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you've got to feel it [not mellow AB]

きょうも寒い一日でした。
午前中の早い時間には太陽も輝いていたようですが、わたしが出かけたころはすでに厚いい雲が空をおおい、サンシャインも鈍い光となっておりました。
でも、太陽を直視できるのはこういう時でないと、なかなか。
ということ(?)で、懐かしかったフィフス・ディメンションをもう一度。
フィフス・ディメンション[5th Dimension]は1966年に結成した男3人、女2人あわせて5人のR&Bコーラスユニット。オリジナルメンバー(発足当時の)はビリー・デイビスJr.、マリリン・マックー、ラモンテ・マクレモア、ロン・タウンソン、フローレンス・ラルー。
その後、何度もメンバーチェンジが行われています。現在も活動を続けているそうですが、オリジナルメンバーはいません。
初ヒットが1967年の「ビートでジャンプ」up up and awayで全米7位となり、グラミー賞も獲得。日本のヒットパレードでも、1967年の9月に最高位7位を記録しています。
https://youtu.be/J2hI3-KvYZY
ビートルズが登場した1963年のすこし前あたりから、本場ビルボードのヒットチャートと日本のベストテンのタイムラグがなくなり、アメリカでヒットすればほぼ日本でもヒットするようになります。もちろん、アメリカに先がけて日本でまずヒットというのはかの「スキヤキ」以外にはありません。
前回で少し触れましたがその翌年の1968年、当時ブロードウェイで爆発的にヒットしていたミュージカル「ヘア」(のちに映画化)の挿入歌「輝く星座(アクエリアス/レット・ザ・サンシャイン・イン)」Age of Aquarius/Let the Sunshine in をリリースし、1968年の全米ナンバーワンになり、グラミー賞も受賞して、フィフス・ディメンションの名をお世界にとどろかせます。
楽曲はスローテンポの「アクエリアス」からアップテンポの「レット・ザ・サンシャイン・イン」に切り替わるところがドラマチックで、ブラスとベースをバックに延々と「レッド・サンシャイン・イン」とリフレインします。それはまるで「読経」のようで、思わずからだが動かされてしまうベースランニングとあいまって精神世界にトリップしてしまうような感じさえします。
https://youtu.be/vbCH5lnZ6sA
1968年といえばアフタービートルズですが、いまだ日本でもラジオのヒットパレードが全盛で、ほかではジリオラ・チンクエッティの「雨」とか、サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」が聴こえたいました。CCRの「プラウド・メアリー」を聴いたのもこの頃でした。
その翌年、ビリー(レット・ザ・サンシャイン・インのメイン・ヴォーカルを努めたイケメン)とマリリン・マックー(美形で背の高い方。フローレンスが美形でないというわけではなく、とにかく身長の高い方です)が絵に描いたように結ばれ、しばしグループはマリリンを中心に活動します。
そして1975年にマリリンとビリーが脱退し、ペアユニットとして活動しその年の「星空の二人」You don't Have to be a Star が全米ナンバーワンに。
マリリンはその後もソロシンガーとして、またMCとして活躍していくことになります。
https://youtu.be/Wdzt2HGTYfk
前回もふれましたが、フィフス・ディメンションの「レット・ザ・サンシャイン・イン」はそのサワリだけですが、YOU-TUBEで前篇をカヴァーしているものを探したところダイアナ・ロス(上手だなぁ)とテンプテーションという貴重な動画がありましたが、ほかの楽曲もあって長くなっているのでブログにあげるのはやめておきました。興味のある方は探してみてください。
その代わり別のカヴァーをみつけました。前回に戻ってしまうようですが、上手とはいえませんが、懐かしいシンガーでフンイキがあり、なによりも貴重な動画ではあります。
https://youtu.be/shgnaiOwrVo
おまけは、以前聞いた[FAST TIME REACTION]で「レット・ザ・サンシャイン・イン」を3連発。それぞれの反応がおもしろい。興味と時間のある方はどうぞ。
https://youtu.be/jovwL16_ZrU
https://youtu.be/DMR32CJ_d7Q
https://youtu.be/hDkjvdbgJi8
ヒッピーは何処へ [not mellow AB]

きのうきょうと厳寒です。
手袋をしていても指さきが寒さでしびれるというのは久しくなかった。
ここのところ体調のこともあり、なるべく出かけず、仕事も最小限で余分なこと(これが楽しいのですが)はせず、歩いて10分あまりの仕事場とウチとの往復のみに。
それでもいつもの公園を通ると、心動かされることがある。
きょうもきのうに続いての青空を仰ぐとひこうき雲が。外出すると晴れた日は必ずといって雲をみるので、ひこうき雲はそれほどめずらしくはないけれど、その先頭を見ることができるのはあまりない。
楽しみは、家での仕事を終え、夕食を終え、風呂を終え(面倒くさい)、炬燵にもぐりこんでYOU-TUBEの海でのネットサーフィン。
ほとんどが音楽で、きのうも久々にダリダやフランソワーズ・アルディを聴いていたら波にのりそこなって(ワザと)、初見のユニットのフレンチポップスを聴きました(見た)。
https://youtu.be/sT7RDve7Dpw
懐かしい曲だったのでマウスを手放してしばし見とれてしまった。
[Laissons Entrer Le Soleil]は「太陽を迎え入れよう」で英語なら[let the sunshine in]。
「レット・ザ・サンシャイン・イン」は1960年代後半のブロードウェイミュージカル「ヘアー」の挿入歌。ポップスとしてはR&Bユニットのフィフス・ディメンション5th Dimension によって「輝く星座」Age of Aquarius/Let the Sunshine in としてリリースされ全米ナンバーワンに輝きました。日本でもヒットパレードのベストテンに入るほどヒットしました。
https://youtu.be/kjxSCAalsBE
フィフス・ディメンションの「レット・ザ・サンシャイン・イン」はいわばこの曲のサビ部分を延々とリフレインするだけ(それはそれでインパクトがあり、トリップ作用もありました)ですが、ミュージカルの「レット・ザ・サンシャイン・イン」の正調は冒頭のカヴァーのように前段があるのです。
ちなみに冒頭のユニットは、20年近く前のもので、当時のフランスで行われた「ヌーヴェル・スター」というアイドル発掘番組?によって選ばれたメンバーによるものだそうです。
ブロードウェイの「ヘアー」は当時の時代背景となったベトナム戦争とヒッピームーヴメントの中に生きる若者たちの葛藤を描いたもので、アメリカでは大ヒット。世界のいくつかの国でも公演されました。
フランスでも1969年にパリ公演が行われ、現在フランスポップス界の重鎮であるジュリアン・クレールJulien clerc が主役を演じています。
https://youtu.be/BtWgjS3tNQA
