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メキシコその愛 [diva]

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メキシコのディヴァといえば、1990年代から2000年代にブレイクしたラテン・ポップの女王タリィア。

https://youtu.be/JO-xQAxkgww

1971年8月、メキシコシティで生まれ。幼いころから芸能活動をはじめ、ミドルティーン頃までは子供のアイドルグループのヴォーカルや女優として活躍。
1990年、19歳でソロデビュー。
はじめてのビッグヒットとなったのが、1995年の4枚目のアルバム「エネスタシス」Enextasis。このアルバムからレーベルをEMIにうつし、エミリオ・エステファンJr(グロリア・エステファンの夫)らのプロデュースで1週間で50万枚を売り上げた。メキシコ国内だけでなく南米、ヨーロッパのスペイン語圏(アメリカも)を中心に20カ国以上でヒット。

そのシングルの中にはのちに述べるテレノベラ(連続テレビドラマ)の主題歌「マリア・ラ・デル・バリオ」Maria la del Barrioもありましたし、彼女のシングル初のビッグヒットとなった「ピエル・モリナ」Piel Morenaも。

https://youtu.be/chB3TsW6l6c

リードシングルとなった「ピエル・モリナ」は直訳すれば「褐色の肌」。歌詞の内容は
あなたの灼けた肌は、まるで燃え盛る火であり、不思議な魔法のようでもあり、恐ろしい毒でもあり、また夢へと誘うハチミツのようでもある。星空の下そんな灼けた肌がわたしを虜にする……とクンビアのリズムにのせて熱唱します。

タリィアは少女の頃から女優としても活動していまして、とりわけメキシコのアイドルとなったのが「テレノベラ」と呼ばれる連続テレビ小説に主演したこと。
はじめての主演が18歳のときの「光と影」a。
大ブレイクしたのがその3年後の1992年の「マリア・メルセデス」。その後1994年の「マリマール」、先にふれた1995年の「マリア・ラ・デル・バリオ」と「マリア三部作」と呼ばれるテレノベラでタリィアは国民的アイドルになります。
国内ばかりでなく彼女のテレノベラは海外180カ国で放映されたとか。

とくになぜかフィリピンで大ブレイク。1995年にタリィアがフィリピンを訪れたときは「マリア(役名)が来た」と大フィーバーになったとか。彼女が降り立った空港は大勢のファンがつめかけて大混乱になったことはもちろん、マラカニアン宮殿で大統領を表敬訪問したときは、本来その場にいなくてもいい政府関係者たちが彼女をひと目見ようと集まって大変な騒ぎになったそうだ。とにかくフィリピンでは「国賓」あつかいで、「ロサリンダ」などはフィリピンでのリメイク版がつくられたとか。
ちなみに彼女の海外公演はアメリカ、南米、ヨーロッパが主ですが、アジアではフィリピンのほかインドネシア、そして中国まで。日本は残念ながら寸止め。日本に来ていれば当然タリィアフィーヴァーが起き、もっと人気になっていたと思うのですが。

テレノベラのそれぞれの作品はその主題歌もヒット。
テレノベラはいってみればシンデレラストーリーで、若きヒロインが辛酸をなめながら強い心でやがて幸せをつかむという話。つまり主人公は若い女性で、タリィアも歳を重ねやがて卒業することに。その最後の作品となったのが1999年28歳のときの「ロサリンダ」Rosalinda 。

https://youtu.be/lNSpwEzZqkQ

もはや「メキシコの女王」とか「ラテンのマドンナ」の称号で呼ばれるようになったタリィアですが、1997年、その7枚目のアルバムとなる「アモーラ・ラ・メヒカーナ」Amor a la mexicana が海外14カ国でもチャートナンバーワンになるビッグヒットに。
そのアルバムタイトルである「アモーラ・ラ・メヒカーナ」(メキシコその愛)も彼女のシングル最大のヒットに。
冒頭の動画は、2009年アメリカのオバマ大統領が主宰したラテン・フェスタに出演し同曲を熱唱した模様。グロリア・エステファンやジェニファ・ロペスらラテンのトップシンガーたちが揃ったホワイトハウス前のステージで最も輝いていました。
とりわけ曲の間にオバマ大統領をダンスに誘うパフォーマンスで話題になりました。

