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メキシコその愛 [diva]

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メキシコのディヴァといえば、1990年代から2000年代にブレイクしたラテン・ポップの女王タリィア。

https://youtu.be/JO-xQAxkgww

1971年8月、メキシコシティで生まれ。幼いころから芸能活動をはじめ、ミドルティーン頃までは子供のアイドルグループのヴォーカルや女優として活躍。
1990年、19歳でソロデビュー。
はじめてのビッグヒットとなったのが、1995年の4枚目のアルバム「エネスタシス」Enextasis。このアルバムからレーベルをEMIにうつし、エミリオ・エステファンJr(グロリア・エステファンの夫)らのプロデュースで1週間で50万枚を売り上げた。メキシコ国内だけでなく南米、ヨーロッパのスペイン語圏(アメリカも)を中心に20カ国以上でヒット。

そのシングルの中にはのちに述べるテレノベラ(連続テレビドラマ)の主題歌「マリア・ラ・デル・バリオ」Maria la del Barrioもありましたし、彼女のシングル初のビッグヒットとなった「ピエル・モリナ」Piel Morenaも。

https://youtu.be/chB3TsW6l6c

リードシングルとなった「ピエル・モリナ」は直訳すれば「褐色の肌」。歌詞の内容は
あなたの灼けた肌は、まるで燃え盛る火であり、不思議な魔法のようでもあり、恐ろしい毒でもあり、また夢へと誘うハチミツのようでもある。星空の下そんな灼けた肌がわたしを虜にする……とクンビアのリズムにのせて熱唱します。

タリィアは少女の頃から女優としても活動していまして、とりわけメキシコのアイドルとなったのが「テレノベラ」と呼ばれる連続テレビ小説に主演したこと。
はじめての主演が18歳のときの「光と影」a。
大ブレイクしたのがその3年後の1992年の「マリア・メルセデス」。その後1994年の「マリマール」、先にふれた1995年の「マリア・ラ・デル・バリオ」と「マリア三部作」と呼ばれるテレノベラでタリィアは国民的アイドルになります。
国内ばかりでなく彼女のテレノベラは海外180カ国で放映されたとか。

とくになぜかフィリピンで大ブレイク。1995年にタリィアがフィリピンを訪れたときは「マリア(役名)が来た」と大フィーバーになったとか。彼女が降り立った空港は大勢のファンがつめかけて大混乱になったことはもちろん、マラカニアン宮殿で大統領を表敬訪問したときは、本来その場にいなくてもいい政府関係者たちが彼女をひと目見ようと集まって大変な騒ぎになったそうだ。とにかくフィリピンでは「国賓」あつかいで、「ロサリンダ」などはフィリピンでのリメイク版がつくられたとか。
ちなみに彼女の海外公演はアメリカ、南米、ヨーロッパが主ですが、アジアではフィリピンのほかインドネシア、そして中国まで。日本は残念ながら寸止め。日本に来ていれば当然タリィアフィーヴァーが起き、もっと人気になっていたと思うのですが。

テレノベラのそれぞれの作品はその主題歌もヒット。
テレノベラはいってみればシンデレラストーリーで、若きヒロインが辛酸をなめながら強い心でやがて幸せをつかむという話。つまり主人公は若い女性で、タリィアも歳を重ねやがて卒業することに。その最後の作品となったのが1999年28歳のときの「ロサリンダ」Rosalinda 。

https://youtu.be/lNSpwEzZqkQ

もはや「メキシコの女王」とか「ラテンのマドンナ」の称号で呼ばれるようになったタリィアですが、1997年、その7枚目のアルバムとなる「アモーラ・ラ・メヒカーナ」Amor a la mexicana が海外14カ国でもチャートナンバーワンになるビッグヒットに。
そのアルバムタイトルである「アモーラ・ラ・メヒカーナ」(メキシコその愛)も彼女のシングル最大のヒットに。
冒頭の動画は、2009年アメリカのオバマ大統領が主宰したラテン・フェスタに出演し同曲を熱唱した模様。グロリア・エステファンやジェニファ・ロペスらラテンのトップシンガーたちが揃ったホワイトハウス前のステージで最も輝いていました。
とりわけ曲の間にオバマ大統領をダンスに誘うパフォーマンスで話題になりました。

