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アメとムチ [day by day]

サクマドロップ.jpg

ニュースで知ったのですが、サクマドロップで知られた「佐久間製菓」が来年1月廃業するそうだ。コロナの影響が少なからずあったとか。
まぁ、それがいちばん大きいのでしょうが、様々な形と触感、さらには味の「あめ」が発売されるようになった昨今、あの楕円形で小粒のサクマドロップはオールドファッションなのかもしれません。菓子類は懐かしいだけでは商売にならないのかも。

子どもの頃サクマドロップにはずいぶんお世話になりました。だいたい菓子類は近所の駄菓子屋で買うのが常でしたから、あの缶入りのサクマドロップはいわば高級品でした。

もちろ自分で買うことはなく、親が買ってくれて親の管理の元、1日に1粒とか2粒とかもらっていたような気がします。手のひらを出すと小さな取り出し口を下にしてまさに1粒落としてくれる。ドロップはイチゴ、レモン、オレンジ、ブドウ、ハッカなどの味があり、それぞれ赤とか黄色とか紫とか色分けされていた。ですから、白のハッカがでてくるとガッカリしたもので、母親に再試行を頼んだり。優し母は缶を振ってもう一度手のひらに落としてくれる。兄もハッカが嫌いで、結局缶の底にはあの白いハッカばかりが残ってしまったり。

もうすこし大きくなって自分で管理できるようになると手ごわかったのが蓋の開け方。10円硬貨くらいの取り出し口には密閉するように同じ大きさの蓋があり、それはかなり固くてそれこそ十円硬貨で梃子のようにして開けておりました。そのあとの閉め方がわるいとなかに湿気がはいっていしまい、あめ同士がくっついたり、ベトベトしてしまったりというのもありがちでした。
当時はあの缶そのものが貴重で、空になった缶を簡単に捨てた記憶はありませんが、なにに利用したのかは覚えていません。あの取出し口からも再利用しにくい缶だったこともたしかです。
多分、小学校の高学年あたりになると、もう舐めなくなってしまったのではないでしょうか。ガムはもう少し先まで噛んでいましたが。

覚えているアメの歌を。
横文字でいうキャンディも含めて。

はじめは昭和37年(1967)、東京オリンピック前の貧しいけれど希望にみちていた頃。山田洋次監督の初期の映画の主題歌。

https://youtu.be/gwMLj32zrhk

リアルタイムではありませんが、ほぼ地元が舞台だったので興味をもって数年後に観ました。もちろん歌はリアルタイムで聴いていました。さくらさんになる前から倍賞千恵子のファンで、小学校によく似た子がいました。
♪縁日にふたりで わけた丸いあめ
の作詞はキングレコードのエース・横井弘、作曲はほかに菅原洋一らの「忘れな草をあなたに」などがある江口浩司。

もうひとつは何度も聴いているのでいささか気がひける1975年の荒木一郎のバイバイ・ソング。

https://youtu.be/1rH0HoVfNjQ

♪ゆきずりの夜に買う綿あめは 君と愛した味がする
作詞作曲はもちろん、あのデキシーチックな編曲も荒木一郎。いぜん、荒木本人が同じバイバイソングの「帰らざる日々」(アリス)にクレイムをつけていましたが、あれもまたいい歌です。ちょっとアブナイ歌ですが。

つぎは「キャンディ」。こちらはJPOPにいくつもありそうですが、ミスチルの「CANDY」を聴いたことがあるくらいでよくしりません。
しっているのはやはり古い歌。未経験・未体験なのになつかしいとうフェヴァリットソング。

https://youtu.be/QLBtRS-at-g

冒頭から
♪赤いキャンディ つつんでくれたのは 古いニュースペーパー
とキャンディが出てくるのは柳ジョージの「青い瞳のステラ 1962年夏…」。作詞は水浦杜司、作曲は上網克彦。
赤いキャンディはどんなアメだったのでしょうか。すぐに思い浮かぶのはむかし駄菓子屋で買っていた円錐型のイチゴ飴。底にヒモがついていてね。たしかクジになっていてそのヒモを引いて大きいものが当たり、小さいのが外れ。大差はなかったけど。みんな口からヒモを垂らしながら遊んでいました。
この歌の赤いキャンディはそんなイチゴ飴ではないけれど、むき出しのアメを新聞紙に包んでというイメージ。

赤いキャンディ、白いペンキ、ブルーアイ(青い瞳)と歌詞に出てくるこの歌はその三色でもわかるとおりアメリカ小僧の歌。ほかにブルースやテネシーワルツも出てきます。
ほかには、佐良直美の「わたしの好きなもの」に♪棒のついたキャンディ とでてきますがあれはアメではなくアイスキャンディでしょうね。

