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夢はムーンライト・セニョリータ伝説 [1990年代]

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流行歌(ポップミュージック)が若者のものであるということは正しい。

かつて若者だったわたしも5歳でラジオの歌謡曲の洗礼を受け、小学6年で洋楽のヒットパレードに目覚め、60年代にはGSに振り回され、同時にカントリーの魅力にとりつかれ、やがて黄金の70年代。
フォークがあり、歌謡ポップスがあり、アイドル歌謡もはじまり、さらにムード歌謡、演歌、ニューミュージックともっとも多彩な音楽を聴いた時代でした。

それが80年代に入るとまず、松田聖子やたのきんトリオなどのアイドル歌謡に着いて行けず、チェッカーズも安全地帯もBOOWYにさほど関心を覚えなくなり、流行歌ナウがだんだん遠くなっていき、せいぜい70年代からの流れでサザンを聴くぐらいに。

さらにすすんで90年代になるとサザンも聴こえなくなり、まるで無音の世界のように。
まるっきり音楽を聴かなくなったというわけではなく、思い返してみるとジャズやカントリー、ラテンといった 60年代、70年代に聴いた洋楽を反芻していたような気がします。

それから30年あまりが過ぎ去った最近、「あの空白の90年代、日本にどんな歌が流れていたのだろう」なんていう思いがフト湧いて。
ネットサーフィンで90年代の邦楽を聴いてみようと。

いくつかの大波小波をやりすごして、初めて乗ってみたのが1992年8月の松本清張が亡くなった月のこの「波」。

https://youtu.be/yOxXpiKuvA8

KEY WEST CLUBの「夢はマジョリカ・セニョリータ」(作詞・作曲川島だりあ)
とにかく楽曲が初耳なのは当然ですが、うたっているシンガーやグループも初見。
なんでもこの歌をリリースした直後、ユニットは解散してしまったとかで、十分なプロモーションができなかったのかも。またユニットの活動は一年足らずで、この歌が3枚目でラストシングルとのこと。でもとても心地いい波で、とってもカッコいいラティーナです。

ネットで調べるとこのツインユニットは当時テレビ朝日で放映していた番組(当然見てません)の桜っ子クラブというアイドルグループから生まれたそうで。
80年代に登場したおニャン子クラブ(名前だけは知ってます)のエピゴーネンなのでしょうか。これが後のモーニング娘。やAKB48の源流となっていくのでしょうね。グループアイドルに熱をあげるのは今も昔もです。わたしには経験はないけど。でも、「淳子、百恵、昌子で誰が好き」の会話にはギリギリ参加できましたが。
それはともかく。

KEY WEST CLUB のふたりは中谷美紀と東恵子で、ごぞんじのとおり中谷美紀は現在も女優として活躍中。なんでも16才のときの歌だそうです。
ユニットのネーミングもふたりのプロデュースは長戸大幸。
長戸大幸は音楽制作会社ビーイングの創設者であり、80年代、90年代にB'zやTUBE、BOOWYをはじめ多くのアーチストをプロデュースしたそうです。
この歌が出る前年の1991年には作詞兼プロデュースで「想い出の九十九里浜」(Mike)をヒットさせています。この歌は90年代ですが、GSのオマージュソングとして知っていました。長戸プロデューサーのことも調べた記憶があります。

ネットをみていると、この曲に関していろいろ面白いエピソードを知ることができました。90年代によく音楽を聴いていた方々には常識なのでしょうが、わたしのように知らない人のために少し紹介してみます。

まず驚いたのが、この楽曲実はレコード(CD?)リリースの1年あまり前からステージなどでうたわれていたそうで、それが歌詞はほぼ同じですが旋律が異なっているのです。いささか画像が不鮮明ですがそれがこれ。

https://youtu.be/IqERbCkbScw

おわかりになった方も多いと思いますが、これはわたしでも知っているマンガ&アニメ「美少女戦士セーラームーン」のオープニングテーマ(子どもが見ていました)「ムーンライト伝説」と同じメロディー。

https://youtu.be/-cfDnIaTQEY

アニメの放映が1992年でKEY WEST CLUBのデビューより後。つまり「夢はマジョリカ・セニョリータ」のほうが先行していたわけです。

なぜセーラームーンに曲を譲り、みずからは導入部を音階を少しずつ下げて、いわばハモり用の旋律にかえてしまったのでしょうか。
詳細はわかりませんが、プロデューサー(長戸さんでしょうか)はKEY WEST CLUBでレコーディングするのはなんらかの理由でためらいがあったけれども、子供向けのアニメの主題歌ならばと思い提案したのでは。そのプレゼンが通ったのでしょう、アニメも歌も大ヒット。これが思わぬ誤算。
なんとJASRACから「流用ではないか」というクレームが。

