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I'm younger than that now [oldies]

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先日夕食を取りながらNHKのニュースを見ていた時のこと。たらたらしていたら食べ終わる前にニュースが終ってしまい、次の番組になってしまった。
チャンネルを替えるのも面倒なのでそのまま見ていると、「週刊朝日」の休刊の様子が映った。それは「雑誌休刊」のドキュメントではなく、なんでもサラリーマンの食事がテーマの番組で、100年続いた雑誌の終焉にタイミングを合わせて番組をつくったようだ。
短い番組なのでNHKらしく、編集長をはじめ、記者、外部デザイアーの3人にフォーカスし当然食事を中心に上手にサラっとまとめていた。
こちらはリアルな食事中とはいえ、あまり他人の食事には興味はなく、ただメジャー週刊誌の終焉の光景とはこういうものかという思いで眺めていた。AIが発達しても仕事がなくなることはないと自負を語っていた記者が、これからどの部署に配属されるのか、はたまた会社を去るのかという余計な心配までしてしまった。

というのも、番組を見ている途中から、昔読んだある本のことが頭に浮かび、同時に脳内蓄音機でその本に関連した音楽が流れはじめたからだった。
その本の著者もかつては「週刊朝日」の記者だった。

https://youtu.be/3GrBH3I2Tz8

「マイ・バック・ページ」は1980年代の後半に川本三郎によって書かれた回想録で、1970年代はじめ「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者として過激派と関わり、自衛官殺人事件に巻き込まれて懲戒免職をうけるという彼の苦い青春記でもある。
10数年前になぜか映画化(観ておりませんが)されたので知っている人もいるのではないでしょうか。

もちろんこの本のタイトルはボブ・ディランの「マイ・バック・ペイジズ」My back pages からとっている。
「マイ・バック・ペイジズ」は1964年のアルバム「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」の収録曲だが、メタファーに溢れたまさに「現代詩」で、理解できるのは何度もリフレインされる「あの頃の自分は老成しすぎていた いまの自分のほうがずっと若い」というフレーズばかり。
デビューから「風に吹かれて」「時代は変わる」「戦争の親玉」などプロテストソングの旗手としてまつり挙げられたディランの自己否定の歌ともとられ、アコースティックからエレキに持ち替えたということも相俟ってこの頃から、純正のフォーキーたちから裏切者よばわりされるようになったディランの「返歌」ともとれる。

しかし考えてみるとこの「若気の至り」を吐露する「マイ・バック・ペイジズ」を発表したのはデビューから2年目のことだ。その2年前を振り返り、「あの頃の自分は老成しすぎていた、今の方がずっと若い」なんていうのは早すぎる。実際に10年を経てディランがこの歌をうたうのを聴いたなら「なるほどなぁ」という思いにもなるだろうが。
もしかするとディランはわずか2年で10年分生きてしまったのかもしれない。あるいは、この歌をつくったとき、10年あるいは20年先の自分が憑依したかのように、未来を見通していたのかもしれない。いずれにしても、のちにノーベル文学賞を獲るほどの味わい深い詩であることは間違いない(たんなるコラージュ上手という人もいるが)。
曲だっていわゆるディラン節が耳になじむ。また吉田拓郎が影響を受けたであろうこともうかがえる。

「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」からもう一曲。
これも、あとになってみれば彼を「過大評価」するファンどもにあてたと思われなくもない歌。「僕はあなたが探しているような男では、断じてないんだ」とうたう「悲しきベイブ」It ain't me,babe をかつての同士と。

https://youtu.be/wh6yOC3rFes

最後はもう一度「マイ・バック・ペイジズ」を。
こんどは初出の1964年から30年近く経った1992年の歌で。

「伴走者」ロジャー・マッギンのほか、エリック・クラプトン、ニール・ヤング、ジョージ・ハリスンらのFriends らとの共演はディランのデビュー30周年のコンサートだそうで、ディランはもちろん、それぞれが「あの頃は若年寄みたいなこと言ってたけど、いまの俺の方がずっと若いんだぜ」ってうたってるようでしみじみする。

https://youtu.be/zU40ifUZOUY

ところで川本三郎の「マイ・バック・ペイジ」の中に彼の雑誌記者時代の音楽の話も出てくる。それもこの本が印象に残ったひとつで、その中で著者はクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルが好きだと書いている。
わたしもCCRをリアルタイムで聴いていたのでこの本を読んだとき、10歳近く年上の彼がとても近い存在に感じられたものだった。

