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lambamor [latin]

ランバダ.jpg


昨晩家で仕事をしていると、隣室のテレビから懐かしい音楽が流れてきました。
1990年頃よく耳にした「ランバダ」lambada です。めずらしい、と思って仕事を中断しテレビを見に行きました。

それは音楽番組ではなく、お笑い番組で、芸人たちが女性のダンサーを相手に慣れないランバダを踊り、いかに笑いを誘えるかという番組。
まぁ、ランバダはお笑いネタにするには絶好のダンスなのでしょう。ツイストでもだめ、ゴーゴーでもだめ、なにがなんでもランバダなのですね。

番組のナレーションでは当時、ブームとなり日本全国を席巻するほど踊られた、などと申しておりましたが。これは誇張がすぎます。わたしの記憶ではそれほどではなかった。
ランバダは男女のペアが腰を密着させるような、かなりエロいダンスで、その部分で話題にはなりましたが、それが逆に日本人向けではないということで流行らなかったという記憶があります。音楽はそこそこ流れていましたがオリコンランキング上位にはいるようなヒットも記憶にありません。
テレビのナレーションがいうように全国的なブームになったのであれば、流行語大賞にもノミネートされてもいいのでしょうが、そんな形跡もない。まぁ仕掛けては見たけれど不発だった、というのが正当な評価ではないでしょうか。

しかし前述したように、強烈なダンスだけにその歌とともに記憶には残っております。

日本でカヴァしたのは、その数年前テレビドラマの主題歌「CHA CHA CHA」をヒットさせた石井明美。こちらも二匹目のドジョウとはいかなかったようです。

そもそもランバダは1980年代後半、南米発祥のリズムでありダンスです。
それが世界的に知られるようになったのはフランスのバンド「カオマ」kaoma がそのものズバリの「ランバダ」lambada をヒットさせたことによって。

https://youtu.be/aV149osCiWI

カオマは多国籍のポップバンドで当時のリードヴォーカルはブラジル出身のロアラ・ブラスloalwa braz 。1989年に「ランバダ」をヒットさせ、以後ランバダミュージックをいくつもリリースしました。
デビュー曲でもあり代表曲の「ランバダ」は、その後ボリビアの民俗バンド「ロス・カラカス」の「泣きながら」Llorando se fueという歌をアレンジしたことが判明。ただ、ロス・カラカスもこの歌がワールドワイドに広まったことで、彼らの歌も売れるようになったため大事にはせず、著作権料をもらって納得したとか。

では、カオマのランバダをいくつか。
はじめは「ダンサンドゥ・ランバダ」dançando lambada 。

https://youtu.be/Swuo5sFAhB8

内容はよくわかりませんが、わたしの踊りであなたを狂わせる、とかあなたの踊りがわたしを狂わせる、といったつまり麻薬のようにふたりを燃え上がらせるのがランバダ、といった意味なのでしょう(いい加減なこといってます)。
この歌も石井明美がカヴァしております。

つぎは「ランバムール」lambamor 。
ランバダとアモーレを合わせた造語のようです。こちらも太陽と海と、そしてランバダがふたりを熱くするという情熱ソング。

https://youtu.be/c5CiVHUif6k

カオマのヴォーカル、ロアラはクラシックの音楽科の両親のもとで育ち、音楽教育も受けた本格派ですが、その後故郷のブラジルに戻って音楽活動を続けていたようですが、数年前、強盗に襲われ命を落とすという不幸に見舞われてしまいました。63歳だったそうです。

ランバダはカオマの独占というわけではなく、カヴァも多いですし、オリジナルヒットもそこそこあるようです。
そこで最後はカオマ以外のランバダを。

オリジナルはフランス生まれのベネズエラ人・ナトゥシャNatusha が1990年にヒットさせた「ルンバ・ランバダ」rumba lambada。動画はのちにそれをカヴァしたベネズエラのディヴァ、カロリナ・ラ・オーCarolina la o で。2曲セットで後半がルンバ・ランバダです。

https://youtu.be/KjGvcMLAUDA

もはや忘れられた感のあるランバダですが、お笑い番組であろうが、ドキュメンタリーであろうが取り上げることは「掘り起こし」になり再確認になるのですから、結構なことです。
最後にとってつけたようですが、大谷通算100号でひと区切りです。シーズン46~47本ペース。