2002年には「私は私」A Quién Le Importaが大ヒット。

https://youtu.be/LZc7rh_DPIk

直訳すると「誰も気にしない」。1983年スペインのバンド「アラスカ&ディナラマ」のヒット曲で「後ろ指をさされようが、悪い評判を立てられようが、私は気にしな、私は変わることなく生きていく」という女性の自立を声力強くうたってヒット。なんでもLGBTが支持する歌でもあったとか。
1980年代のポップスを代表するユーロビートをそのままとりいれ、2002年にタリィアが素晴らしいダンスミュージックとしてカヴァーしてヒットさせています。

最後は2009年のコンサートツアーで披露された彼女の四大シングルヒットをメドレーで。

https://youtu.be/pQZShz_yZ_0

1曲目は「海と星の間」Entre el mar y una Estrella
ラテン・バラードではタリィアの最高のヒット曲といわれています。
一度終ってしまった恋を回想するというストーリー。怨みや後悔などなく、いつか彼が帰ってくることを信じて永遠の愛を捧げ続けるという、ある意味彼を思い出すことの幸福感すら感じる名曲です。
とにかく詞も旋律もラテンによくあるギラギラ感がまったくなくむしろ清涼感すら覚えるほどで、聴けば聴くほどこの歌の良さが伝わってきます。ラテンファンとしてもとても新鮮な歌でした。

2曲目は「ピエル・モリーナ」Piel Morina
すでに聴いてきた曲ですが、前の動画は彼女が20代前半のもの。このツアーは2009年ということで30代後半のもの。つまり10数年を経てセクシーアイドルから大人になったタリィアが聴けますし、見れます。あたりまですが、歌唱力も表現力も段違いで、余裕をもってうたっております。

次はこれもラテンバラードのヒット曲「秘密」No Me Ensenaste。
2002年のアルバム「タリア」に収録され、翌年シングルカットされた曲。直訳すると「(あなたは)何も教えてくれなかった」と恋人と遠く離れていることの不満。決定的な「別れ」への不安、そして彼がいなくなってからの過ごし方を教えてくれなかったことへの不実を嘆いています。同じバラードでも「海と星の間」とは対照的で、パッショネイトに熱唱しております。

最後はこれもすでに見てきた彼女の最大の国際的ヒット曲「アモーラ・ラ・メヒカーナ」Amor a la Mexicana。
1997年の5枚目となる「Amor a la Mexicana」のアルバムタイトル。
激しく愛されたい、死ぬほど愛したいとシャウトしながら「クンビアやソンのミュージック、ブーツにソンブレロ、テキーラにラム酒、灼熱の太陽、それがメキシコの愛」とメキシコのアイコンを並べて、まさにクンビアやサルサのリズムにのせ、うたいあげております。メキシコ人にとってはナショナリズムをかきたてられるたまらない歌。

おまけはカヴァー曲を。
メキシコでなぜか昔から人気のあるイタリアン・ポップス。
彼女がカヴァーしているのは日本でもヒットした懐かしい歌。

https://youtu.be/AS-S-qac5Kc

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何が起きても [diva]

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ザーズはフランスのシンガーソングライターで、ポップスからジャズ、ブルース、ラテンなどその魅力的なハスキヴォイスでなんでも器用にこなしてしまう。

1980年生まれといいますから今年41歳。
音楽学校で基礎をみっちり学んだもののすぐデビューとはいかず、いくつかのバンドのヴォーカルなどをこなしていましたが、CDデビューは2010年、30歳のときで、どちらかというとスロースターター。
そのデビューアルバム『モンマルトルからのラブレター』のなかのファーストシングルが
「私が欲しいもの」Je veux。

https://youtu.be/hQVXSvEw8_0

「リッツのスイートルーム?、シャネルの宝石?、リムジン?そんなものいらないわ。エッフェル塔だっていらない。私がほしいのは愛と喜びと、気の利いたユーモア。お金じゃないのよ」
とフランスらしい本当に人間として自立した女性の品格をうたっております。