実は昔、テレビCMでこの「ムーンライト伝説」が流れていた時、わたしも冒頭のメロディーに「聞き覚えがあるな」と思ったもの。それが「夢はマジョリカ・セニョリータ」や「ムーンライト伝説」から遡ること20数年前、一世を風靡したこの歌。

https://youtu.be/u9oqDnWkRi8

「さよならはダンスの後で」(詞・横井弘、曲・小川寛興)は昭和40年(1965)の倍賞千恵子のヒット曲。たしかにはじめの32小節がテンポは遅いけれど似ている。
結局、ムーンライト伝説側がそのクレームを認め、クレジットはそのままで金銭的な解決を提案し、作家とJASRACがそれをのむかたちで和解したようです。
なんでも、プロデューサー(長戸さんかな)ははじめから「流用」の意識があったそうで、確信犯ですね。「アニメだったら……」という思いがあったのでしょうか。
「夢はマジョリカ・セニョリータ」をはじめレコード化しなかったのも「ポップスはバレやすいから……」という思惑があったのでは、 なんて。

もうひとつの疑問は、そのあとで「夢はマジョリカ・セニョリータ」をリリースすることになるのですが、作者と和解したのならなぜ、曲を変更したのでしょうか。
これも推測ですが、和解は「ムーンライト伝説」のみで、ということだったのではないでしょうか。また、同じ曲で世に出すということは「セーラームーン」側もOKしないだろうと考えたのではないでしょうか。

しかし「ムーンライト伝説」がこれほどヒットするのなら、「夢はマジョリカ・セニョリータ」をこのまま眠らせてしまうのはもったいない。で、曲を微妙に変えてリリースすればもしかして、「ムーンライト伝説」に匹敵するヒット曲が生まれるかも、と思ったのかどうなのか。すべて憶測にすぎませんが。

とにかく「夢はマジョリカ・セニョリータ」は無事世に出たわけですが。その後なにがあったのか、KEY WEST CLUBはあっけなく解散。歌も浸透する前にフェイドアウトしてしまいました。
今回、「夢はマジョリカ・セニョリータ/原曲」と「夢はマジョリカ・セニョリータ/変曲」を聴き比べましたが、個人的にはよりラテン風味の強い変曲、つまりafterのほうが好みです。
とにかく90年代ソングを勉強させてもらってます。
なので最後にいろいろの意味をこめてわが90年代の名曲「夢はマジョリカ・セニョリータ」をもう一度。……あっ、これもどこかで……。

https://youtu.be/2KjHDVRqgdM

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怒れ! ジョニー [day by day]

国葬.png

政治の話はあまりしたくないのですが、言わずにはおれない事が。

テロによって殺された安倍元首相の「国葬」には反対です。
いきなり「国葬」を発表した岸田総理にはがっかり。ヒロシマ反核では反動的な面もありましたが、自民党のなかでは比較的誠実で国民を騙したり、裏切ったりはしない政治家だと思っていましたが、「岸田さん、あんたもか」という思い。

選挙も自民党の大勝でおわり、「いまならイケる」と思ったのでしょうね。当分選挙もありませんし。なによりも安倍さんへの「同情論」が冷めないうちにということで、あんなに早く「国葬」を発表したのでしょうね。
自民党の派閥の主流ではないという辛さもわかりますが、がっかり。もう期待できない。

その岸田総理の説明では「国葬」の大きな理由が安倍元首相が「長期政権」を努めたからとか。確かに長く首相を努めるということはその資質が優れているからととることもできるけれど、国民の支持というよりは、自民党の中での論理で政権を続けることができたとみることもできる。
森友。加計問題であれだけ「悪だくみ」が露呈して、官僚が自死するほどの公文書改竄を惹き起こしてもなお、国民のリーダーたる資質があったといるのでしょうか。