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Runaround Sue [not mellow BB]

スザンヌ・プレシェット.jpg


なぜか雨の日になると用事ができて出かける羽目に。

きょうは錦糸町へ。
早く着き過ぎたので本屋で時間調整。
買いたい本があるわけではないので、ウォッチングのみ。
どこの書店でもそうだと思いますが、最近の売れ筋本がベスト10形式で表示されています。
その店もジャンル横断で、文庫、新書、単行本別にベスト10の本がラックに並べられていました。そのなかで気になったのが新書。

第三位が「ウクライナの歴史」。
なるほど、時節柄感心が高いのでしょうが、アフリカや中東のように以前から現在に至るまでいまだ戦火がおさまらない地域があるのに、なぜウクライナがといえば、おそらくロシアという日本にとっても隣国が犯罪的な侵略を行っているからなのでしょう。それほど日本人にとって関心が高く、他人事とはおもえない暴力なのでしょう。
とにかく毎日なにか気分が晴れないというのは「あの男」のせいだ、とおもってる日本人はわたしを含めて少なくないのではないでしょうか。

第二位は「70歳からの老けない生き方」
和田秀樹という精神科医が書いた高齢者向けの「心のサプリメント」のような本(ではないでしょうか、読んでませんので)。このような本が売れていることも、著者の名前も初耳で、いかに自分が世間からズレているか、置いてけぼりにされているかを再確認。今始まったことではないので、気にはしておりませんが。

そして第一位は。これがなんとブランクでそこには「売切れ中」の札が。
これは気になる。そろそろ待ち合わせの場所へ向かわなくてはなりませんが、ここまで見てしまうと、「まぁいっか」とはいきません。
買う気もないくせに近くにいた店員さんに訊ねてみると、親切にも教えてくれました。というより調べずに頭の中に入っていたというのがスゴイ(わたしのような厚かましい客がそこそこいたためかもしれませんが)。プロです。

第一位は「80歳の壁」
これも著者は和田秀樹さん。ますます自分の無知を思い知らされることに。しかし一位、二位独占はすごい。いつの時代にも現れる「売れっ子ドクター」なのでしょうね。多分著書は読まないでしょうが、せめて御名だけでも覚えておこう。でも最近はメモリーの具合がよくなくて、なかなか新規保存がききません。
しかし帰宅してこのブログを綴れているということは、著者の名前を憶えていたということで、メモリーは劣化しているとはいえ、まだ機能しているようです。

そのベスト10に入っていたかどうかは記憶にありませんが、新書でそのほか目についたのが、脳科学者と政治学者という二人女性のタレント文化人が書いた「不倫と正義」という本。まぁ、社会のトレンドに掉さす内容なのでしょう。目を惹いたのはテレビでみたことのある御顔が表紙に並んでわたしを見ていたからなのですが。買いませんよ。

正義はともかく「不倫」ですか。いつくらいからでしょうか「不倫」という言葉が一般的になったのは。少なくとも男優が「不倫は文化」と言って物議をかもした以前からあったような気がしますが、すくなくとも昭和30年代、40年代にはなかったような。
昔は「浮気」っていいました。「浮気」はもはや死語なのでしょうか。日常会話ではまだ生き延びているような気もしますが。

気が変わらないうちに今回もオールディーズを。
60年代のアメリカンポップスです。

https://youtu.be/m-s09vrJgNM

「浮気なスー」Runaround sue はディオンDionがうたって1961年、ビルボード全米ナンバーワンになった白人ドウワップ。ソングライトは彼と友人との共作。のちに「スー」とは彼の奥さんのスザンナのことだと公表したとか。本当かな。大丈夫だったのかな。
動画でみごとにカヴァしているのはオーストラリアのポップス・カルテット、ヒューマン・ネイチャhuman nature。ほかにもオールディーズをいくつもうたっていますので、興味のある方は探して見てください。

