SSブログ

愛は醒めて水になる [歌謡曲]

simakuratiyoko01.jpg

やっぱり豊昇龍の優勝か。
予想はあたったけれど、北勝富士に優勝させたかった。
でもどっちにしても初優勝だし、豊昇龍は大関になれるようなので良かったのかも。彼には叔(伯)父さんに負けないようなヒールとして活躍してもらいたい。

大谷もいささか不調ぎみ。バッティングもそうだけど、8勝はしたけどピッチングが不安定。いわゆる「球が軽い」ように見える。シーズン通じて好調なんてありえないので、今は山ではなく「谷」の状態なのかも。くれぐれも「大谷」にならないことを願っております。

今回も演歌歌手のカヴァを聴いてみました。
石原詢子は1988年デビューというからもうベテラン。
岐阜県生まれで、実家は詩吟の家元。当然彼女にも心得がある、ただし、将来の夢は演歌歌手だったとか。

彼女もカヴァが多い歌手で、とりわけお千代さんこと島倉千代子のカヴァーをよくみます。ほかの歌手のカヴァも見ごたえ聴きごたえのあるものがあるけれど、それはいずれまたということで、今回は亡くなって10年が経とうという島倉千代子の歌を三つ。

まずは昭和30年のデビュー曲

https://youtu.be/aoF25QdsFLA

哀れで儚い失恋ソング。女性がうたう失恋ソングはいつの世も同性の共感をうけ、異性の同情を生む。ヒットの定番のひとつなのでしょう。
島倉千代子はこの年だけで20曲以上をリリースしたというから、時代とはいえ驚き。「この世の花」は大ヒットとなり、11月の「りんどう峠」もヒットしている。
所属は美空ひばりと同じコロムビアレコードで、以後、このふたりがコロムビアの、というより日本の二大女性歌手として歌謡界に君臨していくことになる。
陽気で勝気な美空ひばりと静かで可憐なイメージの島倉千代子はまさに太陽と月で、両雄並びたった。

お千代さんはひばりに憧れて、コロムビアのコンクールでも「りんご追分」(?)をうたって優勝したとか。
ひばりと同じレコード会社の所属となって、大先輩(といっても年齢はひばりがひとつ上、学年なら同級生)と近づきになれると思ったけれど、ひばりが「拒否」。ふたりが「握手」するまでにはそれから30年近くかかった。それだけ美空ひばりは島倉千代子に脅威を感じていたということでしょう。
それゆえ、あれだけ日本の歌謡曲を手当たり次第にカヴァしてみせたひばりだけれど、島倉千代子の歌は聴いたことがない。もちろんその逆に「和解」するまではお千代さんがひばりの歌をうたうことも許されなかったはず。「和解」(一方的な)をしたあと、お互いにカヴァをしあったのかどうかはしりませんが。

作曲は戦前には「旅の夜風」が、終戦直後には「りんごの歌」が、そしてひばりの一連のヒット曲「悲しき口笛」「東京キッド」「越後獅子の唄」をてがけた万城目正。作詞も「旅の夜風」をはじめ、戦前そして戦後の20年代、30年代日本の歌謡曲を席巻したコロムビアの看板、西条八十。つまりヒット曲製造の最強コンビ。つまり島倉千代子がコロムビア
からいかに期待されていたかがわかる。

「この世の花」がヒットした昭和30年、島倉千代子はその年の暮れの紅白歌合戦に出場していない。その後もヒット曲を出しているのに初出場はなんと32年。彼女の代名詞である「この世の花」が紅白ではじめて披露されたのはなぜか27年後の昭和57年。ちなみにもうひとつのビッグヒット「東京だョおっ母さん」にいたってはアナクロニズムが嫌われたのか紅白でうたわれることはなかった。

2曲目はこれまた思いがままならないトーチソング。これもラブソングのステロタイプ。

https://youtu.be/nRtsrg45Dsc

「逢いたいなァあの人に」はデビューの翌年、昭和31年のの12月にリリースされビッグヒットとなった。こちらはタイミング的に紅白には間に合わなかったが、翌32年、彼女の紅白初出演の楽曲となった。
ちなみにこの年、彼女以外にも紅白初出場が何人かいた。その有名どころをあげてみると女性では朝丘雪路、松山恵子、浜村美智子。男性ではフランク永井、若山彰、青木光一らがいる。

「逢いたいなァあの人に」は昭和30年代前半の歌謡界のトレンドだった「ふるさと歌謡」。
「ふるさと歌謡」には、東京をはじめとする都会に働きに出てきた若者が艱難辛苦のなか、生まれ故郷に思いをはせるというタイプの歌と、反対にその故郷から都会へ出て行った異性を想うという歌があった。「逢いたいなァあの人に」は後者。いつも残されるのは女、とは限らずのちにヒットする「お月さん今晩わ」(藤島桓夫)のような男の場合もある。
いずれにしても、こうした歌の流行は若者が都会に殺到し、地方が淋しくなっていった時代が反映されている。

曲は「上海の花売り娘」ほか戦前から岡晴夫とのコンビで、戦後はひばりの「港町十三番地」やコロムビア・ローズの「東京のバスガール」で知られる上原げんと。詞は岡晴夫の「憧れのハワイ航路」、青木光一の「柿の木坂の家」、美空ひばりの「悲しい酒」などをてがけた石本美由起。

最後はもはやローカルの小都市化がすすみ、マイカー、新幹線、飛行機等によって「遠く望んだ」故里に日帰りできる時代となった昭和59年のスマッシュヒット。

https://youtu.be/ed_4VcYdAI0

昭和59年、1984年といえばチェッカーズと中森明菜が大ブレイクした年。という影響もあって、こんなリズミックな演歌というか歌謡曲がヒットしたのかもしれない。3年後に大ヒットする「人生いろいろ」もそうだけれど、泣き節・お千代さんにもこうした楽しい歌がたまにある。36年の「恋しているんだもん」とか38年の「星空に両手を」(with守屋浩)とか、41年の「ほんきかしら」とか43年の「愛のさざなみ」などが。

詞は細川たかしの「望郷じょんがら」を書いた里村龍一、曲は八代亜紀の「舟唄」、クールファイブの「そして神戸」、由紀さおりの「挽歌」、奥村チヨの「終着駅」などのビッグヒットがある浜圭介。ひばりの「夢飾り」を聴いてみたかった。

その「夢飾り」をオマケにもう一回。
これぞカヴァの醍醐味という一曲を。お千代さんもつきそっております。とにかく巻き舌の「夢飾り」なんてはじめて、それがなかなか。なにより歌が格別にうまい。

https://youtu.be/dh3u4lQssQg

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。