「ヘア」は映画にもなりましたが、そのストーリーはアメリカの田舎に住む若者が徴兵され、入隊する前に都会を見ておこうと思いついてニューヨークへ行くとことから始まります。そしてそこで自由に生きるヒッピーたちと出会い、入隊を反対されたりして心が揺れ動く。そのあとヒッピーの中心人物のラヴアフェアーなどがあったりしたあと、若者は入隊することに。
そして、このへんがファンタジーなのですが、入隊した若者とヒッピーの中心人物がその基地で入れ替わってしまう。そしてそのことが発覚する前にヒッピーの若者はベトナムへ行くことになり……。という内容。
最後に「レット・ザ・サンシャイン・イン」がつかわれているているミュージカルのワンシーンを。もちろん当時のものではありません。いまでも「ヘア」を上演されているようですね。ということはヒッピーはともかく(いやそうでもないかも)、もうひとつの主題である若者たちの戦争に対するプレッシャーはいまのアメリカ(だけではない)でも通用するのかも。
https://youtu.be/wH43IpeC98g
当然日本でも当時「ヘア」は日本人キャストで上演されました。
なんでも、グループサウンズのブームが消えて、その残党たちがオーディションに多数応募したとか。主役を射止めたのもそのひとりでした。
しかし「ヘア」の主題である愛と自由のヒッピー文化はいまひとつ馴染まず、ましてや徴兵制、身に迫る戦争への恐怖などは他人事で、当時の日本ではいささか無理のあるテーマだったようでした。寺山修司が「反戦」を在日朝鮮人に対する「差別」に置き換えて台本を書き上演という動きもあったようですが、もうひとつの主題であるヒッピームーヴメントと関連付けるのは無理で実現しなかったとか。
さらに公演中にプロデューサーと主役が大麻所持で逮捕されるという事件が起こり公演は中止に。薬物だけはヒッピーを真似てみたのでしょうが。
当時高校生だったわたしは、出演者が舞台上で全裸になる(アメリカではそうだったのですが、はたして日本で実行されたのかは不明)という報道だったので、「ああ、ヘアってそういうことだったのか」なんてノーテンキなことを考えていたのを覚えています。
ベトナム戦争もヒッピームーヴメントももはや半世紀あまり昔のこと。
近隣大国の軍事戦略による防衛費増強で戦争も「他人ごと」ではなくなりつつあるのかもしれない日本(徴兵制だって)。それも気になりますがあのヒッピーたちはどこへ行ってしまったのでしょうか。そして今、何をしているのでしょうか。
戦後のビートニクの流れから発生したヒッピーたちはワールドワイドで文化や社会にそれなりの影響を与えたように思うのですが、思いのほか「短命」でその姿が見えなくなってしまいました。いまでもどこかのコミューンでそのライフスタイルをまっとうしているのでしょうか。
歴史を逆行することはできないにしても、現在社会のロシアのウクライナへの侵略や深刻な大気汚染による環境破壊の脅威を思えば、ドラッグや宗教という問題を棚上げしても彼らの思想を読み返してみることは、無駄なことではないような気がします。
オマケは当時ヒッピー文化の影響を受け、日本でもヒットしたサイケデリックミュージックを。
https://youtu.be/aU7hVMc3q6Y
back home again [country]

今日12月31日ははジョン・デンバーJohn Denverの生誕日。
79年前の1943年に生れている。ちょうど太平洋戦争のさなかです。
自身が操縦する自家用飛行機の事故で亡くなったのが1997年、53歳。生きていれば来年80歳。はやすぎました。
ジョンの本名はヘンリー・ジョン・ドイッシェンドルフ・ジュニアで、ジョンはあるけど「デンバー」はない。生誕地もニューメキシコ州のロズウェルで、コロラド州のデンバーではない。その由来は、その後のジョンの数々の歌からもわかるように、ロッキーマウンテンの麓にあったデンバーという地をこよなく愛していたからとか。
彼のヒット曲である「故郷へ帰りたい」Take Me Home, Country Road はおそらく日本で最もポピュラーなカントリーソングでしょう。それまでは「テネシー・ワルツ」Tennessee Waltz でしたが。アニメの主題歌に採用されたことで、ジョン・デンバーは知らなくても、この歌を知っている若者は多い。
ちなみに「故郷へ帰りたい」はジョンのナンバーワンヒットではなく、ポップスチャートで2位、カントリーチャートでは50位にとどまっている。ポップス、カントリーともに1位になったシングルは「すばらしきカントリーボーイ」Thank God I'm country boy と「アイム・ソーリー」I'm Sorry の2曲でともに1975年のリリース。
プライベートでは環境問題や飢餓撲滅運動に関わるなど、社会性に富んだアーチストとして知られ、日本でも誠実で素朴なカントリーシンガーとしての評価が高いようですが、アメリカではそうした活動も「スタンドプレイ」として反感も少なくなかったとか。1980年代のアフリカ飢饉救済ソング「ウィ・アー・ザ・ワールド」への参加を希望するも排除されたり、自宅の傍にガスタンクをつくろうとして活動家たちから非難されたりと、日本でのイメージとはいささか異なるようです。
それでも彼が70年代のカントリーというよりはポップシーンを彩ってくれた屈指のソングライターであることには変わりありません。
そんな彼のマイ・フェヴァリットソングをいくつか。
https://youtu.be/ZkvOUMseObI
「悲しみのジェット・プレイン」Leaving on a Jet Plane 1969年。
デンバーの初アルバム 「ジョン・デンバーは歌う」John Denver Sings (デモ盤)と次の初のセールス用アルバム「ライムス&リーズン」Rhymes & Reason に収録された曲で1966年につくられています。当初のタイトルは「行きたくないよ」Babe I Hate to Go でしたがのちにプロデューサーの意見で改名。そのプロデューサーが同じだったためPPMが1967年にレコーディング。そしてその年のビルボードのシングルナンバーワンになります。その後1969年にジョンがセルフカヴァしました。
個人的にはいちばん好きな歌。
女と男の別離の歌ですが、なぜふたりは別れるのか、ジェット機に乗ってどこへ行くのか。「いつ帰ってこれるかわからない」「帰ってきたらもうあなたを話さない。結婚しよう」と言っているので、ケンカ別れではない。
マリー・トラヴァースがうたったので当然去っていくのは女性。となるといったいどこへ行くのでしょうか。キャリアをつけるために海外へ行くのか。
ただ実際につくったのはジョン・デンバー、つまり男。
かれは実際に空港でこの歌をつくったそうで、その内容については深く説明されていませんし、おそらくドラマチックな別れのラブソングを書いたのだろうと思います。ただ、1966年というつくられた年とPPMがうたったということで、彼あるいは彼女はベトナムの戦地に赴くのでは、という解釈もあるようです。つまり、これもまた反戦歌なのだと。
https://youtu.be/JA5ASbk37M4
「シティ・オブ・ニュー・オーリンズ」City of New Orleans 1971年。
この曲は以前とりあげましたが、ソングライトは彼ではなく、1971年にシカゴのスティーヴ・グッドマンによってつくられました。
