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we will miss your bright eyes and sweet smile [country]

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大谷が心配だ。
W杯女子サッカーでベスト8と健闘、バスケでも31位と大健闘したけれど、やっぱり気になるのは大谷の動向だ。
とくに肘を再手術するかどうかという大トラブルが発覚してからは、なんとなく日本の朝も曇りがち。おまけに脇腹までいためて2日連続でスタメンを外れた。
あと数試合で今シーズンを終りにし、手術するなどという報道もあってとても気になる。
たしかなことは、今季はもう投げないということだけ。
このまま大谷が残り全試合欠場したとしても、まずホームラン王は間違いなさそうだが、打点王は絶望的となる。まぁ規定打席には達しているようなので、初の3割バッターにはなるのだけれど。

ファンとしては、大谷ロスをなるべく短くしてもらいたいので、早期治療早期復帰でとり組んでほしい。一刀流でもよいから来季もファーストゲームからあの雄姿を見たい。どこのチームにいても。

ふたたびテレビコマーシャル。
「ユー・アー・マイ・サンシャイン」とほぼ同じタイミングでテレビCMからもうひとつのアメリカのルーツミュージックが流れてきた。

https://youtu.be/ltXcxFDkv5I?si=ZlxDTnRhA_y9E08G

実際にみたのはもっと短いヴァージョンだったが。「かんぽ保険」のCMで老齢者にササル洋楽ナツメロということで採用されたのでしょう。オクラホマミクサーのほうがポップにできそうな気もしますが、情緒に訴えるには「レッド・リヴァー・ヴァレー」なのかな。

邦題「赤い河の谷間」としても知られているこの歌がつくられたのは19世紀の後半といわれている。もちろんP.D.(詠み人知らず)で、ルーサー・B・クラークによって初めて録音された(「ブライト・シャーマン・ヴァレー」のタイトルで)のが1924年とうから大正末期。その3年後にライリー・パケットらによって「レッド・リヴァー・ヴァレー」として録音されている。
わたしが初めて聴いたのは多分小学校の音楽の授業だったと思うが、もしかしたらフォークダンスで聴いたような気もする。曲調もあるのだが、いつ聴いてもなつかしい。

古くはカウボーイとネイティヴアメリカンの娘との別れの歌で、男からの女からのという両方のヴァージョンがある。だから男女のデュオというのもめずらしくなく、以前、スティーヴィ・ニックスとクリス・アイザックとか、クリス・クリストファーソンとジュディ・コリンズで聴きました。

映画でも1936年、ジーン・オートリー主演の西部劇をはじめ「レッド・リヴァー・ヴァレー」を題名とした作品が何本かつくられている。また歌が劇中で流れていた映画としては「怒りの葡萄」をはじめ「トゥームストーン」、「わたしに会うまでの1600キロ」、「ジェーン」などがある。
当然テレビドラマの中でも何度もうたわれていることは想像できる。

https://youtu.be/BaGoRN8nsbQ?si=w8LD1H8rKLygPucG

ほんとに男女ともいろいろなシンガーがうたっていて、何を聴こうか迷う。以前も聴いたブギウギ調の「レッド・リヴァー・ロック」もあるし、ブルーグラスにアレンジしたものもある。
今回は、ウエスタン・スイングの「アスリープ・アット・ホイール」でジャジーな一曲を聴いてみたい。

https://youtu.be/LqFrGi10ilQ?si=nqltx2CN1VqGJE0K

ところでこの有名な歌にも「ユー・アー・マイ・サンシャイン」のようにオマージュソング?がある。

https://youtu.be/5_cIF04tMTY?si=mhd9SSgOwbA_ew3I

[Do you know you are my sunshine]が「ユー・アー・マイ・サンシャインを演ってよ」なら[Please don't play Red River Valley]は「レッド・リヴァー・ヴァレーを演らないでくれ」ということに。

この歌はジョニー・キャッシュ(またですが)の1966年のアルバム[Everybody Loves at Not]の中の1曲。
ハーモニカを買った友だちに、「ソルティ・ドグ・ブルース」や「愛しのクレメンタイン」とか「ポリー・ウォーリーの落書き」(いずれもアメリカの有名なルーツミュージック)でも練習しなよ。でも「レッドリヴァー・ヴァレー」だけはやるなよ。なぜってこの曲は俺が唯一吹けた曲で、ちょうどマスターしたとき彼女からハーモニカと一緒にポイ捨てされたからさ。
という失恋ノヴェルティソング。