「長期政権」ということであればよくも悪くも激動の昭和を3期にわたって総理を務めた佐藤栄作さんはなぜ「国葬」にならなかったのか。岸田首相は安倍さんの「国葬」について、彼が国際的に知名度があったこともあげていましたが、それならば日本の首相で唯一ノーベル平和賞を受賞しているのは佐藤栄作さんだけです。彼こそ「国葬」にふさわしかったのでは?。
まぁ、佐藤さんは無勢に多勢でマスコミとケンカするほどマスコミに嫌われていたので、「国葬」なんて言おうものなら、自民党はマスコミから袋叩きにあったかもしれませんから無理だったのでしょうが。
安倍さんに比べたら強引だったけれどホネのある政治家だった(いささか美化しておりますが)ような気がします。

とにかく安倍さんの「国葬」には反対なのです。

自民党の幹事長がいうように、本当に国民の多数が「国葬」に賛成なのでしょうか。
亡くなったばかりの人を忖度して、反対と言えないという人が相当数いるのではないでしょうか。

岸田総理の言動以上にがっかりというかあきれたのが、野党第一党である立憲民主党党首の発言、岸田総理の「国葬」発言直後の彼の反応は国葬を「静に見守りたい」でした。あきれました、あんなこと言う人間が党首ならば立憲民主党の凋落もさもありなん。ここにきて国会を開いて内閣の説明を求めるなんて言ってますが、はたして本気でいっているのかどうか。

野党のなかでも共産党をはじめ「国葬」反対をはっきり打ちだしている政党もあります。いささか力不足の感は否めませんが、かれらに期待したい。彼らがしつこく、強く国民に訴えていくことに期待したい。
それにあれだけアンチ安倍だった文化人やジャーナリストで反対の人はかなりいるはず。問題のなのは忖度してそれらの声を報道しないマスコミ。もちろん統一教会問題も大切だけれども、決定事項かのようにすすめられていく「国葬」の忖度なき報道が聞かれない。きっと「国葬」反対の報道は増えていくと思います。増えて欲しい。増えてくれ。もしそうでなければマスコミは「忖度」なる言葉を二度とつかわないでほしい。

かつての安倍政権に対する、自民党議員(だけじゃないけど)や官僚の忖度はひどかった。「忖度」が流行語になるほどまかり通っていました。
安倍さんは亡くなっても忖度される政治家なのですね。そういう意味では希代の政治家なのかもしれませんが。
与党、野党の議員諸氏の「安倍忖度」には情けないのひと言ですが、なによりもコワイのは国民の「安倍忖度」。はじめにもいいましたが、亡くなったばかりの人への「優しさ」という日本人気質なのかもしれませんが、国民のために誠心誠意尽くしてくれた政治家への追悼と感謝をこめたセレモニーが「国葬」となると話はちがってきます。

もし「国葬」が強行されたら何十年かのちの未来の日本人たちから『へえ、2022年ってとても奇妙な「国葬」があった年なんだね』って笑われること間違いない。その対象はふさわしくない「国葬」をされてしまった国家元首だけではなく、それを支持した多くの日本人もまたそうなのです。わたしは未来人に笑われたくない。

クールダウンして最後は歌を。
できたら「忖度」という歌詞がつかわれている歌をと思いましたが、みつかりません。なので似た意味で「遠慮」というコトバがでてくる歌を。

思い浮かぶのは森進一の「襟裳岬」(詞・岡本おさみ、曲・吉田拓郎)
♪寒い友だちが 訪ねてきたよ 遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ

とか
♪そうねダブルの バーボンを 遠慮しないで いただくわ
という五木ひろし&木の実ナナの居酒屋(詞・阿久悠、曲・大野克夫)

とか。もっと古ければ昭和4年、二村定一の洋楽カヴァー「洒落男」(訳詞・坂井透)で
♪カクテルにウイスキーどちらにしましょ 遠慮するなんて水臭いわ

というのもありましたが、どれもいまひとつ気持ちにフィットしないので、いくらか溜飲を下げられる60年代のカヴァーポップスで。
よく聴いたのは伊東ゆかりだったのですが、YOU-TUBEにないのでザ・ピーナッツで「内気なジョニー」Johnny get angry を。

https://youtu.be/HuItE4XcjNU




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