なんでタンポポがライオンなのか。無知なわたしは、タンポポの花びらを雄ライオンのたてがみに例えたのだろうと軽思しておりましたが、どうやら違うようです。

桜満開の春三月ですが、今年のたんぽぽはちょっと違うような。だいたいたんぽぽはポツンポツンと咲く孤独な花で、複数でもせいぜい2輪の夫婦タンポポか、3、4輪の家族タンポポとうのが毎年のこと、それが今年は群生がみられます。
まさかコロナのせいでもないでしょが、不思議な春です。

最後にタンポポが歌詞に出てくる今の時期にふさわしい? 好きな歌を。

https://youtu.be/i57Qc8ufV18

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Woo! [TVCM]

ソフィア・ローレン.jpg

https://youtu.be/7CADAUKiieQ

テレビでよく懐メロが聴こえてくる。
洋楽でも邦楽でも(洋楽の方が多いかな)。

いつも「なんでだろう…」と思ってしまいます。
高齢者を狙って? それとも「古いことは新しいこと」というセオリーを踏襲して?

オリジナルのCMソングでも印象に残るメロディーや歌詞も結構ありますが、やっぱり想い出を喚起させてくれる古しえの歌がここちよい。


最近、目に留まったというか、耳に留まったというか印象に残ったCMが、可愛い女優さんが懐かしのメロディーをバックに惹句を口ずさむというもの。おまけにそのマンボのリズムのステップまで披露してしまうというもの。そのステップがとても下手で、それが逆に「可愛い」印象を与えています。あきらかに計算された演出ですね。

なぜ今ごろマンボなのかはわかりませんが、60年以上昔、世界的なマンボブームが起きました。もちろんその余波は日本へも。

そもそもマンボはリズムの宝庫キューバで生まれたリズムでありステップで、大ざっぱにいうと、もともとあったリズムのルンバをジャジーにしたもの。
1940年代に世界的に広まりますが、そのキーパーソンがのちに日本に何度も来日したペレス・プラドとその楽団。キューバ生まれで、革命後はメキシコをベースに活動しました。

彼のビッグヒットのひとつが例のCMでつかわれていたマンボ№5。
ほかでは、№5以上に日本人の耳になじんだのが「セレソ・ローサ」、そして
闘牛士のマンボ」や「マンボ・キング」「マンボ・パチューコ」なども。

https://youtu.be/NZsfY-X81nE

ヴォーカルではローズマリー・クルーニーの「マンボ・イタリアーノ」や女優・ソフィア・ローレンの「マンボ・バカン」が流れておりました。
日本ではいずれも雪村いづみがカヴァーしておりました。また「マンボ・イタリアーノ」はペギー葉山も。

https://youtu.be/9prJXEhNhPA

ほかではペリー・コモの「パパ・ラブズ・マンボ」(パパはマンボが好き)もヒットし、日本では江利チエミや高島忠夫がうたっておりました。

当然、国産のマンボが出現するのは畢竟。

その最大のヒット曲が美空ひばりの「お祭りマンボ」。昭和27年といいますから、ペレス・プラド来日以前。さすが新しもの好きのお嬢。

以後「マンボでも出てくる」というほどジャパニーズ・マンボソングが。美空ひばりだけでも「すたこらマンボ」ほか数曲あります。
ほかでは「さよならマンボ」(菊池章子)、「エッサッサ・マンボ」(笠置シヅ子)、「チャンバラ・マンボ」(トニー谷)、「三人姉妹マンボ」(ペギー葉山、芦川いづみ、浅丘ルリ子)、「夢のマンボ」(雪村いづみ)などなど。
そんななかから一曲。

https://youtu.be/xE5_DJiq1e8

命みじかし、踊れよマンボでそのブームはすぐに終わってしましましたが、ファッションで「マンボ・スタイル」、「マンボ・ズボン」という置き土産がありました。それは1970年代あたりまで続きましたが、それも遠い昔のことで、いまでは「死語」となってしまいました。
ところで、冒頭でふれたこのブログを書くきっかけとなったCMですが、いまだに何のコマーシャルなのか不明です。だいたいそうですね。残るのはCMタレントと音楽だけで、その実体は如何。いいんですか、スポンサーさん。