2014年には「Paris」私のパリ という古いシャンソンのカヴァーアルバムをだしています。彼女にとって3枚目のアルバムとなります。その中から一曲。

https://youtu.be/VY_xSs7ozxc

「パリの空の下」Sous le ciel de parisはピアフをはじめ多くのシンガーによって歌われたシャンソンで、日本でも「枯葉」と同様にシャンソンの代名詞となっている歌。
恋人たち、子ども、哲学者、ミュージシャン、野次馬、犯罪者、浮浪者などなど、花の都・パリで暮らすさまざまな人たち。そのすべてを受け入れてくれるのがパリ。
日本では昭和30年に芦野宏がレコーディングしています。岸洋子盤もいいなぁ。

そんなシャンソン・クラシックスをもうひとつ。
「私のパリ」には入っていませんが、戦後のヒット曲で昭和30年代の日本でのシャンソンブームでも支持された一曲「絶対従順主義」Je Me Suis Fait Tout Petitを。

https://youtu.be/c2BVCH8tlVY

戦後のシャンソンブームのなかで、イヴ・モンタンなどとともに日本でも人気のあったジョルジュ・ブロッサムのヒット曲。直訳すると「自分を小さくする」ですが邦題は「絶対従順主義」なんて固いタイトルがつけられています。
いつも強気で生きてきた男が愛する彼女の前で、何も言えず従順になってしまう自分への自虐をうたっています。アナーキーな詩人でもあるブラッサムなので、一見ラヴソングの裏に権力の前に無力な人間を揶揄しているようにも聞こえてしまいます。
動画はやはりフランスの人気シンガーソングライターであり女優のジャンヌ・シェラルとととても楽しげにうたっています。


「私のパリ」から3年後の2018年にリリースされたアルバム「ミラー効果」Effet miroirは彼女が数年かけて実行した世界ツアーの集大成といわれるアルバム。2015年には東京と大阪でもコンサートを行っています。それで日本でもファンが多いのかも。

そのアルバムのファースト・シングルとなる「ケ・ベンドラ」Que vendra(何が起きても)を。

https://youtu.be/kCe60ivhM5U

フランス語とスペイン語のミックス?でうたわれているようで、
「人生は何が起こるのかわからない。喜びや悲しみのなかで自分を信じて生きて行くしかない。たとえ自分を見失ったとしてもそのことを分かっていれば、おのずと自分がすすむべき道を歩むことができるはず」
と、人生を前向きに生きて行く姿勢がうたわれています。
それは彼女がデビューしてから世界ツアーを含めて8年間の経験から体得した人生の歩み方なのでしょう。
まぎれもなくラテンの香りなのですが、ジャズが沁みていてさらにはレゲエの臭いもする不思議で心地よい旋律とリズムに酔ってしまう歌です。

おまけの一曲はストレートにラテンを。それも日本でもラテン名曲ベスト5に入るばかりでなく、世界的にもラテンクラシックとして認知されている曲を。

https://youtu.be/0GMcL2nkp4E

「ある恋の物語」Historia de un amor はさほど古い歌ではない。1955年(十分古いか)、パナマのカルロス・アルマランによって作られました。(異説もありますが)
恋人を亡くした男の嘆きをうたったもので、
「彼女はわたしのすべてだった、生き甲斐だった。なのに神はなぜこんなにひどい試練を与えるのか……」

この歌に火をつけ世界的名曲にしたのがメキシコのトリオ・ロス・パンチョス。小気味よいレキントギターと美しいハーモニーが奏でるラテンワールドはもちろん昭和30年代の日本にも。
アイ・ジョージや坂本スミ子、ザ・ピーナッツなどがカヴァーしておりました。演奏ならば見砂直照と東京キューバン・ボーイズとか、原信夫とシャープス&フラッツとか。洋楽ならペレス・プラド楽団とか、ジャズならアート・ペッパーでよく聴きました。

ザーズはそれを女歌にして、あふれるばかりの情熱で熱唱しております。母親がスペイン語の教師らしく、彼女の歌にもたしかにラテンの血を感じてしまいます。


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愛さずにはいられない [diva]

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https://youtu.be/_KfGu6zJbsE

1990年代、カントリーシーンだけでなくポップスシーンでも存在感を示したマルティナ・マクブライド。1966年カンザス生まれで92年26歳でアルバムデビューした。
カントリーのシングルチャートで初のナンバーワンになったのがはじめの動画の「ワイルド・エンジェルズ」wild angels(1995)。
カントリーチャート№1は何曲もあるけれど、グラミーは10数回ノミネートされて受賞ゼロという運のなさ。