2002年には「私は私」A Quién Le Importaが大ヒット。

https://youtu.be/LZc7rh_DPIk

直訳すると「誰も気にしない」。1983年スペインのバンド「アラスカ&ディナラマ」のヒット曲で「後ろ指をさされようが、悪い評判を立てられようが、私は気にしな、私は変わることなく生きていく」という女性の自立を声力強くうたってヒット。なんでもLGBTが支持する歌でもあったとか。
1980年代のポップスを代表するユーロビートをそのままとりいれ、2002年にタリィアが素晴らしいダンスミュージックとしてカヴァーしてヒットさせています。

最後は2009年のコンサートツアーで披露された彼女の四大シングルヒットをメドレーで。

https://youtu.be/pQZShz_yZ_0

1曲目は「海と星の間」Entre el mar y una Estrella
ラテン・バラードではタリィアの最高のヒット曲といわれています。
一度終ってしまった恋を回想するというストーリー。怨みや後悔などなく、いつか彼が帰ってくることを信じて永遠の愛を捧げ続けるという、ある意味彼を思い出すことの幸福感すら感じる名曲です。
とにかく詞も旋律もラテンによくあるギラギラ感がまったくなくむしろ清涼感すら覚えるほどで、聴けば聴くほどこの歌の良さが伝わってきます。ラテンファンとしてもとても新鮮な歌でした。

2曲目は「ピエル・モリーナ」Piel Morina
すでに聴いてきた曲ですが、前の動画は彼女が20代前半のもの。このツアーは2009年ということで30代後半のもの。つまり10数年を経てセクシーアイドルから大人になったタリィアが聴けますし、見れます。あたりまですが、歌唱力も表現力も段違いで、余裕をもってうたっております。

次はこれもラテンバラードのヒット曲「秘密」No Me Ensenaste。
2002年のアルバム「タリア」に収録され、翌年シングルカットされた曲。直訳すると「(あなたは)何も教えてくれなかった」と恋人と遠く離れていることの不満。決定的な「別れ」への不安、そして彼がいなくなってからの過ごし方を教えてくれなかったことへの不実を嘆いています。同じバラードでも「海と星の間」とは対照的で、パッショネイトに熱唱しております。

最後はこれもすでに見てきた彼女の最大の国際的ヒット曲「アモーラ・ラ・メヒカーナ」Amor a la Mexicana。
1997年の5枚目となる「Amor a la Mexicana」のアルバムタイトル。
激しく愛されたい、死ぬほど愛したいとシャウトしながら「クンビアやソンのミュージック、ブーツにソンブレロ、テキーラにラム酒、灼熱の太陽、それがメキシコの愛」とメキシコのアイコンを並べて、まさにクンビアやサルサのリズムにのせ、うたいあげております。メキシコ人にとってはナショナリズムをかきたてられるたまらない歌。

おまけはカヴァー曲を。
メキシコでなぜか昔から人気のあるイタリアン・ポップス。
彼女がカヴァーしているのは日本でもヒットした懐かしい歌。

https://youtu.be/AS-S-qac5Kc

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何が起きても [diva]

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ザーズはフランスのシンガーソングライターで、ポップスからジャズ、ブルース、ラテンなどその魅力的なハスキヴォイスでなんでも器用にこなしてしまう。

1980年生まれといいますから今年41歳。
音楽学校で基礎をみっちり学んだもののすぐデビューとはいかず、いくつかのバンドのヴォーカルなどをこなしていましたが、CDデビューは2010年、30歳のときで、どちらかというとスロースターター。
そのデビューアルバム『モンマルトルからのラブレター』のなかのファーストシングルが
「私が欲しいもの」Je veux。

https://youtu.be/hQVXSvEw8_0

「リッツのスイートルーム?、シャネルの宝石?、リムジン?そんなものいらないわ。エッフェル塔だっていらない。私がほしいのは愛と喜びと、気の利いたユーモア。お金じゃないのよ」
とフランスらしい本当に人間として自立した女性の品格をうたっております。

2014年には「Paris」私のパリ という古いシャンソンのカヴァーアルバムをだしています。彼女にとって3枚目のアルバムとなります。その中から一曲。

https://youtu.be/VY_xSs7ozxc

「パリの空の下」Sous le ciel de parisはピアフをはじめ多くのシンガーによって歌われたシャンソンで、日本でも「枯葉」と同様にシャンソンの代名詞となっている歌。
恋人たち、子ども、哲学者、ミュージシャン、野次馬、犯罪者、浮浪者などなど、花の都・パリで暮らすさまざまな人たち。そのすべてを受け入れてくれるのがパリ。
日本では昭和30年に芦野宏がレコーディングしています。岸洋子盤もいいなぁ。

