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二人乗り [on the park]

雨の公園.jpg


東京は梅雨入りです。
エンジェルズも大谷も湿り気味です。
雨が降ろうが、霰が降ろうが出かけなくてはなりません。
なんて億劫がってるような言い方ですが、雨は嫌いじゃない。とりわけ雨の公園は人も鳥も犬もほとんど見当たらず、草木と自分だけの世界が精神の洗浄をしてくれます。黙って雨に打たれている大木の存在感は圧倒的ですし、あじさいやヤマボウシも晴天時よりストイックに咲いているのがいい。

野球のグラウンドやテニスコート、さらにはゲートボール場、すべてが無人です。ただほぼ正方形のゲートボールグラウンドのど真ん中に自転車が一台、雨ざらしになっておりました。広場の端っこやベンチの傍ではなくど真ん中というのが放置した人間の作為が感じられます。
あれは盗難自転車で、犯人の犯行声明、自己顕示なのかも。あるいは街の芸術家によるインスタレーションなのか。自転車だけではなく、降りしきる雨が必要で、今日お披露目とあいなったのかも。はたまた実は、昨日持ち主が広場を横切るときに、ケータイが鳴り急用を告げられ、足手まといの自転車を止めて出かけてしまい、そのまま忘れてしまったとか。
とにかく通行人の想像力を刺激する光景ではありました。

自転車が出てくる歌というのは、それほど多くはありませんがいくつかあります。

古いところでは戦前(昭和18年)に「お使いは自転車に乗って」があります。

https://youtu.be/cPTwt3qKXYE

映画「ハナ子さん」の主題歌で、主演の轟夕起子がうたっています。2年後には大カタストロフィーを迎える日本でかくも、というほど明るい歌です。
轟夕起子は宝塚出身で戦争を挟んで活躍した人気女優。49歳という若さで亡くなってしまいましたが、個人的には「洲崎パラダイス」の飲み屋のおかみさんや、「陽のあたる坂道」での品のある社長夫人が印象的でした。ちなみにその社長夫人の子供が石原裕次郎と妹の芦川いづみでした。

昭和30年代に入ると、自転車ブームというのか「サイクリング」ブームというのか、そんな世相を反映した歌が小坂一也の「青春サイクリング」と岡本敦郎の「自転車旅行」。
小坂一也は当時のアイドルカントリーシンガーで、作曲は今でも演歌にその流れを残す古賀メロディーでしられる古賀政男。なんというミスマッチ。
後者は清潔歌手がうたった青春歌謡。作詞は「高校三年生」の丘灯至夫。

https://youtu.be/RDZYc4o4SSA

ほかでは昭和31年の「自転車娘」がある。
♪チリンチリンと ベルが鳴りゃ ではじまる雪村いづみとフランキー堺のデュエット。パンクがあったりふたりのかけ合いがあったりでどうにか湖へたどり着くというサイクリング讃歌。作詞作曲はCMソングの草分け・三木鶏郎。YOU-TUBEにないのが残念。

それから10年、昭和40年代はフォークとアイドル歌謡の時代。
そんななかにも自転車が出てくるうたがあります。

https://youtu.be/iTCS-grv9Yk

天地真理、懐かしいし若々しい。自転車に乗ってやってくるのは彼。自転車は青春のアイテムなのですね。
作詞・作曲は山上路夫と森田公一で「ひとりじゃないの」「若葉のささやき」「想い出のセレナーデ」など天地真理「御用達」コンビ。
続いてフォークの時代も。

https://youtu.be/ql1smDQWACE

「夏まつり」あるいは「夏祭り」というシンプルなタイトルの歌はいくつかありますね。
この歌の自転車は「兄妹」の二人乗り。小学校高学年と低学年、なんて勝手にイメージしています。1972年のセカンドアルバム「陽水Ⅱセンチメンタル」の収録曲。

「二人乗り」といえば平成のこの名曲が最もポピュラーな歌ではないでしょうか。

https://youtu.be/AD3nGe12Wi8

1998年のゆずの「夏色」
♪この長い長い下り坂を 君を自転車の後ろに乗せて
やがて大人になる若者どうしの他愛のないありがちな青春の暇つぶしが描かれています。ふたりはワルではないけれど、「二人乗り」という違法に、これまたありがちなフツーの若者のささやかな反抗がにじみ出ていてヨロシイですね。

男同士の二人乗り。
なんか昭和の黄昏どきにもそんな歌がありました。

https://youtu.be/-d4MEvkJ9cw

♪ ぼくの自転車の後ろで孤立無援の思想を読んだ 
1982年の森田童子の「孤立無援の唄」ですね。
こちらは「二人乗り」どころか、「万引き」というりっぱな犯罪を犯してしまっています。いまならオンエアなしの歌でしょうね。まぁ当時でもとくにテレビでは彼女の歌はまず流れてきませんでしたから。
明るさと暗さという時代的な違いはありますが、「夏色」と同様やがてたどり着かなければならない「大人の世界」に対する不安が内包されています。ひとりでは耐えられない、だから「二人乗り」するのでしょうね。でも君も僕も、やがてはひとりで漕ぎださなければならないことを知ることになるのですが。

「孤立無援の唄」は1983年の6枚目のアルバム「夜想曲」のなかの一曲。
60年代から70年代にかけて左翼学生の支持を受けた作家・高橋和巳のエッセイ「孤立無援の思想」をそのまま登場させるどころか、その作家まで歌詞に織り込んで、意図的に時代を刻印しています。
ブルージーな旋律もいいけれど、やっぱり森田童子は詞ですね。
年をとればとるほ彼女の歌はみずみずしく、いたいたしく感じてしまいます。


自転車といえば、7年という最長乗車記録を誇った愛車がペダルのクランクが折れるという悲劇に見舞われ今年のはじめに買い替えることに。
それがさる土曜日の午後、なんと半年あまりでパンク。近くの自転車店までひきずっていき修理を頼むことに。店主はわたしよりひと回りくらい上のご老体。あたりまえですが、往年の手際のよさはありません。実はこの日3時までに帰宅して、ネットで馬券を買う予定でした。メインレースで買い目も昨晩に決めておりました。
そんなわけで、店主のスローモウな仕事ぶりに心は千々に乱れて。思わず「手伝いましょうか」と声が出て。店主ニコニコ顔で、「いやあ、手伝われると仕事がかえって遅くなっちゃってねえ」などと。ごもっとも。
最悪だったのは、パンクの原因が画鋲だったこと。画鋲のように刺さりが浅いと何カ所も穴があいてしまい、結局チューブを交換することに。