ところでカントリーはよく日本の演歌と比較されます。
それは古い歌、昔の歌。という意味なのでしょう。たしかにそういう面はあります。もうひとつ似てるなと思うのは、とにかく若くしてデビューした彼女たちはとても歌唱力があるということです。
マルティナもメジャーデビューはさほど早くありませんが、それ以前から父親のローカルバンドで声を磨いていたといいますから、歌のうまさも折り紙付き。

歌のうまい歌手は日本でいうカヴァーも上手。
なかにはかつてのヒット曲だけのカヴァーアルバムをリリースしてしまったり。たんに歌唱力があるというだけでなく、様々な曲調に対して対応力があるんでしょうね。それがまたオリジナルとは違った良さになったり。

マルティナも御多聞にもれず、歌上手ゆえにカヴァーも聴かせてくれます。
そんな彼女のカントリークラシックスのカヴァーを何曲か。

まずは「ケンタッキーの青い月」Blue moon of Kentucky

https://youtu.be/hyD9XBEQZtg

ビル・モンロー&ブルーグラス・ボーイズのヒット曲というより、エルヴィス・プレスリーのデビューシングル(B面)として知っている人が多いかも。
ビル・モンローのつくった美しいワルツをエルヴィスが4ビートに変えてしまった。そのアレンジが50年代のロケンローの草創期を象徴するもので、以後パッツィ・クラインもエルヴィスバージョンを踏襲。というかビル・モンロー自身が共感して4拍子のヴァージョンで演奏するようになったというから、いかにエルヴィスが画期的だったか。

以後カントリーでこの曲といえばほぼエルヴィスヴァージョン。パッツィ・クラインもワンダ・ジャクソンもリアン・ライムスも、そしてマルティナ・マクブライドも。

彼女のエルヴィスカヴァーはほかに「サスピシャス・マインド」Suspicious mindや「ブルー・クリスマス」Blue Christmas などがあり、とりわけ後者はCG処理でエルヴィスとのデュオが聴ける。

つぎは「愛さずにはいられない」I can't stop loving you

https://youtu.be/5NmKiZi5PJY

レイチャールズの大ヒットR&Bで知られた名曲ですが、もともとは「オー・ロンサムミー」Oh, lonesome me や「失恋の海」sea of heartbreak で知られるドン・ギブソンの自作自演がオリジナル。キティ・ウェルズのカヴァーもいいけどやはりマルティナのソプラノトーンが小気味よい。
タイトルにあるような激しい愛を伝える恋愛真っただ中の歌かと思いきや、どうやらフラれてしまったようで、渡哲也の「純愛のブルース」よろしく♪思い出だけで いいんだよ と歌っております。それでも心の叫びはあふれてやまず、♪愛さずにはいられない と。

3曲目は「ローズ・ガーデン」I never promised you a rose garden

https://youtu.be/dsCDho0Q_4w

これも日本で70年代にヒットした歌。よくラジオから流れておりました。オリジナルはリン・アンダーソンで、日本ではカントリーというよりはポップスとして受け入れられました。たまにこういうパターンがあります。古くは「テネシー・ワルツ」Tennessee waltzがあるし前述の「愛さずにはいられない」もそうだし、ほかではスキーター・デイヴィスの「この世の終わり」The end of the world 、ホイットニー・ヒューストンの「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」I will always love you もカントリー発進のポップスのビッグ・ヒット。

最後はオリジナルシンガーとのデュオで「ワンス・ア・デイ」Once a day

https://youtu.be/21OAYui4YPI

コニー・スミスのデビュー曲にして最大のヒット曲。
「一日に一度だけ彼が戻ってくることを願うの、一日に一度だけ何もかも忘れて泣くの」という健気な失恋ソング。ビルボードのカントリーチャートで8週間連続1位という当時の記録を打ち立てた曲。ソングライトはカントリーのシンガーソングライター、ビル・アンダーソン。
個人的にもカントリーを聴き始めたころの歌で、コニーでは「シンシナティ、オハイオ」や「青いトランジスタ・ラジオ」などとともによく聴いていました。
そのちょっと前にはポップスのコニー・フランシスもよく聴いていましたし、ふたりのコニーはいまでもわたしのディーヴァです。