おまけは、あえてタイトルに「マンボ」を冠せずとも、昭和30年代を代表するマンボ歌謡曲となったこの歌を。

https://youtu.be/vTj08Hyz_iA

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10755 [spring]

枝垂桜.jpg


知り合いとの約束があったため、まず千駄木で使用を済ませ、歩いて根津へ。地下鉄の根津駅前でおち合い、近くの中華料理店で黙食。

いつも多忙な知人ですが、今日は夕方まで時間があるというので、食後、急遽桜を見に行こうということになり、谷中の墓地へ。

上着を脱ぎたい陽気だったので、谷中には同様の期待をもった方々なのか、パラパラと人出が。ところが墓地のメインストリートの桜はさっぱり。東京の開花宣言は出ているはずですが、谷中ではほとんど蕾。たまにみつける花びらは、まるで四つ葉のクローバーを探す感覚。

わき道にそれて墓地を散策しましたが、点在する桜もまだ休眠中。
しかたなく、千駄木へ向かうことに。
と、その途中にあったお寺の境内にみごとな枝垂桜が。
「近くへ行こう」と知人と共に境内に入り、桜のそばへ。当然、外国人を含め数人の花見客とおぼしき人たちがスマホをかざしておりました。

これで今年の「花見」は無事終わりました。
ちなみにその枝垂桜のみごとな御寺は「長明寺」といって枝垂桜の名所だそうです。

桜の歌。

詳しくは知りませんが、JPOPSには「さくら」の歌はずいぶんあるようで、まさに百花繚乱らしいのですが、昭和30年代、40年代のわが歌謡曲やアーリーポップスでは、ありそうでなさそうで。

すぐに思い浮かぶのは昭和48年の「桜三月散歩道」(井上陽水)。
歌詞の中ではさいごに♪狂った桜が散るのは三月 と出てきます。

あとはすこし後になりますが平成6年の「夜桜お七」(坂本冬美)。作曲は三木たかしで、作詞は歌人の林あまり。

戦前には「同期の桜」なんて勇ましい歌もありましたが、これは予科練に学ぶ兵隊予備軍を散華の美として桜にたとえたもの。いわば擬人化された桜。

当時?の歌は「桜」や「さくら」をタイトルにしたものがほんとに少ない。日本人としてあまりにもあたり前すぎるのか、戦後なんらかの桜を避ける意識があったのか、よくわかりませんが、JPOPの満開模様と比べるとほんとに寂しいかぎり。

しかし、「桜」が歌詞に出てくる歌は、そこそこあります。

昭和22年、戦後を象徴する歌のひとつだったこの歌からはじまります。

https://youtu.be/M2yQKUGpL20

終戦間のないということもあり、どこかノスタルジックでブルーな歌ですが、電灯に映える公園の桜がなんともささやかな希望の象徴のように感じられます。桜が一輪咲き始め、満開になり、散り落ちてやがて葉桜になるまでを、恋が思い出にかわるまでに喩えてうたっております。平野愛子の名曲です。作詞作曲は東辰三。

その2年後の「青い山脈」にも、♪雪割り桜 が出てきます。
ほかでは27年の「伊豆の佐太郎」(高田浩吉)に♪はいた草鞋に 散る桜
32年の「東京だよおっ母さん」にも♪桜の下で さぞかし待つだろ
などがありますし、
さらには石原裕次郎の晩年の名曲「わが人生に悔いなし」にも。詞は先日亡くなったなかにし礼。作曲の加藤登紀子の歌で。

https://youtu.be/HZFOKGj-91s

とはいえ、日本人にとって「桜の歌」の最大公約数といえば童謡・唱歌でP.D.の「さくらさくら」ではないでしょうか。
といいながら、おのれの義務教育時代、うたった記憶がほぼないのですが。
しかし、昭和30年代、トリオ・ロス・パンチョスがラテンにアレンジした「さくら さくら」はわが脳内ジュークボックスにおさめられております。

https://youtu.be/IIGf797ya9w

長明寺の枝垂桜は、青空に映えてささやかながら感動がありました。
しかし、それより感動したことが。
結局、その後「夕焼けだんだん」から谷中銀座、よみせ通りを通って地下鉄千駄木駅で知人と別れ、わたしは地下鉄へ。