結局小一時間かかって帰宅の途へ。着いたときには競馬は終わっておりました。ネットで結果を確認すると三連複が的中しておりました。それも万馬券。
買って間のない自転車のチューブの出費も痛かったけど、逃した魚のほうが痛かった。

きょうはフィフティーズのロケンローを聴くつもりだったのですが、あの「雨の中の自転車」のために変節してしまいました。
で、おまけは自転車が出てくる日本のロケンローを。

https://youtu.be/Q55kFFJetig


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花はどこへ消えた [on the park]

たんぽぽ.jpg

雨の公園はいつでも気分がいい。

きょうも午前中、いつもの公園を横切って仕事場へ向かった。
細長い公園を横断するのですが、それでも5分くらいはかかる。その間、誰一人、というよりハト一羽ともすれ違わなかった。
いつもだったら、ジョギングやウォーキングをする人たちや、犬の散歩をさせる人たち、あるいは芝生で遊ぶ保母さんや園児たち、介護士さんに車イスを押してもらっている先輩たちの姿を見かけますし、すっかり警戒心のなくなって、餌をさがしこちらの足元に接近するハト、カラス、スズメなどもいつもの光景にはなっているのですが、なにせ雨。

みんなどこへ姿を隠してしまったのか、地球最後の人間なんて妄想も湧いてくる。

ワインディングロードを歩きながら視線を落とすと、イヌ、鳥、人間以外にも消えているものがあることに気がついた。
タンポポです。昨日まであれほどおびただしく咲いていたタンポポがみごとに消えているのです。これには驚いた。黄色の花びらも、綿毛もまったくなくなっているのです。昨晩の雨風ですべて吹き飛ばされてしまったのでしょうか。まさにマジック。

理由はすぐにわかりました。足をとめてかがんで目を凝らすと花は消えてしまったのではなく、小さく閉じてしまっていることがわかりました。パッと見ただけではわかりませんが、よく見ると蕾のような球のなかにかすかに黄色が見えています。
おそらく、この寒さえをやりすごすための植物本能なのでしょう。
そう思って周囲を見て見ると、ひなげしもついこのあいだ咲き始めたツツジもたんぽぽほど頑なではありませんが、花びらをすぼめています。

春とはいえ花々も縮こまるほどの寒い一日だったということです。
きょうは仕事も早々に切り上げ家へ戻りました。
雨の公園の心地よさとは裏腹に気分が乗らなかったのは、家を出る前に大谷の不調ぶりを見てしまったからかもしれません。

最後はやっぱり快適な音楽をと思いますが、タンポポも雨の公園もすでに「使用済み」ですので、まるで関連のないOldiesを2曲。

まずは60年代、ボビー・ヘブBobby HebbによってヒットしたR&Bを70年代にドイツのバンド、ボニーM Boney M. がダンスミュージックとしてカヴァヒットさせた「サニー」Sunny を。

https://youtu.be/hutlaauYa2c

もう一曲も70年代、イギリスのグループ、エラプションEruptionのダンスミュージックで、こちらのオリジナルは50年代末ニール・セダカNeil Sedakaがうたったティーンポップス、「ワン・ウェイ・チケット」One way ticket to the bluesを。日本でも「恋の片道切符」の邦題でミッキー・カーチス&雪村いづみなど多くのシンガーにカヴァされていました。

https://youtu.be/siF1j-S0xfU


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春です うららです [on the park]

春うらら02.jpg


https://youtu.be/-bgr5ZiXz28

「春眠不覚暁」といいますが、たしかに昨日も今日も布団から脱出できたのはいつもより1時間あまり遅く。でも、春の寝心地が良すぎてということではなく、寒くて起き上がれないというのが実情。歳かなぁ。

それでも春は春。冬に逆戻りすることはありません。
きょうも小雨の公園を通って仕事場へ。桜の満開は過ぎたとはいえ、この寒さとさほど強くない風のため、八分咲きというより、八分残りの桜です。
満開の桜に圧倒されながら(先週谷中の墓地に行ってきました)その下を歩くより、八分残りで葉がのぞきはじめた桜のほうが、盛りを過ぎてしまった寂しさを漂わせたなんとも言えぬ風情があります。桜の下に続くワインディングロードの両端に吹き溜った花びらのラインもいつものことながら「いとあわれ」です。

新年度に入り、物価があがっていることは気になりますが、いつもの春がやってきております。タンポポは昨年同様群生しておりますし、ひなげしもあちこちにその存在感を示しております。
一年間を通して最高の季節が来ております。これでコロナが収束し、ウクライナに「春」が来れば言うことないのですが。

冒頭の唱歌「花」は明治33年(1900)に滝廉太郎(曲)と武島羽衣(詞)によってつくられました。武島羽衣は国文学者でもある歌人。校歌など作詞も少なくなく、この「花」以外では日本のワルツの嚆矢ともいわれる「天然の美」をつくっています。

うたい出しの♪春のうららの はあまりにも有名ですがこれは羽衣が「源氏物語」に出て売る和歌をベースにつくったものといわれています。「隅田川」は出てきませんが。
その「うらら」は「麗」で、晴れて気分の良い様子をあらわした言葉。

現代では「きょうは、うららだねえ」なんてつかうことはほとんどなく、「春うらら」と合体した言葉がかろうじて残っております。

そこで今回はそんな「うらら」な歌を。

まずはタイトルがそのものズバリ「春うらら」。

https://youtu.be/8WBR_U0hb1s

昭和52年のシンガーソングライターの田山雅充の曲。サビのファルセットが印象的で、春になり解放的になった浮かれ気分が伝わってくる名曲。その作詞は最首としみつ。
田山の楽曲提供としては南沙織の「人恋しくて」などがあります。

「春うらら」には昭和42年にも同名の歌がありました。20年代から30年代にかけて子役としてまたヴァイオリニストとして話題になった女優の鰐淵晴子の「春うらら」が。残念ながらYOU-TUBEにはなく、個人的にはMDの中には入っているのですが、現在再生不可能なので聴くことができません。どんな歌だったかも覚えていませんが「恋すれど廃盤」というコンピ盤の一曲でした。

2曲目は歌詞に「うらら」が出てくる布施明がうたった「落葉が雪に」(昭和51年)。

https://youtu.be/PyY_02NVy8A

「積木の部屋」(49年)、「シクラメンのかほり」(50年)に続くヒット曲。作詞作曲も自身で、小椋佳を思わせる旋律と季節とともに流れるメランコリックな詞でその年の紅白歌合戦でもうたわれました。

