SSブログ

I'm younger than that now [oldies]

真夜中のカーボーイ02.jpg


先日夕食を取りながらNHKのニュースを見ていた時のこと。たらたらしていたら食べ終わる前にニュースが終ってしまい、次の番組になってしまった。
チャンネルを替えるのも面倒なのでそのまま見ていると、「週刊朝日」の休刊の様子が映った。それは「雑誌休刊」のドキュメントではなく、なんでもサラリーマンの食事がテーマの番組で、100年続いた雑誌の終焉にタイミングを合わせて番組をつくったようだ。
短い番組なのでNHKらしく、編集長をはじめ、記者、外部デザイアーの3人にフォーカスし当然食事を中心に上手にサラっとまとめていた。
こちらはリアルな食事中とはいえ、あまり他人の食事には興味はなく、ただメジャー週刊誌の終焉の光景とはこういうものかという思いで眺めていた。AIが発達しても仕事がなくなることはないと自負を語っていた記者が、これからどの部署に配属されるのか、はたまた会社を去るのかという余計な心配までしてしまった。

というのも、番組を見ている途中から、昔読んだある本のことが頭に浮かび、同時に脳内蓄音機でその本に関連した音楽が流れはじめたからだった。
その本の著者もかつては「週刊朝日」の記者だった。

https://youtu.be/3GrBH3I2Tz8

「マイ・バック・ページ」は1980年代の後半に川本三郎によって書かれた回想録で、1970年代はじめ「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者として過激派と関わり、自衛官殺人事件に巻き込まれて懲戒免職をうけるという彼の苦い青春記でもある。
10数年前になぜか映画化(観ておりませんが)されたので知っている人もいるのではないでしょうか。

もちろんこの本のタイトルはボブ・ディランの「マイ・バック・ペイジズ」My back pages からとっている。
「マイ・バック・ペイジズ」は1964年のアルバム「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」の収録曲だが、メタファーに溢れたまさに「現代詩」で、理解できるのは何度もリフレインされる「あの頃の自分は老成しすぎていた いまの自分のほうがずっと若い」というフレーズばかり。
デビューから「風に吹かれて」「時代は変わる」「戦争の親玉」などプロテストソングの旗手としてまつり挙げられたディランの自己否定の歌ともとられ、アコースティックからエレキに持ち替えたということも相俟ってこの頃から、純正のフォーキーたちから裏切者よばわりされるようになったディランの「返歌」ともとれる。

しかし考えてみるとこの「若気の至り」を吐露する「マイ・バック・ペイジズ」を発表したのはデビューから2年目のことだ。その2年前を振り返り、「あの頃の自分は老成しすぎていた、今の方がずっと若い」なんていうのは早すぎる。実際に10年を経てディランがこの歌をうたうのを聴いたなら「なるほどなぁ」という思いにもなるだろうが。
もしかするとディランはわずか2年で10年分生きてしまったのかもしれない。あるいは、この歌をつくったとき、10年あるいは20年先の自分が憑依したかのように、未来を見通していたのかもしれない。いずれにしても、のちにノーベル文学賞を獲るほどの味わい深い詩であることは間違いない(たんなるコラージュ上手という人もいるが)。
曲だっていわゆるディラン節が耳になじむ。また吉田拓郎が影響を受けたであろうこともうかがえる。

「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」からもう一曲。
これも、あとになってみれば彼を「過大評価」するファンどもにあてたと思われなくもない歌。「僕はあなたが探しているような男では、断じてないんだ」とうたう「悲しきベイブ」It ain't me,babe をかつての同士と。

https://youtu.be/wh6yOC3rFes

最後はもう一度「マイ・バック・ペイジズ」を。
こんどは初出の1964年から30年近く経った1992年の歌で。

「伴走者」ロジャー・マッギンのほか、エリック・クラプトン、ニール・ヤング、ジョージ・ハリスンらのFriends らとの共演はディランのデビュー30周年のコンサートだそうで、ディランはもちろん、それぞれが「あの頃は若年寄みたいなこと言ってたけど、いまの俺の方がずっと若いんだぜ」ってうたってるようでしみじみする。

https://youtu.be/zU40ifUZOUY

ところで川本三郎の「マイ・バック・ペイジ」の中に彼の雑誌記者時代の音楽の話も出てくる。それもこの本が印象に残ったひとつで、その中で著者はクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルが好きだと書いている。
わたしもCCRをリアルタイムで聴いていたのでこの本を読んだとき、10歳近く年上の彼がとても近い存在に感じられたものだった。