そして下車し、駅を出て家路の公園で家人に電話をしようとバッグからスマホを取出し画面をみてびっくり、さらに今日2度目のささやかな感動。
歩数計がなんと10755歩になっていたのです。
1万歩以上歩いたなんて、ここ数年記憶にありません。
5000歩あるけば「合格点」と思っていましたので。

ただ、「10755」という数字を見たあと、浮かれる気持ちとは裏腹に足の太ももあたりがずっしりと重たくなり、ときどきよろけながら家路へ。

歳そうおうに歩かなくてはいけない、なんて想いながら今夜は桜風吹の夢でも見ながら安眠したいものです。

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昔、東京は砂漠だった [歌謡曲]

東京砂漠.jpg

https://youtu.be/fpC2SvF0hf8

昭和30年代半ば。まさに高度経済成長の真っただ中。
そのころ東京では、いまではおよそ考えられない現象が起こっていました。それもふたつ。

ひとつは「スモッグ」と呼ばれた大気汚染。フル回転で稼働する工場の排煙とクルマの排気ガスによって東京の町は霞がかかったように煤けていたのです。
そして、もうひとつが水不足つまり渇水による、ひんぱんな水道の断水。

わたしは子供でしたが、大人たちがボヤいていたのは耳にしましたが、切迫感とか危機感はまるでなかった。暢気なもんでした。
たしかに断水はありましたが、時間が限定的でしたし、場所によっては給水車が回っていた所もありましたが、わたしは水を汲みに走った経験はありません。
また、スモッグにしてもマスクをするとか、外に出ないなんてことはなく、学校が終われば上級生も下級生も広場に集まり、クタクタになるまで遊んでいました。

まぁ、そんな昭和30年代の「水不足」をたしかに新聞などのマスコミは「東京砂漠」と呼んでいました。

当時、東京は排ガスにおおわれた「砂漠」だったのです。

内山田洋とクールファイブの「東京砂漠」がリリースされたのは昭和51年(1976)。東京が渇水と大気汚染でよどんでいた頃から10年以上経ったころです。

実はその5年まえ(昭和46年)に東京を砂漠と呼んだ歌がありました。
いしだあゆみの「砂漠のような東京で」です。曲は昨年亡くなった筒美京平、詞はGSの「ブルーシャトー」などで知られる橋本淳。
詞の内容は、砂漠のような潤いのない東京であっても、私は彼に愛を捧げるという女心をうたった歌謡ポップス。まぁ歌謡曲の王道のひとつですね。

♪砂漠のような東京で 貴方一人のしもべとなって 夜も寝ないで女の真心 私は私は尽くすのよ

と今ならジェンダーからクレームがきそうな歌詞です。
この歌の2年前に奥村チヨの♪悪い時はどうぞぶってね というDVオーケーという「恋の奴隷」がヒットしています。半世紀前の話ですが大変な時代でした。

話を砂漠に戻しまして。
昭和30年代中盤から40年代前半にかけての東京砂漠は、クールファイブが「東京砂漠」をうたった51年にはほぼ解消されていました。にもかかわらずこの歌が世にでて、ヒットしたというのは「砂漠」のイメージが水問題ではなく、愛の不毛や心の渇きという愛情問題に変っていったからでしょうね。
「愛の砂漠」(ザ・ピーナッツ)とか「砂漠の薔薇」(ビリー・バンバン)なんて歌もありましたし。

とりわけ首都・東京では、生きていくためには、自分が倖せになるためには他人のことなどかまってはいられない。砂漠化がよりすすんだ冷たいというか薄情な都市というイメージが強かったのでしょう。