つぎは「春うらら」とはいえませんがとにかく一世を風靡した「うらら」の歌を。

https://youtu.be/ZYEdC-XIxN4

昭和48年、歌謡ポップス全盛時、その前年の47年に「どうにも止まらない」で突如大ブレイクした山本リンダのブレイク後第四弾の「狙いうち」。
作詞作曲はリンダ再生の仕掛人の阿久悠と都倉俊一。
奇抜な振り付けとハードなサウンド、そして歌詞が時代とシンクロして大ヒット、大リンダブームに。ちびまる子ちゃんも真似した「うらら うらら うらうらで……」の「うらら」は、曲先行で都倉がスキャットをつけて阿久に送ったところ「うらら」になったということらしいのですが、とにかく「麗ら」でもなく意味などなくノリのいい歌詞でという阿久悠の戦略がみごとにあたったとしかいいようがありません。そうした時代の匂いを嗅ぎ分けることに関しては突出した作詞家でした。

「うらら」は日本だけのものではなく、海外にもあるようです。
フランス語の[Ooh la la ](ウララ)は「あらら」とか驚きやちょっと困ったときの表現、あるいは軽いのりで「かっこいい」「イカしてる」という意味につかわれるそうで、そんな歌もいくつかあるようです。

そんななかから最後に洋楽の「うらら」を。春の歌ではありませんが、羽目をはずしたくなる春にふさわしいといえばいえる「ウ・ララ」Ooh la la を。
1998年のユーロポップでうたっているのはシーバ、アレグラ、ジェシーの女性三人のチカディーChicadeeというユニット 。
動画は映画「フットルース」のリメイク版で、この映画につかわれていたかどうかは観てませんのでわかりませんが、多分たんに映像とシンクロさせただけではないでしょうか。
それでもラテンテイストで「あなたに夢中」「気分は最高」というノリノリソングはイカしてる。

https://youtu.be/tiQOZhJOGCI

そういえばハルウララという競走馬がいました。連戦連敗がゆえの人気ホースでした。先日ニュースで「あの馬は今」に出ておりました。元気でなによりです。これも人気馬ならではのことでしょう。
競馬もいよいよGⅠは始まりダービーに向かって「春本番」です。

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二十歳 [on the park]

フォークル01.jpg

いつもの公園を抜けると成人式でした。

そうだ今日は成人式なのだ。1月15日じゃないけれど。

公園を抜けた横断歩道の信号の向う側とこちら側に、ものすごい数の着飾った若者たちがおりました。二百いや三百、いやそれ以上。とにかく壮観。
そうでした、この公園内に成人式の式場があったのでした。

女性はほぼ鮮やかな着物姿。たまに見るドレス姿が逆に目を惹いたり。なかには就活?と見紛うような黒のスーツにスカートという女性も。それはそれでその精神までが伝わってくるようで清々しいものでした。男性は一様にダークスーツにコート。紋付袴は見受けられませんでした。北九州や沖縄仕様もいなくて、野郎ども元気ねぇな。

いままさに式典が終わったばかりなのでしょう。警察官がハンドスピーカーで交通整理をしております。それにしても駅へ向かう彼氏彼女は少数で、ほとんどが、信号のあちら側とこちら側にたむろして、写真を撮ったり談笑しながら別れを惜しんでおります。
久しぶりに会う同級生もいたはずで無理もないことです。

悲しい話ですが、個人的には成人式の記憶がありません。
もちろん成人式はあったのでしょうが、完全にスルーして生きてきてしまいました。
半世紀も昔の話ですが、当時はわたしのような不参加組が多数派だったのではないでしょうか(統計があるわけじゃないけど)。

今日だって、さまざまな理由から成人式に参加しなかった若者が少なからずいるはず。
そうした若者も、半世紀前のわたしも今日成人式に出席した彼ら彼女らと同様に、夢と希望と不信と不安を抱えながら人生の春を生きていたことは間違いありません。

そんな多くの人が通過してきただろう、やがて通過するだろう「20歳」の歌を。

すぐに思い浮かぶのは桜田淳子、中島みゆきの「20才になれば」、薬師丸ひろ子が♪20年も生きてきたのにね と歌う「メイン・テーマ」ですが、つい最近聴いたような気がするのでパスということに。古い歌謡曲では白根一男の「はたちの詩集」、舟木一夫の「成人のブルース」なんてのもありました。
でも今回はなんとなくフォークが聴きたい気分なのでこの歌を。

https://youtu.be/GbHvOJL2d5k

シグナルは京都のフォークバンドで、1975年メジャーデビューしたこの歌がヒット。メンバーチェンジがありながら、8年ほど活動して解散。
作詞作曲はベースを担当していた田辺功夫でのちにスタッフ側にまわったとか。
歌詞が時代を映しておりますが、流行り歌にしてはちょっと重い叙情フォーク。

続いてやはりフォークで2曲。
まずは明日嫁ぐ20歳になった娘が戦死した顔も知らない父に語りかける(このへんが寺山らしい)というストーリー。

https://youtu.be/79Ld-CdgVeg

作詞の加藤ヒロシは天井桟敷のメンバーで元はGS「ガリバーズ」に在籍していたとか。オリジナルはフォーク・クルセダーズとカルメン・マキ。ほかでもいろいろな日本のフォーキー(ほとんどの)がカヴァーしている1968年の名曲です。

次で最後はそれから10年後につくられたフォークソング。

https://youtu.be/RR4hcMouBRc

故郷を出て大人になった(30代後半とか40代とか)僕が、あるとき酒を飲みながら昔をふりかえるというよくあるストーリー。少年時代、そして失恋した二十歳の頃と。
曲は元「ふきのとう」の山木康世。詞は武田鉄矢。詞のキイワードが中原中也を剽窃しているのではという問題もありましたが、とにかくノスタルジックな歌。
詞もそうですが、曲がなんとも懐かしい。いくつになっても共感できる歌です。

今年の4月から成人が18歳になるということで、これが最後の20歳成人式になります。来年どうするのかはわかりませんが、たとえば「20歳の式典」など名称を変更して二十歳になった若者を祝う行事は継続されるというのが、大部分の自治体の方針だとか。
まぁ、どこかで18歳成人式になるのでしょうが、その頃には一月の風物詩でもあった若き女性の着物姿も消えてしまうのでしょうか。

もう一度人生をやり直したいとはまるで思わないし、タイムスリップもごめんだけれど、20歳、やっぱり、なんかうらやましいなぁ。

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Autumn Leaves [on the park]