ただ川本三郎はたんに当時の自身の音楽的嗜好を披瀝したわけではない。
実はこの「CCR」がのちに彼を奈落の底に突き落とすひとつのキーワードになったのである。彼が信じた自称過激派のテロリストもCCRが好きだと語った。また当時の映画「真夜中のカーボーイ」も川本三郎とテロリストが共に愛するシネマだった(わたしも60年代ベストワンの映画です)。さらには川本三郎がそのテロリストを下宿に招いたとき宮沢賢治が共通の愛読書であることも認識しあった。
「CCR」、「真夜中のカーボーイ」、「宮沢賢治」この3点セットで彼はテロリストを信頼に値する人間と思い込んでしまうのである。その後、その自称過激派の男を首謀者とするグループが朝霞自衛隊駐屯地に侵入し、隊員を刺殺してしまうなどとは微塵も思っていなかった。
まぁ、「マイ・バック・ペイジ」は凄い本でした。わたしが読んだ数少ない「青春記」の中では突出して心を動かされた本だった。

川本三郎はカントリーも聴いていたようで、その本にはそんな話もでてきたのを覚えているが、やはり同時間に聴いていたCCRをオマケに。
最近聴いたばかりでいささか気がひけますが、名曲はまだまだあるので。
アルバム「グリーン・リヴァー」(1969年)の収録曲で、旅巡業中のアーチストがカリフォルニア郊外の町・ロディで金を失くしたり、相棒に去られたり散々な目に遭い途方に暮れるという「ロディ」Lodi(シングルでは「バッド・ムーン・ライジング」のB面)を。

https://youtu.be/30tkt7beJiE


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サーフィンJPN [oldies]

ビーチボーイズ.jpg

今日は大橋悠衣の200mメドレー決勝を見たかったので、外出を遅らせました。

まずは、パソコンでエンゼルス対ツインズ戦を見ながら、その後のテレビではオリンピック水泳を見るという忙しさ。

1回の表エンゼルスの守備中に、男子200mバタフライ決勝で本田灯が銀メダル。準決勝のタイムではやっと決勝に残ったというふうに見えたので期待していなかったのでビックリ。とにかくこれで水泳チームが波に乗ることを願うばかり。

そのあとの女子200mバタフライでは長谷川涼香が全体9位という1人の差で決勝進出を逃す。「過酷」なインタビューで、とてもナチュラルに冷静にレースを振り返っていた長谷川選手。前回のリオでも1人差で悔しい思いをしたのに、整然と過去と現在を語った彼女は大人でした。この5年間に人間としていかに成長したかが伝わってきました。

大谷の第一打席はファーストライナー、バッターアウト。
試合はエンジェルス先発のスワレスが不調で3回で5失点。投手交代の雰囲気がないので大敗の様相。

大谷の二打席目と大橋の決勝、どちらが先か。
3回裏、ノーアウト一、二塁で大谷。
大谷三振で大橋150mターン、最後の自由形。すごい大橋勝った。競馬でいったら鼻差。
やっぱり出かけなくてよかった。記録発表その差0.13。見た目より差があった。
大橋の歓びのメッセージを聞いて外出しました。


戻ってきてまずチェックしたのは大谷。
やってくれました36号。オールスター後、ホームランのペースが落ちていたので心配だったのですが、センターへビッグフライを打ち込んでくれました。
試合は予想通り大敗でしたが、これはしかたがない。

そのあとはもう連日同じパターンで、テレビのオリンピック(なるべくLIVEを)見ながら仕事を。

ついに野球が始まりました。
今日の初戦はドミニカ。
途中からでしたがとてもエキサイティングなゲームでした。なにより、9回裏坂本の逆転打でサヨナラ勝ち。200mメドレーの大橋ともども今日のハイライトかも。


話は戻りますが、昨日はやっぱりソフトボールの金メダルに尽きます。
シブイ勝ち方でしたが、ライバル・アメリカを倒しての金メダルは立派。ベテラン上野の激投は驚異ですが、宇津木監督の6回に上野を下げてひと息いれさせた采配も見事。個人的には2点目のクリーンヒットを打った藤田倭が最高殊勲。1点ではなく2点差というのが大きかったと思います。藤田は大物を狙わず、確実にミートに心がけたのが好判断。ホームラン3本に大谷ばりのピッチングもあり、文句なしのMVPだと思います。