「浮気なスー」は、すぐに他の男になびいてしまう彼女には決して近づくな、と男どもに警告を発している歌。裏読みすれば(みながそう思ってくれれば、僕ひとりの彼女になるのだからね)ととれないこともありませんが、素直に読めば「だって僕はこんなひどい目にあったんだぜ」という怨み節。「でも彼女の笑顔や手の感触が忘れられないんだ」という未練節でもある。まぁ、失恋ソングの定番です。

[Runaround]は直訳すれば「走りまわる」ですが、「言い逃れ」とか「ごまかし」という意味もあるようです。この歌では、町じゅうの男にモーションをかける(古い表現ですが)という意味でつかっているようです。それを「浮気」と訳したのは60年代カヴァポップスの作詞、いや訳詞の帝王・漣健児。名訳です。

その訳詞で日本語カヴァしたのが、1962年(昭和37)のスリー・ファンキーズとダニー飯田&パラダイス・キング。記憶にあるのは前者のほうですね。

https://youtu.be/IzwcGK3UeEM

どちらも漣健児の訳詞でファンキーズ盤は「浮気なスー」(サブタイトルは「悲しき恋の物語」)で、パラキン盤は「浮気娘」となっております。

また2009年には甲斐バンドがそのまま「浮気なスー」としてカヴァしております。動画でないのが残念ですが。

https://youtu.be/sbB4JyZi4PY

甲斐ヴァージョンを聴いていると、なぜか歌の終り際にコニー・フランシスconnie francisの「ロリポップ・リップス」lollipop lips の歌い出しを歌っておりました。
こういう「お遊び」で思いつくのはフォーククルセダーズの「帰って来たヨッパライ」。エンディングで、ビートルズの「ハードデイス・ナイト」をお経ふうにうたい、バックには「エリーゼのために」を流すという訳の分からない「お遊び」をしておりました。
とにかく甲斐よしひろさんも幼き頃、カヴァポップスにとり憑かれていたのでしょうね。それにしても「ロリポップ・リップス」はシブい。たしかに[Orange, pineapple, cherry, lemon and lime]は口ずさみたくなるフレイズではありますが。


本屋で時間をつぶしたあと、駅前の喫茶店で知り合いと閑談。
知ったかぶりで「今売れている本でさ、『80歳の壁』って…」と言い終わらないうちに、「ああ、和田秀樹のやつね」と知人。
「ええ? 常識なの」と心のなかでわたし。知人はわたしより年上なのに…。

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cowboy hat [country]

大谷カウボーイ.jpg

ようやく大谷がバッティングでエンジン全開の兆し、かな。
ピッチングのほうは、勝てませんでしたが今日もいい内容でした。

ところで今シーズンは大谷に限らず、エンジェルスの選手でホームランを放ち、ダイヤモンドを一周してベンチに戻ってくるとチームメイトにカウボーイハットを被らされる、というシーンが毎度おなじみになっております。

カウボーイハットは以前どこかのオリンピックで選手団が着用していたようにある意味アメリカの象徴ともなっておりまして、カントリーミュージックではいまでも被るミュージシャンがいます。
もともとは文字どおり、牛の世話や移動などを生業とするカウボーイ(牧童)たちが作業用に被っていた帽子のこと。

今でもカントリーシンガーやアメリカ人に愛用されているのはステットソン型といわれるもので、ほかに鍔の上のクラウン部分が長い(昔テレビのボナンザで見たような)テンガロンハットなどがあります。
テンガロンの命名には諸説ありますが、クラウン部分に10ガロンの水が入ったからというのは間違い。なにしろ1ガロンは約4リットルなので、そんなに入るわけがない。スペイン語で飾りヒモをgalonといい、それを取り違えたという説もありますが、たしかに鍔とクラウンの間に飾りヒモがありますが、これもいまひとつ説得力が。

それはさておき、先日その大谷カウボーイのシーンを見ていたら、テレビから懐かしい名前が聞こえてきました。

ホームランを放ち、ベンチに戻ってきた大谷に例によってメンバーがカウボーイハットを被せてあげる場面で、解説のメジャーリーグ評論家・福島良一さんの蘊蓄によると、あれはエンゼルスの初代オーナー、ジーン・オートリーに由来すると。