おまけは洋楽を。歌詞をよく知りませんのでタイトルで「キャンディ」を。ナット・キング・コールやダイナ・ショアなどで知られている1945年のスタンダードで、「彼女は私にすごく甘い、私も彼女にとても甘いけどね」と恋人をキャンディにたとえた大甘のラブソング。

https://youtu.be/Q0yH2VaIYVI

実はいまでもアメは舐めております。
以前から、咳どめのアメをカバンの中に常備しております。ときどき喉がいがらっぽくなったり、咳が出そうになるとバッグの中の袋から取り出して口に放り込んでおります。とくにここ数年コロナが蔓延してからは電車の中など咳をするのがはばかれる場所では結構重宝しております。

車中でなくても、ツレや知人といるときに相手が咳をすると「どう?」とすすめて喜ばれてもおります。ツレなどは完全に「マイ・キャンディ」をあてにしているようで、外出中咳もしていないのに口が寂しくなるのかたびたび催促してきます。
また、以前喫茶店で咳込み、アメをあげて(嫌な言いかたですが)喜ばれた知人がまた同じ状況になったので「どう?」と言うと、二度目は丁重に断られました。
「糖尿ぎみなので」と知人。そういえば以前聞いたことがあったっけ。一度めは断ったらわるいと思って貰ってくれたんだな。誰もがアメをもらって喜ぶわけじゃないぞ。ムチなわたしでありました。

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怒れ! ジョニー [day by day]

国葬.png

政治の話はあまりしたくないのですが、言わずにはおれない事が。

テロによって殺された安倍元首相の「国葬」には反対です。
いきなり「国葬」を発表した岸田総理にはがっかり。ヒロシマ反核では反動的な面もありましたが、自民党のなかでは比較的誠実で国民を騙したり、裏切ったりはしない政治家だと思っていましたが、「岸田さん、あんたもか」という思い。

選挙も自民党の大勝でおわり、「いまならイケる」と思ったのでしょうね。当分選挙もありませんし。なによりも安倍さんへの「同情論」が冷めないうちにということで、あんなに早く「国葬」を発表したのでしょうね。
自民党の派閥の主流ではないという辛さもわかりますが、がっかり。もう期待できない。

その岸田総理の説明では「国葬」の大きな理由が安倍元首相が「長期政権」を努めたからとか。確かに長く首相を努めるということはその資質が優れているからととることもできるけれど、国民の支持というよりは、自民党の中での論理で政権を続けることができたとみることもできる。
森友。加計問題であれだけ「悪だくみ」が露呈して、官僚が自死するほどの公文書改竄を惹き起こしてもなお、国民のリーダーたる資質があったといるのでしょうか。

「長期政権」ということであればよくも悪くも激動の昭和を3期にわたって総理を務めた佐藤栄作さんはなぜ「国葬」にならなかったのか。岸田首相は安倍さんの「国葬」について、彼が国際的に知名度があったこともあげていましたが、それならば日本の首相で唯一ノーベル平和賞を受賞しているのは佐藤栄作さんだけです。彼こそ「国葬」にふさわしかったのでは?。
まぁ、佐藤さんは無勢に多勢でマスコミとケンカするほどマスコミに嫌われていたので、「国葬」なんて言おうものなら、自民党はマスコミから袋叩きにあったかもしれませんから無理だったのでしょうが。
安倍さんに比べたら強引だったけれどホネのある政治家だった(いささか美化しておりますが)ような気がします。

とにかく安倍さんの「国葬」には反対なのです。

自民党の幹事長がいうように、本当に国民の多数が「国葬」に賛成なのでしょうか。
亡くなったばかりの人を忖度して、反対と言えないという人が相当数いるのではないでしょうか。

岸田総理の言動以上にがっかりというかあきれたのが、野党第一党である立憲民主党党首の発言、岸田総理の「国葬」発言直後の彼の反応は国葬を「静に見守りたい」でした。あきれました、あんなこと言う人間が党首ならば立憲民主党の凋落もさもありなん。ここにきて国会を開いて内閣の説明を求めるなんて言ってますが、はたして本気でいっているのかどうか。

野党のなかでも共産党をはじめ「国葬」反対をはっきり打ちだしている政党もあります。いささか力不足の感は否めませんが、かれらに期待したい。彼らがしつこく、強く国民に訴えていくことに期待したい。
それにあれだけアンチ安倍だった文化人やジャーナリストで反対の人はかなりいるはず。問題のなのは忖度してそれらの声を報道しないマスコミ。もちろん統一教会問題も大切だけれども、決定事項かのようにすすめられていく「国葬」の忖度なき報道が聞かれない。きっと「国葬」反対の報道は増えていくと思います。増えて欲しい。増えてくれ。もしそうでなければマスコミは「忖度」なる言葉を二度とつかわないでほしい。