枯葉04.jpg

もはや秋ですね。枯葉の季節です。
今日のようにサラッと雨でも降ってくれればその風情たるや♪絵にも描けない美しさ。
そこへ突如ロングコートに鍔の広い帽子をかぶった梶芽衣子姐さんみたいな女性が現れれば、シャンソンでも聴こえてこようというもの。

https://youtu.be/2ZdJnyOw73k

とにかくいい季節になりました。シャンソンが心に沁みる時候となりました。
日本で最も知られたシャンソンといえば上に紹介した「枯葉」Les feuilles mortesではないでしょうか。日本ではシャンソンそのものがまるで化石のようになってしまっていますので、多分いまでも変わってないのでは。

日本にシャンソンブームが起こった昭和30年代、ある雑誌? が行った「好きなシャンソンランキング」ではこの「枯葉」が「聞かせてよ愛の言葉を」や「ラ・メール」、「桜んぼの実るころ」を押さえて第1位だったそう。

「枯葉」は作曲家・ジョセフ・コズマが1946年自身が音楽を担当した映画「夜の門」の中ではじめて披露しました。うたったのは出演したイヴ・モンタン。詞は詩人のジャック・プレヴェール。

https://youtu.be/JWfsp8kwJto

いまでも「枯葉」はモンタンの代表作なので、その映画から「枯葉」がブレイクしたと思いたいのですが、実はフランスのなかで、さらには日本に、世界に枯葉が降り注いだのはその3年後、ジュリエット・グレコによって。

昨年93歳の寿命を全うしたグレコは神秘と伝説にみちた歌手。
といってももとから歌手をめざしていたわけではありません。

グレコは「サンジェルマン・デ・プレ」の女神と呼ばれました。
セーヌ河畔にあるパリのカルチエ「サンジェルマン・デ・プレ」は1944年、パリが解放されると、文化人の「たまり場」となります。若きサルトルやゴダール、プレヴェール、ヴィアンといった作家、詩人、映画監督などの芸術家たちがたむろすカフェやキャバレーが立ち並び、夜な夜な哲学や演劇、文学などの熱い議論が飛び交ったフランス文化の中心エリアとなったのです。

当然そうした雰囲気に吸い寄せられるように多くの若者たちも集まってきます。二十歳そこそこで多感だったグレコもそんなひとりで、カフェなどにたむろす女子グループのリーダー的存在でした。、当時めずらしかった黒のセーターに黒のスラックスとう個性的な出で立ち(貧しかったので)が神秘的で、雑誌にまで取り上げられ、さらにはサルトルらのいまでいうところの文化人の「追っかけ」まで現れて、時の人となていきます。

驚くべきことはこのときグレコは歌手でもなんでもない、たたの若い女性だったということ。ただ世間やマスコミが注目するカリスマではありましたが。ナチスの侵略から一気に解放された時代が、そうした神秘的な女神を待望したのでしょうか。

歌手になるキッカケはその数年後、ある潰れかかったカフェのオーナーが起死回生で「話題のミューズ」グレコにその店で歌をうたわそうと目論んだことからです。本格的な歌などうたったことのなかったグレコでしたがオーナーの熱意に承諾。そして初めてうたったのがアンニュイに満ちた失恋ソング「枯葉」でした。

それが評判が評判を呼んで大ヒット。
いくらかは歌手の素養があったのかもしれませんが、まったくの素人です。もはや時代の寵児の行く道は誰にも止められないということだったのでしょう。

ただ、グレコがすごかったのは、その後も「私は日曜日がきらいだ」、「ロマンス」「街角」「ミアルカ」などをヒットさせ、その才能を開花させ周囲の期待に応えたこと。もちろん時の流れに乗った、時代の風に吹かれたということだけではなかったはずで、人知れぬ努力をしたはずです。

https://youtu.be/DuQGbs7mhnw

グレコは昭和36年に初来日し、その後も何度も日本でコンサートを開き、本場のシャンソンを披露して日本にシャンソンを定着させた立役者のひとりとなりました。

ちなみに前述した「好きなシャンソン第1位が枯葉」だった雑誌の好きなシャンソン歌手第1位は男がイヴ・モンタン、女はジュリエット・グレコでした。

もちろんこれだけの名曲ですから、モンタン、グレコ以外でも多くのシンガーがレパートリーとしています。エディット・ピアフ、コラ・ヴォケール、リュシエンヌ・ドリール、ジャクリーヌ・フランソワなどなど。

https://youtu.be/Si_bYAqWy2w

枯葉はもちろんフランス、日本だけのものではなく、アメリカでもAutumn Leavesとしてポップスやジャズのスタンダードとして親しまれております。ちなみにカントリーでもウィリー・ネルソンやエヴァ・キャシディなどがうたっておりますし。
最後はそんな「枯葉」をふたひら。

まずはヴォーカル。ナット・キングコールをはじめフランク・シナトラ、パット・ブーン、ビング・クロスビー、女性ならヘレン・メリル、ナタリー・コール、パティ・ペイジと百花繚乱ですが、スキャットで聴かせるこの「枯葉」を。

https://youtu.be/KZbI2VZF9K8

次はジャズインスト。これもスタン・ゲッツ、ジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイ、マイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンス、ウィントン・ケリーと錚々たるメンバーがレパートリーとしていますが、日本でも親しまれているこの人で。

https://youtu.be/x2Qu_UhfJeE



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秋の日のヴィオロンの…… [on the park]

銀杏並木3.jpg


コロナがピークアウトしたことを感じているのか、平日の公園はいつになく散歩やくつろぐ人があちこちに。わたしのように駅へ向かう人通りもけっこうありました。

公園では夏の名残りの百日紅の赤、白、ピンクの花が咲き誇っております。
そして秋を告げる金木犀の香がいつもの場所から薫ってきました。いよいよ秋がはじまるぞ。

とはいえ残暑ゆえ、歩いているとうっすらと汗がにじんできます。
去年も今年もコロナの夏でしたが、それでも秋は来る。油断大敵とテレビで叫んでおりますが、これほど劇的に感染者数が減ってきますと、どうしても心は開放的とまではいかずとも、すこしは秋風を入れておこうとばかり、その扉を半開きにしてしまうのです。
もちろん、2年に及ぶコロナ禍でマスク、手洗い等の感染対策を怠ることはありませんが。

秋、そして歌となれば……、シャンソンかな、古い人間としては。
別にシャンソンは秋の歌ではありませんが、代表曲の「枯葉」の印象もあって、またピアフやモンタンの「パリの空の下」やアズナブールの「ラ・ボエーム」なんか、よく聴く歌はどことなくメランコリックな歌が多いようで(そんなことはないか)、太陽さんさんや雪やこんことうよりはやっぱり、枯葉舞うペーブメントが思い浮かんできてしまいます。

