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something is burning inside [cover pops]

ヤクルト高橋.jpg

またまたスゴイ試合でした。

今度はヤクルトが勝ちました。
オリックスの宮城もスゴイ投球でした。先制点を取っていれば状況は逆転していたかもしれません。

それにしても高橋がスゴイ! 今シーズン最高のピッチング。ビックリの完封。奥川に高橋、これでは優勝するでしょう。それどころか、向う数年高津・ヤクルト王国が続くのではないでしょうか。ちょっと気が早すぎるけど。

青木もしぶとかったし、オスナのダメ押しが効いた。あれで高橋も邪心なく思いきり最終回を投げられた気がします。
ゲームセットで、選手たちを迎えた高津監督が高橋だけハグしていたのが印象的でした。わかってるんだよなぁ、この快投とその意味を。昨日の悪夢があったからね。

唯一心配なのが、われらが山田の哲ちゃんが不振だったこと。まるでボールが見えていないというのか、変化球に対応できてなかった。でもこれだけのスラッガーですから、第三戦は違います。左中間に快音を響かせながらのフェンスオーバーを見せてくれるはず。と確信しております。

次は一日置いて火曜日の東京ドームです。できたら球場へ行きたいな。生で観戦したいなぁ。もうチケットもないだろうなぁ。火曜日は祝日だしなぁ。
それはともかく、神宮では1勝2敗でも2勝1敗でもいいです。最終7戦まで好試合を続け、最後は4勝3敗で高津監督の胴上げを見ることができれば完璧。

ついでに野球関連で午前中のニュースショーに落合博満さんが出演しておりました。久々に見ました。よくテレビに出てきましたね。張さんの力かはたまたスタッフに強力なコネのある人がいたのでしょうか。
張本以上の辛口解説で嫌う人もおります。思ったことをストレートに言ってしまいますので。こういう人を「正直者」あるいは「空気の読めない人」といいます。

こういう知人がいたらわたしもあまりお近づきにはなりたくない。でも言ってることはほぼ正論なのです。なにしろ監督経験もある日本プロ野球史上最高のバッターなのですから(個人的見解ですが、賛同者は多いはず)。

テレビでの面目躍如は、司会者が「大谷はベーブルースを越えましたね」と落合にふると「まだまだ」とケンもホロロ。これが落合流で、超超一流バッターの眼から見れば、今シーズンの大谷の後半の失速は見逃すことができなかったのではないでしょうか。それ以外でも総合的にみて大谷は、まだ発展途上でベーブルースの域には達していない、ということなのでしょう。
おそらくバッティングに限定すれば「まだ、オレのところまで来てないよ」となるはず。これが「俺流」であり、史上最高のスラッガーのプライドでしょう。

ただかの司会者はピッチングまで含めて総合的にベーブを越した(アメリカの評論家もそう言う人がいます)と言ったのですが。落合はバッティングに限定して「まだまだ」と応えたのだと思います。

とにかく落合を見れて、かれの変わらぬ「俺流発言」を聞けて、朝から気分がよかった。それでスワローズが勝ったのですから、今日は言うことなし。

で、最後に音楽を。ヤクルトもスワローズも関係ない、たまたまYOU-TUBEのサムネイルにあった懐かしの日本人による洋楽を。

トム・ジョーンズをカヴァーした今は亡き尾崎紀世彦の「ラヴ・ミー・トゥナイト」。詳しくは覚えていませんが尾崎さんの原点はカントリーだったはずですね。GS出身でもあるし。
上手ですね。またノリノリでピアノを奏でる宮川泰さんも今となっては懐かしい限りです。トム・ジョーンズの腰の動きが目に浮かびます。
いつか尾崎さんのほかの洋楽カヴァーも聴いてみたい。

https://youtu.be/kUuOf28RMkY
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なかにし礼▼サバの女王 [cover pops]

なかにし礼02.jpg

先月23日にお亡くなりになったなかにし礼さん。
とり急いでお悔やみのブログを上げてからひと月あまりが過ぎました。

テレビ各局コロナの報道が中心とはいえ、なかにし礼(以後敬称略)の歌があまり聴こえてきません。阿久悠さんが亡くなったときはもっとあちこちから彼の歌が聴こえていたような気がしますが。タイミングもあるのでしょうが。