オマケはゴスペルといいますかセイクレッドソング(聖歌)を。1948年、ハンク・ウィリアムズによってつくられた「アイ・ソー・ザ・ライト」を。
光を見たんだ、神と出会えたんだ という讃美歌。
共演しているのはシンガーとしての彼女の原点をつくった父親のダリル・シフ。

https://youtu.be/PpZFSjn_NJU

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エイメン [screen music]

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正月そうそうの訃報でした。
アメリカの俳優であり監督であったシドニー・ポワチエが亡くなりました。94歳だといいますから、大往生ですね。

びっくりしたのは元の奥さんがジョアンナ・シムカスだったということ。知りませんでした。「冒険者たち」でアラン・ドロンとリノ・ベンチュラに愛されるいい女で、あのスレンダーな容姿、あの大海原のドラマ、あのスクリーンミュージックとともに忘れられない女優でしたが、まさかポワチエの奥さんだったとは。

それはともかく、ポワチエはわたしが洋画に目ざめた1960年代なかごろ、とても印象に残った男優でした。
当時、当然こどもだったわたしはロードショーなど観る小遣いはなく、いつも駅前にあった映画館に通っていました。
ロードショーが終了したあとの「二番館」ならまだいいほうで「三番館」「四番館」なんてことも。だいたい小中学生は2本立てか3本立てで100円前後じゃなかったかなぁ。
当時の100円は子どもにとって大金で、中学で月の小遣いが300円くらい?。

近所の川のほとりにあった映画館など邦・洋とりまぜた5本立てで50円だった。そのかわり、フィルムがブツブツに切られていて。通常1本1時間半の映画が5本で3時間足らずで終っていました。まさにファスト映画の魁。さらに館内は個別の椅子などなく、よくあった森永や明治といった製菓会社のパイプでつくられた長椅子がいくつも置いてあるだけ。したはもちりん板敷などでなくまったくの地べた。だから草が生えていたり、穴ぼこがあったり。とにかくスゴイ映画館でした。

脱線してしまいました。
ポワチエを初めて見たのは「夜の大捜査線」。

https://youtu.be/HP3arfW6uvw

これも忘れられない名作です。アカデミーも作品賞と主演男優賞を獲っています。
もちろん主演はポワチエなのですが、アカデミーを捕ったのはロッド・スタイガー(彼もいい役者でした。シドニー・ルメットの「質屋」での実は心に癒しきれない傷をおっている因業な主人はみごとでした。モノクロでね)

「夜の大捜査線」はニューヨークだったか都会の辣腕刑事(ポワチエ)が南部ミシシッピイで列車の乗り換えで降りてくるところから始まるサスペンスドラマで。黒人差別がいまよりさらにヒドかったアメリカ、それも南部で黒人刑事が殺人事件の捜査をしなくてはならない羽目になっていくというありえない話(これが映画)。

捜査を指揮するのがこの街の警察署長(ロッド・スタイガー)で、当然の如く黒人蔑視と偏見のかたまり。
犯人はかんたんに捕まるが実はそれが冤罪。それをポワチエが暴き、真犯人に迫っていくというハラハラドキドキ。
それよりも惹きつけられるのがポワチエとスタイガーのやりとり。

黒人の能力など信ぜず、ポワチエの有能ぶりにイライラ反発する所長も共に捜査を続けていくうちに苦々しくおもいながらもその手腕を認めざるをえなくなっていきます。
そして真犯人はみごと逮捕され一件落着。

ラストシーンは。ファーストシーン同様、駅。
図らずも長逗留になってしまったポワチエが改めて乗り換えのために駅で列車を待っているところ。そこに仕事中の所長が何気ない感じでフラッと現れる。そして何気ない感じで別れを告げる。微笑むポワチエに対して、スタイガーは「あんたにゃ脱帽だ」という顔をしていた。