そんなソフトボールの前に、昨日テレビで見入ってしまったのがサーフィン。
まるで興味がなく、たまたまライブでやっていたので見るともなく見ていたのですが、そのうち釘付けに。女子の3位決定戦、男子の決勝戦をじっくり見せてもらいました。

とにかく台風の影響によるあの波で闘うというのが驚き。
採点方法とか、試合のかたち等、試合としてのサーフィンは初心者には完全に理解はできませんが、テレビの名解説者のおかげで、30分でしたか時間内に何度も演技を行い、その上位2回の点数で勝負を決する(あってるかな?)というゲーム方式はなんとなくわかりました。

また、選手たちは自分に合った波が来るまで待つということ、1回の演技が終ったら、波に逆らって良い波のくる沖までボードに乗り、手で漕いでいかなければならないということもわかりました。さらに相手選手との点数やどんな技で対向するかという駆け引きがあることも。

つまり、スポーツとしてのサーフィンが、フィジカル、メンタルとも思っていた以上にハードなものだということが理解できました。こういうスポーツは面白い。
結果はご存知のとおり、男子の五十嵐カノア選手が銀、女子の都筑有夢路が銅という素晴らしい成績でした。

オリンピックがなければ、おそらくサーフィンをゲームとして見ることなど一生なかってでしょうから、ひとつ未知の世界をのぞくことができました。かつての冬季五輪のカーリングもそうでしたが。


そんなわけで音楽はサーフィンに関する洋楽を聴いてみたいと思います。
オリンピックばかり見ていて、いよいよ仕事がほっとけない状態になってしまったので、とり急ぎ1964年のサーフ・サウンド4曲を。

https://youtu.be/aO349CSnYXs

「太陽の彼方に」
インストバンド、アストロノウツは典型的な「日本御用達」バンドで、この曲の原題はMOVIN'で彼らのファーストアルバムの1曲で、アメリカではシングルカットされていないそうです。
もちろんインストで、日本盤で歌詞つきの曲は独自のもの。田川譲二や藤本好一の♪のってけ のってけ のってけサーフィン… とうたう詞は「悲しき願い」や「網走番外地」のタカオ・カンベ。日本の流行歌で「サーフィン」という言葉がでてきたのはこの歌がはじめて。かもしれない。

https://youtu.be/SaJaNVqrYgc

「パイプライン」
こちらはアメリカでもヒットチャートを賑わした、日本のエレキブームの火付け役ベンチャーズで知られた曲。オリジナルはシャンティーズ。
「パイプライン」とはハワイのサーフポイントらしい。とにかくこの年「急がば回れ」や「ダイヤモンド・ヘッド」ともども列島に旋風を巻き起こしました。

https://youtu.be/-YusHyd-duQ

「ワイプアウト」
1962年結成のサファリーズのファーストアルバム「ワイプアウト」の収録曲。シングルカットもされ、全米2位?になったとか。「ワイプアウト」とは、サーフィンでバランスをくずしボードから落ちることとか。奇声からはじまる演奏が独特で、本場でも狂気の笑いといっているそうです。
日本ではその後、奇行集団「電撃ネットワーク」のBGMとして使われさらに知られるようになりました。

https://youtu.be/2s4slliAtQU

「サーフィンUSA」
いわずと知れたビーチ・ボーイズの初ヒット・アルバムで全米10位に。シングルの「サーフィンUSA」はチャック・ベリーの「スウィート・リトル・シックスティーン」をベースにブライアン・ウィルソンがつくったもので、クレジットはチャックになっています。こちらは全米2位。
日本盤は聞きませんが、多分ワイルドワンズは演ってますね、レコ―ディングしてるか否かは別としまして。

オマケは日本の歌で。
そのバンド名からTUBEで。当然サーフィンに関する歌はいくつかあるようですが、動画があるこの歌を。

https://youtu.be/74r81ZXRRl0

柔道女子70キロ級で新井千鶴が金メダル。男子90キロ級の向翔一郎は3回戦敗退。向の敗戦後のインタビューが爽快でした。必要も意味もない謝罪はせず、冷静に自分を振り返っておりました。
サッカーはフランス相手に前半で2-0とリード。久保が3試合連続得点。さすがエースです。