多くのすばらしい「詞」を聴かせてもらった身としましては、少し落ち着いたところで、あらためてその素晴らしい歌のいくつかを聴いてみたいと思ってます。

まずはプロの作詞かになる足がかりとなった「訳詞」から。

大学時代アルバイトでシャンソンの訳詞をしていた昭和35年、CBC(中部日本放送)のラジオ歌謡に「めぐり来る秋の日に」で応募、みごと入選します。その歌を戦前からのタカラジェンヌでシャンソン歌手の深緑夏代がうたいました。
となれば、なかにし礼の作詞第一号だと思うのですが、レコード化されず、音源も残っていないようで「幻の第一号」?になってしまったようです。ちなみに作詞第一号は、ひと月前のブログでピックアップした「涙と雨にぬれて」です。作曲も。

そのラジオ歌謡が縁で、深緑のシャンソンの訳詞を多くてがけるようになります。なかにしはそのシャンソンの訳詞がその後の作詞の原点だと自著で書いております。そのうちの「ジプシーの恋唄」「不思議ね」「知らない街」は彼女のCDアルバムにも入っています。

また、なかにしの訳詞は1000曲あまりあるそうで、そのうちの100曲は、2004年に「東京の空の下、人生は過ぎゆく」という6枚組のCDアルバムに収められています。深緑夏代のCDともども現在は廃盤でしょうから入手は困難でしょうが。

で、訳詞のレコード化第一号は芦野宏がうたった「チャオ・ベラ」(さらば恋人)で昭和37年のこと。ただこれはシャンソンではなくカンツォーネだとか。

そして初めてのヒットとなるのがこの歌。

https://youtu.be/dCn0k3syvDA

昭和40年に大ヒットした「知りたくないの」。
1954年エディ・アーノルドでヒットしたドン・ロバートソン作曲のカントリーソング。ほかにメアリー&レス・ポールやエルヴィスもレコーディングしています。
原題はI really don't want to know でほぼ邦題どおりで、♪あなたの 過去など 知りたくないの という訳詞も全般的には原曲に忠実。
20年代の「テネシー・ワルツ」同様、カントリーのカヴァーは当たると大きい。

クラシックを学んで主にタンゴをうたっていた菅原洋一が40年にレコーディング。以後息の長い人気曲となり、2年後に大ブレイクしました。
日本の場合は「女歌」で、女性が恋人である男の過去は不問というかたちに。こういう前向きで、主体的な女性というのは、この時代まだめずらしく、それも新鮮でした。

この訳詞についてなかにしは自著のなかで、「過去」という詞にひらめいたと語っています。歌謡曲のなかで「過去」は聴いたことがなくはじめてではないか、と。たしかにいまでこそあたりまえのように使われている「過去」ですが、それまではまず聴いたことがありません。だいたいは「むかし」と使ってしまいがち。35年に星野哲郎が「東京へ戻っておいでよ」(守屋浩)で「過去」という字面をつかっていますが、これもやはり「むかし」と読ませています。
「新しい言葉」を発見し、つかうのも作詞家の才能でしょう。

次は流行歌の王道ともいえる昭和46年の「別れうた」。

https://youtu.be/a3NZjpdnbls

原曲はオーストリア生まれのドイツで活躍していたシンガーソングライター、ウド・ユルゲンスがつくった「夕映えの二人」。原題は「君に伝えたいこと」。
46年にペドロ&カプリシャスがこのなかにしの詞を擁してレコードデビュー。
ペドロ&カプリシャスはペドロ梅村がリーダーのラテンポップスバンドで、初代のヴォーカルは宝塚に在籍した前野曜子。

原曲を意識してか、なかにし礼が描く女性は、まるでフランス映画のヒロインのようにクール。そしてドラマチックなシチュエーションは駅。
昭和30年代の第一期歌謡曲黄金時代にも「駅」は欠かせない舞台でした。しかし、それは望郷歌謡に代表されるような、一旗あげに都へ旅立つ男と、ホームで見送る女との涙の別れ。