ただ川本三郎はたんに当時の自身の音楽的嗜好を披瀝したわけではない。
実はこの「CCR」がのちに彼を奈落の底に突き落とすひとつのキーワードになったのである。彼が信じた自称過激派のテロリストもCCRが好きだと語った。また当時の映画「真夜中のカーボーイ」も川本三郎とテロリストが共に愛するシネマだった(わたしも60年代ベストワンの映画です)。さらには川本三郎がそのテロリストを下宿に招いたとき宮沢賢治が共通の愛読書であることも認識しあった。
「CCR」、「真夜中のカーボーイ」、「宮沢賢治」この3点セットで彼はテロリストを信頼に値する人間と思い込んでしまうのである。その後、その自称過激派の男を首謀者とするグループが朝霞自衛隊駐屯地に侵入し、隊員を刺殺してしまうなどとは微塵も思っていなかった。
まぁ、「マイ・バック・ペイジ」は凄い本でした。わたしが読んだ数少ない「青春記」の中では突出して心を動かされた本だった。

川本三郎はカントリーも聴いていたようで、その本にはそんな話もでてきたのを覚えているが、やはり同時間に聴いていたCCRをオマケに。
最近聴いたばかりでいささか気がひけますが、名曲はまだまだあるので。
アルバム「グリーン・リヴァー」(1969年)の収録曲で、旅巡業中のアーチストがカリフォルニア郊外の町・ロディで金を失くしたり、相棒に去られたり散々な目に遭い途方に暮れるという「ロディ」Lodi(シングルでは「バッド・ムーン・ライジング」のB面)を。

https://youtu.be/30tkt7beJiE


nice!(0)  コメント(0) 

Don't know much about history [カントリー]

アーミッシュ.jpg


https://youtu.be/f4k1gg8nJnI


「僕は丘の上で一人の少女と出会い、孤独な心がふるえた」といううたい出しではじまるカントリーソング「青い鳥が鳴いていた」I heard the bluebirds sing が生まれたのは1952年というから、それほど古い歌ではないとも。とはいっても70年以上経つのだからかなり古いといえばいえるかも。
1952年といえば、たとえば、ハンク・ウィリアムズが「ユア・チーティン・ハート」や「コウライジャ」をレコーディングしているし、なによりも彼が死んだのがこの年の大晦日だった。
日本でいえば、NHKラジオで「君の名は」の放送がはじまり、ボクシング、フライ級の白井義男が日本人で初めて世界チャンピオンになり、流行歌では美空ひばりの「りんご追分」や江利チエミの「テネシー・ワルツ」が巷に流れていたのが昭和27年すなわち1952年ということに。

カントリーソングといっても実はこの歌をつくったのはホッド・ファリスというカナダ人で、初めてレコーディングしたのもハロルド・ブローと妻のベティ・コディが中心の「ローン・パインと彼のマウンテナーズ」というカナダのカントリーバンド。
現地ではそこそこヒットしたようだが、アメリカで広くしられるようになったのは、それから5年後の1957年、「谷間に三つの鐘が鳴る」Three bellsで知られるブラウンズがヒットさせたことによって。その後、ジム&ジェシーやマーティ・ロビンズがヒットさせている。また最近(でもないか)では1973年にクリス・クリストファーソンと当時の妻、リタ・クーリッジがうたい、デュエットによるハッピーソングの定番となっている。
ちなみに冒頭の動画は、クリスが主演した1980年の映画「天国の門」(マイケル・チミノ監督)の一場面で歌とは関係がない。