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計画的敗戦? [oldies]

華麗なる賭②1968.jpg

昨日の水谷・伊藤ペア美事でした。
2-0になったときは懲りずに「やっぱなぁ」でしたが、試合後水谷選手がいっていたように3セット目が大きかった。でも3-2と逆転したあと6セット目を中国に取られたとき、またもや「やっぱなぁ」。
しかし、最終の7セット目、まさかの8ポイント連取で「スゲェ」とほぼ優勝した思い。子ども時代に覚えた懐かしい言葉「スコンク」が頭の中に甦ってきました。

しかしオリンピック決勝戦です。そんなに甘くはない。中国が反撃して9-4と迫ってきたとき準々決勝のドイツ戦が脳裏に。あの大逆転のそのまた逆バージョンが再現されるのではという思い。

しかし俄かファンの杞憂はすぐに払拭され、水谷・伊藤ペアの歴史的勝利。おめでとう!。まさにスポーツの醍醐味でした。

ほかにも柔道・大野にスケボー・西矢の金、中山の銅、体操男子団体の銀、柔道・芳田、アーチェリー男子団体の銅などまだはじまったばかりなのにこのメダルラッシュ。大会が終ってみればどれだけ獲るのかというぐらいのメダル数になるのではという思い。
もちろんメダルなし、予選敗退でも全然かまわない。勝負は時の運。下馬評では勝てない選手が勝つこともあれば、勝って当然の選手が負けることもあるのが勝負ですから。「外野」はゴチャゴチャ言わずに彼らの健闘をたたえればいいのです。


今日は、朝食後、テレビにはバドミントン・ダブルス、福島由紀、広田彩花のフクヒロペアがインドネシアのペアとの試合中。世界ランキング1位のフクヒロですから順当勝ちと思っていたら、形勢不利でなんと1セット目を落としてしまいました。
ここで残念ながら仕事場へ。仕事はすぐに終るので直帰して続きを見るつもりです。まぁ
優勝候補ですから大丈夫でしょう。後ろ髪(なんかないけど)引かれる思いで外出。



昼過ぎに帰宅して、まずパソコンのスイッチオン。
MLBエンジェルスの試合をネットで。本日は大谷登板日。
6回裏のエンジェルスの攻撃中で2-1とリードしている。案の定エンゼルスは点が取れない。7回表、大谷がまだ投げています。好投です。三振でこの回を投げ切りました。
その裏エンジェルスの9番メイフィールドが2ランを打って4対1。これで大谷の5勝目はまず間違いない。今日は1安打1打点の大谷の4打席目は三振。これで本日はお役御免。あとは逆転されないことを願うだけ。と思ったら。

8回裏相手のロッキーズが1点をかえし、ツーアウト2、3塁。ヒットが出れば同点、ホームランなら逆転。アナウンサーが「皆さんの心配するとおりになってきました」と言ったのには笑えました。勝負のバッターはセンターへのビッグフライ。スタンドイン寸前でセンターがキャッチ。やれやれ。今日は大谷にツキがある。はず。
最後はクローザーが3三振奪取で6-2の勝利。大谷5勝目、何度目かのやれやれです。

野球のインターバルに、ネットニュースを見るとナント、試合結果は1-2でフクヒロペア負けております。またもや番狂わせ?でもタイトルには「2位通過」と。試合方式を把握しておりませんが、トーナメントではなく、予選リーグ方式なのでしょう。もしかしたら、決勝リーグを考えてわざと2位通過?。よくわかりませんが。とにかく予選通過でザッツ・オーライ。

ほかではサーフィンの五十嵐カノアが決勝進出、銀メダル以上確定というニュースが。

今夜は7時からのソフトボール決勝を見る予定。これも昨日の敗戦は計画的だとも。先発は上野でしょう。
彼女の腕で、ゴールドメダルをもう一度。こうなることを期待しております。