そういえば子供の頃、地方に住む従弟が東京で働きたいといって私の家に2年あまり滞在したことがありました。
その後、故郷に帰って自衛隊員になったのですが、わたしが大きくなってある法事で顔を合わせた時、昔話になり、「あの頃の東京ってどうだったの?」と訊ねると、ひと言「嫌な街だったよ」とつぶやきました。

詳しくは訊きませんでしたが、嫌な思い出があったのでしょう。

東京に出てきて失意のうちに地元へ戻った人間にとってはまさに東京は砂漠みたいな味気ない街なのでしょう。その反対に仕事も恋愛もうまくいった(運が良かったに過ぎませんが)人間たちは♪花の都・大東京 なんてうたってしまうんでしょうね。
やさしい人には住みにくい街だったのかも。今でもそうかもしれません。

思い出話はこのへんで。

とにかく「砂漠」が地理地形の話ではなく「愛情」あるいは「人間関係」の話と考えれば「東京砂漠」は昭和どころか、いまだに続いてるといえます。というかこれはもう東京に限ったことではなく普遍的な人間の永遠のテーマですね。

クールファイブの「東京砂漠」、作曲はリーダーの内山田洋。
一世一代の作品といってもいいのではないでしょうか。
作詞は吉田旺で、「喝采」や「紅とんぼ」、「夜間飛行」などちあきなおみの作品を多く手掛けています。

印象的なアレンジは森岡賢一郎。
昭和30年代は主にカヴァーポップスを、そして40年代から50年代にかけては多くの邦楽に味付けした伝説の編曲者です。

「君といつまでも」(加山雄三)、「ブルーシャトー」(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)、「想い出の渚」(加瀬邦彦とワイルド・ワンズ)、「冬の駅」(小柳ルミ子)、「霧の摩周湖」(布施明)、「小指の想い出カ」(伊東ゆかり)、「涙のかわくまで」(西田佐知子)、「忘れな草をあなたに」(菅原洋一)、「よろしく哀愁」(郷ひろみ)、「水色の恋」(天地真理)などなどなどなど。そうでした「砂漠のような東京で」もそう。

どれもそのイントロや間奏がすぐに脳内蓄音機で再生できるほどの名アレンジです。
そんななかから一曲。53年の歌です。

https://youtu.be/9No_C4Lk7h8?si=WUVQlQcgAH3ncFHV

前川清の「東京砂漠」は意外とカヴァーが少ない。
演歌歌手がこぞってうたっていそうですが、そうでもない。
なによりもムード歌謡の多くあるグループがカヴァーしてもよさそうですが、聴いたことがありません。なにか制約でもあるのでしょうか。

YOU-TUBEで聴けるカヴァーは、ちあきなおみ、中森明菜、島津亜矢、八代亜紀と歌の上手い歌手が「参戦」しておりますが、個人的にはアレンジがオリジナルに近く、あの時代の雰囲気が伝わってくる八代亜紀が心にしみます。(画像がちょっとつらいけど)

https://youtu.be/cIQWIWkCGOw

冒頭のYOU-TUBEの前川清と渡辺香津美とのセッションは最高でした。
前川清ワールドは言わずもがな、オリジナルアレンジをベースにした渡辺の切ないギターがすばらしい。
最後は、もちろんあの頃(昭和52年)のオリジナルで。
コロナ砂漠でギスギスした昨今ですが、「やさしさをどこに棄ててきたの」なんて言われませんように。自戒をこめて。

https://youtu.be/AGqqalMr6v0

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雪よ降れ [country]

emmylou harris.jpg


明日、北海道は雪だといいます。
東京はというと、とうとう今年の冬は雪が積もりませんでした。
豪雪地帯の人たちには申しわけありませんが、雪の積もらない冬はつもらない。いやつまらない。
これもそれもコロナのせいだ。と、言いたくなる。
でも、過去には4月に入って雪が降り、積もったこともあったから、まだあきらめるのは早い、と言っておこう。