そんなシャンソン・クラシックスをもうひとつ。
「私のパリ」には入っていませんが、戦後のヒット曲で昭和30年代の日本でのシャンソンブームでも支持された一曲「絶対従順主義」Je Me Suis Fait Tout Petitを。

https://youtu.be/c2BVCH8tlVY

戦後のシャンソンブームのなかで、イヴ・モンタンなどとともに日本でも人気のあったジョルジュ・ブロッサムのヒット曲。直訳すると「自分を小さくする」ですが邦題は「絶対従順主義」なんて固いタイトルがつけられています。
いつも強気で生きてきた男が愛する彼女の前で、何も言えず従順になってしまう自分への自虐をうたっています。アナーキーな詩人でもあるブラッサムなので、一見ラヴソングの裏に権力の前に無力な人間を揶揄しているようにも聞こえてしまいます。
動画はやはりフランスの人気シンガーソングライターであり女優のジャンヌ・シェラルとととても楽しげにうたっています。


「私のパリ」から3年後の2018年にリリースされたアルバム「ミラー効果」Effet miroirは彼女が数年かけて実行した世界ツアーの集大成といわれるアルバム。2015年には東京と大阪でもコンサートを行っています。それで日本でもファンが多いのかも。

そのアルバムのファースト・シングルとなる「ケ・ベンドラ」Que vendra(何が起きても)を。

https://youtu.be/kCe60ivhM5U

フランス語とスペイン語のミックス?でうたわれているようで、
「人生は何が起こるのかわからない。喜びや悲しみのなかで自分を信じて生きて行くしかない。たとえ自分を見失ったとしてもそのことを分かっていれば、おのずと自分がすすむべき道を歩むことができるはず」
と、人生を前向きに生きて行く姿勢がうたわれています。
それは彼女がデビューしてから世界ツアーを含めて8年間の経験から体得した人生の歩み方なのでしょう。
まぎれもなくラテンの香りなのですが、ジャズが沁みていてさらにはレゲエの臭いもする不思議で心地よい旋律とリズムに酔ってしまう歌です。

おまけの一曲はストレートにラテンを。それも日本でもラテン名曲ベスト5に入るばかりでなく、世界的にもラテンクラシックとして認知されている曲を。

https://youtu.be/0GMcL2nkp4E

「ある恋の物語」Historia de un amor はさほど古い歌ではない。1955年(十分古いか)、パナマのカルロス・アルマランによって作られました。(異説もありますが)
恋人を亡くした男の嘆きをうたったもので、
「彼女はわたしのすべてだった、生き甲斐だった。なのに神はなぜこんなにひどい試練を与えるのか……」

この歌に火をつけ世界的名曲にしたのがメキシコのトリオ・ロス・パンチョス。小気味よいレキントギターと美しいハーモニーが奏でるラテンワールドはもちろん昭和30年代の日本にも。
アイ・ジョージや坂本スミ子、ザ・ピーナッツなどがカヴァーしておりました。演奏ならば見砂直照と東京キューバン・ボーイズとか、原信夫とシャープス&フラッツとか。洋楽ならペレス・プラド楽団とか、ジャズならアート・ペッパーでよく聴きました。

ザーズはそれを女歌にして、あふれるばかりの情熱で熱唱しております。母親がスペイン語の教師らしく、彼女の歌にもたしかにラテンの血を感じてしまいます。


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愛さずにはいられない [diva]

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https://youtu.be/_KfGu6zJbsE

1990年代、カントリーシーンだけでなくポップスシーンでも存在感を示したマルティナ・マクブライド。1966年カンザス生まれで92年26歳でアルバムデビューした。
カントリーのシングルチャートで初のナンバーワンになったのがはじめの動画の「ワイルド・エンジェルズ」wild angels(1995)。
カントリーチャート№1は何曲もあるけれど、グラミーは10数回ノミネートされて受賞ゼロという運のなさ。

ところでカントリーはよく日本の演歌と比較されます。
それは古い歌、昔の歌。という意味なのでしょう。たしかにそういう面はあります。もうひとつ似てるなと思うのは、とにかく若くしてデビューした彼女たちはとても歌唱力があるということです。
マルティナもメジャーデビューはさほど早くありませんが、それ以前から父親のローカルバンドで声を磨いていたといいますから、歌のうまさも折り紙付き。