「レッド・リヴァー・ヴァレー」は日本で言えばわらべうたの「赤とんぼ」のような感じで、アメリカ国民に親しまれているようで、ほかにも[Sing Me the Red River Valley]とか[She Sang the Red River Valley]などという歌もある。

おまけはやっぱり「レッド・リヴァー・ヴァレー」をもう一度。
タイトルは[Can I Sleep in Your Arms]ですが、旋律はまぎれもなく「レッド・リヴァー・ヴァレー」。

https://youtu.be/s15X3DM9Y9o?si=ifH_yoRXc_4JMNWK

半世紀あまり前のウィリーがうたうハートブレークソングで、「失恋して立っていられないほど苦しいんだ。だから今夜は君の腕で眠らせてくれないか。もちろん何もしないから」というなんとも厚かましい歌。でも気持ちはわかる。
ウィリー・ネルソンの1975年のアルバム「Red Headed Stranger」の中の一曲。こんな替え歌ヴァージョンがつくられることからも「レッド・リヴァー・ヴァレー」がいかにアメリカで親しまれているかがわかる。

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I dreamed I held you in my arms [country]

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ときどきテレビのCMでカントリーやルーツミュージックが流れてくることがある。シンガーは誰でも、歌詞はどうでもとてもいい気分になる。最近もそんなことがあった。

https://youtu.be/ki9jVUadVK0?si=6OpUXX1JQDzSKSPG

こうなるとやっぱりフルヴァージョンでホンモノを聴きたくなる。
久しくカントリーからご無沙汰で、先日「ブルームーンがまた輝けば」を聴いたのでそのせいかも。

「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を歌ったり演奏しているアーチストはたくさんいる。また、何度も聴いているので今回は誰を聴こうか迷った。オリジナルのジミー・デイヴィスとか、ブルースマンのミシシッピー・ジョン・ハートやBBキングもいい。ただはじめはなるべく正調でとうことで、いささか画像はわるいけれどジョニー・キャッシュ、ジュン・カーター夫妻で。

https://youtu.be/JcnNb7Pnmok?si=HzdSdTYTfGAMokpK

「ユー・アー・マイ・サンシャイン」がつくられたのは1940年。当時「歌う映画俳優」としてB級映画に出演していたジミー・デイヴィスと彼のバンドメンバーだったチャールズ・ミッチェルによってつくられたことになっている。
ただ、これは1937年に作曲し39年にレコーディングしたという「ライス・ブラザーズ・ギャング」のポール・ライスから版権を買っただけのようだ。当時困窮していたポールからわずか37ドルで権利を買ったという

ポールは37年にある女性から「あなたの存在はわたしにとってまるで太陽なの」というラブレターをもらい、それをヒントにこの歌をつくったと、その制作過程を語っている。ところがそのポールも、すでに33年にこの歌をつくり公に発表したというオリバー・フッドから買ったのではないかという話もあり「真の作者」はいまだ決着していない。
たしかなことは、ソングライトとしてクレジットされているジミー・デイヴィスらが「真の作者」ではない、ということ。

ただこの歌で最も利益を得たのはジミー・デイヴィスで、これまでの著作権料はもちろん、この歌を最大限利用してルイジアナ州の知事になったのだから。その後この「ユー・アー・マイ・サンシャイン」はルイジアナ州の州歌になっている(3つあるうちのひとつ)。

聴き手としては誰がつくったとしても問題ない。あと10年も経ずしてパブリック・ドメインになってしまうのだから。

ではもう一度「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を。
「ユー・アー・マイ・サンシャイン」が使用された映画といえば2000年公開のルーツミュージック・ムーヴィー「オー・ブラザー」Oh brother, where art thou? がある、そこではノーマン・ブレイクの歌が採用されていた。ノーマン・ブレイクはカントリーやブルーグラスのギタリスト&ヴォーカリストで、以前ここでも「峠の我が家」を聴いたようにルーツミュージックも多く録音している。クセのない歌は「教科書」のようで、親しみやすい。
今回は、そのサントラバージョンを全然別の映画のBGMとしてつかっている動画で聴いてみた。その映画のテーマと妙にマッチしていて何とも言えない「ユー・アー・マイ・サンシャイン」になった。やっぱり世界最高の監督であり、役者だなぁ。

