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イスタンブール [jazz]

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数日前のネットニュースで、柳澤真一が亡くなっていたことを知りました。
亡くなったのは今年の3月で89歳だったそうです。

彼も忘れられた人だったのだろうか。
子供の頃テレビで何度も観たおぼえがあります。
ドラマだったのかバラエティだったのか番組までは覚えていませんが、もの静かでおとなしい雰囲気でした。でもなぜか印象に残る人でした。多分、他の出演者が燥いだり騒いだりと派手だったので、反対に記憶に残ったのかもしれません。それでも子供のわたしにとってはサムシングがある人だったのでしょう。訃報を目にしたときすぐにあの落語家のような顔が浮かんできましたから。

彼がもともと歌手だったということをしったのも大人になってから、音源もいくつか持っていますがすべてコンピアルバムの中の一曲。
昭和20年代末にジャズをうたってデビューしたといいますから、同時代のシャンソンやラテンブームともども勢いもあったのだと思います。テレビのドラマやバラエティにも出て、映画にも出て一時は将来を嘱望されていたのではないでしょうか。

それが30年代に入っての空前のロカビリーブーム。そして音楽ファンの若返り。そんな流れについていけなかったのでは。いや、ついていく気がなかったのかも。そうした日本のジャズシンガーはあまたいたはずですから。

あらためて若かりし頃の柳澤真一の美声を何曲か聴いてみました。

彼の代表作といえば、ナット・キング・コールがヒットさせた「プリテンド」だと思うのですがなぜかYOU-TUBEでは見つけられませんでした。それでこれも記憶の底のその縁にわずかにこびりついているこの曲を。

https://youtu.be/1aqiyY3b9oQ

「イスタンブール」は1953年にジミー・ケネディとナット・サイモンによってつくられた歌で、フォー・ラッズというコーラスグループによってヒットした。
当時は「ウスクダラ」や「ムスタファ」(ちょっと後ですが)など中近東の香りがするエキゾチックな歌がときどきヒットしていました。

ただ、この歌を小ヒットさせたのは「ウスクダラ」同様江利チエミでしょう。当時のマンボブームを半ば強引に取り入れて「イスタンブール・マンボ」としてカヴァしています。カテリーナ・バレンテもうたっているので、こちらのほうをカヴァしたのかも。

後年この「イスタンブール・マンボ」を大瀧詠一もカヴァしていて、間奏では「ウスクダラ」や「ムスタファ」(悲しき60才)のワンフレーズを聴かせてくれる。
そのサビ?の部分が甲斐バンドの「裏切りの街角」の間奏によく似ている。まったくの余談ですが。

つぎはアメリカでビッグヒットとなり、日本でも昭和30年代によく流れていた曲。

https://youtu.be/scSflT8MZfw

1919年、ジョージ・ガーシュインによって作曲された「スワニー」は彼の出世作。当初売れなかったものがアル・ジョルスンがうたったことで全米中にとどろいたといわれています。日本では30年代の紅白歌合戦で雪村いづみが何度かうたっていた印象がある。

雪村いづみといえば、彼女のアルバム「フジヤマ・ママ」の中で柳沢真一とのデュエット「お猿の新婚旅行」が聴ける。

https://youtu.be/adse2R9gDH4

これは1950年の日本未公開のアメリカ映画「トゥ・ウィークス・ウィズ・ラヴ」の劇中歌「アバ・ダバ・ハニムーン」のカヴァで、映画ではデビー・レイノルズとカールトン・カーペンターがうたっている。ちなみに訳詞はビクターのカヴァをほぼ一手に引き受けた井田誠一ですが、「アバダバ」をどうして「お猿」としたのだろうか。