かつての安倍政権に対する、自民党議員(だけじゃないけど)や官僚の忖度はひどかった。「忖度」が流行語になるほどまかり通っていました。
安倍さんは亡くなっても忖度される政治家なのですね。そういう意味では希代の政治家なのかもしれませんが。
与党、野党の議員諸氏の「安倍忖度」には情けないのひと言ですが、なによりもコワイのは国民の「安倍忖度」。はじめにもいいましたが、亡くなったばかりの人への「優しさ」という日本人気質なのかもしれませんが、国民のために誠心誠意尽くしてくれた政治家への追悼と感謝をこめたセレモニーが「国葬」となると話はちがってきます。

もし「国葬」が強行されたら何十年かのちの未来の日本人たちから『へえ、2022年ってとても奇妙な「国葬」があった年なんだね』って笑われること間違いない。その対象はふさわしくない「国葬」をされてしまった国家元首だけではなく、それを支持した多くの日本人もまたそうなのです。わたしは未来人に笑われたくない。

クールダウンして最後は歌を。
できたら「忖度」という歌詞がつかわれている歌をと思いましたが、みつかりません。なので似た意味で「遠慮」というコトバがでてくる歌を。

思い浮かぶのは森進一の「襟裳岬」(詞・岡本おさみ、曲・吉田拓郎)
♪寒い友だちが 訪ねてきたよ 遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ

とか
♪そうねダブルの バーボンを 遠慮しないで いただくわ
という五木ひろし&木の実ナナの居酒屋(詞・阿久悠、曲・大野克夫)

とか。もっと古ければ昭和4年、二村定一の洋楽カヴァー「洒落男」(訳詞・坂井透)で
♪カクテルにウイスキーどちらにしましょ 遠慮するなんて水臭いわ

というのもありましたが、どれもいまひとつ気持ちにフィットしないので、いくらか溜飲を下げられる60年代のカヴァーポップスで。
よく聴いたのは伊東ゆかりだったのですが、YOU-TUBEにないのでザ・ピーナッツで「内気なジョニー」Johnny get angry を。

https://youtu.be/HuItE4XcjNU




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白い一日 [day by day]

白い一日.jpg

今日は外出をせずほぼ家の中で過ごしました。

こんな夏でも暑さに負けたのか、どこかだるい。まさかと思って熱を測ってみましたが平熱。それにしても朝からシャキッとせず、とくにマブタが重く目ざめたばかりなのに眠たい。

早朝目が覚め、私の大事な家事である「ゴミ出し」に。
家へ戻って二度寝。眠りの中で豪雨の夢をみた。実際に降ったようです。

10時ごろ再び起きて朝食をとり、テレビをみているうちにまたウトウト。背中がいたくて目ざめると11時を過ぎておりました。
思い出してパソコンを立ち上げ、MLBをのサイトへいくと「ご視聴ありがとうございました」とのこと。

その後も椅子から立ち上がることなく、テレビのニュースショーを見るともなくみておりました。コロナにタリバン、横浜市長選挙、作家の訃報、大谷ホームランなし。心ときめくニュースなどありません。

むりに昼食をとりながらテレビと対面しておりますと、今日何度目かの睡魔が。
これもまた「赤ちゃん返り」なのかな。
そういえば親父も年をとり80歳を過ぎたあたりから、よく椅子にもれて眠っていたもんだ。そやって日に日に居眠りの頻度や時間が多く、長くなり、やがては永眠してしまうのだろう。でもまだ80には10年あまりある。もうそうなってしまったのか。いやいやたんに自分が弛んでいるだけなのかも。

急ぎではないけどやらなくてはならないことは沢山あるけれど、よし明日からだ、今日は何もしないで過ごしてやれ。
と思った矢先に、得意先からメールが。10分ぐらいパソコンで仕事をしメールで送信してお終い。せっかくの休日に仕事が舞い込んだ気分。

パソコンに向かったついでに最近気に入っていよく見ている音楽のYOU-TUBEを暫し。
見ているうちに今日何度目かの寝落ち。とんでもないお爺さんになってしまいました。

寝ていたのはほんの20分あまりでしたが、妙な気分。今朝のゴミ出しが数日前のような感覚なのです。そりゃそうか。

そのあとは居眠りもなく、無事夕食をとり現在に至っております。
10分足らずの仕事はありましたが、ほぼ無為の一日を過ごしました。
やがて仕事もしなくなれば、こういう日日が続いていくのだろうなぁ。足が丈夫なら公園にでも行ってベンチに座り、限られた「世の中」をウォッチングして…。ブックエンドになる相手がいればそれもいいのですが。