グッドマンの地元シカゴからニューオーリンズへ南下する鉄道、特急シティ・オブ・ニューオーオリンズ号のことをうたっています。
特急に乗車する人々、車窓から見える風景などを擬人化されたシティ・オブ・ニューオーリンズ号が暖かく見守っています。作者スティーヴが「鉄道オタク」だったかどうかは知りませんが、この特急に何度も乗り、こよなく愛していたことは伝わってきます。
1972年にアロー・ガスリーによってうたわれ、1985年にはウィリー・ネルソンがこの歌でグラミー賞を獲っています。名曲です。
ジョン・デンバーは1971年のアルバム「エアリー」Aerie に収録しています。わたしはこの歌をジョン・デンバーで初めて聴きました。いまでも時折シティ・オブ・ニューオーリンズ号はわたしの脳内鉄道を疾走しております。
https://youtu.be/wPndmL6HfIs
「バック・ホーム・アゲイン」Back Home Again 1974年。
1974年8枚目のアルバム[Back Home Again]バック・ホーム・アゲインの表題曲で、このアルバムには「緑の風のアニー」Annie's Song も収録されていて、ともにシングルカットされています。ちなみにバック・ホーム・アゲインはカントリーチャートの1位に、緑の風のアニーはポップチャートの1位になっています。
「アニー」は彼の最初の妻であるアニー・マーテルのことで、そのジャケットにはふたりが寄りそう写真がつかわれています。
「バック・ホーム・アゲイン」は長い旅を終え、自分の家へ帰る男の歌。
どんな「長い旅」だったのかはわかりませんが、かれはトラックドライバーで10日以上遠方へ行っていたのか、はたまた出稼ぎかなんかで半年、あるいは1年のほんとうの「長旅」から帰る途中だったのか。さらにさらに映画「スケアクロー」のアル・パチーノのように自由を求めて家族を捨て長きの旅に出たものの、その自由に疲れ果て忘れがたき「我が家」へ帰ろうとしているのか。いずれにしろ、それがもはや荊であっても帰るべき「我が家」を持つ男であることにはかわりない。「長い旅」を終えて家路をたどる男の疲労感とちょっとした幸福感がうかがえてとてもすきな歌です。
今年はいまだおさまらないコロナ、ウクライナ侵略、安倍元首相暗殺とそれから派生した様々な事件と「嫌な」一年でした。個人的にも心身ともに「劣化」を感じさせられた一年でした。衰えは仕方ないとしても、来年はもう少し余裕をもって音楽を楽しみたいと思っております。
おまけは「悲しみのジェットプレイン」でママキャスことキャス・エリオット(彼女もずいぶん前に亡くなってしまいました)を聴けたのでママス・アンド・パパス[Mama's and Papa's]の「夢のカリフォルニア」Carifornia Dreamin'を。最近YOU-TUBEでときどきみている欧米のユーチュバーたちが発信している[Reaction]とか[First Time Hearing]という動画で。現代の若者たちが60年代70年代を中心としたオールディーズを初めて聴いてどんな反応や感想を示すかというYOU-TUBEですが、途中で中断して感想を述べたりしますが、それはそれでおもしろい。ユーチューバーとその音楽を共有している気分にもなりますし。英語を完全に理解できなくてもそのリアクションは伝わってきます。
https://youtu.be/cAom10KQOOI
ユア・マイ・サンシャインをうたって [country]

きょうは、昨晩からの歯痛(いつも土日に襲われる)のため、鎮痛剤をのんで部屋でおとなしくしております。
テレビでスポーツ観戦をしながら、このブログを書いております。
もはや晩秋でしょうが、さすがスポーツの秋。思わず見入ってしまう熱戦の数々でした。
女子ゴルフはプレイオフでみごとなバーディで勝った山下美夢有。小柄な選手ですが年間賞金王だそうで、比類なきパッティングセンスはみていて唸ります。ゴルフがパワー戦でないことをみごとに証明しています。優勝インタビューで声をふるわせて恩師でもある父親に感謝していたのが印象的でした。
その前にみた実業団女子駅伝も面白かった。結果は資生堂が久々に優勝したのですが、3区がスゴかった。新谷仁美(積水化学)、 一山麻緒(資生堂)、廣中瑠梨佳(JP日本郵政グループ)の激戦。トップでタスキをつないだのは廣中だったが、区間賞はわずかの差で新谷でした。最近にない日本の長距離トップランナーたちの闘いは見ごたえがありました。
ジャパンカップもスゴかった。結果は日本馬のワンツウスリー。むかしからそうだが海を
渡ってくる海外馬は不利。私的ですが、わたしの本命馬は5着。いつもどおりのタテ目で馬券吹雪が舞いました。
相撲は千秋楽。一歩リードの高安が阿炎にかき回されて土俵下に突き落とされた。そんなにわるい相撲ではなかったけれど、かたくなっていたのかな。ほんとうにツキがないというか。肝心のところでとりこぼす。でも決定戦で再戦で勝てそうな気が。結びの貴景勝も気迫で若隆景に勝って(ガッツボーズしていた)巴戦に。高安に勝ってほしいけど、阿炎かな。
前回の続きでスタットラー・ブラザーズをもう一度。
1964年にデビューし2002年、解散・引退するまで40年弱の音楽活動だったスタットラー・ブラザーズ。
カントリーファンだけでなくポップスファンにも知られたヒット曲があるわけでもなく、日本でもカントリーファン以外はまず知られていないコーラスグループですが、グラミー賞もいくつか獲っていますし、アメリカのカントリーシーン、とりわけゴスペルやセイクレッドソングではそれなりに貢献したグループでもあります。
ある作家は彼らのオリジナルソングの詞がとても「詩的」だと指摘しています。ほぼ作詞作曲はハロルドとドンのリード兄弟がおこなっています。
カントリーソングの変わらぬテーマのひとつに「ノスタルジィ」があります。
緑豊かな谷間。そこに建つ古びたわが家。ランプの下で過ごした一家の団欒。丘の教会とその鐘の音。祭りの夜のダンスパーティ。そして仕事や進学のための故郷との別れ。好きだった女の子(男の子)との切ない別離。
などなど。カントリーソングには田園風景を背景に(若い)男女の生活の営みがうたわれているのです。それが1940年代から50年代にかけてのカントリー。いまでいうカントリークラシック。
スタットラー・ブラザーズに対する評価のひとつとして、そうしたかつての自然に囲まれた故郷のノスタルジーを「郊外」のノスタルジーに変えたことをあげる評論家がいます。
20世紀初頭にうたわれたアメリカの田舎も、第二次世界大戦を経て大きく近代化されるなか、50年代、60年代になると郊外といえども豊かな生活の恩恵を受け、そうした日々が10年20年のちにはノスタルジックな日常としてアメリカ人たちに共有されていったのです。そういう甘酸っぱい郷愁を美しいハーモニーでうたってくれたのがスタットラー・ブラザーズでした。
そんなスタットラー・ブラザーズのノスタルジックなオリジナルソングをいくつか。
まずはいずれも全米カントリーチャートのトップ10に入った2曲。いずれもデビュー9年目の1972年にリリースされています。
まずは[do you remember these]こんなことあんなこと 。その年のカントリー・チャート2位にランクされたヒット曲。動画は彼らの映像ではなく、何が流行っていたのかが垣間見える動画で。
https://youtu.be/puGQsQux80k