というわけで、ときどきこの歌が聴きたくなって、ネットへもぐりこんでいるのですが、たまには「新しい人」を聴きたくなり、さらに波乗りを続けることになるわけです。

まったく初耳のバンドや素人のバンドなどを聴いてまわるわけですが、これで素人かとおもうほど完成されているバンドがあったり、なかなか楽しめます。そんななかで今回気になったのがこのバンド。

https://youtu.be/O4aaXUIZzxY

ブランデンバーガー(ベルガー)・ファミリーBrandenberger Family というのでしょうか、フィドル、フラットマンドリン、ギター、ベース、ドブローと、いかにもプリミティヴなアメリカのファミリーバンド。演奏もレベルが高く、ヴォーカルも素朴でオールドカントリーにはもってこい。

音楽もそうですが気になったのがビジュアル。とりわけ女性の帽子。一見してアーミッシュを連想してしまいました。気になったのでどういうバンドなのか調べてみましたが、よくわからない。実体を詳らかにしないというスタンスらしい。
わかったのはビクターとアンジェラという夫婦を中心としたバンドで、アーミッシュを破門されたのだとか。「破門」というのはさらに気になる。そもそもアーミッシュはゴスペルであってもあまり音楽に興じないという話も聞いたことがあるので、まさか破門の原因が音楽だったりして? よくわかりませんが。

また、女性は3人いてだれがアンジェラなのかわからない。あとのふたりは夫妻の娘なのか(年齢差はあまりないよう)、はたまた親類なのか友人なのか。そもそも夫妻はいなくて子供たちで構成されているのか。とにかくミステリアスなバンドで、まさにアーミッシュそのもの。

ゴスペル中心の彼らの歌をもう何曲か聴いてみました。

まずはキープ・オン・ザ・サニー・サイド[Keep on the sunny side]。

https://youtu.be/_QFbVNaSijs

暗雲がたちこめ嵐が来ようとも、やがて太陽がさす時がくる。われわれは神を信じ、いつも陽のあたる場所を求めて生きよう、というカーター・ファミリーで知られるゴスペルソング。日本でも高石ともや&カチューシャ・セブンが「陽気に行こう」という邦題でレコーディングしているので、フォーク・ファンなら知っているかも。

つぎは「いつくしみ深き」What a friend we have in Jesus 。

https://youtu.be/SlybtVZk2RQ

19世紀後半、チャールズ・コンバーズによってつくられた讃美歌で、日本では唱歌の「星の界」(ほしのよ)として知られている。
♪月なきみそらに かがやく光
といううたいだしで、たしか中学生で習いました。現在はどうなのでしょうか。学校で習う歌もけっこう様変わりしているようですから。訳詞も美しい言葉で綴られていますが当時はよくわからなかった。それでも格調高い言葉だということだけは理解していました。

最後はこれもときどき聴きたくなる歌。

https://youtu.be/i7SiAEZcDv4

[The great speckled bird](大きなまだらの鳥)は鳥を神の使者にたとえたゴスペルで50年代にロイ・エイカフがうたった。メロディーはトラッドで、古くはカーター・ファミリーが[I'm thinking tonight of my blue eyes]としてうたい、その後ロレッタ・リンの「ホンキー・トンク・エンジェル」It was't God who made honky tonk angel やハンク・トンプソンの「ワイルド・サイド・ライフ」The wild side of life としてカントリーチャートを賑わしたオールドタイム・ミュージック。
とりわけ「ホンキー・トンク・エンジェル」は女性カントリーシンガーならほぼ誰もがうたいたくなる歌。日本でいえば演歌歌手がうたう美空ひばりの「リンゴ追分」のような。


おまけはサム・クックのティネイジ・ソングを。
「歴史や化学はさっぱりで、成績はぱっとしないけど、君が僕を愛してくれたらこの世界は最高なんだ」というハイスクール生活をうたった1960年のヒット曲「ワンダフル・ワールド」。実はこの歌、80年代のある映画のワンシーンで流れていました。もちろんサムは生存していませんから、ラジオから流れてくるという設定で。
今回のブランデンバーガー・ファミリーを聴いていてふとその映画を思い出したということです。

https://youtu.be/jPCPdhM0bTs

nice!(0)  コメント(0) 