こんな日はせめてブログでもと思って書いております。

テーマを考えるのも気が重いので「何もしない」「何もない」を。
そんな歌あったっけ、と探してみますとらしきものがいくつか。

まずはじめに思いついたのがこの歌

https://youtu.be/ro1i29-irL4

もともとは昭和44年にテレビドラマ「若者たち」のpart2の主題歌としてつくられた歌で、ブルーベルシンガーズがうたっておりました。その10年余りのちに天知茂がカヴァーしたのでした。
天知茂も不思議な役者でした。もちろんそのドラマは観た記憶があるのですが、ハマリ役がなんだったのかほとんど覚えておりません。あの眉間によったシワと薄情そうな顔つきが印象として残っております。
作曲は「若者たち」や「狂った果実」の佐藤勝。作詞はいずみたく門下の山上路夫で「夜明けのスキャット」「学生街の喫茶店」「恋する夏の日」「ひなげしの花」「どうにかなるさ」「私鉄沿線」「瀬戸の花嫁」「許されない愛」「北国行で」などヒット曲の枚挙にいとまがない。

1973年の井上陽水の出世アルバム「氷の世界」のなかのこの曲も。

https://youtu.be/wdWyNGUJ8zs

白い陶磁器を眺めなら一日が過ぎて行くなんて、なんて退屈で優雅な過ごし方なんだろう。
「氷の世界」はいま聴いても名曲がつまっております。もちろん小椋佳作詞のこの歌も。
恥かしい話、はじめて聴いたとき空耳アワーで「陶磁器」を「掃除機」と聴き間違え、なんで掃除機をみつめているのだろうと。バカな若者でした。

「桜三月」もそうですが、「氷の世界」一派を聴くと当時を思い出します。
同じ時代に好きだった、このうたにも「なにもなかった一日」がでてきます。

https://youtu.be/XoejFRSY-RY

この歌については以前もとりあげた記憶があるので重複はさけますが、当時飯場で「人生修行」をしていた友人を思い出します。一時なぜか気が合い濃密な交流をしていました。彼の飯場のあちこちによく遊びにいきました。そんな「腰掛ニコヨン」生活を非難する別の友人もいましたが、わたしはたとえ思惑はどうであれ、あとで後悔するとしてもそのときやりたいと思ったことをやればいいという考えでしたから、彼を尊重してつき合っておりました。
そんな彼ともやがて疎遠になり、風の便りで彼はその後、北海道や中国地方のコミューンに入り、その後椅子職人になったと聞きました。それももう40年余りむかしのことで、今は生きているのか、どうなのか。

あまり無為な一日だったためか、さいごは昔話になってしまいました。
真白な一日をふりかえって「きょういちばん嬉しかったことは」と考えてみました。
ないなぁ、しいて言えば昼間の10分間の仕事をしてそれをメールしたあと、しばらくして得意先から「ありがとう」のメールをもらったことでしょか。やっぱり仕事かぁ。でもお礼をいわれることは、何事であれうれしいことではあります。


いまもそうですが、いつもパソコンにはヘッドフォンで対峙しております。YOU-TUBEをかけっぱなしで、仕事中は音だけを聴いております。
オマケは、思いつかないのでまるで関連のない、いまYOU-TUBEから流れてきたラテン・ミュージックを。なにもなかった一日の最後をチャラにしてくれるタリィアの歌です。

https://youtu.be/U6bMYyKjG10

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雨にぬれても [day by day]

どですかでん1970.jpg

きょうはえらい目にあいました。

買い物の帰り道、店に入る前はあんなに晴れていたのに、10分あまりで曇天になり、雨がポツリポツリ。そしてパラパラ、シトシト、やがてザーザー。

家まで5、6分。急いでいるわけではないので一瞬、どこかで雨やどりしてやり過ごそうとも思いましたが。すぐに止むのではないかという根拠なき確信で信号を渡り家路へ。

雨はどんどん激しくなり、やがて集中豪雨のように。
ビルの入り口に駆け込み、買った食料品をバッグの中へ、さらにバッグから帽子を取り出して被り、レッツゴー。

もう止まらない。
豪雨の中を諦めの境地で、走るでもなく速足になるでもなく、忌野清志郎ではないけれど、「どうぞ勝手に降ってくれ、いつまで続くのか見せてもらうぜ」なんて思いで、濡れネズミになりながら帰っていきました。
こんなにひどく雨に濡れたのは多分、子どもの頃以来ではないでしょうか。いくらかそうした「子どもかえり」を楽しんでいた節も。

そうでした、今日は昨日から買いたてのシャツとズックで出かけようと決めていたのです。
ただ朝、出かける直前になってゴミ箱へ放り込むはずだった古い靴(信じがたいことですが、6年あまり履いております。だいたいは寿命2年)に「いいのか? 冷たいじゃないか」と言われたような気がして、じゃあもうしばらく、と思い直しておニューはシャツだけにしたのでした。