カントリーほどではありませんが、日本では最近シャンソンもあまり聴こえてこなくなりました。そこで「昔きいたシャンソン」を聴いてみたくなりました。

聴いてみたい歌や、シンガーは数多おりますが、かなり記憶の底の底の方に残っている歌がこれです。

https://youtu.be/tf-cDKuGsSA

1956年のダリダのデビューヒット曲。
日本でヒットしたかどうかはわかりませんが、芦野宏がカヴァしているくらいですから、そこそこ話題にはなったのではないでしょうか。幼児だったわたしの耳に残るほどラジオから流れていたのではないかと思います。

「バンビーノ」 Bambino とは大人の目からみた子供のことで、この歌では20歳くらいのお姉さんが15,6歳の男の子に「そんなことじゃ彼女がふり向いてくれないよ」と恋の手管を教えているというストーリー。本当は年下の男の子、つまりバンビーノが好きなんでしょうね、お姉さんも。
ですから「バンビーノ」とは、「プレイバックpart2」で山口百恵お姉さんが♪坊や いったい何を 教わってきたの と彼氏を諭すように言う「坊や」のニュアンス。だから「バンビーノ」に邦題をつけるならば「坊や、教えたげる」、なんて。

56年のデビューから87年に54歳で悲劇的な死を遂げるまでの30年あまり、「ラストダンスは私に」Garde-moi la dernière danse、「18歳の彼」Il venait d'avoir 18 ans(岩下志麻がカヴァしています)、アラン・ドロンとのデュオ「甘いささやき」 Paroles Paroles、「ベサメムーチョ」Besame muchoなどヒット曲は数々ありますが、日本のシャンソン歌手、とりわけ女性に最もカヴァーされているのが83年の「歌いつづけて」 Mourir sur scène。

https://youtu.be/NN2mxivM8Bo

シンガーの生きざまをうたった歌だけに、歌手を生業としている人にとっては思い入れ一入でうたえるのでしょう。
日本人で初めて聴いたのは大木康子。知られたところでは加藤登紀子、安奈淳、美川憲一などほんとに多くのシャンソン歌手がうたっています。

2曲では寂しいので、もう少し。
ダリダは「ラストダンスは私に」に代表されるようにカヴァ曲が多い。そんなかからシャンソンらしくない歌をシャンソンにしたらということで2曲を。私有のベスト盤にはない歌なので、YOU-TUBEはほんとに楽しい。

まずは60年代に流行ったアメリカンポップスを。日本ではパラキンや田代みどりがうたっておりました。

https://youtu.be/6Eva66d4t-g

続いてこれはイスラエル民謡。50年代にハリー・ベラフォンテがコンサートで披露して広く知られるようになりました。

https://youtu.be/YBj2PZ1IeIc

おまけはダリダの「バンビーノ」がラジオから流れている頃、やはり聴こえていた日本人によるカヴァ曲。当時のフランス映画の主題歌だそうですが、それもやっぱりシャンソンですよね。

https://youtu.be/QkDtPIlRYcA


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沈黙は金、か? [on the park]

サイレント・イズ・ゴールデン03.jpg

「スーパー・サルビア」以来公園を通るとき、花壇やプランターに植えられている花々が気になります。
色とりどりの花たちを見るだけで十分目の保養にはなりますが、なぜかその名前が気になります。ということは、、ほとんど知らないからですね。
弁解すれば、新種が多すぎるから。子どものころからある「古典的」草花であればある程度わが脳のアーカイブス「植物図鑑」(極めて薄い)にあるのですが。
それに最近の新種は「じゅげむ」ほどではないけれど名前が長すぎて覚えきれません。
「キク」「バラ」「ユリ」「サクラ」「アサガオ」「ナデシコ」など手短にお願いしたい。

それでもそうした公園の草花に名札が添えられていれば、何度か見ているうちに覚えることもできるのでしょうが、それはほんの一部で多くの花は名札無し。

地方自治体の公園課や委託された方々が世話をしているのでしょうが、手書きで結構なので、ぜひすべての花々の前に名札を刺しておいていただきたい。知りたがりの少数派のためにも。

そんななか、またもや気になる花というか「名札」を見つけてしまいました。
それが「サイレンス・イズ・ゴールデン」。
冒頭の写真を見るとわかるように季節外れのようで、花はなく「名札」オンリー。

「サイレンス・イズ・ゴールデン」といえば「沈黙は金」。
イギリスの格言で、「話してしまうより黙っていた方が価値がある、あるいはいい結果に結びつく」というような意味。
よく引き合いにだされる日本の「言わぬが花」とは微妙に違いがあるような気がします。日本の場合は「沈黙」が価値や効果ということではなく、たとえ不利になるとしても、自身の美意識の拠りどころという意味のような。たとえば「粋」とか。「やせ我慢」って言い方もあるけれど。

まぁ、そんな理屈はどうでも、とにかく「サイレンス・イズ・ゴールデン」に反応してしまったのです。

https://youtu.be/CRZ5_TO5W-Y

まさに「ビートルズ前夜」の1963年が「洋楽事始」だったわたしにとってトレメローズの「サイレンス・イズ・ゴールデン」(1967)は60年代ポップス(ロックなんて言葉はまだなかった)のなかでもベスト5に入るほどよく聴いた曲。

遊び惚けていた夏が過ぎ、ようやく涼しくなった頃、メランコリーな気持ちになっていたかどうかは覚えていませんが、突如聴こえてきた心地よい高音とハーモニーに魅了されてしまいました。
トランジスタラジオのヒットパレードでも上位には入ったけれど、とうとうナンバーワンにはなれなかった。そして、すぐにランク外に。季節外れの花火のような短命な歌でした。

https://youtu.be/xe4qk7Mijlo

当時は知りませんでしたが、オリジナルはその4年前にアメリカのフォーシーズンズがリリースしています。なんでも「ラグドール」という歌のB面だったとか。

フォーシズンズといえば日本ではこの曲が知られています。

https://youtu.be/Bn6e-n0b-EM

日本では九重佑三子&ダニー飯田とパラダイスキングがカヴァーしておりました。今でも九重佑三子の代表曲ですが、本来は「男歌」なのですが。いまだにJPOPでは女の子が「ボク」なんてうたってますから、流行歌のジェンダーフリーは昔からの日本の伝統だったようです。

話を戻しまして、「サイレンス・イズ・ゴールデン」のソングライターはキーボードのボブ・ガウディオ。詞はボブ・クルーとの共作。

歌の内容は、元カノがいまつき合っている男が、不実なヤツだっていうことを知っているのだけれども、それを彼女に言うべきか言わざるべきか、と迷っているボクの話。でも、やっぱり「沈黙は金」なのかな、と思っている。というような。