雪が積もったら絶対に聴きたくなる、そして口ずさみたくなるうたがエミルー・ハリスの「雪に映える薔薇」Roses in the snow 。

https://youtu.be/l-r8Vm6UCIM

彼と出会ったのは春。
そして6月に結婚しました。

それから輝ける日々が続き、雪が積もった12月の晴れた日、
わたしたちは、雪の上に真赤なバラを置きました。

その後彼は天に召され、雪の上の薔薇の想い出が残りました。

やがて彼が眠っている丘にも花咲きみだれる、春がやってきます。
そして季節が移り、冬が来ると、わたしは雪の積もった彼の墓に赤いバラを供えるのです。

というまるで、八代亜紀の「ともしび」を彷彿とさせる湿り気たっぷりのブルーグラスソングです。

エミルーの最も美しい歌ですね。
はじめのYOU-TUBEの見どころは、ユニオンステーションを引き連れたアリソン・クラウスのハーモニー。なんとも贅沢。さらにいえば間奏でジェリー・ダグラスのドブローが聴けるという至福のセッション。惜しむらくは映像のシャープさにやや駆けること。文句を言ってはいけません、UPしてくれた方に感謝あるのみです。

東京も雪景色を見ないまま、もうすぐ春がやってきます。

いくつになっても「春が来る」予感に言い知れぬうれしさで頬がほころびます。たとえコロナで自粛を余儀なくされるとしても。
みいちゃんだって、「おんもへでたいと」待っているのですから。

最後に春を待ちわびる歌を。離ればなれになる愛する人に「春がまた来れば逢えるじゃないか」というブルーグラスを。

https://youtu.be/XuWn8wZDIjI

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路上パフォーマー [on the park]

ron carter.jpg

どこまで続くぬかるみぞ。

なかなか新型コロナが収まりません。
たしかにひと頃よりは検査で陽性になる人も少なくなった感はありますが。

「緊急事態」の継続はしかたのないところですが、市街の人出は確実に増えております。人が多くなって陽性者が減少するということは、人びとの防疫生活が奏功していることもあるでしょうが、コロナの勢いも衰えているのでは、とも思ってしまう。

正直年寄りのわたしだって、自粛生活にはいささかうんざりしているのですから、若い人はもっとでしょう。見えない敵だけに油断禁物ではありますが。

公園で、中学生らしき男女数人が、通行人に背を向けてダンスに興じておりました。その前にはCDデッキらしきものがあり、そこから初耳ですが、ダンスミュージックが遠慮がちにこぼれておりました。

学校ではダンスの授業があるようですし、フォークダンスしか知らなかったわれわれの時代からすると、世の中変った、ダンスが五輪に、といった驚きがあります。

彼らはきっとどこかでダンスを披露するために練習をしていたのでしょうが、まぁこれもひとつの路上パフォーマンス。
公園では時々みかけます。
多いのが、トランペット、トロンボーン、クラリネット、サクソフォーンなど吹奏楽の練習。そりゃそうだよね、家でやられた日にゃ堪りません。

ひとりでベンチに座り、ガットギターやフォークギターを弾いている人もました。弾き語りをする人もおりました。
木立のなかで尺八を吹いていた年配の方もいました。

いちばんびっくりしたのは、昨年見たベース演奏。
それもギター型ではなくコントラバスと同じエレキのアップライト型。残念ながらサイレントベースだったため音は聴けませんでしたが、ヘッドフォンで目を閉じた30代とおぼしき男性は、おそらくマイナスワンのジャズかなにかを聴きながら悦に入っていたのではないでしょうか。
ボルサリーノにノーネクタイの白ワイシャツ、フォーマルっぽいベストにマンボズボンとなかなかの伊達男でした。

みんないろいろなかたちで発散したいんでしょうね。
楽器をやらない人だってカラオケには行きたい。こうなってみて改めて音楽が人生にどれだけ潤いを与えていたのかということがわかります。
公園ではありませんが、駅前や街中でたまに見かけた路上パフォーマーたちもすっかり家籠りしてしまっているようで、昨今見かけません。

わたしもせいぜい仕事の合間にYOU-TUBEで音楽を見聴きすることが息抜きに。
最後にそんなYOU-TUBEで見た刺激的な路上ミュージシャンを。

https://youtu.be/QHHpa-BBFMo

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