もちろん新品のシャツは川に落ちたような有様。古い靴の中の靴下もはっきり濡れた感覚がありました。帰って着替えるともちろん下着までビッショリ。

カバンのなかもかなり雨水が侵入しておりましたが、食料品はエコバッグにしっかり守られていて無事でした。ただ、バッグのポケットに入れておいた新書本がグッショリ。まだ半分も読んでいないのですが。もちろん棄てずに乾かして読むつもりですが。

とても新鮮な経験でしたが、もういいです。今度こんなことがあったら、どこかで雨宿りをするかタクシーを拾うつもりです。

久しぶりに日本の歌を。

「雨に濡れる」という歌はけっこうあります。
そんななかから1950年代、60年代、70年代、80年代(まぁ早く言うと昭和ですね)の歌を。
まずは1957年、昭和でいうと32年。歌謡曲の時代。
高度経済成長の前期、ようやく日本人にも余裕がでてきて、裕福な家ではテレビが登場したころ。知られた小説を題材にするという歌も少なくなかった。
こういう歌謡曲をいまの若い人はどういうふうに受け止めるのでしょうか。40年代のフォーク世代が大正時代の「籠の鳥」を聴いたときの「ふるくさい」感じなのでしょうか。といっても「籠の鳥」も知らないか。

https://youtu.be/dSK_XFUWZaA

つづいて1968年(昭和43年)のデュエット曲。
いまでも「銀恋」とか「東京ナイトクラブ」、「カナダからの手紙」などと一緒にオールド歌謡曲ファンがカラオケでうたう歌。この頃はテレビの音楽ベストテン番組が隆盛で、歌謡曲のポップス化がはじまっておりました。

https://youtu.be/SmtVfGsG_b0

3曲目は1972年(昭和47年)の和製フォーク。しばらくはフォークブームが続くのですが、この歌はプロテストでもメッセージでもない、歌のベーシックなテーマであるラヴソング。この時代は政治の季節でもあったのですが、このシンガーは潔いほど政治には背を向けておりました。あえてそうした社会の動きに「でもさ」と異論をはさんだ歌。

https://youtu.be/B0Y049RpIZc

最後は1981年(昭和56年)の歌謡ポップス。
ニューミュージックが全盛の頃で、かつてのフォークシンガーや当時のニューミュージック系シンガーソングライターがアイドルシンガーに曲を提供するというかたちが多かった。このシンガーも桑田佳祐や松山千春の歌をうたっておりましたが、この歌はポプコン出身のシンガーソングライターがつくった歌。

https://youtu.be/en4b8MQ7qqs

ジェリー藤尾さんがお亡くなりになりました。
このブログを書きながら豪雨の中でずぶ濡れになりながら日本刀を振り回す男の映像が浮かんでまいりました。黒澤明監督の「どですかでん」の中でジェリーさんが演じた酒乱の男の役です。俳優としても個性的な方でした。ご冥福をお祈りいたします。
ジェリーさんの歌を+ワンで。よく見ていたテレビ番組のテーマソング。

https://youtu.be/wkS_0EdHrTM

ところで6年生の古靴は雨でグショグショヨタヨタ。踵は減って雨はしみてくるけど穴があいているわけではないし、皮(ビニール)が剥げてもいない。とにかく「私情稀」なタフな靴なのです。さすがに今日の豪雨で死んだようになっておりますが。
そろそろ引導を渡すべきか。でも愛着も一入なのです。どうしたものか思案しております。

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青春の自粛 [day by day]

mozu.jpg

完全に感染爆発が起こっています。

もはや必要不可欠の外出であっても、コロナに感染することを半ば覚悟しておかなくてはなりません。感染するしないは、運でしかない。神頼みはしませんが、自分の幸運を信じるしかない。根拠などないけれど。

オリンピックはもはや終盤にさしかかっておりますが、無心に勝負を技を楽しむ余裕がなくなっております。とはいえ、先ほどの女子1500m決勝での田中希実の8位入賞には感動してしまいました。走り終わったあと横すわりして口を開け大きく息をしている映像は神々しかったです。男子4×100mリレーは残念でした。何が起こるかわからないのがスポーツであり、何が起こっても不思議でないのが勝負ですから。

今日は広島の原爆記念日。
平和を祈るの記念式典は例年どおり無事終了いたしました。
オリンピックも平和の祭典です。ふたつの平和を祈るイベントが同時に開催されるなんて、おそらくこの先百年はないのではないでしょうか。

今朝8時15分、オリンピックのどこかの会場、どこかのフィールドで日本のオリンピックのアスリートや関係者の誰かが、黙とうしていたことを信じております。

原爆の記憶も、戦争の記憶も76年も経過すれば薄れていくのはあたりまえのことかもしれません。体験者も年々少なくなっていき、あと数十年も経てば「誰もいなくなった」ということとなるのでしょう。