このシチュエーションがはたして「沈黙は金」にふさわしいのか否か、いささか疑問ですが、当時はそんなこと考えませんでしたし。

トレメローズはその後、イギリスでは活動を続けていましたが、ビッグヒットには恵まれなかったようです。

ただ1963年、ブライアン・プール&トレメローズ時代には「ドゥ・ユウ・ラヴ・ミィ」が「サイレンス・イズ・ゴールデン」同様、全英ナンバーワンになっています。「ドゥ・ユー・ラヴ・ミィ」といえば日本ではデイヴ・クラーク・ファイヴですが、彼らも1963年にシングルを発売していますが、こちらは全米30位までだったようです。

https://youtu.be/vnQa5gOaAKI

これもカヴァー曲で、オリジナルはアメリカのドゥワップグループ、コントゥアーズ。

ところで花のサイレンス・イズ・ゴールデンですが、帰って調べるとつるバラ科に属し、下の写真のような薄いみかん色で、やがて黄色になるとか。もちろん薔薇ですから枝にトゲがあるようです。
サイレント・イズ・ゴールデン04.jpg

それにしてもこの花が「沈黙は金」とは。黄色というと何かの歌にあったように「ジェラシー」というイメージがあります。
もしかしたら、「サイレンス・イズ・ゴールデン」の主人公も、「言おうかな止めようかな」なんてかっこつけてるけれど、本当は単に彼女の新しいボーイフレンドに嫉妬しているだけだったりして。

最後にオマケの一曲。
「サイレンス・イズ・ゴールデン」は当時、もちろんレコード盤を買った記憶があるのですが、家のどこを探しても見つかりません。こういう場合はたいてい誰かに貸しっぱなしになっているものですが、もはや追跡不能。

その代わりというのも変ですが、「サイレンス・イズ・ゴールデン」が聴こえていた頃、同じようにヒットパレードの上位に入っていたギリシア映画のサントラ盤がありまして、それもなぜかシングル盤を買い、それが押入れの段ボールの中に入っておりました。
実は、その映画は見ていません。それでも音楽の良さで買ってしまったのです。作曲は「Z」のミキス・テオドラキスだと思うのですが、別の作曲者のクレジットがあるものもあり、不明です。

https://youtu.be/pwPDMs_aOUA

そんなサントラ盤はいくつもありました。映画音楽が映像とは無関係に「独立」していて、ヒットパレードの上位にいくつもランクされていた時代でした。
「さらばベルリンの灯」「いつも二人で」「夕陽のガンマン」「悲しみは星影とともに」「ロシュフォールの恋人たち」などなど。「サイレンス・イズ・ゴールデン」がヒットした1967年の映画です。

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スーパーサルビア [on the park]

スーパー・サルビア・ロックンロール02.jpg

きのうもきょうも暑い日が続いております。

コロナ騒動でうっかり忘れていましたが、いつものように夏が来ておりました。

歩いているだけで汗がしみてきます。また信号などで立ち止まると、露出した腕がピリピリとヤケてきます。

楽しみはショウヘイ・オオタニと照ノ冨士。あとはやっぱりミュージック。

公園を通っていると、いろいろな人がいます。野鳥写真家たちはあいかわらずですが、目に入ったのは50代とおぼしき夫婦。ふたりともスポーティないで立ち。気になったのはふたりの足元。ともにスケボーに乗っているというか、ひきずっています。
どうやら旦那さんが奥さんに乗り方を教授しているようです。
もちろんスケボーに年齢制限はありませんし、公園なら安全でしょうし。

まぁ、いろいろな人がいますが、それより日差しが強くなると、草花が鮮やかに発色します。赤、橙、黄色、白などなどで、取り立てて植物が好きというほどではなくても心がなごみます。花々の名前もセンニチコウ以外はほぼ知りません。そのなかになぜか目を惹く紫の花がありました。
花のかたちはサルビアですが、赤ではなく紫。それに丈が見なれたサルビアに比べるとやや大ぶり。近年新種の花卉が多いと聞いておりますから。

密集する枝茎に隠れて名札がありましたので、かきわけてみると「スーパーサルビア・ロックンロール」と書かれておりました。
やっぱりサルビアなんだ。

それよりも印象に残ったのが「ロックンロール」。
可憐な花からはロックンロールという感じがしませんが。どちらかというとフレンチポップスのような。まぁ、これはわたしより花に見慣れた命名者がつけたのでしょうから、納得せざるをえません。

それにしてもロックンロールとは。
たとえば仕事を終えて、開放感に浸りたい時など聴く音楽といえばこれはもう「ロケンロー」しかありません。これはもう若くても、年老いても変わるものではないのです。

しばらく聴いていなかったし、ここはまとめて。
チャック・ベリーの「ロールオーヴァー・ベートーヴェン」をカヴァーの聴き比べで。

まずはビートルズ。ジョージ・ハリソンがリードポーカル、マッカートニがコーラスを。はじめはジョン・レノンがリードヴォーカルだったそうで、YOU-TUBEには解散後のジョン・レノンのヴァージョンがありました。

https://youtu.be/rb3NhD7kfA8

続いてやはりローリング・ストーンズ。ビートルズによるカヴァーは1963年でしたが、こちらは1年遅れの64年盤。デビュー曲「カム・オン」(1963)もチャックのカヴァーでした。どちらも65年のブレイク曲「サティスファクション」以前。動画もありましたが、音が悪すぎて諦めました。ミックの声が若い。あたりまえだけど。

https://youtu.be/NqxC7pDrklI

3番目はビートルズ、ストーンズと同じイングランド出身のロックバンドELO「エレクトリック・ライト・オーケストラ」の73年のシングル。

https://youtu.be/HgcKhqlFz4Q

日本ではこの曲に関していえば、ストリングスが新鮮だったELO盤が最もヒットしたのではないでしょうか。よく聴こえていました。世界的にはわかりませんが。
個人的にはもう断然ストーンズです。ライブ盤とか録音状態などいろいろあるのでしょうが、ミックのヴォーカルはもちろん、演奏ももっともロケンローでした。

番外で日本盤も。といえばもちろん内田裕也です。ヨロシク。

https://youtu.be/U9p4LWq21SE

1964年発売で訳詞というか作詞は安井かずみ。なぜかサーフィンソングになってます。♪ノッテケ、ノッテケ、ノッテケサフィンの「太陽の彼方」が流行ったころなのかも。バックバンドはブルージンズのようです。あのテケテケエレキは先日亡くなった寺内タケシさんなのでしょうね。