では本題の64年ポップスを。
ガールポップスが続いたので、今回は男で。最近聴いたビートルズとエルヴィスやモダンフォークはパスで。


まずは「恋のパーム・スプリングス」。

https://youtu.be/98O7-Ltmk4Q

映画「パームスプリングスの週末」の主題歌で主演のトロイ・ドナヒューがうたっています。トロイは50年代末から映画に出はじめ、60年初頭のテレビドラマ「サーフサイド6」のレギュラーでブレイクした青春スター。
映画は恋あり、誤解あり、喧嘩あり、和解ありの青春ドラマ。当時日本の流行かは青春歌謡がトレンドで、当然映画とのメディアミックスもあたり前でした。このLive Young もそんなドラマでしょう。観てませんが。
でもラジオから流れるこの歌は超ヘビロテで、ビートルズ、エルビス、スクリーンミュージックが席巻する洋楽ベストのヒットチャートでもナンバーワンになった記憶が。

トロイ・ドナヒューはヤル気がなかったのか、才能がなかったのかその後凋落ぎみで、1987年、楳図かずおの原作を大林宣彦が監督した「漂流教室」にゲスト出演していました。その後2001年に心臓疾患で亡くなっています。

つぎはザ・ヴェルベッツの「愛しのラナ」。

https://youtu.be/vUKhiJTHil8

1950年代からはじまったドリフターズやプラターズに代表される黒人のコーラスグループの歌はドゥワップと呼ばれました。ザ・ヴェルヴェッツもそのひとつ。

クァルテットで1959年にデビュー。1961年に彼らの最大のヒット曲「トゥナイト」をリリースします。しかし62年に解散。とWIKIには書いてあります。ということは、「愛しのラナ」が日本で発売されたときには、ヴェルベッツは存在しなかった? それともニュー・ヴェルベッツが活動していたのでしょうか。
「愛しのラナ」もよくあるパターンで日本限定のヒットだとか。しかし、ロイ・オービソンもカヴァーしているようにまったく埋没した楽曲でもなかったのではないでしょうか。
「トゥナイト」ともども、シャネルズ(ラッツ&スター)がうたっていましたね。多分。

ラストの3曲目は「ミスター・ベースマン」(ジョニー・シンバル)。

https://youtu.be/Ki2K6aZLeBc

手元にシングル盤があるのは「愛しのラナ」と「ミスター・ベースマン」。「愛しのラナ」はリアルタイムで買った記憶がないので、おそらくのちに古レコード店でみつけて購入したのでしょう。「ミスター・ベースマン」はその時買ったのを覚えております。ジョニー・シンバルとベースマンの掛け合いでのベースマンの低音とジョニーのファルセットが新鮮でおもしろかった。ドゥワップですが、もちろん当時はそんな意識はありませんでした。

日本では、パラダイスキングと九重佑三子がカヴァーしてました。テレビの「ザ・ヒット・パレード」では踊る指揮者・スマイリー小原がドスの効いた低音でベースマンを演じておりました。
ジョニー・シンバルはこのあと「僕のマシュマロちゃん」も小ヒットしましたが、あまり記憶にありません。「ミスター・ベースマン」が強烈すぎて。
「ミスター・ベースマン」をヒット(全米16位が最高で、トップ10には入らなかった)させたときジョニーは18歳。何がスゴイってこれが彼の作詞作曲であること。
残念ながら1993年に48歳で亡くなっております。

おまけはスクリーン・ミュージックを。この年封切られた映画で、大興奮してそのあと何度も見ているという娯楽大作を。群像劇だけどひと際光っていたのが「彼」。カッコ良くて憧れたなぁ。その後彼の主演映画を追いかけるほどだったもの。競走馬の名前にもなったくらい日本人ファンも多かった。監督は「荒野の七人」(彼も出ていた)のジョージ・スタージェス。音楽はエルマー・バーンスタインでした。
日本ではミッチ・ミラー合唱団の歌詞つきのレコードが売れていましたし、紀本ヨシオがカヴァーしていました。

https://youtu.be/8ieaYqW9FcA

https://youtu.be/BaFBFmJG-LI

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武道館でショータイム [oldies]

武道館.jpg

きのうに続いてオリンピック三昧の一日です。

午前中にちょっと買い物へ行ったくらいで、あとは冷房かけて、テレビでアスリートたちの勝負をみております。ときどき仕事をしながら。

柔道の3回戦、準々決勝、それにきのうからなぜか見たくなっている卓球。ルールも厳密には知りませんが、子どものころ雨になると近くにあった卓球場(有料)へ行ってたし、金持の友達の家のガレージには卓球台があって、(おやつ目当てで)よく遊んでいました。たしかに「温泉卓球」のレベルではありますが。そうしたささいな経験があると無いとでは大違いで、そのスピード感は新幹線とカメぐらいの違いはありますが、見ながらなんとなくからだが反応しております。

