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三羽の鳩は [on the park]

三羽の鳩.jpg

https://youtu.be/y8i5-G7fP8U

わたしの歩行の前をまるで無防備に(わたしが立ち止まる)横切る三匹の鳩。
鳩はふつうツガイで行動するって聞いていました。
たまに群れの中で「一匹鳩」がいます。多分「奥さん」と死別したか、三下り半をもらった鳩でしょう。
なぜ、「一匹鳩」をオスと決めつけるのかって? つれ合いに死なれたり別れたメス鳩はすぐに新パートナーをみつけるので、なかなか見かけることがない?。
だからそんな悲しき「一匹鳩」はほぼオスなのです。

それはともかく、三匹の鳩はオス二羽にメス一羽に決まっています。

これは何度か目撃したのですが、そうした三匹の鳩の間には人間と同じで三角関係が生じます。
つまり、仲の良かったペアの片割れのメス鳩に、愛を失くしたオス鳩がちょっかいを出すのです。たまったもんじゃないのが妻を寝取られそうになったオス鳩。

当然、オス同士の激しいバトルがはじまります。鳩が平和の象徴だなんてウソですよ。
旦那さんが間男を追い払い、現状維持といけばよいのですが、その反対の結末も。
間男が旦那さんをボコボコがにしてメデタク? 奥さんをGET。

奥さん、新恋人の求愛を断固拒否、打ちのめされた愛する旦那さんの元へ駆けつけ、いやひとっ飛び。なんてことはまずない。
不条理ですが、どの世界でも女は、いやジェンダーの時代ですのでメスは、強いオスを求めるもので、元カレなど見向きもせず、新恋人と手に手をとって、とはいきませんが身を寄せ合ってスタコラと。
残された元カレのみじめなこと。
こういう鳩も群れの中にしばしば見受けられる「一匹鳩」なのです。なんとなく身につまされる話ではありますが。
こういう可愛そうなオス鳩をみて、わたしは心の中で「泣くな弧鳩よ」なんてつぶやいております。

いささかマクラが長くなりましたが、公園の三羽の鳩を見て脳内で再生されたミュージックが都はるみの「さすらい小鳩」ではなくって、この歌。

https://youtu.be/HS7toV_A9r4

スリー・グレイセスの「山のロザリア」。つまり「トリオ」による歌が思い浮かんだわけでして。
昭和30年代なかば、歌声喫茶の定番で井上ひろし盤もありましたっけ。

曲はロシア民謡らしく、作詞は「高校三年生」の丘灯至夫。オリジナル?は31年に織井茂子が「牧場のロザリア」のタイトルでレコーディングしております。その詞はスリー・グレイセスと同様です。
聴いてみたいのですが、残念ながらYOU-TUBEにはなし。所蔵のMDのなかに入っているのですが、再生機が壊れておりまして叶いませぬ。

とにかく三羽の鳩を見て聴こえてきた音楽は鳩の歌ではなく、冒頭のYOU-TUBEのトリオの歌。あいも変らず昭和の歌ですが。

スリー・グレイセスは昭和33年に星野操、森本政江、白鳥華子によって結成されたトリオ・コーラスグループ。
おそらく和製アンドリュース・シスターズとして結成されたのではないでしょうか。

プロデュースはダークダックスやボニージャックスを生みだしたジャズ評論家の小島正雄。トリオ名はたぶん小島の命名でギリシャの3女神からとったとか。

当初はジャズをうたっていたようですが、36年、当時のうたごえ運動の影響もあり、ロシア民謡の「山のロザリア」が大ヒット。B面の「カチューシャ」もロシア民謡でやはり歌声喫茶などの定番ソングでした。

当時はテレビでもしばしば見かけられ、とりわけNHKの洋楽番組ではなくてはならない女性トリオでした。紅白歌合戦にも何度か出場しております。

解散したという話は聞こえててきませんが、多分3人とも80歳を超える高齢、実質活動はされていないのではないでしょうか。いや、まだ現役だよという情報をお持ちの方ぜひご一報を。


そのスリー・グレイセスよりもやや遅れて結成され、さきがけてビッグヒットをとばしたのがスリー・キャッツ。

https://youtu.be/7jf2TjDHQzQ

スリー・キャッツもその名ととおりトリオで、女性三人組。
そのラテン風味の作・編曲は浜口庫之助。それまでラテンバンドを率いて紅白歌合戦にまで出場したシンガーでしたが作曲家に転向。その初めての大ヒットが昭和34年のこの「黄色いさくらんぼ」。未だレコードプレイヤーの普及がすすんでいなかった当時で25万枚のビッグヒット。現在なら100万枚は有に超えていたとも。
ただ当時、この歌詞とため息がエロすぎると物議を呼んだことは子どもながらに覚えております。当然テレビ、ラジオの自粛もあったでしょうが、それでいてこのヒットですからスゴイ。