彼ら(スタットラー・ブラザーズ)が子どもだった頃、ティーンネイジャだった頃(1950年代)に一世を風靡したり、流行った物や事柄の数々をうたっています。
アメリカでラジオ放送がはじまったのが1920年、それから約20年後の1941年にテレビ放送(白黒)が始まっている。したがって50年代になるとテレビは全米でかなり普及し、オールアメリカンで娯楽やファッション、物事などが共有されるようになります。日本は50年代半ば頃からテレビが出はじめ、急激に普及したのが60年代前後なので、アメリカから約10年遅れてテレビ時代が始まったことに。
そして大人になり、同世代の集まりで、むかしの事柄や出来事が話題になり盛り上がる「ナツカシズム」は日本でもおなじことのようです。
で、50年代のアメリカではどんなものが流行ったのかというと、YOU-TUBEでみたような事柄で、多いのが髪型や服装、靴などのファッション、マンガや映画のキャラクター、清涼飲料、コレクショングッズなど。ツェッペリン号炎上墜落や大統領選の大誤報など社会的ビッグニュースも子どもたちの話題になったようです。
日本とはいささか異なるのがハイスクールでのダンスパーティ(一部ありましたが)や父親への「鍵ねだり」(クルマを持つことがステイタスだった)。
日本の60年代で言ったら、たとえば「巨人の星」「おそ松くん」「石原裕次郎」「アイビールック」「ミニスカート」「パンタロン」「VAN」「JUN」「バイタリス」「MG5」「コント55号」「リカちゃん人形」「人生ゲーム」なんてところでしょうか。
このdo you remember these のアイデアソングのヒットで柳の下の何とかを狙ったのか数カ月後にリリースしたのが[class of '57] 1957年の同窓会。
https://youtu.be/RLr_C8QqPWg
前回は20年あまり前に流行した物や事柄をただ連呼するというアイデアでしたが、今回は20年前のハイスクールの級友たちが、その後どういう仕事に就いたのか、あるいはどんなハプニングがあったのかという「あの人は今」を名前入りでうたいあげています。こちらも前作ほどではありませんでしたが、それでもカントリーチャートで6位にランクインしています。
内容は級友たちの卒業後の仕事が中心になっていて、「トミーは中古車販売、ナンシーは美容師をしている」で始まり、トラックドライバー、生命保険の営業、工場勤務、小学校の先生、教会のオルガン弾きなどと級友の現状を紹介していきます。なかにはレイのように借金まみれになっていたり、マービスのようにいまだフーテン生活で、級友の誰もが彼がどうなるのか気にしているというヤツがいたり。マービスはきっとハイスクール時代、クラスの人気者だったのでしょうね。
そしてありがちな同級生同士の結婚。リンダはソニーと結婚し、ブレンダは私と結婚したと。「私」とはこの歌の作者でありスタットラー・ブラザーズのバスを担当しているハロルド・リードのことで、実際に彼の奥さんの名はブレンダ。
ただ、同級生結婚で皆が幸せになっているわけではなく、ジョーの奥さんを寝取ったフレディはそのジョーに殺されたなどという悲劇もあったり。
いろいろな人生があるけれど57年のクラスには夢があった。誰もが自分の描いた世界が実現すると思っていた。でも現実は思い通りにはならない。18歳を過ぎると事態は複雑になっていくのだ。しかし、あの年のわれらがクラスに夢があふれていたことは間違いなかった。と結んでいます。
最後は[do you know you are my sunshine]ユア・マイ・サンシャインをうたって 。
1978年のシングル。ビルボード・カントリー・チャートで初めてのナンバーワンになった歌。
https://youtu.be/VxT3Mf1i8TY
「ユア・マイ・サンシャイン」は1940年、後にルイジアナ州知事になったジミー・デイヴィスとチャーリー・ミッチェルによってつくられた(版権を買っただけという説も)カントリーソングで、ジーン・オートリーやビング・クロスビーなどでヒットとなり、以後多くのシンガーによってうたいつがれている歌でもあります。
スタットラー・ブラザーズのdo you know, you are my sunshine は彼らがライブ中に聴衆に向かって『「ユー・アー・マイ・サンシャイン」って歌、知ってますか?』とコールしている歌ではなく、ちょっとしたラヴソングなのです。
コンサートで演奏者の僕は観衆のなかに太陽のように輝くひとりの少女をみつけた。そしてなんとその少女は一曲を演り終えた僕らのいるステージに近寄ってきて、
「ねえ、『ユア・マイ・サンシャイン』演ってくれませんか?」
とリクエストしてきた。そして「この歌をもう一度聞きたいの。だから私のために歌ってくれませんか」と可愛い声で言ったのだった。
それからあの娘は僕の前から消えてしまったけれど、僕はどこのコンサート会場へ行っても、必ず「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を歌い、大勢の観衆の中に彼女がいないかといつも探しているんだ。
という歌。ファンが好きなバンドに熱視線を送るコンサートで反対に演奏者がファンに一目惚れするという、これもありそうであまり聞かないストーリー。
当時から遡っても40年近く前の歌も懐かしいですが、バンドの純なボーカルが好きになったひとりのファンを探し求めるというシチュエーションは、かの「アメリカングラフィティ」の主人公が白い車の女性を探して町じゅうをクルマで走り回るという純情に似てノスタルジィを感じてしまいます。
この歳になりますと、もはや小・中・高の同窓会は霧消してしまい、誰が何処で何をしているかなど、風の便りさえほぼ聞こえてきません。ただ死んだヤツの噂は何人か伝わってくるのはなぜなのでしょうか。
唯一残っていた大学時代の少人数のささやかな「同窓会」もコロナで延期しているうちに昨年世話役が死んでしまい、はたしてこのあとどうなることやら。
ただ「1957年の同窓会」を聴くと、やっぱり無垢でオモロイことばかり考えていて、思い返してもいちばん楽しかった高校時代の級友たちには会ってみたい、という気持ちはあります。というよりは、あの時の自分に時代に戻って彼らに会いたいというのが本音でしょうか。
オマケの歌を。当時級友たちのたまり場になっていた「ヒミツのアパート」で夜な夜な下手なギターを弾きながら暴唱していたナツカシソングを。
https://youtu.be/LR-T2qTLF6o
大相撲の結果は初戦で阿炎が高安を破り、そのとき高安が脳震盪で一時土俵から立てなくなるというアクシデントで大波乱。そんなわけで阿炎、貴景勝は勝った方がほぼ優勝。やっぱり勢いに乗った阿炎が数秒で大関を突き出して初優勝。横綱不在、大関不調の今場所でしたが、ニューカマー登場のしめくくりで良かったのでは。
スポーツ三昧の仕上げはもちろん日本―コスタリカ戦。
your picture in the paper [country]

https://youtu.be/NdDdb1OT9ng
きょうは仕事もなく、とくに出かける予定もなかったので、仕事場の掃除をしに。
遅ればせながらの夏の跡片付け兼冬支度。
エアコンを掃除し、扇風機もバラして拭き掃除。そのあとクリーナーをかけて机や棚、椅子にも雑巾がけ。その間、いつもどおりテープデッキから音楽を流します。