シチュエーションは同じでも「別れの朝」のヒロインは違います。
なぜ別れるのか、流行歌の場合別れに理由はいらない。ふたりが遠く離れることが重要で、そのため「汽車」も欠かせません。
朝、ふたりで紅茶を飲み、キスをかわして彼を駅まで送る。そして列車の中で手を振る彼の目をただみつめている。
クールで不可解な女性です。そうした謎めいたキャラクターがヒットの要因でしょうか。

なおヴォーカルの前野は2年余りでカプリシャスを脱退し、その後いくつかのバンドに所属したりソロになったりしてシングル、アルバムをリリースしています。52年には、なかにし礼作詞、フリオ・イグレシアス作曲という豪華コンビの「抱きしめて」を出しましたが、ヒットまでには至りませんでした。
その数年後、40歳という若さで病死しております。

最後はお得意のシャンソン。

https://youtu.be/6gtlgYnFcuA

シンガー・ソングライターのミシェル・ローランが自作自演した1967年の作品。
サバは旧約聖書にでてくる、エジプトやエチオピア付近を支配していたともいわれる幻の国。フランス読みでは「シバ」、英語なら「サバ」。

原曲は「キミはシバの女王のような魅力的な女性だ」というような意味だとか。なかにし礼はそうした伝説にとらわれることなく男の気持ちをつなぎ留められない女心をうたったトーチソングにしあげています。
とりわけ男性が去っていくことで、生きる力も希望も失せていく心理を「砂時計」によって表現しているのが新鮮でした。

43年に作曲者のミシェル・ローランがうたってレコード発売。それから5年後の48年、アルゼンチンのグラシェラ・スサーナがうたってヒット。
ほかに水原弘、尾崎紀世彦、雪村いづみ、今陽子などがカヴァーしている。

https://youtu.be/KRxWX4YIYV4

なぜかスサーナのオリジナル版は2番の歌詞♪けれどもあなたが 帰る望みは……
の部分を♪帰るのよりは……とうたっています(オリジナルのローランの発音もあぶなっかしいですが)。つまり「望み」を「のより」と。
さづがに、その後のコンサートでは正しく「帰る望みは」とうたっております。
レコーディングでなぜこんなミスがスルーしてしまったのか不思議ですが、そののちカヴァーする歌手のなかにはそのまま「帰るのよりは」と不思議な日本語をそのまま踏襲している人もおりました。

以上3曲いずれも主人公は女性。
だいたいなかにし礼は「女歌」の方が多いようです。シンガーは男でも女でも。
そんなわけで次は昭和40年代のガールポップスを。

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女神たちのエルヴィス [cover pops]

リアン・ライムス.jpg

https://youtu.be/pha-fsuPk_I

「うつろな日曜日」
これはクリス・クリストファーソンの「サンデー・モーニング・カミング・ダウン」の邦題ですが…。

第二次緊急事態宣言がでて、初めての日曜日。食料を買い出しに外出しましたが、公園は相変わらずの光景。
ゲートボールにいそしむご同輩、グラウンドではレフティのショートストッパーが打球を裁くというありがちな草野球の面々、木立のなかではお互いの間隔をとって数十人の男女が太極拳を舞っておりました。
そのほか親子連れ、若いペア、犬の散歩……。何事もなし、という日曜日です。

本題はエルヴィス・プレスリー。
エルヴィスの生誕にちなんで2日彼の歌を聴いてきました。まだ書きたいこと、聴きたい曲はありますが、飽きられる前に今日が最終回。

最後は好きなカヴァーを聴いてみたい。

プレスリーといえば、いまでも本場でそっくりさんコンテストが行われているようで、ヒット曲が多い分、カヴァーも少なくありません。
日本では当時(昭和30年代後半)、ほりまさゆきや佐々木功がヘアスタイルからパフォーマンスからこれでもかというほど似せて「GIブルース」や「サスピション」などをうたっておりました。

