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エイメン [screen music]

夜の大捜査線②1967.jpg

正月そうそうの訃報でした。
アメリカの俳優であり監督であったシドニー・ポワチエが亡くなりました。94歳だといいますから、大往生ですね。

びっくりしたのは元の奥さんがジョアンナ・シムカスだったということ。知りませんでした。「冒険者たち」でアラン・ドロンとリノ・ベンチュラに愛されるいい女で、あのスレンダーな容姿、あの大海原のドラマ、あのスクリーンミュージックとともに忘れられない女優でしたが、まさかポワチエの奥さんだったとは。

それはともかく、ポワチエはわたしが洋画に目ざめた1960年代なかごろ、とても印象に残った男優でした。
当時、当然こどもだったわたしはロードショーなど観る小遣いはなく、いつも駅前にあった映画館に通っていました。
ロードショーが終了したあとの「二番館」ならまだいいほうで「三番館」「四番館」なんてことも。だいたい小中学生は2本立てか3本立てで100円前後じゃなかったかなぁ。
当時の100円は子どもにとって大金で、中学で月の小遣いが300円くらい?。

近所の川のほとりにあった映画館など邦・洋とりまぜた5本立てで50円だった。そのかわり、フィルムがブツブツに切られていて。通常1本1時間半の映画が5本で3時間足らずで終っていました。まさにファスト映画の魁。さらに館内は個別の椅子などなく、よくあった森永や明治といった製菓会社のパイプでつくられた長椅子がいくつも置いてあるだけ。したはもちりん板敷などでなくまったくの地べた。だから草が生えていたり、穴ぼこがあったり。とにかくスゴイ映画館でした。

脱線してしまいました。
ポワチエを初めて見たのは「夜の大捜査線」。

https://youtu.be/HP3arfW6uvw

これも忘れられない名作です。アカデミーも作品賞と主演男優賞を獲っています。
もちろん主演はポワチエなのですが、アカデミーを捕ったのはロッド・スタイガー(彼もいい役者でした。シドニー・ルメットの「質屋」での実は心に癒しきれない傷をおっている因業な主人はみごとでした。モノクロでね)

「夜の大捜査線」はニューヨークだったか都会の辣腕刑事(ポワチエ)が南部ミシシッピイで列車の乗り換えで降りてくるところから始まるサスペンスドラマで。黒人差別がいまよりさらにヒドかったアメリカ、それも南部で黒人刑事が殺人事件の捜査をしなくてはならない羽目になっていくというありえない話(これが映画)。

捜査を指揮するのがこの街の警察署長(ロッド・スタイガー)で、当然の如く黒人蔑視と偏見のかたまり。
犯人はかんたんに捕まるが実はそれが冤罪。それをポワチエが暴き、真犯人に迫っていくというハラハラドキドキ。
それよりも惹きつけられるのがポワチエとスタイガーのやりとり。

黒人の能力など信ぜず、ポワチエの有能ぶりにイライラ反発する所長も共に捜査を続けていくうちに苦々しくおもいながらもその手腕を認めざるをえなくなっていきます。
そして真犯人はみごと逮捕され一件落着。

ラストシーンは。ファーストシーン同様、駅。
図らずも長逗留になってしまったポワチエが改めて乗り換えのために駅で列車を待っているところ。そこに仕事中の所長が何気ない感じでフラッと現れる。そして何気ない感じで別れを告げる。微笑むポワチエに対して、スタイガーは「あんたにゃ脱帽だ」という顔をしていた。

多分こんな映画でした。たしかにロッド・スタイガーの演技はアカデミー賞ものでしたが、ポワチエの差別の中で自分の仕事を妥協せずに続けていくという刑事の演技も捨てがたいものでした。
勘ぐれば、ポワチエはその4年前に「野のユリ」でアカデミー主演男優賞を受賞しているので、短期間で同じ黒人に2度もアカデミーを与えるのは……という配慮があったのではないでしょうか。改めて考えても、南部でヒーローになる黒人より、南部でリベラルな小権力者の方が左にも右にもウケがよかったのでしょうね。少なくとも当時のアメリカでは。