家だとほぼヘッドホンだけど、ここなら誰の遠慮もなく大音量とはいかないけれど(近所迷惑になるので)かなりのボリュームで堪能できます。
仕事中なら200本ほど放り込んであるテープボックス(と呼んでいる段ボール函)からランダムに取り出したテープをカセットにかけるのですが、きょうははじめからカントリーと決めていたのでゴソゴソと探します。
テープはほぼ昔レコードからダビングしたものですが、そのうちの20本あまりはレコードでいうところの「ジャケット」を着けたオリジナル商品。そのほとんどがカントリー。
そしてそのほとんどが知人がアメリカに行った時のお土産。いまやリタイアしてしまった知人ですが、30年あまり前は年に何度か仕事でアメリカへ行き、そのたびにカントリーのテープとTシャツを買ってきてくれました。ただ彼はカントリーが詳しくないので、その選択はテキトー。だから聞いたことないシンガーだったり、「ベスト・オブ・ハンク・ウィリアムズ」がすべてインストだったり、「ノンストップ・ブルーグラス30」の演奏者がほぼ知らないグループだったり(知らないのがわるい)とアメリカの奥の深さを感じさせられる?代物でしたが、それでもありがたいことで、昔もそしていまも充分堪能しております。
そんななかで唯一わたしが買ったテープがありまして。といってもアメリカなど一度もいったことがなく、当時アメリカの音楽通販会社へインターネットでアクセスし、直接注文しました。仕事でパソコンだけはウインドウズが出る前から使っておりましたので。まだamazonなどもなくて決済などどうやってやったのかも覚えておりませんが、欲望のパワーたるやものスゴイもので、ネットでなんとかたどりつきゲットしてしまったのでした。
それが「スタットラー・ブラザーズ」というカントリーのコーラスグループ。
当時よく売られていたCDのコンピアルバムのカントリー盤を買ったとき、なかに収められていたスタットラー・ブラザーズの「偉大なるかな神」が良くて、初耳のそのグループのアルバムが欲しくなり、何が何でもと買ってしまったのです。まぁカントリーのヴォーカルグループといえば、ソンズ・オブ。パオニーアーズが有名ですが、さほど多くはなくそれはそれでここちよい。
冒頭の動画がそのテープの中の一曲の[your picture in the paper]新聞で見た写真 で、日曜日の朝(土曜の夜とともにアメリカ人の好きな時間)ふと拡げた新聞に昔の恋人が結婚したという記事が写真とともに載っていた。それを見て動揺しながらも、昔の想い出がよみがえり、そして旦那さんともども幸せになってほしいと願った。というワンミニッツ・ドラマでスタットラー・ブラザーズのいくつかあるフェヴァリットソングのひとつ。
スタットラー・ブラザーズは1950年代から故郷のルイジアナ州スタントンの教会などでゴスペルをうたっていました。当初のグループ名は「フォースター・カルテット」で、その後「キングスメン」に改名。
初期のメンバーはドナルド・リード(バス)、ルー・デウィット(テノール)、フィル・バルズレー(バリトン)、ジョー・マクドーマン(リード)の4人で、1964年にレコードデビューするときは、リードのジョーが抜け、ドナルドの弟、ドン・リードが新たに加入しています。
また、1982年にはテナーのルーも体調不良で抜け、代わりにのちにソロになるジミー・フォーチュンが加入しています。いずれにしてもスタットラー・ブラザーズといっても4人が兄弟なのではなく、本ものの兄弟はドナルドとドンのふたりだけ。
スタットラー・ブラザーズと名乗ったのは1963年のことで、たまたま4人で泊まったホテルにあった顔用ティッシュが「スタットラー社」製のもので、なぜかそれが気に入り自分たちのグループ名にしたとか。こんなものか。そのとき泊まっていたホテルが「スタットラー・ホテル」だったかどうかは定かではありませんが。
初めてのシングルレコードは1964年の[the wreck of old 97 ]オールド97号の大参事 。
https://youtu.be/jxPdCj2QcRw
この歌は20世紀初頭にバージニア州で起こった鉄道の脱線転覆事故を題材にしたトピカルソングで、1924年にヴァ―ノン・ダルハートの歌・演奏でカントリー初のミリオンセラーとなったという曲。スタットラー・ブラザーズ以外でも、ルービン・ブラザーズ、フラット&スクラッグス、ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ジョニー・キャッシュ、ハンク・スノウ、、ロイ・エイカフ、ハンク・トンプソンなど多くのカントリーシンガーによってうたい継がれ、アメリカでもよく知られたトレイン・ソングのひとつ。
アルバムはその翌年の[flower on the wall]壁の花 でビルボードのカントリーチャート10位に入っています。
スタットラー・ブラザースの名をカントリーファンに知らしめたのは、64年から8年余りジョニー・キャッシュのバックコーラスを努めたことによって。
https://youtu.be/NGUP8oc9Bgs
[daddy sang bass]父の歌声 もそうですが、スタットラー・ブラザースのもっとも得意とするところがゴスペルやセイクレッドソング。ではそんな讃美歌をもう一曲。
https://youtu.be/7uWkEadWdkQ
[how great thou art]偉大なるかな神 は19世紀の後半、スウェーデンのカール・ボーバーグによってつくられた讃美歌をその後、イギリスやアメリカで翻訳され現在のかたちになったといいます。
高くそびえる山々、森の木々やその中を流れる小川、そしてここちよい風や鳥たちのさえずり、これらの不思議で感動的な光景を創造されたのが偉大なる神なのです。とあますところなく文字どおり神を讃美しています。
アメージング・グレイスとともに英米人にもっとも親しまれている歌で、コニー・スミスやキャリー・アンダーウッドなどレコーディングするシンガーは多い。そんななかでもよく知られているのが、1967年にリリースしたエルヴィス・プレスリー盤。アルバム[how great thou art]のタイトル曲で、グラミー賞を獲っています。
はじめにも述べましたが、わたしにとってもこの曲がスタットラー・ブラザーズで初めて聴いた歌でした。エルヴィス盤を聴いていたので耳に残ったでしょうね。
もちろん、彼らはゴスペルやヒムばかりをうたっているわけではなく、ラブソングやふつうのポップスもたくさんうたっています。そんななかから1985年彼らの26枚目のアルバム[pardners in ryme]韻をふむパードナー(意味がわからないのですが) の1曲目[hello mary lou]ハロー・メリー・ルウを。動画はほぼ音がわるいので、さいごは音重視で。
https://youtu.be/j-EcCKAc_iY
日本でも弘田三枝子などのカヴァーでよく聞こえていた歌で、オールドファンには耳馴染でしょう。日本では「ルイジアナ・ママ」のシンガーソングライターとして知られるジーン・ピットニーによって1960年につくられ、翌年リッキー・ネルソンでヒットしています。
シングル盤としてはこの「ハロー・メリー・ルウ」はB面で、全米ナンバーワンになったのはA面の「トラベリン・マン」。とはいえ「ハロー・メリー・ルウ」もB面ながら全米6位になっています。
その眼、そのくちびる、その声、そのすべてを永遠に愛することを誓います。という日本人には大袈裟な(今はそうでもないのかも)アメリカン・スタンダード・ラヴソング。
