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細いナイフを光らせて [歌謡曲]

ブルームーン.png

いよいよ9月。
9月1日は「関東大震災」が起きた日で、もうあれから100年経ったという。死んだ父は8歳ぐらいだったようで、被災した本郷の話もしばしば聞いていた。父と同世代の人たちは震災と戦災という二度にわたる大災難を経験していたのだ。
テレビでも関東大震災を他人事ではなく、これから来るであろう大地震とダブルエクスポージャで紹介している。それに今年はなぜか朝鮮人虐殺とそれに関するデマについてとりあげている。森達也監督のそんな映画も公開されるとか。
そうした過去について国もそうだが、東京都知事の反動ぶりはひどい。

福島が艱難をかかえているようで、こちらも気になるが、今回はその福島出身の門倉有希のカヴァを。今年デビュー29年というからやはりベテラン。
平成6年にヒットしたオリジナルの「ノラ」は覚えている。
ハスキーヴォイスで、昼間よりは夜、幸福よりは不幸(これも流行歌には欠かせないテーマのひとつ)な歌が似合う歌手でカヴァも多い。
そんななか、今回は昭和40年代半ばから50年代半ば、つまり1970年代にヒットしたどちらかというとポップスよりの歌を3曲。

まずは、昭和45年(1970)の北原ミレイのデビュー曲。

https://youtu.be/Q71MtJs5gKk?si=zTuJcym20XvkaeLj

「ざんげの値打ちもない」は学生運動がピークだった政治の季節に阿久悠によって書かれたヒット曲。その数年前のGS全盛時に作詞家デビューした阿久悠が作詞家として今後やっていけると手ごたえをつかんだ歌。
はじめて聴いたとき、少女が大人へなっていく断片を、流行歌にはそれまでなかったようなラディカルな詞で描いていたことがとても印象に残った。
「細いナイフを光らせて にくい男を待っていた」とか「鉄の格子の空を見て」(この4番の歌詞はテレビ等ではカットされている)などというフレーズが当時としては衝撃的でかつ、阿久悠にとっては野心的だった。

作曲はその2年前ザ・モップスの「朝まで待てない」でコンビを組んだ村井邦彦。
村井邦彦は慶應のライトミュージック・ソサエティ出身。作曲活動は5年あまりで、60年代末から音楽出版事業や音楽プロデューサーとして活動し、アルファレコードを設立して多くのアーチストを世に送り出した。
代表曲は「翼をください」(赤い鳥、小林潤子)で、ほかには「経験」(辺見マリ)、「エメラルドの伝説」(テンプターズ)、「白いサンゴ礁」(ズー・ニー・ブー)、「雨上がりのサンバ」(森山良子)、「本牧ブルース」(ゴールデン・カップス)、「ある日突然」(トワ・エ・モワ)などのヒット曲がある。
プロデューサーとしては、赤い鳥をはじめ松任谷由実、YMO、小坂忠、シーナ&ロケッツ、ブレッド&バターなどを世に送り出している。

次は田中角栄前首相の逮捕など、ロッキード事件で明け暮れた昭和51年(1976)、流行歌の世界ではやがてカリスマになる女性シンガーのブームがはじまろうとしていた。

https://youtu.be/AfheYPuC7ac?si=asSBjo7SB6zsIOTG

「横須賀ストーリー」は昭和43年(1968)14歳でデビューした山口百恵13枚目のシングル。2年前の「冬の色」に次いで2回目のオリコン1位となった曲。
「冬の色」で「後追い自殺」まで宣言した恋人に隷属的な女の子は、やがて52年の「イミテーション・ゴールド」、53年の「プレイバックpart2」を経て自立していくことになるのだが、51年の「横須賀ストーリー」はまだその成長途中で、失恋を繰り返しながら男の本質を見抜き、やがて「馬鹿にしないでよ」などと言う時代の女に変身していくきっかけになった歌だったのでは。

作詞作曲は阿木燿子・宇崎竜童夫妻で、ふたりが山口百恵に初めて書いた楽曲だったのではないでしょうか。以後二人は「百恵劇場」の座付作者となり、彼女を成長させていくことに。もちろん「イミテーション・ゴールド」も「プレイバックpart2」も夫妻の作品。

最後はそれから2年後の昭和53年(1978)の歌。
トレンドがそれまでのフォークソングからニューミュージックに変わった時代。歌謡ポップスではキャンディーズやピンクレディーのユニットがティーネイジャから熱烈に支持された頃の一曲。

https://youtu.be/FTBXycujxYc?si=OZak9hyoQP7HdpI8

なんでイスタンブールなのか。イスタンブールはトルコの大都市で、日本で当時トルコへの旅行ブームがあったわけでもない。
プロデューサーの「無国籍ソングを」という依頼に応えた筒美京平の曲に、作詞のちあき哲也がイスタンブールというワードをつかってセンチメンタル・ジャーニーをモチーフにした詞をつけた。さらにその楽曲を船山基紀が中近東のイメージにアレンジしたのがこの歌だった。
ちあき哲也がなぜ「イスタンブール」という言葉をつかったのかは不明だが。この前年の昭和52年、池田満寿夫が「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を獲っている。そして53年にこの「飛んでイスタンブール」、翌54年には「魅せられて」(ジュディ・オング)、「異邦人」(久保田早紀)といった中近東を思わせる歌が立て続けにヒットしている。
実際にイスタンブールや中近東諸国への旅行ブームがあったかどうかは定かではないが、日本の流行歌の世界では昭和50年代前半にちょっとした中近東ブームが起こっていたことはたしかだ。
庄野真代は当時トレンドのニューミュージックのシンガーソングライターだが、この歌も含め次の「モンテカルロで乾杯」、「マスカレード」「ジャングル・コング」はすべて筒美京平の作曲で、最後のヒットとなった「アデュー」のみ彼女の作詞作曲だった。
ちなみに「モンテカルロで乾杯」も作詞はちあき哲也で、筒美・ちあきのヒット曲としてはほかに少年隊の「仮面舞踏会」がある。

昨日は「スーパームーン」だったそうだが、ニュースで小耳に挟んでいたものの、気がつけば夜があけていた。
NASAによると次のスーパームーンは14年後だとか。生きている自信ないなぁ。まんがいち生きていても、そのニュースを認識できるかどうか。
まぁ何十年に1回とかいうナントカ彗星もそうだけれど、追いかけるほどの興味はない。ごくフツーの月を見るだけで充分。満月だろうが半月だろうが三日月だろうが。なんたって、太陽はキツイけれど、月は眼にヤサシイから。
そんなわけで?おまけはブルームーンの歌を。
「ブルームーン」というスタンダードもあるけれど、やっぱりカントリーで。
カントリーのブルームーンといえばビル・モンローがつくった「ケンタッキーの青い月」Blue moon of Kentucky がエルヴィスのカヴァでもしられているが、今回は「ブルームーンがまた輝けば」When my blue moon turns to gold againを。1941年にウィリー・ウォーカーらによってつくられた歌で、「ブルームーンがまた黄金に輝けば、彼女とのあの楽しい日々も帰ってくる」という失恋&未練ソング。エディ・アーノルド、マール・ハガード、ハンク・トンプソン、エミルー・ハリスらにカヴァされている。今回はエルヴィスで。
このブルームーンがはたしてあのブルームーンかどうかは定かではないけれど。

https://youtu.be/O3XcN_6Y2ug?si=lKOnfsUAy4V2fsPM


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