ロケンローといえばいつもチャック・ベリーかリトル・リチャードとなってしまうので、オマケはほかのアーティストのものを。
それもやはりカヴァーで。それも女性ヴォーカルで。オリジナルはCCRとカール・パーキンスという2曲を。詳細はわかりませんが、ロシアとスペインのバンドのようです。

https://youtu.be/yHNR41vQ5eA

https://youtu.be/NDPO18mw5iM
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8823 [on the park]

はやぶさ02.jpg

いつも通る公園の片隅に2週間ほど前から、人が集まるようになっていました。
男女入り混じって多い時には20人近い人の群れが、木立ちの中に入っていました。。

横切りながらチラチラ様子を見ると、みなさん一様にカメラを持っています。それもほとんどが300ミリ、400ミリの望遠レンズをセットしたもの。
「なるほど」と納得。
彼らは野鳥をカメラに収めようとしているのです。

2週間余り前までは、なんてことのない公園の木立ちだったのが、いまや野鳥撮影や野鳥観察のベストポジションになっていたのです。
それからほぼ、毎日のようにこの公園を通っているのですが、だいたい彼らの姿を見ることができました。

おそらくそれまでいなかっためずらしい鳥がこの公園に飛来しているのでしょう。もしかすると、これほど長く居続けるということは塒にしているのかもしれません。

彼らの半分以上は「同輩」だったりなかには「先輩」も混じっています。女性もおります。
つまり、おじいさんやおばあさんが、ロングレンズのカメラを操っているのです。元気だなぁ。

「通りすがり」のわたしも、「どんなめずらしい鳥が来ているのだろう」という興味はありましたが、足を止めるほどの興味ではありませんでしたし、ましてやバードウォッチャーたちに「どんな鳥がいるんですか?」などと訊ねるほどの強い関心があるわけでもありませんでした。

しかし昨日、仕事の帰りということもあり、気持ちに余裕があったのと、あまりにも連日のようにカメラマンたちが集まっているので、ついつい足を止めて、彼らのレンズが狙っている先を見上げてみました。

10メートル以上はあろうかというケヤキ(多分)の木々の枝にハトをひと回り大きくしたような2羽の鳥が1メートルほどの間隔をあけて止まっていました。どちらもわたしの方を見ておりました。というかわたしに正対しておりました。

風格があるのです。
いつも見ているハトやカラスなどに比べて堂々としているというのか、人を恐れず、さりとて媚びず。わたしやバードウォチャーを睥睨しておりました。
そしてその胸から腹にかけての白い縞のような模様からそのバーズを推察できました。おそらく「ハヤブサ」でしょう。

緑が多い比較的広い公園といってもここは東京都23区内。
こんなところまでハヤブサが流れてきたのでしょうか。
そりゃ、バードウォッチャーも集まるはず。でも、そした野鳥の会みたいな情報網があるんでしょうか。
一瞬、スマホに番いのハヤブサを納めようかという気になりましたが、カメラマンたちの長玉で納めた雄姿に比べたら…。それにその画像を何に使うでもなくメモリの無駄遣いになるだけと思い返し、とりあえず、バードウォッチャーたちをパチリ(という音はしないけど)。

ハヤブサの歌などあるのかな、と思いまいたが、これがあるのです。

JPOPではボーカロイド・初音ミクの「はやぶさ」が。これは小惑星探査機「はやぶさ」の偉業をアニメチックにたたえた歌で、鳥のハヤブサをうたったものではありません。

スピッツにも「8823」(ハヤブサ)がある。
これも直接鳥の「ハヤブサ」を歌ったものではないけれど、like a HAYABUSA ということで、誰よりも速くという青春のスピード感を鳥のハヤブサになぞっているようです。2000年に発売されたアルバム「ハヤブサ」のタイトル曲ということです。

ほかでは「はやぶさ」という純烈、みたいな歌謡コーラスグループがいるようです。

ではほんもののハヤブサfarcon をうたった歌はないのかといいますとこれがあるのです。昭和40年といいますから1965年、いまから55年も以前の歌謡曲に鳥の「ハヤブサ」をうたった歌があるのです。

https://youtu.be/2FGh37u0jGo?si=kGtkPlcsCTPZwWir

「はやぶさの歌」は昭和40年に封切られた舟木一夫の主演映画「北国の街」の挿入歌で、シングル「北国の街」のB面です。
映画を観ていないのではっきりとはわかりませんが、歌詞を聴くとまさに鳥のハヤブサ讃歌。孤高の快速鳥の潔さをうたっています。

作詞は高校三年生や修学旅行の丘灯至夫。
古関裕而や野村俊夫(作詞家)と同じ福島県出身で、若い頃から西條八十に師事し、毎日新聞記者をしながら戦後、作詞家活動をはじめました。初のビッグヒットは昭和29年の「高原列車は行く」(岡本敦郎)でその後32年には「東京のバス・ガール」(コロムビア・ローズ)を。ほかではこんな歌も。

https://youtu.be/fIQ6_6pUyzc

作曲、編曲は 「柔道一代」(村田英雄)や「宗右衛門町ブルース」(平和勝次&ダークホース)の山路進一。
コロムビアレコード専属の作・編曲家で、表に出たがらない人だったようで、出身地等経歴はほぼ不明。編曲では北原謙二の「若い二人」や五月みどりの「一週間に十日来い」などをてがけています。舟木一夫のデビュー前のオーデションでピアノを弾いていたとも。昭和41年にはこんな歌も。

https://youtu.be/0KSrKwWqMh8?si=FK1AW7LyFwaEOQS_

まえに述べたスピッツの「8823」ですが、ハヤブサを8823とシャレたのは草野正宗のオリジナルではなく、昔子ども向けのテレビ実写ドラマで「海底人8823」というのがありました。「かいていじんはやぶさ」と読みます。70歳前後の男ならほぼ知っているのでは。
ハヤブサを「8823」としたのは原作者の知恵ですが、「4649」という暴走族的思考ですね。
この歌を聴くと小学校時代を思い出します。
級友にひょうきん者がおりまして、この歌をよくうたっておりました。
♪ハキハキ爺さん謎の人 ハキハキ爺さん海底人……
なんて歌で周囲を笑わせておりましたっけ。あいつ今何してる?やら…。

https://youtu.be/Rlj2FQbUgc8


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三羽の鳩は [on the park]

三羽の鳩.jpg

https://youtu.be/y8i5-G7fP8U

わたしの歩行の前をまるで無防備に(わたしが立ち止まる)横切る三匹の鳩。
鳩はふつうツガイで行動するって聞いていました。
たまに群れの中で「一匹鳩」がいます。多分「奥さん」と死別したか、三下り半をもらった鳩でしょう。
なぜ、「一匹鳩」をオスと決めつけるのかって? つれ合いに死なれたり別れたメス鳩はすぐに新パートナーをみつけるので、なかなか見かけることがない?。
だからそんな悲しき「一匹鳩」はほぼオスなのです。