少し早めの大掃除を終えて、午後に帰宅。夕食には少し間がありますが、いまは大相撲をやっていますので時間はつぶせます。
ここ数日、ワールドカップの「ドーハの奇跡」で持ちきりです。わたしも当日席を立てずに歓喜のタイムアップまで釘付けでした。信じられない結末でした。ドイツの敗因はシュートミスの連発。決定的なシーンが少なくとも2つはありました。反対にいえば日本にツキがありました。とにかく勝ち点3は大きい。ただ、好発進ではありますがわたしはペシミストなので、明後日のコスタリカとその次のスペインに連敗して予選敗退なんてイメージもあります。フットボールに限らず過去にいろいろな勝負を見てきましたが、ジャイアントキリングのあとの取りこぼしというのは珍しくありません。
いずれにしても日曜日は「ドーハの奇跡」が現実なのか、眼をこすりながら確かめるつもりです。
アメとムチ [day by day]

ニュースで知ったのですが、サクマドロップで知られた「佐久間製菓」が来年1月廃業するそうだ。コロナの影響が少なからずあったとか。
まぁ、それがいちばん大きいのでしょうが、様々な形と触感、さらには味の「あめ」が発売されるようになった昨今、あの楕円形で小粒のサクマドロップはオールドファッションなのかもしれません。菓子類は懐かしいだけでは商売にならないのかも。
子どもの頃サクマドロップにはずいぶんお世話になりました。だいたい菓子類は近所の駄菓子屋で買うのが常でしたから、あの缶入りのサクマドロップはいわば高級品でした。
もちろ自分で買うことはなく、親が買ってくれて親の管理の元、1日に1粒とか2粒とかもらっていたような気がします。手のひらを出すと小さな取り出し口を下にしてまさに1粒落としてくれる。ドロップはイチゴ、レモン、オレンジ、ブドウ、ハッカなどの味があり、それぞれ赤とか黄色とか紫とか色分けされていた。ですから、白のハッカがでてくるとガッカリしたもので、母親に再試行を頼んだり。優し母は缶を振ってもう一度手のひらに落としてくれる。兄もハッカが嫌いで、結局缶の底にはあの白いハッカばかりが残ってしまったり。
もうすこし大きくなって自分で管理できるようになると手ごわかったのが蓋の開け方。10円硬貨くらいの取り出し口には密閉するように同じ大きさの蓋があり、それはかなり固くてそれこそ十円硬貨で梃子のようにして開けておりました。そのあとの閉め方がわるいとなかに湿気がはいっていしまい、あめ同士がくっついたり、ベトベトしてしまったりというのもありがちでした。
当時はあの缶そのものが貴重で、空になった缶を簡単に捨てた記憶はありませんが、なにに利用したのかは覚えていません。あの取出し口からも再利用しにくい缶だったこともたしかです。
多分、小学校の高学年あたりになると、もう舐めなくなってしまったのではないでしょうか。ガムはもう少し先まで噛んでいましたが。
覚えているアメの歌を。
横文字でいうキャンディも含めて。
はじめは昭和37年(1967)、東京オリンピック前の貧しいけれど希望にみちていた頃。山田洋次監督の初期の映画の主題歌。
https://youtu.be/gwMLj32zrhk
リアルタイムではありませんが、ほぼ地元が舞台だったので興味をもって数年後に観ました。もちろん歌はリアルタイムで聴いていました。さくらさんになる前から倍賞千恵子のファンで、小学校によく似た子がいました。
♪縁日にふたりで わけた丸いあめ
の作詞はキングレコードのエース・横井弘、作曲はほかに菅原洋一らの「忘れな草をあなたに」などがある江口浩司。
もうひとつは何度も聴いているのでいささか気がひける1975年の荒木一郎のバイバイ・ソング。
https://youtu.be/1rH0HoVfNjQ
♪ゆきずりの夜に買う綿あめは 君と愛した味がする
作詞作曲はもちろん、あのデキシーチックな編曲も荒木一郎。いぜん、荒木本人が同じバイバイソングの「帰らざる日々」(アリス)にクレイムをつけていましたが、あれもまたいい歌です。ちょっとアブナイ歌ですが。
つぎは「キャンディ」。こちらはJPOPにいくつもありそうですが、ミスチルの「CANDY」を聴いたことがあるくらいでよくしりません。
しっているのはやはり古い歌。未経験・未体験なのになつかしいとうフェヴァリットソング。
https://youtu.be/QLBtRS-at-g
冒頭から
♪赤いキャンディ つつんでくれたのは 古いニュースペーパー
とキャンディが出てくるのは柳ジョージの「青い瞳のステラ 1962年夏…」。作詞は水浦杜司、作曲は上網克彦。
赤いキャンディはどんなアメだったのでしょうか。すぐに思い浮かぶのはむかし駄菓子屋で買っていた円錐型のイチゴ飴。底にヒモがついていてね。たしかクジになっていてそのヒモを引いて大きいものが当たり、小さいのが外れ。大差はなかったけど。みんな口からヒモを垂らしながら遊んでいました。
この歌の赤いキャンディはそんなイチゴ飴ではないけれど、むき出しのアメを新聞紙に包んでというイメージ。
赤いキャンディ、白いペンキ、ブルーアイ(青い瞳)と歌詞に出てくるこの歌はその三色でもわかるとおりアメリカ小僧の歌。ほかにブルースやテネシーワルツも出てきます。
ほかには、佐良直美の「わたしの好きなもの」に♪棒のついたキャンディ とでてきますがあれはアメではなくアイスキャンディでしょうね。
おまけは洋楽を。歌詞をよく知りませんのでタイトルで「キャンディ」を。ナット・キング・コールやダイナ・ショアなどで知られている1945年のスタンダードで、「彼女は私にすごく甘い、私も彼女にとても甘いけどね」と恋人をキャンディにたとえた大甘のラブソング。
https://youtu.be/Q0yH2VaIYVI
実はいまでもアメは舐めております。
以前から、咳どめのアメをカバンの中に常備しております。ときどき喉がいがらっぽくなったり、咳が出そうになるとバッグの中の袋から取り出して口に放り込んでおります。とくにここ数年コロナが蔓延してからは電車の中など咳をするのがはばかれる場所では結構重宝しております。
車中でなくても、ツレや知人といるときに相手が咳をすると「どう?」とすすめて喜ばれてもおります。ツレなどは完全に「マイ・キャンディ」をあてにしているようで、外出中咳もしていないのに口が寂しくなるのかたびたび催促してきます。
また、以前喫茶店で咳込み、アメをあげて(嫌な言いかたですが)喜ばれた知人がまた同じ状況になったので「どう?」と言うと、二度目は丁重に断られました。
「糖尿ぎみなので」と知人。そういえば以前聞いたことがあったっけ。一度めは断ったらわるいと思って貰ってくれたんだな。誰もがアメをもらって喜ぶわけじゃないぞ。ムチなわたしでありました。
乗り換えの 電車来れども 福は来ず [on the train]

きのうに続き、きょうも東京は暖かい日でした。
きのうは仕事場と家との往復で外へ出ただけだったので、きょうは少し遠出してみようと。
もはや冬まじかという思いだったので厚手の上着を着てでかけたため、駅へ向かう途中いささか汗ばんだり。
それにしてもいつもより人出が多いと思ったら、きょうは文化の日、祝日でした。毎日が仕事と言えばそうだし、毎日が日曜日ともいえる。そんなわけですから、曜日の感覚も月日の感覚もうすれるという昨今。まして祝日なんて覚えているわけがない。
ちょっとした買い物もあったので、今日は私鉄を乗り継いでローカル線で郊外へ。
