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伝説のボクサー2

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モハメド・アリは別格だけど、伝説のボクサーといえば日本人にもいました。
むしろ、毎日のように見ていた日本人ボクサーのほうが、いまとなっては「伝説」と呼ぶにふさわしいボクサーが多かった。

信じられないでしょうが、昭和30年代、とりわけファイティング原田が日本人ふたりめの世界チャンピオンになった37年あたりから増えだしたボクシングのテレビ定期番組は、週7~8本もありました。ノンタイトル戦も含めほぼ毎日のようにボクシング中継がありました。それもほとんどゴールデンアワーに。

これは当時日本チャンピオンだったボクサーから聞いた話ですが、タイトルマッチひと試合でもらったファイトマネーで東京の郊外に一軒家が買えたとか。いまではおそらく、日本チャンピオンクラスでは、「専業」は無理でほかに正業?あるいはアルバイトをしていなくては食べていけない。いい時代だったんですねぇ、ボクサーにとっても。

そんななかで贔屓だったボクサーは数多。みんなカッコよかったもの。

まず新和ジムの関光徳。キレイなサウスポーで、優しそうな顔つきからくりだすストレート一発で相手を倒した。ただ運のないボクサーだった。たしかフライからフェザーまで5回ほど世界に挑んでとうとう届かなかった。拳を痛めたり、海外でのホームタウンデシジョンに泣いたり。
そんな幸うすさもあってファンは多かった。たしか伝説の?歌手・ちあきなおみもそうだったとか。

今、村田諒太のいる帝拳には高山一夫。小坂照男、渡辺亮、福地健二の四天王がいた。いずれも日本、東洋のタイトルを獲っている。

フェザー級の高山はデビー・ムーアに2度挑んで敗れた。なぜか引退直前、勝又行雄に逆転KOされた試合の印象が残る。

一時カリプソ娘・浜村美智子と一緒になったジュニア・ライトの小坂は宿敵フラッシュ・エロルデを東洋戦で破ったこともあったが、ついに世界には届かなかった。

バート・ソモジオとの激闘が忘れられないジュニア・ウェルターの渡辺は東北訛りで、引退後キレイな奥さんと居酒屋をしていた。酔うとカラオケで好きな三橋美智也を聴かせてくれた。

東洋の不沈艦、タイの英雄、ソムデス・ヨントラキットを引退に追い込んだ福地は、普段まるで格闘技をするような人間にはみえない、物静かで子煩悩な男でした。みんな死んでしまったけど、福地の息子・勇治はレフリーとしてリングに上っている。

ほかにも、日本のパターソン、ヨハンソンになぞって見ていたミドル級の海津文雄と権藤正雄の倒し合い。NHKで生放送されたのだが、今ではあり得ない。

そんななかでいちばんのマイ・ヒーローがバンタム級の青木勝利。

フライ級のファイティング原田、海老原博幸とともに軽量級三羽烏と呼ばれた。

原田も海老原も世界を獲ったけど、青木は東洋どまりだった。
それでも、試合前コールされ、リングの中央に出てグローブをパチンと合わせてちょっとはにかんだように笑う姿が実にカッコよかった。

ハードパンチャーにありがちなグラスジョーで、よくダウンした。そんなスリリングなファイトも魅力でした。
世界戦でエデル・ジョフレの左フックをレバーに受けての悶絶KO負け。原田との世紀の一戦で右ストレートでひっくり返ったり。とにかく負け方も派手だった。

少年院を出所して、ジムへ直行。大の練習嫌いで大の酒好き。
引退後は、飲み屋を開くもすぐに潰し、結婚生活も破綻。日本のあちこちを流れ流れ、警察の世話になったことも一度や二度ではなかった。
なんらかの事情で小指を詰めたとか、精神医療施設に収容されたとか。流れてくるのはよからぬ噂ばかり。

そんななか、昨年亡くなったという風の知らせが。でも、葬式に行ったという人間は誰もいないし、遺族や親戚から話を聞いたという話もきかない。

いま、記憶のままにあげてきたボクサーたちで、今も健在なのはファイティング原田だけ。
だから亡くなっていてもおかしくないんだけど。「ふざけんなよ、まだ、生きてるよ」とあのはにかみ笑いが浮かんでくる。

ジョフレに敗れた後、フィリピンのカーリー・アグリーにもKOで破れ、東洋タイトルを失った。その半年後、リマッチに挑んだが、前半から乱打され何度もダウンを奪われ返り討ち時間の問題だった。しかし、なんとか持ちこたえ消耗戦にもちこんで、10ラウンドに逆転でアグリーの戦意を喪失させた。
あの試合こそ青木のベストファイトだと思っている。

アグリー戦2はオリンピックイヤー、1964年の3月だった。あの時巷にはこんな奇妙で新鮮な音楽が流れていたっけ。

https://youtu.be/ihenbyTzQ2A
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パルプンテ

確証はありませんが、青木勝利氏(という人物)の訃報が2017年2月の伊豆大島の広報誌(リンク先)に掲載されました。
74歳は、この時点での青木氏の満年齢と一致しています。
青木氏のご令弟が、少なくとも2005年までには伊豆大島の元町に住んでいた事は確認できました(引越後の消息は不明)。
ただ、同姓同名の「青木勝利」は全国各地に居住しており、しかも戦時中生まれの世代には「勝利」名が多いので、断定までには至りません。
以上、ご参考までにお知らせ致します。
by パルプンテ (2020-12-08 23:59) 

MOMO

パルブンテさま。貴重な情報をありがとうございます。

そうだったのか、という落胆の気持ちです。生きていれば77歳、やっぱり早すぎます。

すこし後輩になりますが、ロイヤル小林氏の訃報も耳にいたしました。
BOXINGファンには淋しいことです。
by MOMO (2020-12-09 23:34) 

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