エルヴィスはその歌唱もモミアゲ(晩年)もふくめて、「男くささ」があふれておりますので、頻度が増えますといささか辟易ぎみに。そこで今回はディーヴァのカヴァーに限ってみました。
冒頭のリアン・ライムスleann rimesとクリス・アイザックchris isaakのデュオは個人的に好きな歌ということで一昨日上げたにもかかわらず、貼り付けてしまいました。

このあとは、1956年から57年、エルヴィス初期のヒット曲で、「ポップス」「カントリー」いずれの部門でも全米ナンバーワンになった4曲を、4人の女神にうたってもらいます。

まずは1956年RCA移籍初めてのヒット、「ハート・ブレイク・ホテル」heart break hotel 。
うたっているのはジェニファー・ロペスjeniffer lopez。ヒスパニック系で女優兼シンガー。下積み時代に培ったダンスもなかなかのもの。日本では2004年の「シャル・ウィ・ダンス」アメリカリメイク版で、リチャード・ギアの相手役として知られています。

https://youtu.be/HYT2kBX6O00


つぎはエルヴィスお得意のR&B、「恋にしびれて」All shook up。
1957年のヒットで、「ポップス」、「カントリー」に加えて「R&B」部門でも全米ナンバーワンに(このあとの2曲も同様)。
カントリーの大姉御、ドリー・パートンdolly parton がうたっています。

https://youtu.be/JA3JfsD6s4Y

ドリーは改めて説明するまでもありませんが、カントリーだけではなくポップスでのヒットも多いシンガーソングライター。「コートはカラフル」や「ジョリーン」などのほか、「オールウェイズ・ラヴス・ユー」はホイットニー・ヒューストンのカヴァで大ヒットしました。また「9時から5時まで」や「マグノリアの女たち」など映画・TVの女優としても活躍しております。
派手な顔のドリーがエルヴィスの顔面&形態模写でうたうのがなんとも笑えるYOU-TUBEです。


3番目は1956年、前作の「冷たくしないで」Don't be cruel に続いて全米3部門でナンバーワンになった「ハウンド・ドッグ」Hound dog。
これはビッグ・ママ・ソーントンのカヴァー。つまり「女歌」をエルヴィスがカヴァーし、それをまた女神がカヴァーするということに。

https://youtu.be/oOQ7RRvktQY

うたっているのはカズ・ホーキンズkaz hwakinsというアイルランド出身で、当時フランスで活動していたというシガーソングライター。
YOU-TUBEではじめて見たのですが、ブルーズやジャズを中心にうたっているそうです。
白人女性のハウンド・ドッグもなかなかのもので、ブルーズシンガーだけあってエルヴィスよりも「黒く」、オリジナルに近いのかも。


4曲目は、再度リアンにうたってもらう「監獄ロック」Jailhouse rock。
1957年のエルヴィス映画「監獄ロック」の同名主題歌です。
この年「恋にしびれて」「ハウンド・ドッグ」に続き、3曲目の全米シングル3部門ナンバーワンに。作詞・作曲は「ハウンド・ドッグ」と同じ、リーバとストーラーのコンビ。

https://youtu.be/z3YdkiDwtMA

リアンは1996年、13歳のとき「ブルー」blue で全米カントリーチャートナンバーワンになった天才カントリーシンガーで、翌年3部門のグラミー賞をはじめいくつもの賞を獲得しました。エルヴィスのカヴァーといえるかどうか微妙ですが(ロケンローだからエルヴィスだと思いますが)、「ケンタッキーの青い月」blue moon of kentucky も絶品です。
現在ではもはや少女の面影はありませんが、その歌のうまさとパワフルさにはますます磨きがかかっております。

この監獄ロック、当時の日本でカヴァーしたのは小坂一也と平尾昌章。そしてもうひとりがディーヴァ。最後のおまけにその一曲を。

https://youtu.be/LRM2AaFTblo


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テネシー・ワルツ02 [cover pops]

テネシー・ワルツ02.jpg

今日は半日仕事場にこもっておりました。
こういうときは、誰も見向きもしないカセットデッキにテープを放り込んでBGMとして聴いております。
デタラメに箱に入れてあるテープを、ラベルなど見ず籤を引くように取出しデッキへ。何が聴こえてくるかはお楽しみ。