今日は男女の個人戦。
石川佳純の初戦。相手はタイのオラワン・パラナン。

石川選手は世界ランキング10位。対するパラナン選手は88位。
実績、実力の差はあきらか。と思いきや、パラナンが2セットを取る大健闘。
結局4-2で石川選手の順当勝ち。
パラナンはまだ若いし、これから伸びていくだろう選手(多分)。技術的なことはわかりませんが、なんとなくその戦いぶりで。

それに石川選手に負けず劣らずの美形。というかとても可愛い顔をしております。まるでアイドルのような。こういう見方は顰蹙を買いそうですが、まぁ、男なものでから、俄か卓球ファンなものですから、大目にみてください。

張本智和も香港のリン・チョウコウに4-1で勝ちました。こちらも順当ですね。


前回に続き1964年のポップスを。
きょうもガールズ。本命のアメリカンを。久々に聴きました。ナツカシー。

まずは、ジョニー・ソマーズの「素敵なメモリー」。
彼女のヒット曲といえば、60年の「ワン・ボーイ」や62年の「内気なジョニー」で、この歌は本国でもさほど売れなかったようです。よくあるパターンですが。
これもよくあった彼女の日本語ヴァージョンもありました。
伊東ゆかり、梓みちよ、ベニ・シスターズがカヴァーしておりました。個人的にはやはりこの年流れていた「レッツ・メイク・ア・メモリー」(クリフ・リチャード)のほうが好きだったなぁ。

https://youtu.be/wJwIzcuOb_Q

つぎはダイアン・リネイの「ネイビー・ブルー」といきたいところですが、最近聴いたのでパスしてグループですが、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」(わたしのベイビー)を。
リードヴォーカルのヴェロニカ、姉のエステル、従弟のネドルによるトリオ。
「ロネッツ」はヴェロニカの別称ロニーからつけたもの。
フィル。スペクターがプロデュースした耳に残る名曲で、全米2位になっています。ロニーはいっときフィルと結婚していたようです。

これも日本人のカヴァーが多かった曲です。弘田三枝子、伊東ゆかりを筆頭に。安西マリアとかゴールデン・ハーフ、さらにはシーナ&ロケッツまで。
♪わすれられない あの瞳
という印象的な出だしは漣健児の詞。

https://youtu.be/jGS0GAWMXE4

最後は当時の日本の女性シンガーたちが最もカヴァーしたがったというコニー・フランシス。60年代を代表するアメリカンポップスの女王です。
日本でも「可愛いベイビー」「ヴァケーション」「カラーに口紅」から始まってキラ・星のごとくある彼女のヒット曲ですが、この年に流行ったのは「ハートでキッス」と「ダンケシェーン」。どちらかといえば、日本でのコニーの印象からいうと「ハートでキッス」でしょうか。

https://youtu.be/2Qb_u0vtYAc

この歌を主題歌とした映画を含め、数本の映画に出演しているようです。
個人的には(言わせてください)「大人になりたい」と「想い出の冬休み」が双璧。
何度か来日しておりますし、いまだ健在です。三人娘もね。


このブログを書きながら、柔道決勝も見ました。
男子73キロ級は予定調和のショータイム。大野将平が2大会連続の金メダル。女子57キロ級は芳田司が惜しい銅メダル。3位決定戦での芳田の必死さと勝利後の安堵感が印象的でした。みごとな成績でした。金銀銅は紙一重。
大野も優勝インタビューで「不安」だったことを口にしました。超人ではなかった。あたり前だよね。ストイックばかりではない彼の人間味にふれた気がしました。

いま卓球の混合ダブルス決勝が始まりました。中国相手にジャイアントキリングを見せてくれ。



おまけは日本でも人気があったリトル・ペギー・マーチを。
ヒット曲はなんといっても全米ナンバーワンになった「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」。
ほかでは「可愛いマリア」くらいしか記憶にありませんが、「忘れないわ」ほか日本の歌もいくつかうたっておりました。
そんな一曲を。いま聴けば完全なるミス・マッチです。アメリカのポップシンガーが吉田正・佐伯孝夫コンビの楽曲をうたいますか? 仕方ないですよね、そういう時代だったんですから。でも日本語上手ですね。

https://youtu.be/MpPBTA-af48

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お見事!水谷・伊藤ペア大逆転 [oldies]