When you're rockin' and a-rollin' [covers]

cotton fields.jpg



おとといブログを書いて、その勢いで怒濤の連日アップをするつもりでしたが、気力体力とも追いつきません。年相応といえばそうだけど。
同年代の知人とも会うたびに、仕事が遅くなったという話。昼間やり残した作業を夕食後にパッパとかたづけるつもりが、気がつけば夜中とか。
こうやって人間は体力がどんどん落ちていき、思考もガラガラと衰えていき、やがてふたつともピタッと静止してしまうのだろうな、なんて他愛のないことが頭をよぎるきのうきょうです。

当初の予定通り、CCRの後篇をやらねば。

CCRというバンド名で活動をはじめたのが1967年、そして解散したのが72年と、その期間はわずか6年。
その短い期間で多くのヒット曲を紡いだのはジョン・フォガティという類まれなるソングライターがいたから。また、あまりにも短い時間で分裂してしまったのも、ジョンという個性の強すぎる存在があったから。

たしかにジョンは天才的なロッカーでした。CCRのオリジナル曲のほぼすべては彼の作詞作曲による。また、またそのノイジーなヴォーカルも聴き手を魅了するのに充分でした。ということはやっぱりCCRはジョン・フォガティのバンドだった。
他のバンドでももっとも注目され、求心力となるのはメインヴォーカルですが、その主役が曲作りほぼすべてを担当という形態のバンドはそう多くはない。
もう少しジョンが寛大だったらCCRは継続していたかもしれませんが、かの名曲の数々は生まれていたかどうだか。
解散後、ジョンはソロ活動をはじめますが、そういう運命だったのでしょう。

ファンはジョンの素晴らしさを知っているけれど、やっぱりソロではなくバンドとしてのCCRが目に焼きつき耳にこびりつき、心に残っているのです。そんなわけで今回はCCRのカヴァ曲を何曲か聴いてみました。

https://youtu.be/wgzOzXPifYE

「コットン・フィールズ」Cotton fields は1969年の「ウィリー・アンド・プアボーイズ」Willy And The Poor Boys の収録曲。
1940年ブルース・ミュージシャンのバディ・リードベリーによって書かれた歌。オデッタらがフォークとしてうたい継ぎ、50年代末にハリー・ベラフォンテがうたって一般にも広まった。以後多くのフォーキーやカントリーシンガーがカヴァした。

わたしが初めて聴いたのはフォーク・グループのニュー・クリスティ・ミンストレルズで、CCRを聴くきっかけになった歌でもある。

「子供の頃、家の裏に綿畑があったけど、たくさん摘むことはできず、稼ぎも少なかった」という歌は、楽しい思い出の歌にも聞こえるが、もちろん畑は白人の地主のもので、俺たちは労働者にすぎない、という現実もあった。サリーフィールドの映画「プレイス・イン・ザ・ハート」を思い出す。いい映画だったけれど、白人(主人)、黒人(使用人)という仕組みを告発するような作品ではなかった。
動画はジョン・フォガティで。

https://youtu.be/WNFsS5pYO3A

つぎも同じ「ウィリー・アンド・プアボーイズ」の中の一曲、「ミッドナイト・スペシャル」Midnight Special。
トラディショナルな囚人ソング。「ミッドナイト・スペシャル」とは、牢獄の囚人たちが真夜中に見る「幸運の光」のこと。その光の元は刑務所の傍を通る列車で、真夜中に疾走する列車がフロントライトをまき散らす光。その光は獄舎のなかまで飛び込んできて、囚人たちはそのれが、やがて釈放されたり、愛しい恋人に再会を約束する幸運の光であることを信じている。
「コットン・フィールズ」のリードベリーは刑務所でのこの歌の採録にもひと役買っている。1959年、ウィルマとストーニーのクーパー夫妻がカントリーとしてヒットさせ(YOU-TUBEで見れます)、以後多くのシンガーやバンドがとりあげるようになった。

https://youtu.be/Y0AkRThPCSU

1972年のCCR最後のアルバム「マルディグラ」Mardi Gras に収録された一曲が「ハロー・メリールウ」Hello Marylou 。61年のリッキー・ネルソンのヒット曲。ソングライトは日本で「ルイジアナ・ママ」の歌唱でしられるジーン・ピットニー。日本でも弘田三枝子やザ・ピーナッツのカヴァでテレビ、ラジオから流れていた。
リッキー・ネルソンのヴァージョンで印象的だったカウベルをCCRもつかっている。以前YOU-TUBEでフレディ・マーキュリーがうたっていた。この歌のようにビフォア・ビートルズのアメリカン・ポップスにはエヴァグリーンのものがいくつもある。