浜口庫之助はこの直後、つまり同じ昭和34年に守屋浩の「僕は泣いちっち」をリリースし、ビッグヒットを連発します。そして押しも押されもしない売れっ子作曲家になっていくのです。
作詞はのちに「風雪ながれ旅」を書き演歌の巨匠となる若き星野哲郎。
スリー・キャッツについては詳細はわかりませんが、かつてのハマクラさんのバンドにいたシンガーズではないでしょうか。

https://youtu.be/Y6nIckqRcQg

そのスリー・キャッツとほぼ同時期に結成されたのが「スリー・バブルス」。
なんでも近年NHKの朝ドラで話題になったとか。メンバーは俳優座養成所の3人娘で、永六輔が命名したとか。「夢で逢いましょう」のレギュラーで、基本的にはやっぱりアンドリュース・シスターズばりにジャズというかポップスというか、とにかく洋楽中心に活動していたと思うのですが、残念ながらオリジナルのヒット曲はありません。その代わりというのでもないのですが、ミツワ石鹸のCMソングは当時の人ならいま聴いてもわかるほど世間に浸透しておりました。

YOU-TUBEはコニー・フランシスのカヴァー。やっぱり聴きなれた森山加代ちゃんのほうがいいなぁ。
メンバーのひとり松岡圭子(のちに計井子)さんは、解散後長い間ビートルズの曲を日本語でジャンジャンなどでうたっておりました。

女性トリオばかりになってしまいましたので、決してオマケではなく男性トリオを。
ジャニーズ前夜でしたが、そこそこ若い女性ファンを惹きつけたトリオで、テレビでも司会をするほどの人気者たちでした。
印象的な歌はいくつかあるのですが、ビートルズのマイ・ボニー(はじめはトニー・シェルダン)をカヴァーした「恋人は海の彼方に」を。
ビートルズ盤をのちに聴いて[bring back]を[come back]とうたっているのがなんとも冴えねえなぁなんて思った記憶が(中学生でしたから)。

https://youtu.be/JTOzqKYMFIs

ところで恋人を奪われた悲しき鳩よ。
泣くな嘆くな孤独の鳩よ、また来る春がないじゃなし。
いつかわたしがベンチにすわり(ここ何十年すわっておりませんが)、「鳩おじさん」になったとしたら、誰にもやらずにお前にだけに、ポップのコーンをこぼしてやろう。ねっ。


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背なに二本の白い線 [on the park]

有楽町夜景.jpg

雨の公園は何度通っても気分がいい。
これから面倒な仕事が待っているとしても。

今日は風もなく、散り遅れた桜の花びらが引力だけにしたがってほろほろとビニール傘に落ちてきます。

春だけあって公園は雨が降ろうが花ざかり、赤、白、ピンクのツツジが最盛、足元には相変わらずのたんぽぽの群生にまじってちらほらと例年のひなげしも。はるか遠くの休憩所の上には紫にかすんだ藤の花まで。

午前中なので人数が少ないのもまたいい。ゲートボーラーも、パークウォーカーも、相棒の犬と散歩する人も雨に躊躇っているようで見当たりません。

名残惜しい気分のまま仕事場に続く歩道橋にのぼると、遥かスカイラインに靄がかかっております。雨にけむるというやつです。美しい景色です。

「雨にけむる」、そんな歌がありました。
脳内蓄音機でははやくもあの歌が再生されはじめておりました。

昭和33年というぞろ目の年はとても印象的な年でした。
よくいわれるのが高度経済成長のスタート期。
子どもながらに実感しましたその「豊かさ」を、貧しいわが家にもやがてモンスターとなるテレビが侵入してきたのですから。
月光仮面、やりくりアパート、事件記者…みんな家にいながら見ることができたのですから。
長島がデビューし、川上が引退したのもこの年。神様仏様稲尾様で、西鉄が大逆転で巨人を破り日本シリーズを制したのも。野球小僧だったわたしにはまさに忘れられない年でした。

石原裕次郎が銀幕を席巻したのもこの年、「嵐を呼ぶ男」「風速四十米」「明日は明日の風が吹く」などなど。
残念ながら、わたしは東映時代劇一本槍。「任侠東海道」に「水戸黄門」、「快傑黒頭巾」に「丹下左膳」「新吾十番勝負」なんかを。


音楽でいえば、子どもだったわたしの知らないところでウエスタンカーニバルが始まり、ロカビリーのブーム到来。
ポール・アンカが来日し、ダイアナがヒットした、らしい。わたしも、近所のあんちゃんが♪……ダイアナとうたっているのを耳にして、「なんの歌だ?」と思った記憶があります。
残念ながら洋楽はまだ遥か彼方でしたが。それでも目覚めいてた歌謡曲ではお千代さんの「からたち日記」、織井茂子の「夜がわらってる」、三橋美智也の「夕焼けとんび」、大津美子の「銀座の蝶」などが流れておりました。
わたしは好きな神戸一郎の「別れたってをいいじゃないか」を口ずさんでおりました。
♪あああ、花も散るのさ 小鳥も死ぬのさ
なんて、幾つだよって話ですね。

https://youtu.be/lRho8JZdsmk

でもこの年、日本列島津々浦々に流れていたのが、前年の暮れあたりからラジオ、パチンコ店でヘビロテでかかっていたフラック永井の「有楽町で逢いましょう」。
いつでも脳内再生できる名曲です。