多分こんな映画でした。たしかにロッド・スタイガーの演技はアカデミー賞ものでしたが、ポワチエの差別の中で自分の仕事を妥協せずに続けていくという刑事の演技も捨てがたいものでした。
勘ぐれば、ポワチエはその4年前に「野のユリ」でアカデミー主演男優賞を受賞しているので、短期間で同じ黒人に2度もアカデミーを与えるのは……という配慮があったのではないでしょうか。改めて考えても、南部でヒーローになる黒人より、南部でリベラルな小権力者の方が左にも右にもウケがよかったのでしょうね。少なくとも当時のアメリカでは。

2度目に見たのがその「野のユリ」(1963年)で当時でもたまにあった白黒映画でしたが、これまた素晴らしいストーリーでした。

https://youtu.be/rn6w255CGkk

60年代前半、クルマで旅をする青年(ポワチエ)が、砂漠の中のシスターばかりの教会に止めてもらうことになり、その成り行きでチャペルを建てる羽目になるというハートウォーミングなドラマ。

50年代からビートニクの影響で、ケルアックの小説「路上」を真似て自分探しの旅に出る若者が少なくなかった。ポワチエ扮する青年もそんなひとり。
「夜の大捜査線」もそうですが、この役のポワチエにもインテリジェンスを感じました。それまで見た映画の中の黒人には感じられないものでした。
その後見た黒人男性と白人女性の結婚というシリアスなテーマを当時としてはいささかファンタジックに描いた「招かれざる客」(頑固おやじのスペンサー・トレイシーがよかった)でもポワチエには知性と品性がありました。
多分、それまでの映画の製作側が黒人は無教養な人間という間違った描き方をしてきたためなのでしょう。

そういう意味でもポワチエは、黒人としてメジャーリーグを変えたジャッキー・ロビンソンに匹敵する存在でした。彼がつくった「道」をデンゼル・ワシントンもエディ・マフィーもウィル・スミスも歩いていくことになるのですから。

主題歌のゴスペルの「エイメン」の作詞・作曲は、出演していた5人のシスターのひとり、エリザベス役のパメラ・ブランチによるものだそうです。
この歌も、スクリーンミュージックがもっと輝いていた当時、ラジオからよく流れておりました。ヒットパレードでも上位に入っていました。

もうひとつ彼が出演した映画で音楽が印象的だったのが「暴力教室」でつかわれたロケンロー。1955年、デビュー3作目で、もちろん主役ではありません。

https://youtu.be/wpbULZ59seg

ポワチエが演じるのは荒れる高校生のひとりでしたが、黒人ということで白人の級友たちとは一線を画して、学校が終ると自動車修理か何かのアルバイトをしていて、どこか硬派の印象がありました。でもハイスクールに通うにはややトウがたっていましたね。遅れてきた高校生という設定だったのかな。とにかくクールで目立っていました。やはりどこかインテリジェンスがこぼれているような役でした。

それから12年、怒れる高校生はなんと先生になります。やっぱりね。それも白人ばかりのハイスクールへやってくるという、当時ではありえない話(だから映画なんです。だからファンタジーなんです)。

https://youtu.be/EV1qmmMwc9M

「いつも心に太陽を」は「黒一点」ながら信念をもって生徒たちに向きあう熱血先生のストーリー。こちらも生徒やその保護者、ほかの先生からの嫌がらせを受け、一度は自信をなくし学校を去る意志をかためますが、多くの生徒たちに引き止められ、もう一度教壇に立つ決心をするという学園ハッピードラマを絵に描いたような感動作品でした。
生徒役で出ていたルルがうたった主題歌はビルボードナンバーワンに。

1967年の作品で、この年は「夜の大捜査線」、「招かれざる客」も公開されており、ポワチエが最も充実していた最良の年だったのではないでしょうか。

オマケは「野のユリ」のさすらいの青年のヒントで思い浮かんだカントリーの一曲を。

https://youtu.be/0GfYV3db0aM

近くの川沿いに住み着いた黒人のホーボー・なまずのジョン。母さんはダメだと言うけれど子供だった僕は何となく彼が気になって着いて行った。彼は奴隷時代のことなどいろいろな話を聞かせてくれた。という子供のころの思い出をうたった「キャット・フィシュ・ジョン」Carfish John 。彼もまた語る言葉をもったインテリだったのでしょう。

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二十歳 [on the park]