https://youtu.be/JDDMoU2XZm8

最後は1969年のアルバム「バイヨー・カントリー」Bayou Country の収録曲「グッド・ゴリー・ミス・モリー」Good Golly Miss Molly。ごぞんじリトル・リチャードの純正ロケンロー。
わたしが初めてこの歌を聴いたのは中学生のころ。リトル・リチャードではなく、ミッチ・ライダーとデトロイト・ホイールズで、楽曲は邦題「悪魔とモリー」。「グッド・ゴリー・ミス・モリー」とショーティ・ロングのR&B「青い服を来た悪魔」を合わせたもの。最近YOU-TUBEでブルース・スプリングスティーンがこの歌をうたっているのを見た。
それはともかく、CCRがこの曲を発表した翌年に発表したのが「トラベリン・バンド」でこれも純正ロケンロー。このふたつのロケンローが似すぎているということで問題になったとか。
純正ロケンローはだいたい3コードのブギウギで、どれもある程度似てしまうのだけれど、このふたつの曲がそんなに似てるかなという印象がある。結局、法廷に持ち込まれることはなかったそうだが。

ほかにもファーストアルバム収録のロカビリー「スージーQ」とか、ハンク・ウィリアムズのジャンバラヤ(1972)など聴いてみたいカヴァーもありますがこのへんで。

おまけはやっぱりオリジナルで。
それでやっぱり「雨を見たかい」を。ただ、カヴァで、それも日本人のカヴァで。プロにも人気のある曲のようで、何人もがカヴァをしておりました。
そんななかでいちばん良かったのは、演奏アレンジはほぼ原曲どおりだけれど、ヴォーカルがオリジナㇽに迫っていたこの人で。

https://youtu.be/Ri_a3EurEjs

nice!(0)  コメント(0) 

Workin' for the man every night and day [not mellow AB]

proud mary.jpg


きょうの大谷、3試合連続はなかったけど、昨日の2連発は久しぶりに気分が良かった。最近のホームランはほとんどセンター方向。ついに開眼したか。

これで今シーズン20勝50本に近づいた。(現実的には16勝40本だけど)
あとは千賀。おとといは今季のベストピッチンングじゃなかったでしょうか。このままいけば15勝は確実で、新人王も夢じゃない。
今年はメジャーの日本人が総じて元気がいい。それだけ楽しみが多いということ。できれば筒香にも頑張ってもらってメジャーに昇格してもらいたい。そうなればもういうことない。

では本題に。
ティナ・ターナーの死はあらためて彼女が偉大なパフォーマーだったことを教えてくれた。「プラウド・メアリー」は彼女の魅力をもっとも伝えてくれる歌のひとつで、「プラウド・メアリー」はティナのものだと思う。

とはいえオリジナルはジョン・フォガティによってつくられたわけで、わたしがはじめて聴いたのもC.C.R.(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル 以下CCR)でした。
CCRはカリフォルニアで生まれたリードギター&ヴォーカルのジョン・フォガティをはじめとする4人組の(カントリー)ロックバンドで60年代末から70年代はじめにかけて、頻繁に聴いた洋楽のひとつ.だった。

https://youtu.be/7F_ILRVJdes

はじめて買ったアルバムがその「プラウド・メアリー」Proud mary が収録された「バイヨー・カントリー」Bayou Country で、1969年にリリースされた彼らの2枚目のアルバム。

詞は「ティナ盤」とまったく同じで、仕事でこき使われ心身ともに疲れ果てた若者が、ミシシッピをダイナミックにすすむ蒸気船の「プラウド・メアリー号」にこころ魅かれ、その船に乗って楽天地を求めるというストーリー。