卓球.jpg


たまたまテレビをつけたら卓球の混合ダブルス準々決勝。
日本は水谷隼と伊藤美誠。相手はドイツペア。
なんと、セットポイント2-3で負けている。金メダル候補だと思っていたのに。

そういえば、体操・鉄棒の内村航平や、水泳・400mメドレーの瀬戸大也の予選敗退という番狂わせがあったので、またかと思ってしまいました。

話を卓球に戻しまして。
水谷・伊藤ペアはなんとか1セット取り返し、雌雄を決する7セット目に。
ドイツペアのコンビネーションがよく、水谷・伊藤はミスというミスをしているわけではないのだけれど、点差は開いていき一時は6、7ポイント離されて「やっぱりな」という思い。しかし、俄か卓球ファンはあさはかでした。

ドイツのマッチポイントになってからの水谷・伊藤ペアの怒濤の反撃、攻撃がすさまじかった。伊藤のサーブが決まり、水谷の強烈なドライブがドイツペアの間を切り裂いて(卓球用語をしらないのでいい加減言ってます)連続ポイント。ついにジュースに。そして何度かのお互いのマッチポイントがあって、最後は伊藤のミラクルサーブがクリティカルヒットて逆転大勝利。

美誠ちゃんは泣いてましたね。激闘を制して感極まったのでしょうね。
観ている「俄か」も感激しました。まだ準々決勝なのにね。

そのほか、水泳女子400m個人メドレーの大橋悠衣のゴールドメダルはニュースで。柔道の阿部兄妹の激闘とソフトボールの決勝進出決定はテレビのライブで見ました。それにしても今大会は「水泳ニッポン」ではないのでしょうか。いつもどおり幾つものメダルが獲れると思っていたのですが。なぜか水泳が不振。

女子バレーボールの初戦を第3セットから見て、いま終了。3-0で日本がケニアを破りました。1,2セットは見ていませんが3セットは接戦でケニアの大健闘。思わず日本に過去1セットも取ったことがないというケニアに判官びいきしてしまいました。

そんなこんなで、今日は(もう昨日です)ほぼ外出せず、仕事をしているふりをしてオリンピックを見ておりました。

音楽は1964年の洋楽ヒットパレードから。

1964年は洋楽黄金時代。
プレスリーがいて、ビートルズ、ビーチボーイズ、クリフ・リチャードがいて、ブラザース・フォア、キングストン・トリオがいて、ベンチャーズ、アストロノウツがいてというように。

そしてもうひとつ目だったのがヨーロッパの女性ヴォーカル。

まずはイタリア。
アルバムはもちろシングル盤すべて買い集めていた友人がいました。わたしにはその魅力がわかりませんでした。でも歌はよかったですね。日本では伊東ゆかりと梓みちよがカヴァーしていました。

https://youtu.be/HXcALZHZa4I

続いてフランス。
こちらも周囲がさわぐわりには「どこがいいんだろ?」と不思議だったシンガー。自分の成長不足のなせるわざで、それに気づくのはもう数年先でした。こちらは中尾ミエ、ザ・ピーナッツがうたってました。なぜかスパイダースも。ふたりとも前歯にすき間がありますね。当時は矯正技術がなかった? それもありますが、反対に歯にすきがあるのが美人の証だった、と何かの本にかいてありました。ほんとかな。

https://youtu.be/sfiuaOWjEkI

さいごはやはりイタリアのポップシンガー。シングルレコードは買いました。
この歌もよくラジオから流れておりました。こちらは日本人シンガーから人気だったのか、カヴァーがやたら多かった。弘田三枝子、伊藤アイコをはじめ、伊東ゆかり、黛じゅん、小林麻美なども。ついでにいうと1960年には「月影のナポリ」がヒット。日本では森山加代子の十八番でした。

https://youtu.be/3MqjsF6VRvk

オマケはこの年封切られたイタリア映画の主題歌。の、日本人カヴァヴァージョンを。石原裕次郎と名曲をデュエットしたシンガーがうたっております。

https://youtu.be/1pdWWUr-MRQ

卓球の水谷・伊藤ペアは準決勝も勝ち、銀メダル以上が決まり、中国との決勝に挑むそうです。

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