https://youtu.be/2UuSrVq8Bbo?si=a1TJ23fzC9QZokrv

バスケは大健闘だね。パリ五輪の権利を獲得したことが最も大きく選手、コーチとも自信に満ちた表情だった。とりわけ東京五輪の女子といい、トム・ホーバスコーチの手腕がスゴイ。
ワールドカップ上位はベストエイトが決まったようだが、地上波での放送はないのかな。わたしも含め「にわかバスケ人気」ではあるけれど、こういう時こそ視聴率度外視してハイレベルの準決勝や決勝を放送すればさらにファンが増えると思うのだけど。

オマケは最近聴いた気もするが、バンドマンが「ユー・アー・マイ・サンシャイン」をリクエストした女の子に恋をするという[Do you know YOU ARE MY SUNSHINE]を。今回はオリジナルのスタットラー・ブラザーズではなく、ゴスペル・ヴォーカルとして知られているブース・ブラザーズとゲイザー・ヴォーカル・ユニットのビル・ゲイザーで。

https://youtu.be/lj0wNZdmUJU?si=9CWgq8JKct-NCpBt


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細いナイフを光らせて [歌謡曲]

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いよいよ9月。
9月1日は「関東大震災」が起きた日で、もうあれから100年経ったという。死んだ父は8歳ぐらいだったようで、被災した本郷の話もしばしば聞いていた。父と同世代の人たちは震災と戦災という二度にわたる大災難を経験していたのだ。
テレビでも関東大震災を他人事ではなく、これから来るであろう大地震とダブルエクスポージャで紹介している。それに今年はなぜか朝鮮人虐殺とそれに関するデマについてとりあげている。森達也監督のそんな映画も公開されるとか。
そうした過去について国もそうだが、東京都知事の反動ぶりはひどい。

福島が艱難をかかえているようで、こちらも気になるが、今回はその福島出身の門倉有希のカヴァを。今年デビュー29年というからやはりベテラン。
平成6年にヒットしたオリジナルの「ノラ」は覚えている。
ハスキーヴォイスで、昼間よりは夜、幸福よりは不幸(これも流行歌には欠かせないテーマのひとつ)な歌が似合う歌手でカヴァも多い。
そんななか、今回は昭和40年代半ばから50年代半ば、つまり1970年代にヒットしたどちらかというとポップスよりの歌を3曲。

まずは、昭和45年(1970)の北原ミレイのデビュー曲。

https://youtu.be/Q71MtJs5gKk?si=zTuJcym20XvkaeLj

「ざんげの値打ちもない」は学生運動がピークだった政治の季節に阿久悠によって書かれたヒット曲。その数年前のGS全盛時に作詞家デビューした阿久悠が作詞家として今後やっていけると手ごたえをつかんだ歌。
はじめて聴いたとき、少女が大人へなっていく断片を、流行歌にはそれまでなかったようなラディカルな詞で描いていたことがとても印象に残った。
「細いナイフを光らせて にくい男を待っていた」とか「鉄の格子の空を見て」(この4番の歌詞はテレビ等ではカットされている)などというフレーズが当時としては衝撃的でかつ、阿久悠にとっては野心的だった。

作曲はその2年前ザ・モップスの「朝まで待てない」でコンビを組んだ村井邦彦。
村井邦彦は慶應のライトミュージック・ソサエティ出身。作曲活動は5年あまりで、60年代末から音楽出版事業や音楽プロデューサーとして活動し、アルファレコードを設立して多くのアーチストを世に送り出した。
代表曲は「翼をください」(赤い鳥、小林潤子)で、ほかには「経験」(辺見マリ)、「エメラルドの伝説」(テンプターズ)、「白いサンゴ礁」(ズー・ニー・ブー)、「雨上がりのサンバ」(森山良子)、「本牧ブルース」(ゴールデン・カップス)、「ある日突然」(トワ・エ・モワ)などのヒット曲がある。
プロデューサーとしては、赤い鳥をはじめ松任谷由実、YMO、小坂忠、シーナ&ロケッツ、ブレッド&バターなどを世に送り出している。