ただ戦争という強烈な歴史はいつまでも残るでしょうし、学者やジャーナリストは先輩からの「遺言」を学生や市民に伝えていってほしい。また後輩たちには先輩から受け継いだ「遺言」をほぼ原寸で引き渡していってほしい。

同様に一般人のわれわれも父親からの「遺言」を子どもへ、そしてその子は孫へ、さらにひ孫へというように代々、まるで「家宝」を相続するように受け継がれていってほしい。伝言ゲームにならないように正確に。

そんなわけで反戦歌を。
まずは反戦歌の原点ともえる60年代のふたつの歌を。
まずは、もはや古典的といえる反戦歌。歌の成り立ちについては様々な伝説が残っておりますが、間違いないことはピート・シーガーによってつくられ広まったということ。そしてこの歌をカヴァーしたのは多くのフォーキーに限らず、大女優のマレーネ・デートリッヒによっても歌われヒットしたということ。

https://youtu.be/p3ly8cyWvkw

もう一曲は1950年にシンガーソングライター、エド・マッカーディによってつくられた歌。
ほかにピート・シーガー、P.P.M.、ジョー・バエズ、ジョン・デンバー、ジョニー・キャッシュ、ガース・ブルックスなど多くのシンガーによってカヴァーされています。

https://youtu.be/HZFzoqraF8w



コロナによる緊急事態宣言で経済活動をはじめ、多くの人たちがその行動を抑制されております。そのことで、最近のテレビで大学の先生の話が耳に残っております。
「若者は‘青春の自粛’を強いられている」
というような言葉が。
「青春の自粛」という言葉が新しく、なるほどと思いました。と同時にもうずいぶん前に亡くなりましたが、実際に戦争を体験した先輩が生前に言っていたことを思い出しました。

その先輩は帝国陸軍一兵卒として漢口に赴き、運よく生還した人間です。彼が酔うほどに何度かつぶやいた言葉が耳の奥に、さらには胸の底にいまでも残っております。
「二十歳そこそこの頃だよ。青春だよ。それをあの戦争が台無しにしやがった。だから俺はあの戦争と、あの最高責任者を絶対に許さないんだ」

人間のいちばん青々しい頃に、もしかすると最も輝ける時代に、自分の意志に反して生きるか死ぬかの戦地に赴かなくてはならなかった。それでも彼はまだ運が良いほうだった。生きて帰って、慌てて失われた青春を手繰り寄せることができたのだから。じっさいに取り戻せたかどうかはわかりませんが。
それよりも、誰も望まないのに戦地で死んでいった人たちは、文字どおり浮かばれない。青春を奪われたあげく、それを取り戻す術も奪われてしまったのですから。

たしかに、現代の若者たちはある意味「青春を奪われ」ているのかもしれません。そういう意味では同情します。

コロナと戦争は似ている。でもその違いは。
戦争で犠牲になるのは、男でいえば比較的若い人間です。しかしコロナは反対に高齢者がその犠牲になりやすい。
戦争は「人工的」ですがコロナは自然発生です。つまりコロナ(ウィルス)は人間の意志では防げませんが、戦争はそうとは限らない。始めるもの意志ならば、回避するのも止まるのも意志なのですから。
また今回のコロナはワクチンや治療薬によって早晩克服されるはずです。夜明けはそんなに遠くないはずです。先が見えず、事実上原爆によって戦いが終わったあの戦争に比べれば青春の「自粛」「はく奪」期間はそれほど長くない。

若い人たちがコロナで行動を制限されることを「青春が奪われている」と感じるのであれば、もしこの先日本が戦争をすることになったら、今回のコロナとの戦いとは比べものにならないほどの自粛を強要されることを知っておかなくてはなりません。

テレビCMでは「どんなきでもスポーツは私たちを夢中にさせる」と繰り返しておりますが、そんなことはありません。誰かが言っていた「ハルマゲドンにならない限り」ではなく「戦争が起きない限り」平和の祭典は挙行されるのです。戦時になったら歌もスポーツも木っ端みじん。

だからスポーツをはじめ「青春」を謳歌し続けるということは、どんなことがあっても、どんな手をつかってでも戦争を阻止するということにほかなりません。

好きな音楽を好きなときに聞けるというのも、戦争が起きていないからできることです。わたしが生まれてから現在に至るまで、日本は直接的な戦争をしておりません。なんて幸せだったんだ、と思います。
しかしこの先、われわれ世代が死んだあとのことはわかりません。いまの若い人たちは、くれぐれも「青春の自粛」を強いられることがないように、自分たちで注意深く戦争という最悪のウイルスが跋扈しないように見張っていってほしい。

