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cowboy hat [country]

大谷カウボーイ.jpg

ようやく大谷がバッティングでエンジン全開の兆し、かな。
ピッチングのほうは、勝てませんでしたが今日もいい内容でした。

ところで今シーズンは大谷に限らず、エンジェルスの選手でホームランを放ち、ダイヤモンドを一周してベンチに戻ってくるとチームメイトにカウボーイハットを被らされる、というシーンが毎度おなじみになっております。

カウボーイハットは以前どこかのオリンピックで選手団が着用していたようにある意味アメリカの象徴ともなっておりまして、カントリーミュージックではいまでも被るミュージシャンがいます。
もともとは文字どおり、牛の世話や移動などを生業とするカウボーイ(牧童)たちが作業用に被っていた帽子のこと。

今でもカントリーシンガーやアメリカ人に愛用されているのはステットソン型といわれるもので、ほかに鍔の上のクラウン部分が長い(昔テレビのボナンザで見たような)テンガロンハットなどがあります。
テンガロンの命名には諸説ありますが、クラウン部分に10ガロンの水が入ったからというのは間違い。なにしろ1ガロンは約4リットルなので、そんなに入るわけがない。スペイン語で飾りヒモをgalonといい、それを取り違えたという説もありますが、たしかに鍔とクラウンの間に飾りヒモがありますが、これもいまひとつ説得力が。

それはさておき、先日その大谷カウボーイのシーンを見ていたら、テレビから懐かしい名前が聞こえてきました。

ホームランを放ち、ベンチに戻ってきた大谷に例によってメンバーがカウボーイハットを被せてあげる場面で、解説のメジャーリーグ評論家・福島良一さんの蘊蓄によると、あれはエンゼルスの初代オーナー、ジーン・オートリーに由来すると。

ジーン・オートリーGene Autry はモダン・カントリーミュージック草創期の人気シンガー。

カントリーミュージックの起源をかいつまんでいいますと、18世紀あるいは19世紀初頭、アメリカ南部を中心に演奏されていたのがイングランド、スコットランド、アイルランドの移民たちから持ち込まれた民俗音楽からといわれています。いわゆるマウンテンミュージックと呼ばれるものなどで、楽器はフィドル(ヴァイオリン)でした。その後黒人の影響でバンジョーが取り入れられ、ギター、フラットマンドリン、オートハープはその後のこと。

そうしたいわゆるヒルビリー音楽が、洗練されたカントリーミュージックとして定着するようになったのは、1920年代後半、ジミー・ロジャーズというビッグスターの出現によって。カントリーは彼の歌を、歌い方を踏襲、複製するように発展していきます。それをアメリカ全土にまで及ぼしたのが、レコードとやはり20年代に出現したラジオの存在であることはいうまでもありません。

そのカントリーの全米化をさらに助長したシンガーがテキサス出身のジーン・オートリー。かれもまたジミー・ロジャーズに憧れてうたいはじめたひとりですが、かれの功績はレコード、ラジオに加えて映画によって、つまり「ビジュアル化」でよりカントリーミュージックを身近で親しみやすいものにしたことです。
シンギング・カウボーイと呼ばれたジーンは1930年代から大戦を挟んで50年代まで当時ハリウッド娯楽映画の主流だった多くの西部劇に主演し、そのスクリーンの中でカントリーソングをうたいました。

そのなかでビッグヒットしたのが1939年の「鞍へ戻ろう」Back in the saddle againで、いまでもジーンの代表曲であり、カントリークラシックとして欠かせない歌となっています。牧場の仕事が一段落し、また気ままな旅に出よう、というさすらいのカウボーイソングです。

https://youtu.be/Bt18gd6OSHk

その2年後にやはり一世を風靡したのが、カントリーファンならずとも聞き覚えのある「ユー・アー・マイ・サンシャイン」You are my sunshine 。

https://youtu.be/1AhpWZjqMLI

この歌は1939年にジミー・デイヴィスとチャールズ・ミッチェルによってつくられレコーディングされていますが、「ジミーらは単にこの歌の版権を買っただけ」、という説も。ちなみにジミー・デイヴィスは1944年、この歌を「応援歌」としてうたいまくり、ルイジアナ州の知事に当選しています。

3曲目は個人的な好みで「青い瞳の君を想う」I'm thinking tonight of my blue eyes を。

https://youtu.be/UIwO_FjXpdQ

ヒットしたかどうかはわかりませんが、1929年にカーター・ファミリーThe Carter Familyによるヒット曲のカヴァです。
もともとA.P.カーターが採譜した古い歌だといわれ、カントリーだけではなく、ビング・クロスビーやアンドリュース・シスターズなどにもカヴァされたスタンダードナンバー。
カントリーではのちにキティ・ウェルズKitty Wellsの「ホンキー・トンク・エンジェル」It wasn't God who made honky tonk angels やハンク・トンプソンHank Thompson の「ワイルドサイド・ライフ」The wild side of life としてリメイクされています。

歌と映画で財をなしたジーンはMLBのマイナーリーグの経営をしていましたが、1960年に誕生したエンゼルスの初代オーナーになり、1996年ウォルト・ディズニー社に譲渡するまで球団運営に尽力したそうです。そのためジーンの背番号26は永久欠番となっています。この26番はかつてベンチ入りできる選手が25人だった時代、オーナーのジーンは26番目の選手として、その背番号を得ていたのだそうです。
そして2002年にエンジェルスが初めてワールドシリーズを制覇したとき、すでにジーン・オートリーはオーナーではなかったのですが、その功績を讃えてスタジアムに彼の「鞍へ戻ろう」が流されたとか。

おまけの1曲。
日本も含め、世界じゅうに知られた1949年のジーン・オートリーのヒット曲を。なんでもその年にベストセラーになった「児童書」をヒントにつくられたとか。」
当時カントリーシンガーに限らずほとんどのメジャーシンガーはこの季節になると一連のこのジャンルの歌をレコ―ディングしたものです。日本の歌謡曲でもそれに倣った歌手がいた、そんな時代がありました。

https://youtu.be/tMhyOvYzZM0



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