乗り換えのM駅で、電車を待ちながらホームの向こうに広がる畠を見ていたら、昔のことを思い出しました。
20代の頃、ひとなみにガールフレンドができまして、休日になると月に何度か彼女の棲む郊外の家へ通っていたことがありました。
やはり乗り換えの駅があり、ホームからは畠が見えていました。菜の花がたくさん咲いていて、モンシロチョウやモンキチョウがたくさん飛んでいました。その光景は今でも思い描くことができます。
間がわるいとその乗換駅で30分ちかく待たされたこともありました。
その畠の彼方に2階立てのアパートが2棟並んでたっていました。その右側の当時でもくすんだ古アパートの2回の手すりに看板が設えてあって、その看板には「〇福荘」というアパート名が書かれておりました。実は頭の「〇」というのは、そのアパートの庭の大きな木の生い茂った枝葉で隠されていて読めなかったのです。
ですから、その乗換駅で電車を待つあいだ、そのアパートの看板を眺めながら、あの隠れている文字はなんなんだろう、なんて考えていたものです。
いちばんありそうなのは、「幸福荘」。でも「七福荘」もある。あまり聞かないけれど「万福」や「来福」だってなくはない。ひとの苗字なら「今福」とか「伊福」とか。などと電車が来るまでの暇つぶしに考えたものでした。
残念ながらそのガールフレンドとは1年も続きませんでした。その乗換駅での冬の記憶がないので、おそらく半年足らずで終ってしまったのだと思います。ですから、その乗換駅に立つこともなくなってしまいました。
その当時は、それ以上考えませんでしたが、もし彼女ともう少し長く、たとえば1年とか2年とか続いていれば、あのアパートの庭の木立ちの葉が散る季節になり、「〇福荘」の正体が判明していたかもしれません。などと思ったのは、それからずっとあとのこと。
とにかくわたしと彼女に福は来なかったのですから、わからないままで良かったのかもしれません。
あの時の乗換駅にはあれから行っておりませんが、たまに利用するこのM駅で電車を待っているとたまにそのことを思い出すのです。
もう少しヴァイオリンの歌を。
歳並みに記憶がポロポロと抜け落ちていくのは仕方ありません。と同時に過去のメモリーを検索し抽出する力も老化によってその機能が劣化しているのがわかります。やだやだ。
ですから、昔よく聴いた歌や、好きだった歌を思い出すことがけっこう至難。
そんななかでも、なぜか検索に引っかかってくる歌もなくはありません。
ヴァイオリンが印象的な歌もたくさんあったはずなんですが、かなり忘れております。そんななかかろうじて検索で脳内蓄音機で再生された70年代、80年代の歌をいくつか。
まずは1975年の歌。当時はフォークに代わってニューミュージックが主流になりつつある時代で、この歌もそう。
https://youtu.be/KOmqSISgG6o
「想い出まくら」はシンガーソングライターの小坂恭子の作詞作曲の失恋歌。
つたない記憶では、おなじ苗字の小坂明子の「あなた」やボサノバが印象的だった丸山圭子の「どうぞこのまま」などが流れておりました。
イントロから印象的なヴァイオリンが流れる編曲は福井峻。
福井峻はほかに「この空を飛べたら」(加藤登紀子)、「わかれうた」(中島みゆき)共同、木曽は山の中(葛城ユキ)、「夕暮れ時はさみしそう」「雨は似合わない」(N.S.P.)、あるいはチューインガムの作品など、かずかずのニューミュージックを担当しました。
つぎは少し戻って1971年の歌。この歌もラジオからよく流れていました。
https://youtu.be/Av20x26yrFI
加藤登紀子の「愛のくらし」。この歌もイントロのヴァイオリンが耳に残ります。作曲はタンゴ楽団で知られるアルフレッド・ハウゼで、加藤登紀子のために作曲したので、カヴァー曲ではない。詞は加藤登紀子で、編曲は日本を代表するアレンジャー・馬飼野俊一。
その名作品をいくつかあげてみると、「襟裳岬」(森進一)、「石狩挽歌」(北原ミレイ)、「草原の輝き」などアグネス・チャンの数々、「恋する夏の日」など天地真理の数々、「若草の髪飾り」ほかチェリッシュの数々。チェリッシュのヒット曲のほとんどは作曲も担当しています。
そのほか「北酒場」(細川たかし)、「愛情物語」(ヒデとロザンナ)、「笑ってゆるして」(和田アキ子)、「想い出迷子」(チョー・ヨンピル)、「戦争を知らない子供たち」(ジローズ)、「池上線」(西島三重子)など枚挙にいとまがありません。
YOU-TUBEはオリジナルとはちがいますが、オリジナルもイントロから力強いヴァイオリンの響きが聞こえます。
さいごはタイトルからしてヴァイオリンが聞こえてきそうな歌。
https://youtu.be/ACRSd2OGfGY
「マイ・クラシック」は1984年のヒット曲で。これもラジオからよく流れておりました。
作曲、歌唱はシンガーソングライターの佐藤隆。作詞は佐藤の曲のほとんどを担当した大津あきら。
佐藤隆は、ほかにも高橋真梨子に提供した「桃色吐息」とか、「カルメン」とか「希望商人」とかヨーロピアンで、格調高い独特のスタイルをもったミュージシャンでした。
編曲は彼と、ハプニングス・フォーのチト河内の共同。
作詞の大津あきらにもふれておきますと、元々はつかこうへい劇団で音楽を担当。作詞家としては1981年に中村雅俊の「心の色」がヒット、翌年には高橋真梨子に「for you …」、86年には杉山清貴に「さよならのオーシャン」を提供。
ほかに「風のエオリア」(徳永英明)、「東京HOID ME TIGHT」(ケイ・ウンスク)、「二十三夜」(堺正章)などをはじめ、矢沢永吉にも多くの詞を提供している。
1997年に47歳という若さで亡くなっています。奥さんがやはり劇団の根岸季衣でした。
おまけは、やはりイントロからヴァイオリンの調べが印象的で、当時のエキゾチックブームのなかで大ヒットとなった久保田早紀の「異邦人」を。この歌も、ヴァイオリンを上手にフュチャしておりました。でも「おまけ」なのでカヴァーで動画を。
この歌をカヴァするシンガーはけっこういますが、今回は一時よく聴いていたEGO-WRAPPIN'で。ヴァイオリンはでてきませんが。
https://youtu.be/M9RnnrsSH8s
拳闘はらいっぱい

日本シリーズは終ったけれど、スポーツの「秋」はまだまだ続きます。
今日は午後5時半からパソコンでボクシングの試合を。
世界戦2試合を含む4カードでしたが、終ったのが10時近く。ベッタリ観ていたわけではないけど疲れました。
メインイベントのともに世界ライトフライ級チャンピオン同士の日本人戦はいちばん盛り上がった。結局地力にまさるWBC王者の寺地拳四朗が京谷紘人を7ラウンド、レフリーストップでWBAのベルトも奪取した。ファンの多い京谷ですが実力負け。拳四朗は1ラウンドから余裕があり、自信に満ちていた。つぎはその前の試合で帝拳の岩田翔吉を判定でやぶってWBOのタイトルを防衛したプエルトリコのゴンザレスとやって3本目のベルトを狙うのだとか。
ほかでは期待していた中谷潤人。スーパーフライに階級をあげたけど問題ないだろうと思っていましたが、相手は元世界チャンプ、メキシコのロドリゲス。しつこいブルファイターで、相性がわるいのか結構手をやいた。それでもさしたるダメージもなく、大差の判定勝ち。いまは負けないことが大事でひと安心。「勉強になった」とインタビューに応えていましたが、ほんとにいい相手とやったと思う。その言葉どおり、今度ファイターとやるときはきっともっと上手くやってくれるだろうと思った。中谷潤人にはそれだけのセンスを持ち合わせている。