2度目に見たのがその「野のユリ」(1963年)で当時でもたまにあった白黒映画でしたが、これまた素晴らしいストーリーでした。

https://youtu.be/rn6w255CGkk

60年代前半、クルマで旅をする青年(ポワチエ)が、砂漠の中のシスターばかりの教会に止めてもらうことになり、その成り行きでチャペルを建てる羽目になるというハートウォーミングなドラマ。

50年代からビートニクの影響で、ケルアックの小説「路上」を真似て自分探しの旅に出る若者が少なくなかった。ポワチエ扮する青年もそんなひとり。
「夜の大捜査線」もそうですが、この役のポワチエにもインテリジェンスを感じました。それまで見た映画の中の黒人には感じられないものでした。
その後見た黒人男性と白人女性の結婚というシリアスなテーマを当時としてはいささかファンタジックに描いた「招かれざる客」(頑固おやじのスペンサー・トレイシーがよかった)でもポワチエには知性と品性がありました。
多分、それまでの映画の製作側が黒人は無教養な人間という間違った描き方をしてきたためなのでしょう。

そういう意味でもポワチエは、黒人としてメジャーリーグを変えたジャッキー・ロビンソンに匹敵する存在でした。彼がつくった「道」をデンゼル・ワシントンもエディ・マフィーもウィル・スミスも歩いていくことになるのですから。

主題歌のゴスペルの「エイメン」の作詞・作曲は、出演していた5人のシスターのひとり、エリザベス役のパメラ・ブランチによるものだそうです。
この歌も、スクリーンミュージックがもっと輝いていた当時、ラジオからよく流れておりました。ヒットパレードでも上位に入っていました。

もうひとつ彼が出演した映画で音楽が印象的だったのが「暴力教室」でつかわれたロケンロー。1955年、デビュー3作目で、もちろん主役ではありません。

https://youtu.be/wpbULZ59seg

ポワチエが演じるのは荒れる高校生のひとりでしたが、黒人ということで白人の級友たちとは一線を画して、学校が終ると自動車修理か何かのアルバイトをしていて、どこか硬派の印象がありました。でもハイスクールに通うにはややトウがたっていましたね。遅れてきた高校生という設定だったのかな。とにかくクールで目立っていました。やはりどこかインテリジェンスがこぼれているような役でした。

それから12年、怒れる高校生はなんと先生になります。やっぱりね。それも白人ばかりのハイスクールへやってくるという、当時ではありえない話(だから映画なんです。だからファンタジーなんです)。

https://youtu.be/EV1qmmMwc9M

「いつも心に太陽を」は「黒一点」ながら信念をもって生徒たちに向きあう熱血先生のストーリー。こちらも生徒やその保護者、ほかの先生からの嫌がらせを受け、一度は自信をなくし学校を去る意志をかためますが、多くの生徒たちに引き止められ、もう一度教壇に立つ決心をするという学園ハッピードラマを絵に描いたような感動作品でした。
生徒役で出ていたルルがうたった主題歌はビルボードナンバーワンに。

1967年の作品で、この年は「夜の大捜査線」、「招かれざる客」も公開されており、ポワチエが最も充実していた最良の年だったのではないでしょうか。

オマケは「野のユリ」のさすらいの青年のヒントで思い浮かんだカントリーの一曲を。

https://youtu.be/0GfYV3db0aM

近くの川沿いに住み着いた黒人のホーボー・なまずのジョン。母さんはダメだと言うけれど子供だった僕は何となく彼が気になって着いて行った。彼は奴隷時代のことなどいろいろな話を聞かせてくれた。という子供のころの思い出をうたった「キャット・フィシュ・ジョン」Carfish John 。彼もまた語る言葉をもったインテリだったのでしょう。

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