歌のうまい歌手は日本でいうカヴァーも上手。
なかにはかつてのヒット曲だけのカヴァーアルバムをリリースしてしまったり。たんに歌唱力があるというだけでなく、様々な曲調に対して対応力があるんでしょうね。それがまたオリジナルとは違った良さになったり。

マルティナも御多聞にもれず、歌上手ゆえにカヴァーも聴かせてくれます。
そんな彼女のカントリークラシックスのカヴァーを何曲か。

まずは「ケンタッキーの青い月」Blue moon of Kentucky

https://youtu.be/hyD9XBEQZtg

ビル・モンロー&ブルーグラス・ボーイズのヒット曲というより、エルヴィス・プレスリーのデビューシングル(B面)として知っている人が多いかも。
ビル・モンローのつくった美しいワルツをエルヴィスが4ビートに変えてしまった。そのアレンジが50年代のロケンローの草創期を象徴するもので、以後パッツィ・クラインもエルヴィスバージョンを踏襲。というかビル・モンロー自身が共感して4拍子のヴァージョンで演奏するようになったというから、いかにエルヴィスが画期的だったか。

以後カントリーでこの曲といえばほぼエルヴィスヴァージョン。パッツィ・クラインもワンダ・ジャクソンもリアン・ライムスも、そしてマルティナ・マクブライドも。

彼女のエルヴィスカヴァーはほかに「サスピシャス・マインド」Suspicious mindや「ブルー・クリスマス」Blue Christmas などがあり、とりわけ後者はCG処理でエルヴィスとのデュオが聴ける。

つぎは「愛さずにはいられない」I can't stop loving you

https://youtu.be/5NmKiZi5PJY

レイチャールズの大ヒットR&Bで知られた名曲ですが、もともとは「オー・ロンサムミー」Oh, lonesome me や「失恋の海」sea of heartbreak で知られるドン・ギブソンの自作自演がオリジナル。キティ・ウェルズのカヴァーもいいけどやはりマルティナのソプラノトーンが小気味よい。
タイトルにあるような激しい愛を伝える恋愛真っただ中の歌かと思いきや、どうやらフラれてしまったようで、渡哲也の「純愛のブルース」よろしく♪思い出だけで いいんだよ と歌っております。それでも心の叫びはあふれてやまず、♪愛さずにはいられない と。

3曲目は「ローズ・ガーデン」I never promised you a rose garden

https://youtu.be/dsCDho0Q_4w

これも日本で70年代にヒットした歌。よくラジオから流れておりました。オリジナルはリン・アンダーソンで、日本ではカントリーというよりはポップスとして受け入れられました。たまにこういうパターンがあります。古くは「テネシー・ワルツ」Tennessee waltzがあるし前述の「愛さずにはいられない」もそうだし、ほかではスキーター・デイヴィスの「この世の終わり」The end of the world 、ホイットニー・ヒューストンの「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」I will always love you もカントリー発進のポップスのビッグ・ヒット。

最後はオリジナルシンガーとのデュオで「ワンス・ア・デイ」Once a day

https://youtu.be/21OAYui4YPI

コニー・スミスのデビュー曲にして最大のヒット曲。
「一日に一度だけ彼が戻ってくることを願うの、一日に一度だけ何もかも忘れて泣くの」という健気な失恋ソング。ビルボードのカントリーチャートで8週間連続1位という当時の記録を打ち立てた曲。ソングライトはカントリーのシンガーソングライター、ビル・アンダーソン。
個人的にもカントリーを聴き始めたころの歌で、コニーでは「シンシナティ、オハイオ」や「青いトランジスタ・ラジオ」などとともによく聴いていました。
そのちょっと前にはポップスのコニー・フランシスもよく聴いていましたし、ふたりのコニーはいまでもわたしのディーヴァです。

オマケはゴスペルといいますかセイクレッドソング(聖歌)を。1948年、ハンク・ウィリアムズによってつくられた「アイ・ソー・ザ・ライト」を。
光を見たんだ、神と出会えたんだ という讃美歌。
共演しているのはシンガーとしての彼女の原点をつくった父親のダリル・シフ。

https://youtu.be/PpZFSjn_NJU

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