聴こえてきたのはクラレンス・ホワイトのアコースティック・ギター、「ワイルドウッド・フラワー」。カーターファミリーの作品です。その後もオールドタイミーが続きます。

しばらくするとガチャっと音がして、テープがBサイドにチェンジ。
エミルー・ハリスの「ブルー・ケンタッキーガール」です。

https://youtu.be/1GogWgg61vQ

これも、そろそろテープが千切れるのではないかというほど何度も聴いたアルバム。1曲目がアルバムタイトルで、以下「ウェイファリング・ストレンジャー」、「ミスター・サンドマン」「ムーヴィオン」「ラストダンスは私に」などなどが続き、最後の11曲目が「テネシー・ワルツ」というエミルーがグラミー賞を獲ったデビュー6枚目のアルバム。

ブログのために聴いたのではなく、まったくの偶然。「天啓」?。それほど大げさではないですが。

最近よくグッドタイミングなことがあります。何度も起きるので不思議な感じです。
先日はブックオフで本を探しているとき、たまたま目に止まったのが白水社クセジュ文庫の「香水」という新書。ほぼ同時にBGMが変わって流れてきたのが例の「香水」。周囲に人がいなかったら「へえー」と一声発していたところ。
話がそれてしまいました。

https://youtu.be/bCn1-oRDEPU

パティの世界的ヒットを受けて、江利チエミが「テネシー・ワルツ」をカヴァーしたのが昭和27年。パティに遅れること2年。ただ、江利が参考にしたのはパティ盤ではなく、ジョー・スタッフォード盤だとか。もちろん多重録音もつかっていない。

当時はジャズあるいは軽音楽といわれたカヴァーポップスでは、和製「テネシー・ワルツ」
の2年前、つまり昭和25年に池真理子が映画の主題歌「ボタンとリボン」をリリースし、「バッテンボー」の流行語とともに大ヒット(1年で7万枚とも10万枚とも)させています。
「ボタンとリボン」のオリジナルはダイナ・ショアで、彼女はその後雪村いづみがカヴァーした「青いカナリヤ」をヒットさせます。

江利チエミの「テネシー・ワルツ」には英語と日本語を取り混ぜた構成で、よく聴くヴァージョンは冒頭のダンパで友人を恋人に紹介する場面はパティと同じように女ともだちを恋人に紹介するかたち、つまり「女歌」になっています。

ところが、その冒頭が日本語になっているヴァージョンもあり、そこでは♪別れた あの娘よ 今はいずこ と「男歌」になっている。「別れたあの娘」が恋人を奪った女ともだち、という解釈もできなくはありませんが、去っていった彼女を元彼が偲んでいるというのが流行歌の自然な「お約束」ではないでしょか。

日本では女性が「男歌」をうたうことはめずらしいことではありません。現在のJPOPでも。その逆もごくあたりまえのように横行しております。これが日本の流行歌文化。

その日本語詞は現在では本名の和田寿三になっていますが、当時のクレジットでは「音羽たかし」。それは、チエミが所属していたキングレコードのプロデューサー数人のペンネームで、ザ・ピーナッツ、平尾昌晃、伊東ゆかり、ペギー葉山ら所属シンガーたちのカヴァー曲の訳詞(作詞)はほとんど彼らの手によるものでした。

「情熱の花」も「リトル・ダーリン」も「ロコ・モーション」も「ドミノ」も。
もちろんチエミの「カマナ・マイ・ハウス」「ウスクダラ」「ガイ・イズ・ガイ」なども。
ちなみに「音羽たかし」の「音羽」はキングレコードや親元講談社が文京区の音羽にあったからそう命名したのだとか。「たかし」は不明で、「音は低し」よりも「音は高し」のほうが良かった、なんてことはないでしょうが。