ティナのおかげで久しぶりにCCRを何曲か聴いてみたくなった。
つぎは今のシーズンにふさわしい雨の歌を。

雨の歌といえばよく知られているのが「雨を見たかい」Have you ever seen the rain 。1970年のアルバム「ペンデュラム」Pendulum の挿入歌でのちにシングルカットされて大ヒットした。当時、雨はナパーム弾のメタファであり、ベトナム戦争の反戦歌なのだという噂が広まり話題になった。その影響もあってか、ボニー・タイラーやロッド・スチュアートなどカヴァするシンガーがいた。カントリーでもウィリー・ネルソンが娘のポーラとレコーディングしているし、AJ・リーもレパートリーにしている。
CCRのなかでもベストソングだと思うけれど、聴きすぎて(飽きてはいないけど)いるので今回はやはり70年のアルバム「コスモス・ファクトリー」Cosmo's Factory の収録曲
[Who'll stop the rain]誰が雨を止められる? を。

https://youtu.be/jaEEFBTtofc

「雨を見たかい」よりこちらのほうがよりトピカルな詞で、雨はひどい状況や厳しい現実を象徴している。善良な市民は太陽を望んでいるのに、雨はいっこうに降り止まない、とうたっている。ストレートなアメリカ政府に対してもの申しているわけで、やはり当時のベトナム戦争の影響が大きかったことは否定できない。また、「プラウド・メアリー」でも同じだがジョン・フォガティにはいわゆるブルーカラーの視線が感じられる。この歌のカヴァではブルース・スプリングスティーンのものが有名。
また、1978年にはこの歌をつかった「WHO'LL STOP THE RAIN」という映画がつくられている。ニック・ノルティ主演のクライムムヴィーだそうだが、観ていない。

つぎも当時のアメリカやジョンの心情を映しているかのようなネガティブな歌を。

https://youtu.be/w6iRNVwslM4

「バッド・ムーン・ライジング」Bad moon rising は1969年の彼らの3枚目のアルバム「グリーン・リヴァー」Green River の1曲で。全米1位になっている。
「悪い月がのぼっている。地震が起こる、ハリケーンだってくる。俺はもうお終いだってことを知っている。あんたたちだって死ぬ準備をしておいたほうがいい」というこの世界の終末を描いたような歌は、核戦争への恐怖をうたったもの、ではない。
これはジョンがホラー映画を観た後にその印象を書き下ろしたものだそうだ。しかし、受け止めようによっては一歩一歩近づいてくる最終戦争への警鐘ととれないこともない。

なにか悲観的な歌が続いたので最後は楽しい歌を。

https://youtu.be/Aae_RHRptRg

「ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア」Lookin' out my back door は「フール・ストップ・ザ・レイン」と同じく1970年のアルバム「コスモス・ファクトリー」の収録曲。
「タンバリンと象がバンド演奏をしている」とか「空飛ぶスプーンに乗ってみない」とか「不思議な世界を醸し出す手品師」など幻想的というかイメージの世界をうたっている。70年という時代もあって、この歌をLSDによるトリップの世界、ととらえる人もいたようだが、実際は子供にきかせるお伽噺のつもりでつくったとジョンは言っている。
音楽も当時はやったサイケデリックサウンドではなく、どちらかというと「ハロー・メリー・ルー」のような50年代のアメリカンポップスっぽく、なんともノリのよいサウンド。


訃報はなりやまず、ブログを書いているときにテレビが上岡龍太郎が亡くなっていたことを報じていた。
漫画トリオ時代もおもしろかったが、「ソロ」になってからのほうがよりおもしろかった。
博識で饒舌でその正論とアイロニーは立川談志も一目置くほどだった。
全盛期のリタイアも見事。当時、関西に(失礼)こんな粋で自分の美学を貫く芸人がいたとは、と感心した記憶がある。
笑福亭鶴瓶を育てたのは彼だし、もしあのまま芸人を続けていたら(無理な話だが)、「本物」のご意見番になっていたのではなでしょうか。ご冥福をお祈りいたします。

妙な流れになりましたが、やっぱりオマケを。
「ルッキンアウト・マイ・バック・ドア」にはこんなフレーズも出てくる。
「蓄音機から聴こえてくるバック・オーエンズ」
そのバック・オーエンズBuck Owensの歌を。ビートルズ・ファンにはおなじみだけど、オリジナルはバックです。

https://youtu.be/3Eev0xt1AwA


nice!(0)  コメント(0)