おまけの歌は日本の「反戦歌」を。
どうやら作詞をした詩人にはその意志がなかった(希薄だった)にもかかわらず、日本人の心情に「反戦」を訴えた歌です。作曲は茨城県出身の徳富繁。

https://youtu.be/vwBOm6Yeuwk



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老犬は死なず [day by day]

old dog.jpg

今日電車に乗っているとき、盲導犬協会のポスターが目に入りました。

昨日の今日なので、じっと見入ってしまいました。
要は、「盲導犬のことを可哀そうと思わないでください」というメッセージでした。

わたしは考えたこともなかったのですが、なかには人間のために自身の意志?を我慢して尽くしている姿が哀れと思う人がいるらしい。
極論すれば「動物虐待」ととられかねないということなのでしょう。
そうなると最近話題になったばんえい競馬はもちろん、人間のギャンブル欲のために走らされている競馬だって「動物虐待」になってしまう。
おそらく筋金入りの動物愛護論者はそう思っているのかも。

しかし、人間ではなく盲導犬の口を借りて「私たちを可哀そうと思わないで」と言ってしまうの妙な話では、と思ってしまいます。
誰も犬の「本心」など聞いたことがないのですから。

何度も言いますが、わたしは可哀そうとは思いませんが、そう思う人がいたって少しもヘンではない。今回のオリンピックも「やれ」「やめろ」と意見が分かれるように、正反対の意見が生まれることはあたりまえで、言い方を変えれば社会が健全な証拠。

そんなことを考えながら電車に揺られておりましたが、昨日の盲導犬の情景も再び。そして「あれっ、もしかしたら……」と思ったことが。

わたしは、盲導犬が階段の前で躊躇して立ち止まった。と、あのとき思いましたが、もしかすると、「階段の前では止まること」をしつけられていたのではないか、と思い直した次第です。
たしかに脚が震えているように見えたのでそう思ったのですが、そうではないのでは、と。視覚障害の女性も犬を促したのではなく、階段でちゃんと止まってくれたので、「ありがとう、わかったよ」と合図を送ったのではなかったのかと。

盲導犬のポスターのおかげで予定外の書込みをしてしまいましたが、せっかくなのでもう一度「犬の歌」を。
今度は洋楽で。

洋楽のドッグ・ソングといえば、真先に思い浮かべるのがエルビスほかの「ハウンド・ドッグ」hound dog
それにパティ・ペイジの「ワン・ワン・ワルツ」the doggie in the window

ほかではベンチャーズの「ブルドッグ」bulldog。ビートルズにもありましたがこれは同名異曲。
ビートルズにあれば、ストーンズにはラルフ・トーマスのR&B「ウォーキング・ドッグ」walking dog がありました。

今回は「またか」という声も聞こえてきそうですが、アメリカのルーツミュージックを。
それも極めつけのルーツミュージック、スティーヴン・フォスターの「老犬トレイ」old dog trayを。

https://youtu.be/2OfOSeywnRI

you-tubeは「金髪のジェニー」I dream of jeanie with the light という1952年にアメリカで公開されたフォスターの生涯を描いた映画(日本未公開?)のようです。フォスターを演じたビル・シャーリーは声楽家でもあり、歌声は吹替ではないようです。
外出から帰ったフォスターがピアノで自身の「金髪のジェニー」を弾こうとしたところ愛犬に促されて「老犬トレイ」を弾くというシーン(多分)。

「老犬トレイ」は、年老いた男が人生の黄昏を感じながら「みんな死んでしまった、俺の親友はお前だけだよ」と老犬に語りかける歌。
愛犬家ならば、泣けてくる歌です。そうでないわたしでもジンとくるのですから。


おまけの1曲はカントリーでグランパ・ジョーンズgrandpa jonesやスタンレー・ブラザーズstanley brothers で聴ける「老犬ラトラー」old rattler 。こちらは年老いて目が見えなくなった老犬ラトラーとの話。

https://youtu.be/ESPJOh26b_A

ラトラーは他の動物に対して絶対に危害を加えないやさしい犬で。大きなアライグマが出没するので電話でラトラーに追い払うように頼んだら、月夜の晩、ラトラーとアライグマは立ち上がって楽しそうに踊っていた。そんなラトラーも悲しいことに他の犬と同じように天国に召されてしまった。
いま犬を飼おうと考えているみなさんに言いたい。おやめなさい。そうでないとあなたも天国へ行くことになるかもしれませんから。
というようなカントリーにありがちなホラ話の一曲。

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話し相手の犬つれて [day by day]

dog.jpg

先日駅の構内で盲導犬と共に歩く女性の視覚障碍者が目にはいりました。

わたしの少し前を歩いていたのですが、その先には10段足らずの小さな階段が。
女性は右手に杖を、左手で盲導犬のハーネスを握っています。この通路と階段は慣れているのか、器用に杖で階段を確認し、昇っていきます。ところが盲導犬が階段の前で躊躇してしまう。よく見ると後ろ足が震えています。女性はそこのことも承知しているようで、なにやら声をかけます。すると盲導犬は躊躇うことなく階段を昇っていきました。ただ、その足取りはスムーズではなく、やはり震えていました。