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いつもの公園を抜けると成人式でした。

そうだ今日は成人式なのだ。1月15日じゃないけれど。

公園を抜けた横断歩道の信号の向う側とこちら側に、ものすごい数の着飾った若者たちがおりました。二百いや三百、いやそれ以上。とにかく壮観。
そうでした、この公園内に成人式の式場があったのでした。

女性はほぼ鮮やかな着物姿。たまに見るドレス姿が逆に目を惹いたり。なかには就活?と見紛うような黒のスーツにスカートという女性も。それはそれでその精神までが伝わってくるようで清々しいものでした。男性は一様にダークスーツにコート。紋付袴は見受けられませんでした。北九州や沖縄仕様もいなくて、野郎ども元気ねぇな。

いままさに式典が終わったばかりなのでしょう。警察官がハンドスピーカーで交通整理をしております。それにしても駅へ向かう彼氏彼女は少数で、ほとんどが、信号のあちら側とこちら側にたむろして、写真を撮ったり談笑しながら別れを惜しんでおります。
久しぶりに会う同級生もいたはずで無理もないことです。

悲しい話ですが、個人的には成人式の記憶がありません。
もちろん成人式はあったのでしょうが、完全にスルーして生きてきてしまいました。
半世紀も昔の話ですが、当時はわたしのような不参加組が多数派だったのではないでしょうか(統計があるわけじゃないけど)。

今日だって、さまざまな理由から成人式に参加しなかった若者が少なからずいるはず。
そうした若者も、半世紀前のわたしも今日成人式に出席した彼ら彼女らと同様に、夢と希望と不信と不安を抱えながら人生の春を生きていたことは間違いありません。

そんな多くの人が通過してきただろう、やがて通過するだろう「20歳」の歌を。

すぐに思い浮かぶのは桜田淳子、中島みゆきの「20才になれば」、薬師丸ひろ子が♪20年も生きてきたのにね と歌う「メイン・テーマ」ですが、つい最近聴いたような気がするのでパスということに。古い歌謡曲では白根一男の「はたちの詩集」、舟木一夫の「成人のブルース」なんてのもありました。
でも今回はなんとなくフォークが聴きたい気分なのでこの歌を。

https://youtu.be/GbHvOJL2d5k

シグナルは京都のフォークバンドで、1975年メジャーデビューしたこの歌がヒット。メンバーチェンジがありながら、8年ほど活動して解散。
作詞作曲はベースを担当していた田辺功夫でのちにスタッフ側にまわったとか。
歌詞が時代を映しておりますが、流行り歌にしてはちょっと重い叙情フォーク。

続いてやはりフォークで2曲。
まずは明日嫁ぐ20歳になった娘が戦死した顔も知らない父に語りかける(このへんが寺山らしい)というストーリー。

https://youtu.be/79Ld-CdgVeg

作詞の加藤ヒロシは天井桟敷のメンバーで元はGS「ガリバーズ」に在籍していたとか。オリジナルはフォーク・クルセダーズとカルメン・マキ。ほかでもいろいろな日本のフォーキー(ほとんどの)がカヴァーしている1968年の名曲です。

次で最後はそれから10年後につくられたフォークソング。

https://youtu.be/RR4hcMouBRc

故郷を出て大人になった(30代後半とか40代とか)僕が、あるとき酒を飲みながら昔をふりかえるというよくあるストーリー。少年時代、そして失恋した二十歳の頃と。
曲は元「ふきのとう」の山木康世。詞は武田鉄矢。詞のキイワードが中原中也を剽窃しているのではという問題もありましたが、とにかくノスタルジックな歌。
詞もそうですが、曲がなんとも懐かしい。いくつになっても共感できる歌です。

今年の4月から成人が18歳になるということで、これが最後の20歳成人式になります。来年どうするのかはわかりませんが、たとえば「20歳の式典」など名称を変更して二十歳になった若者を祝う行事は継続されるというのが、大部分の自治体の方針だとか。
まぁ、どこかで18歳成人式になるのでしょうが、その頃には一月の風物詩でもあった若き女性の着物姿も消えてしまうのでしょうか。

もう一度人生をやり直したいとはまるで思わないし、タイムスリップもごめんだけれど、20歳、やっぱり、なんかうらやましいなぁ。

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