それはともかく、三匹の鳩はオス二羽にメス一羽に決まっています。

これは何度か目撃したのですが、そうした三匹の鳩の間には人間と同じで三角関係が生じます。
つまり、仲の良かったペアの片割れのメス鳩に、愛を失くしたオス鳩がちょっかいを出すのです。たまったもんじゃないのが妻を寝取られそうになったオス鳩。

当然、オス同士の激しいバトルがはじまります。鳩が平和の象徴だなんてウソですよ。
旦那さんが間男を追い払い、現状維持といけばよいのですが、その反対の結末も。
間男が旦那さんをボコボコがにしてメデタク? 奥さんをGET。

奥さん、新恋人の求愛を断固拒否、打ちのめされた愛する旦那さんの元へ駆けつけ、いやひとっ飛び。なんてことはまずない。
不条理ですが、どの世界でも女は、いやジェンダーの時代ですのでメスは、強いオスを求めるもので、元カレなど見向きもせず、新恋人と手に手をとって、とはいきませんが身を寄せ合ってスタコラと。
残された元カレのみじめなこと。
こういう鳩も群れの中にしばしば見受けられる「一匹鳩」なのです。なんとなく身につまされる話ではありますが。
こういう可愛そうなオス鳩をみて、わたしは心の中で「泣くな弧鳩よ」なんてつぶやいております。

いささかマクラが長くなりましたが、公園の三羽の鳩を見て脳内で再生されたミュージックが都はるみの「さすらい小鳩」ではなくって、この歌。

https://youtu.be/HS7toV_A9r4

スリー・グレイセスの「山のロザリア」。つまり「トリオ」による歌が思い浮かんだわけでして。
昭和30年代なかば、歌声喫茶の定番で井上ひろし盤もありましたっけ。

曲はロシア民謡らしく、作詞は「高校三年生」の丘灯至夫。オリジナル?は31年に織井茂子が「牧場のロザリア」のタイトルでレコーディングしております。その詞はスリー・グレイセスと同様です。
聴いてみたいのですが、残念ながらYOU-TUBEにはなし。所蔵のMDのなかに入っているのですが、再生機が壊れておりまして叶いませぬ。

とにかく三羽の鳩を見て聴こえてきた音楽は鳩の歌ではなく、冒頭のYOU-TUBEのトリオの歌。あいも変らず昭和の歌ですが。

スリー・グレイセスは昭和33年に星野操、森本政江、白鳥華子によって結成されたトリオ・コーラスグループ。
おそらく和製アンドリュース・シスターズとして結成されたのではないでしょうか。

プロデュースはダークダックスやボニージャックスを生みだしたジャズ評論家の小島正雄。トリオ名はたぶん小島の命名でギリシャの3女神からとったとか。

当初はジャズをうたっていたようですが、36年、当時のうたごえ運動の影響もあり、ロシア民謡の「山のロザリア」が大ヒット。B面の「カチューシャ」もロシア民謡でやはり歌声喫茶などの定番ソングでした。

当時はテレビでもしばしば見かけられ、とりわけNHKの洋楽番組ではなくてはならない女性トリオでした。紅白歌合戦にも何度か出場しております。

解散したという話は聞こえててきませんが、多分3人とも80歳を超える高齢、実質活動はされていないのではないでしょうか。いや、まだ現役だよという情報をお持ちの方ぜひご一報を。


そのスリー・グレイセスよりもやや遅れて結成され、さきがけてビッグヒットをとばしたのがスリー・キャッツ。

https://youtu.be/7jf2TjDHQzQ

スリー・キャッツもその名ととおりトリオで、女性三人組。
そのラテン風味の作・編曲は浜口庫之助。それまでラテンバンドを率いて紅白歌合戦にまで出場したシンガーでしたが作曲家に転向。その初めての大ヒットが昭和34年のこの「黄色いさくらんぼ」。未だレコードプレイヤーの普及がすすんでいなかった当時で25万枚のビッグヒット。現在なら100万枚は有に超えていたとも。
ただ当時、この歌詞とため息がエロすぎると物議を呼んだことは子どもながらに覚えております。当然テレビ、ラジオの自粛もあったでしょうが、それでいてこのヒットですからスゴイ。

浜口庫之助はこの直後、つまり同じ昭和34年に守屋浩の「僕は泣いちっち」をリリースし、ビッグヒットを連発します。そして押しも押されもしない売れっ子作曲家になっていくのです。
作詞はのちに「風雪ながれ旅」を書き演歌の巨匠となる若き星野哲郎。
スリー・キャッツについては詳細はわかりませんが、かつてのハマクラさんのバンドにいたシンガーズではないでしょうか。

https://youtu.be/Y6nIckqRcQg

そのスリー・キャッツとほぼ同時期に結成されたのが「スリー・バブルス」。
なんでも近年NHKの朝ドラで話題になったとか。メンバーは俳優座養成所の3人娘で、永六輔が命名したとか。「夢で逢いましょう」のレギュラーで、基本的にはやっぱりアンドリュース・シスターズばりにジャズというかポップスというか、とにかく洋楽中心に活動していたと思うのですが、残念ながらオリジナルのヒット曲はありません。その代わりというのでもないのですが、ミツワ石鹸のCMソングは当時の人ならいま聴いてもわかるほど世間に浸透しておりました。

YOU-TUBEはコニー・フランシスのカヴァー。やっぱり聴きなれた森山加代ちゃんのほうがいいなぁ。
メンバーのひとり松岡圭子(のちに計井子)さんは、解散後長い間ビートルズの曲を日本語でジャンジャンなどでうたっておりました。

女性トリオばかりになってしまいましたので、決してオマケではなく男性トリオを。
ジャニーズ前夜でしたが、そこそこ若い女性ファンを惹きつけたトリオで、テレビでも司会をするほどの人気者たちでした。
印象的な歌はいくつかあるのですが、ビートルズのマイ・ボニー(はじめはトニー・シェルダン)をカヴァーした「恋人は海の彼方に」を。
ビートルズ盤をのちに聴いて[bring back]を[come back]とうたっているのがなんとも冴えねえなぁなんて思った記憶が(中学生でしたから)。

https://youtu.be/JTOzqKYMFIs

ところで恋人を奪われた悲しき鳩よ。
泣くな嘆くな孤独の鳩よ、また来る春がないじゃなし。
いつかわたしがベンチにすわり(ここ何十年すわっておりませんが)、「鳩おじさん」になったとしたら、誰にもやらずにお前にだけに、ポップのコーンをこぼしてやろう。ねっ。


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