代表的なレインソング。雨の日にデートする男の気持ちをうたっております。
なんといってもローケーションが有楽町。これが新しかった。いままでの歌謡曲なら「雨の銀座で逢いましょう」だったのでしょうが、「有楽町」がインパクト大。
地方に住む人間にとっては「有楽町ってどんな素晴らしい街なんだろう」って思ったはず。そんな時代なのでした。

作詞の佐伯孝夫がまた上手いんです。
ビル、ティールーム、ブルース、駅のホーム、デパート、シネマ、ロードショーとカタカナを散りばめて最先端の都会を連想させるのです。

その2番に
♪ああ 小窓にけむる デパートよ

とでてきます。
この時代に生きた歌謡曲好きは、イントロクイズでこの歌がかかれば、ほぼ間髪を入れず「ピンポン」と鳴らせるはずです。

昭和30年代の雨にけむる歌をもう一曲知っています。「有楽町―」から5年あまり経った、東京五輪の前の年に生まれた歌。
こちらはそれほどヒットはしませんでしたが、なぜか心に残るうたでした。とりわけ「背なに二本の白い線」という歌詞が性徴著しいわたしを刺激したことを覚えております。

https://youtu.be/BFAuWKSAB1g

35年に「悲しき六十才」でデビューした坂本九(ダニー飯田とパラダイスキングのヴォーカルとして)全盛期の一曲。
作詞は坂本九自身で、作曲者は不明。

平尾昌晃の「ミヨちゃん」の続編みたいな歌ですが、こちらはやがて結婚し、子供ができて、というように暗い音調のわりには幸せな将来を妄想するストーリーに。
やはり2番に、♪小雨にけむる並木道 と。
その後ドリフターズにカヴァーされたので、こちらで知っている人の方が多いのかも、もはや。

昭和30年代の雨にけむる歌はどちらも、経済成長に裏付けされた希望にあふれる歌でしたが、それから10数年が経ち、成長神話に翳りが見え始める頃、雨にけむる歌は、そうした社会背景を反映した「別れ」の歌に変っておりました。

https://youtu.be/LbQcTcI49JQ

仕事場へ向かう小雨にけむる公園でわが脳内蓄音機にはじめに流れた曲は、実はこの曲でした。

この曲が流れていたおよそ45年前の時代のことも、まさに雨にけむるような自分のこともよく覚えております。この曲が栞というか時代のインデックスとしてあの時代を呼び起してくれるのです。今となってはとても貴重な歌です。
歌の設定は五月ですが、少しフライングぎみにこの歌を聴いてみました。




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友のライン、遠方より来る [歌謡曲]

八起②.jpg



「病院帰りに、寄り道して桜並木を歩いてみたが何の感慨もなかった。……」

一昨日友人からきたラインです。

今年初めにガンの手術をし、いまだ抗がん剤治療をおこなっている男です。

学生時代の友人で、もう半世紀ちかくの付き合いです。
もうひとりの友人をまじえ、毎年数回は会っておりました。とりわけ忘年会は3人にとって最大のイベントでした。
最後に会ったのが一昨年の12月。
年があけ、春あたたかくなったら会おうという約束もコロナ禍勃発で延期、延期、また延期をしているうちに、昨年の夏を過ぎたあたりで、その友人にガンが発覚し、50年余りで2度目、それも連続での忘年会中止。

年が明け、かの友人は入院、手術、退院という経過をたどりましたが、われわれは見舞いにも行けず、メールや電話で連絡をとるのがせいぜい。

そうか、 春の陽気につい誘われて、桜、菜の花、タンポポ、ツツジと、コロナも忘れて足取り軽く、日本の春をいざ喜ばんと浮かれてみたが……。

それどころじゃない人もいるんだよなぁ。

自分があとどのくらい生きられるのかって考えたら、青空も桜もどうでもいいことだし、春だろうが秋だろうが気が向かないし、コロナだって関係ない。

健康がいかに大切なものか、というあたり前のことを改めて感じさせられた友人からのラインでした。

それでも、その友人からの直近のラインには「夏になってコロナがひと段落したら、会おう」と昨年同様の力強い文面がしたためられておりました。

飲み会の終りは必ずカラオケボックスでした。
歌謡曲が好きで、話も盛り上がったもの。
そこで彼がよくうたっていた歌をひとつ。
なんか追悼のブログみたいになってしまいましたが、もちろんそんなつもりじゃありません。ヤツはこういうのに関心がないので、大丈夫でしょう。

https://youtu.be/c-oz3OwlCy4


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