ジーン・オートリーGene Autry はモダン・カントリーミュージック草創期の人気シンガー。

カントリーミュージックの起源をかいつまんでいいますと、18世紀あるいは19世紀初頭、アメリカ南部を中心に演奏されていたのがイングランド、スコットランド、アイルランドの移民たちから持ち込まれた民俗音楽からといわれています。いわゆるマウンテンミュージックと呼ばれるものなどで、楽器はフィドル(ヴァイオリン)でした。その後黒人の影響でバンジョーが取り入れられ、ギター、フラットマンドリン、オートハープはその後のこと。

そうしたいわゆるヒルビリー音楽が、洗練されたカントリーミュージックとして定着するようになったのは、1920年代後半、ジミー・ロジャーズというビッグスターの出現によって。カントリーは彼の歌を、歌い方を踏襲、複製するように発展していきます。それをアメリカ全土にまで及ぼしたのが、レコードとやはり20年代に出現したラジオの存在であることはいうまでもありません。

そのカントリーの全米化をさらに助長したシンガーがテキサス出身のジーン・オートリー。かれもまたジミー・ロジャーズに憧れてうたいはじめたひとりですが、かれの功績はレコード、ラジオに加えて映画によって、つまり「ビジュアル化」でよりカントリーミュージックを身近で親しみやすいものにしたことです。
シンギング・カウボーイと呼ばれたジーンは1930年代から大戦を挟んで50年代まで当時ハリウッド娯楽映画の主流だった多くの西部劇に主演し、そのスクリーンの中でカントリーソングをうたいました。

そのなかでビッグヒットしたのが1939年の「鞍へ戻ろう」Back in the saddle againで、いまでもジーンの代表曲であり、カントリークラシックとして欠かせない歌となっています。牧場の仕事が一段落し、また気ままな旅に出よう、というさすらいのカウボーイソングです。

https://youtu.be/Bt18gd6OSHk

その2年後にやはり一世を風靡したのが、カントリーファンならずとも聞き覚えのある「ユー・アー・マイ・サンシャイン」You are my sunshine 。

https://youtu.be/1AhpWZjqMLI

この歌は1939年にジミー・デイヴィスとチャールズ・ミッチェルによってつくられレコーディングされていますが、「ジミーらは単にこの歌の版権を買っただけ」、という説も。ちなみにジミー・デイヴィスは1944年、この歌を「応援歌」としてうたいまくり、ルイジアナ州の知事に当選しています。

3曲目は個人的な好みで「青い瞳の君を想う」I'm thinking tonight of my blue eyes を。

https://youtu.be/UIwO_FjXpdQ

ヒットしたかどうかはわかりませんが、1929年にカーター・ファミリーThe Carter Familyによるヒット曲のカヴァです。
もともとA.P.カーターが採譜した古い歌だといわれ、カントリーだけではなく、ビング・クロスビーやアンドリュース・シスターズなどにもカヴァされたスタンダードナンバー。
カントリーではのちにキティ・ウェルズKitty Wellsの「ホンキー・トンク・エンジェル」It wasn't God who made honky tonk angels やハンク・トンプソンHank Thompson の「ワイルドサイド・ライフ」The wild side of life としてリメイクされています。

歌と映画で財をなしたジーンはMLBのマイナーリーグの経営をしていましたが、1960年に誕生したエンゼルスの初代オーナーになり、1996年ウォルト・ディズニー社に譲渡するまで球団運営に尽力したそうです。そのためジーンの背番号26は永久欠番となっています。この26番はかつてベンチ入りできる選手が25人だった時代、オーナーのジーンは26番目の選手として、その背番号を得ていたのだそうです。
そして2002年にエンジェルスが初めてワールドシリーズを制覇したとき、すでにジーン・オートリーはオーナーではなかったのですが、その功績を讃えてスタジアムに彼の「鞍へ戻ろう」が流されたとか。

おまけの1曲。
日本も含め、世界じゅうに知られた1949年のジーン・オートリーのヒット曲を。なんでもその年にベストセラーになった「児童書」をヒントにつくられたとか。」
当時カントリーシンガーに限らずほとんどのメジャーシンガーはこの季節になると一連のこのジャンルの歌をレコ―ディングしたものです。日本の歌謡曲でもそれに倣った歌手がいた、そんな時代がありました。

https://youtu.be/tMhyOvYzZM0



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