次は田中角栄前首相の逮捕など、ロッキード事件で明け暮れた昭和51年(1976)、流行歌の世界ではやがてカリスマになる女性シンガーのブームがはじまろうとしていた。

https://youtu.be/AfheYPuC7ac?si=asSBjo7SB6zsIOTG

「横須賀ストーリー」は昭和43年(1968)14歳でデビューした山口百恵13枚目のシングル。2年前の「冬の色」に次いで2回目のオリコン1位となった曲。
「冬の色」で「後追い自殺」まで宣言した恋人に隷属的な女の子は、やがて52年の「イミテーション・ゴールド」、53年の「プレイバックpart2」を経て自立していくことになるのだが、51年の「横須賀ストーリー」はまだその成長途中で、失恋を繰り返しながら男の本質を見抜き、やがて「馬鹿にしないでよ」などと言う時代の女に変身していくきっかけになった歌だったのでは。

作詞作曲は阿木燿子・宇崎竜童夫妻で、ふたりが山口百恵に初めて書いた楽曲だったのではないでしょうか。以後二人は「百恵劇場」の座付作者となり、彼女を成長させていくことに。もちろん「イミテーション・ゴールド」も「プレイバックpart2」も夫妻の作品。

最後はそれから2年後の昭和53年(1978)の歌。
トレンドがそれまでのフォークソングからニューミュージックに変わった時代。歌謡ポップスではキャンディーズやピンクレディーのユニットがティーネイジャから熱烈に支持された頃の一曲。

https://youtu.be/FTBXycujxYc?si=OZak9hyoQP7HdpI8

なんでイスタンブールなのか。イスタンブールはトルコの大都市で、日本で当時トルコへの旅行ブームがあったわけでもない。
プロデューサーの「無国籍ソングを」という依頼に応えた筒美京平の曲に、作詞のちあき哲也がイスタンブールというワードをつかってセンチメンタル・ジャーニーをモチーフにした詞をつけた。さらにその楽曲を船山基紀が中近東のイメージにアレンジしたのがこの歌だった。
ちあき哲也がなぜ「イスタンブール」という言葉をつかったのかは不明だが。この前年の昭和52年、池田満寿夫が「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を獲っている。そして53年にこの「飛んでイスタンブール」、翌54年には「魅せられて」(ジュディ・オング)、「異邦人」(久保田早紀)といった中近東を思わせる歌が立て続けにヒットしている。
実際にイスタンブールや中近東諸国への旅行ブームがあったかどうかは定かではないが、日本の流行歌の世界では昭和50年代前半にちょっとした中近東ブームが起こっていたことはたしかだ。
庄野真代は当時トレンドのニューミュージックのシンガーソングライターだが、この歌も含め次の「モンテカルロで乾杯」、「マスカレード」「ジャングル・コング」はすべて筒美京平の作曲で、最後のヒットとなった「アデュー」のみ彼女の作詞作曲だった。
ちなみに「モンテカルロで乾杯」も作詞はちあき哲也で、筒美・ちあきのヒット曲としてはほかに少年隊の「仮面舞踏会」がある。

昨日は「スーパームーン」だったそうだが、ニュースで小耳に挟んでいたものの、気がつけば夜があけていた。
NASAによると次のスーパームーンは14年後だとか。生きている自信ないなぁ。まんがいち生きていても、そのニュースを認識できるかどうか。
まぁ何十年に1回とかいうナントカ彗星もそうだけれど、追いかけるほどの興味はない。ごくフツーの月を見るだけで充分。満月だろうが半月だろうが三日月だろうが。なんたって、太陽はキツイけれど、月は眼にヤサシイから。
そんなわけで?おまけはブルームーンの歌を。
「ブルームーン」というスタンダードもあるけれど、やっぱりカントリーで。
カントリーのブルームーンといえばビル・モンローがつくった「ケンタッキーの青い月」Blue moon of Kentucky がエルヴィスのカヴァでもしられているが、今回は「ブルームーンがまた輝けば」When my blue moon turns to gold againを。1941年にウィリー・ウォーカーらによってつくられた歌で、「ブルームーンがまた黄金に輝けば、彼女とのあの楽しい日々も帰ってくる」という失恋&未練ソング。エディ・アーノルド、マール・ハガード、ハンク・トンプソン、エミルー・ハリスらにカヴァされている。今回はエルヴィスで。
このブルームーンがはたしてあのブルームーンかどうかは定かではないけれど。

https://youtu.be/O3XcN_6Y2ug?si=lKOnfsUAy4V2fsPM


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