とにかくチエミの初レコード「テネシー・ワルツ」は2か月足らずで7万枚以上、1年では20万枚以上を売上げ、当時のカヴァー曲としては異例のビッグヒットとなります。

昭和27年といえば、戦争が終結してわずか7年。テレビ出現以前で、貧しさという後遺症は未だ癒えず、レコードを購入する余裕のある人など多くはなかった。そのなかでの7万枚なのですから現在とはまるで比較になりません。

15歳で「テネシー・ワルツ」でデビューした江利チエミはその後、ポップス、スタンダードなどの洋楽を中心(「新妻にささげる歌」、「酒場にて」ほかオリジナルのヒット曲もあるよ)に、日本のトップシンガーに君臨していきます。その後の波瀾万丈の人生については、ウィキあるいは評伝もでておりますので、そちらのほうで。

これだけの名曲だけに、日本人のカヴァーも少なくないので、何曲か聴いてみたいと思います。

その後の洋楽カヴァーというとレコード会社のいくつかが競作というかたちで出版されますが、「テネシー・ワルツ」はどうだったのか。
同時ではありませんが、翌28年にフランキー堺がLP収録曲の一曲としてレコーディングしています。
アメリカのスパイク・ジョーンズを真似たシティ・スリッカーズというバンドを率いての冗談音楽で、ほぼ原語ですが、擬音を駆使したり、♪マイ トモダチ ストール マイ スイーハート フラム ミイ などと泣きながらうたっております。
ほかに「別れのワルツ」も「悲しき結婚式」というタイトルで、♪俺の好きな あの娘は お嫁に行く
と涙ながらにうたっておりました。 
残念ながらYOU-TUBEにはありませんでしたが。

ほかでは僚友の美空ひばり、雪村いづみがカバーしています。

https://youtu.be/xSB_m-RkyHU

ジャズでは旗照夫、綾戸智恵、デューク・エイセスらがいますが、ペギー葉山の「学生時代」をつくったビブラホン奏者・平岡精二の「あいつ」をうたった懐かしいこの人で。

https://youtu.be/6jkPcJDoGcU

カントリーでは亡くなったジミー時田、黒田美治、トミ藤山ほか、だいたいのシンガーはうたっています。なかでも歌のうまさはいちばん、日本のハンク・ウィリアムズに。

https://youtu.be/sSH_oMrulrw

ポップスではザ・ピーナッツ、伊東ゆかり、園まり、ペギー葉山、ペドロ&カプリシャスクミコ、夏川りみなどいちばん多いのですが、柳ジョージと江利チエミとの貴重なデュエットで。柳ジョージにはR&Bのカヴァーアルバムがあり、その中にもおさめられてます。アレンジはサム・クックをベースにしているようです。

https://youtu.be/Zb8YXSeWnq0

歌謡曲でも五木ひろし、島津亜矢、キム・ヨンジャ、川野夏美などがうたっていますが、異色三人娘プラスワンで。一緒に出てくるもう一曲は1945年ドリス・デイでヒットした曲。先に紹介した池真理子の「ボタンとリボン」のB面。

https://youtu.be/xioix-1DGrs

「テネシー・ワルツ」が流れた映画といえば、江利チエミ自身がうたった「サザエさん」は別として健さんの「鉄道員(ぽっぽや)」が思いつきます。

この歌が採用されたいきさつについてはウィキにいろいろ書いてあるのでスルーしますが、いささか違和感も。もちろん健さんからの提案ではなく、プロデューサーや監督からの話だったのでしょうが、承諾したということは健さんにも「使ってもいいかな」という思いがあったのでしょう。「でも、それをプロモーションにはしないでくれよな」なんて健さんの声が聞こえてくるようです。映画を一部私物化するのも健さんなら、テネシー・ワルツならいいかな。

「テネシーワルツ」というテレビドラマがあったそうで、その主題歌を安倍恭弘がうたっているようですが、どちらも初耳でした。テネシー・ワルツのレコードがキーとなるミステリーだそうで、多分何度も「テネシー・ワルツ」(パティ盤?)が流れていたのでしょう。なお、同名の主題歌はオリジナルです。

さいごのオマケは、別の「テネシー・ワルツ」が出てくる歌を。

https://youtu.be/j5aINIgqRVE
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