つぎはいささか出力が弱いのですが、「君慕うワルツ」を。

https://youtu.be/9nbeXhAIKGw

これは江利チエミで小ヒットしました。
ジャズヴォーカル・ファンならごぞんじのパティ・ペイジの「チェンジング・パートナーズ」のカヴァ。
パティの大ヒット曲「テネシー・ワルツ」のあとにリリースされたやはりダンスパーティを舞台にしたワルツ。彼と踊りたいのにすぐに相手が変わってしまう。はやくまた彼と踊りたい、という恋心をうたったもので、こちらは寝とられることはありません。江利チエミの「テネシー・ワルツ」の陰にかくれてしまった感じですが、こちらも名曲。

柳澤真一。私生活の詳細はわかりませんが、世渡りは決して上手ではなかったような気がします。それでも訃報を聴いたのち、YOU-YUBEでつい最近まで彼がライブハウスでジャズをうたっていたことを知り、なぜかうれしかった。ゆいつの動画です。晩年の柳澤真一ですが、もちろん若き日の彼の面影充分。残念ながら曲名はわかりませんが。

https://youtu.be/dlK95wqAkn8

柳澤真一さん、わたしはあなたのことを覚えていましたよ。そうだなぁ、もし可能ならば灰田勝彦の「森の小径」なんかを聴いてみたかった。
おまけは彼が主演したという映画の主題歌を。
うたっているのは彼ではありませんが、昭和30年代初頭、まごうことなきあの頃の歌です。

https://youtu.be/xZJ7rWaHQsE




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スイングしなけりゃ意味がない [jazz]

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昨日、浅草公会堂でのジャズコンサートに行きました。

コロナになってからのはじめてのコンサート鑑賞。
知人から誘われて重い腰をあげました。
開幕は2時で、正午に雷門で待ち合わせ。荷風ゆかりの蕎麦屋で天ぷらそばを食し、まだ時間があったので喫茶店で近況報告。

びっくりしたのは知人がひと月ほど前、コロナに感染したこと。家族や知り合いのなかでははじめてで、コロナはそこまで来ている。
知人は軽度の糖尿病でしたが、感染の数日前に4回目のワクチンを注入していたのでそのことで重症化をまぬがれたのではないかと。また感染源は2日連続の居酒屋での会合ではないかと。ただ数人で集まったのに陽性になったのは自分だけだったとこぼしていました。
そんなこともあるのか。

見に行ったのは「浅草ニューオーリンズ フェスティバル」で浅草おかみさん会が主催し、今年で38回めになるスイング&デキシーランドジャズ・コンサート。

二部構成で前半が日本の「外山喜雄とデキシーセインツ」、後半がアメリカの「トーマス・フィッシャーとニュ―オリンズジャズ・オールスターズ」で、ともにシックステッド。

デキシーセインツは「リパブリック讃歌」から始まり、サッチモの「ハロー・ドーリー」、「世界は日の出を待っている」などから「ビビディ・バビディ・ブー」までなど日本でもおなじみの曲を演奏してくれました。

https://youtu.be/7754PgjoyQI

1000名あまりのキャパシティは6、7割程度埋まっており、隣り合って座ったわたしと知人の隣は空席で、全員マスクをしていたのでコロナ感染への不安はありませんでした。
観客は40歳、50歳代の若手?とわれわれのような60歳以上のロートルがほぼ半々くらい。
夫婦同伴者も少なくなかったので、女性も半分近く(おかみさん会関連の人が多かったような)いました。
なかには立ち上がり、手を叩き、体をゆらし、ノリノリのご同輩の女性も。リズムの取り方など悦にいっていて、よほどのスイング好きなのだなと思いました。またわたしの前の席にいたご夫婦のうち大先輩と思しき男性は元ジャズマンだったようで、両手を目の前に差し出してステージ上のピアニストに合わせてエアピアノを演じておりました。

後半はトーマス・フィッシャー楽団。こちらもシックステッドで、リーダーのトーマスがクラリネットとサックスのほか、トランペット、トロンボーン、ドラムス、ベース、ピアノという構成。ピアニストは来日できず、日本人女性が代演していました。