盲導犬をしつけた(訓練を終えているとしても)女性もたいしたものだと思うけれど、やっぱり盲導犬がスゴイ。
本音を言えば? 階段を上るのは苦手なのでしょう。それを震えながらも主人の意向に従い、本能に抗って教えられたことをやり遂げるのだから感心してしまう。逆に考えるとコワイことでもありますが、それはともかく。

実はこの小さな階段の横に緩やかなスロープがあり、そちらを選択してもよかったのです。
おそらくあの女性はそのことも了解していたはず。それでも階段を選んだのは、「訓練」をしているのだなということに思い当たります。どこにでも必ずスロープがあるとは限りませんし、そのことを考えるのであれば。

まだ、「訓練」途中の盲導犬くんですが、これから何度もこうした階段を昇り、いつか震えずにごく自然の歩調で昇りきることができるようになるのだと思います。

個人的には犬ではなく猫派なのですが、こうしたことでは犬にはかなわない。
といいますか、誰も猫にこうした介添えを期待していない。
そういう意味では猫はほとんど人間の役に立たない。番ネコや警察ネコ、麻薬ネコなんて聞いたこともありませんから。(麻薬ネコみたいなものはあるのかも)

盲導犬や警察犬を否定するつもりはありませんが、そもそもそれらは人間の「勝手」によってできたものですから。
そう言ってしまうと、ペットだって人間の勝手、と言われれば否定はできませんが。
わたしは猫も犬も飼っておりませんが、猫は道端を歩いていたり、屋根の上で寝ているのを見るだけで、なぜかホッとするのです。でも今回は犬。

犬が出てくる歌もそこそこあります。

小坂明子の「あなた」や五輪真弓の「少女」には子犬がでてきますし、たまの「さよなら人類」、佐良直美の「私のすきなもの」には野良犬が出てきます。犬種でいうと中森明菜の「スローモーション」にはシェパード、坂本九の「九ちゃんのズンタタッタ」にはコリーがでてきます。

といろいろありますが、今回は歌謡曲、それも昭和30年代のヒット曲。きっといまなら演歌なんて言われてしまうのでしょうが。

昭和34年といいますから、60年以上昔に流行った歌謡曲で、犬はワンカットしか出てきませんが、その主人との関係が想像できてとてもいい。にもかかわらずこの歌の「主人公」はその飼い主でも犬でもない、というのがまたいい。

https://youtu.be/iHZm-1xDnII

うたっているのは春日八郎。「お富さん」「別れの一本杉」「赤いランプの終列車」などのビッグヒットがあります。
作曲の吉田矢健治は春日八郎では「足摺岬」、「別れの燈台」などがあり、ほかでは三橋美智也の「お花ちゃん」「夕焼けトンビ」、松島詩子の「スペインの恋唄」、バーブ佐竹の「女ごころの唄」が。
作詞はキングレコードのヒットメーカー横井弘。
伊藤久男の「あざみの歌」、三橋美智也の「哀愁列車」をはじめ倍賞千恵子の「下町の太陽」、仲宗根美樹の「川は流れる」ほか、「銀座の蝶」(大津美子)、「虹色の湖」(中村晃子)、「夜霧の滑走路」(三船浩)、「夕焼け雲」(千昌夫)などなど。ほんの一部です。

「山の吊橋」はなかでも好きな歌。
こういうスケッチ画のような歌は最近でもあまり聴きません。まぁ、現代では極々一部にしかウケないでしょうから、まずヒットしない。
そもそもこの歌のような自然が、もはや消えてしまっています。残っていても、それは観光用で、生活の中にあった自然ではありませんから。

吊橋を「主人公」にしたのがおもしろいし、全篇自然描写の中に心に残るオムニバスのドラマがあったり。
YOU-TUBEでは2番がカットされていますが、以下のとおりです。

♪山の吊橋ァ どなたが通る
遠い都へ 離れたひとを
そっとしのびに 村娘
谷の瀬音が 心にしむか
涙ひとふき して通る
ソレ ユウウラユラ

短い言葉の中に長いドラマがあります。
こういつプロの作詞家がいたんですね、昔は。

もう一曲おまけに。
春日八郎もいいですが、やはり男性ときたら女性を。
「山の吊橋」がつくられた昭和34年、横井弘の詞でリリースされたザ・ピーナッツの曲を。作曲は「夏の思い出」や「小さい秋みつけた」の中田喜直。ほんの一節ですが。

https://youtu.be/Jqpew6DeJlo

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