これまた日本人へのサービスの「私の青空」「月光値千金」から「A列車で行こう」「アイスクリーム」、「この素晴らしき世界」(外山喜雄でも聴きたかった)、「タイガー・ラグ」などのスタンダードで盛り上げてくれました。
途中、ヴォーカルのヨランダ・アダムズが登場し、迫力ある声で「想い出のサンフランシスコ」や「ダウン・バイ・ザ・リバーサイド」など数曲を披露しました。

https://youtu.be/khSrhLDtb3E

最後はデキシーセインツも登場して「聖者の行進」を。ステージを降りて会場をまさに行進しながらスイングしながらフィナーレ。

まぁ2時間あまりのコンサートでしたが、充分堪能いたしました。
なによりもジャズ、それも好きなデキシー、スイングがよかった。久しぶりにノリノリ女性ほどではありませんが、遠慮がちに全身でスイングして心身ともに心地よく会場を後にすることができました。歌唱だけのコンサートではこうはいきませんから。また、ロックコンサートなどへは行けませんし。誘ってくれた知人に感謝しております。

おまけは外山喜雄夫妻が心酔しているサッチモの演奏と歌を。

https://youtu.be/VqhCQZaH4Vs


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君と愛した味がする [jazz]

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バンジョーの原型がアメリカへアフロアメリカンたちから持ち込まれたものだとすると、ミンストレルショーや、サザンマウンテンのフォークソング、さらには50年代のフォークリバイバルで使用されただけではないことは明らかです。

なぜなら、それらの音楽は白人主体のもので、アフロアメリカンによって誕生したジャズにも欠かせない(当初は)楽器として使われていました。

それが20世紀初頭のジャズ黎明期にニューオーリンズで盛んに演奏されたデキシーランドジャズ。

https://youtu.be/_gmoq3dDry8

しかしバンジョーはその後ジャズの進化と共に「忘れられた楽器」となり、まさに溺死状態となりまして。そんなことはどうでも。

それから遅れること30年あまり、日本がジャズの国アメリカに対して無謀なかの戦いを挑む数年前、日本国内にもバンジョーが鳴り響いたのでした。

https://youtu.be/j8-hjAIfDjc

うたったのは戦前日本のジャズヴォーカリスト、戦後は流行歌の作曲家として活躍した中野忠晴。仕掛けた作曲家はジャズやタンゴなど海外の音楽にアンテナを張り巡らしていた服部良一。戦後もブギウギを仕掛けるなど、古賀政男スタイルが主流の歌謡曲とは一線を画した洋楽風流行歌の第一人者。

余談ですが、服部良一の子息・服部克久さんが最近お亡くなりになりました。
ラジオの番組で内外のポップスやイージーリスニングをいくつも教えてもらいました。服部さんのつくった「記念樹」も好きな歌です。作詞が夭折したNSPの天野さんでね。

https://youtu.be/emy6trY12qg

盗作問題でトラブルになりましたが、そんなことをいえば、「盗作ではないか」と訴えた曲も含めて、W・C・ハンディの[Loveless Love]が元歌といえないこともない。

戦前に日本でもカヴァされていますので、再度中野忠晴にうたってもらいましょう。

https://youtu.be/97xGQfHJcCc

話がデキシーから離れてしまいました。
進路を修正しまして、バンジョーにラッパ、とりわけクラリネットとの組合せのデキシースタイルはジャズだけにとどまらず、ポップスやイージーリスニングでも名曲を奏でてくれました。

70年代よく聴いて、今では脳内蓄音機でいつでも再生できるのがこの曲。
ビリー・ボーンやケニー・ボールも泣けてきますが、今回はこのバンドで。

https://youtu.be/mZjYnCkwKcM


だいぶ長くなりましたので、最後は日本の流行歌で締めてみようと思います。
中野忠晴を2曲も聞きましたが、戦後の流行歌でデキシーのアレンジのものを。戦後(もうそういう言い回しが通用しない時代かもね)といっても西暦でいえば70年代、かれこれ半世紀あまり昔の歌です。

https://youtu.be/1rH0HoVfNjQ

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