歳のせいかボクシング4試合はきつい。野球のほうがまだ気楽に観ることができる。
今月はワールドカップもあるし、13日には九州場所も始まるし、27日にはジャパン・カップもあるし、駅伝・マラソンのシーズンでもあるし、忙しいけれど楽しみでも。
寒かったり、暖かかったり、やっぱり秋なんですね。
日本シリーズは終わりましたが、わたしの脳内蓄音機ではいまだヴァイオリンの調べが鳴り響いております。
よくよく考えてみますと、たとえば昭和24年の大ヒット曲「青い山脈」(藤山一郎・奈良光枝)だって29年の「お富さん」(春日八郎)だって昭和30年の「この世の花」(島倉千代子)だって昭和34年の「黒い花びら」(水原弘)だって35年の「さすらい」(小林旭)だって昭和38年の「高校三年生」(舟木一夫)だって昭和40年の「女の意地」(西田佐知子)だってみんなその伴奏にヴァイオリンがつかわれていた。
あたりまえですが、レコーディングに際しては規模はどうあれオーケストラをつかうのが一般的でした。だから当然ストリングスのメインとしてヴァイオリンがつかわれたのです。
前面に押し出したものもあれば、バックでささやかに聞こえてくるものもあったり。とにかくヴァイオリンは伴奏には便利で、また欠かせない楽器なのです。
ただ子どもの頃は、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」を聴いても石原裕次郎の「赤いハンカチ」を聴いても、ヴァイオリンどころかバックの演奏のことなど意識しなかった。
はじめて歌の中の演奏のヴァイオリン、正確に言えばストリングスを意識するようになったのはゴールデン・カップスの「長い髪の少女」でした。間だけでしたが印象的でした。
https://youtu.be/sFojpmJLWZw
GS(グループサウンズ)といえば、当然楽器はギターであり、ベースでありドラムスであり、加えてキーボード。それをグループのそれぞれがパートを受け持ち、リードボーカルがいるというのがスタイルで、いまのバンドにまで引き継がれている。もちろんビートルズをはじめとするUKのバンドグループを見本にしたものですが。
楽器がありヴォーカルがいればそれだけでレコーディングは可能で、レコードもつくれそうな気がします。
しかし、GSブームのなか、数多のバンドがレコードを発売し、それを商品として1枚でも多く売らなければならない。それには商品としてそこそこのグレイドは保たれなければならない。
はたして、俄にに仕立てられたようなグループもあったような当時のバンドにそれだけの演奏テクニックがあったのかどうなのか。もちろんすべてではないだろうけど、ほとんどスタジオミュージシャンなんてレコーディングもあったのでは。
つくる側としては、いくらバンドの魅力で売るといってもよりよいレコードに仕上げようと思えば、昔ながらのオーケストラの力を借りてのレコ―ディンということになる。
それはレコードという商品の質をたかめようとすれば当然のことで、ビートルズだってストーンズだってストリングスをつかっています。
とにかくGSのころから伴奏のヴァイオリンに目覚めたわけで、そのころのGSではほとんどバンドがストリングスを取り入れていました。スパイダースだってワイルド・ワンズだってオックスだってテンプターズだって。
ということはみんな演奏が下手だった? ということはないでしょうが。とにかくレベルの高いレコード(商品)をつくろうとうことだったのでしょう。
GSのなかでもとりわけ、ヴァイオリンやほかのストリングスを多用し、なおかつそれが効果的だったのがタイガース。スタートメンバーは沢田研二(ヴォーカル)、岸部修三(ベース)、加橋かつみ(リードギター)、森本タロー(サイドギター)、瞳みのる(ドラムス)の5人。
デビューからしばらくは作曲&編曲:すぎやまこういち 作詞:橋本淳のコンビ。
近年亡くなったすぎやまこういちは当時テレビ「ザ・ヒットパレード」のディレクターで、以来GSの中心的作曲家として、またその後はゲーム音楽の第一人者として活躍することになります。その音楽的素養は当初から天才的でした。それがとりわけ編曲にあらわれています。それではストリングスに彩られたタイガースをいくつか。
https://youtu.be/YaavZ1MWiwg
「モナリザの微笑み」(1967年)はデビュー曲「僕のマリー」から3枚目のシングル。この頃からレコードジャケットもメルヘン調というかバロック調といいますか、ストリングスのつかい方もそんな感じになってきます。その後、GSで主流となるステージ衣装のミリタリールックもタイガースがはじめてだったような。
https://youtu.be/j_2srPcvsfc
「白夜の騎士」(1968年)は、「花の首飾り」に続く6枚目のシングル「シー・シー・シー」のB面。作詞の有川正子は、なにかの芸能雑誌でタイガースの歌詞を募集したところ入選した読者。それを「座付作詞家」の橋本淳が手直しして完成させています。「花の首飾り」もそういうケース。当時、GSに限らず人気(アイドルなんて言葉はまだなかった)歌手の歌の歌詞を雑誌で募集するというケースが少なからずあったようです。
曲・編曲は当然すぎやまこういちで、まさにメルヘンチックな歌になっています。当時はやりのベースランニングとともにやはりヴァイオリンが印象的。
https://youtu.be/xfqEhaBNosc
最後は「青い鳥」1968年。タイトルからもメルヘン。完全にほぼ女の子をターゲットにしています。「青い鳥」は当時世界のポップミュージックを席巻していた「ラヴ&ピース」をコンセプトにしたアルバム「ヒューマン・ルネッサンス」からシングルカットされた曲で、作詞作曲がギターの森本太郎というのがめずらしい。編曲はもちろんすぎやまこういちですが。印象的なギターのイントロとともに、ヴァイオリンがふんだんに活かされています。
反対にGSで比較的ストリングスをつかわなかったのがブルー・コメッツ。初期の「青い瞳」や「青い渚」などはほぼバンドの楽器構成だけでやっている。大ヒットの「ブルーシャトー」では目立たないようにつかっていますが、晩年?の「さよならのあとで」などムード歌謡っぽい楽曲になるとイントロからしっかりつかうようになっています。
https://youtu.be/oV7u5hsGDvI
同様にジャガーズもデビュー曲の「君に会いたい」や「ダンシング・ロンリー・ナイト」ではバンド演奏だけで録音している。
https://youtu.be/GpT1R4LHvis
こうしたバンドは当初予算がなかったと考えるべきなのか、それともメンバーそれぞれがレコーディングに耐えうる演奏テクニックを持っていたと考えるべきなのか。ブルーコメッツは後者でしょうけど。
おまけもGSで。
はじめから売る気満々で、デビュー盤からしっかりストリングス付きのオーケストラをつけてもらったバンドの初シングル。作詞はタイガース専属?ではなかった橋本淳。さらに作曲・編曲はかの筒美京平。ならばオーケストラつけるのは当然ですね。
タイガース、テンプターズに続くアイドルバンドという売り込みでした。失神さわぎがあったりしてね。
https://youtu.be/33XhDL48rhQ
今日はボクシングとひさしぶりのGSでおなかいっぱいです。
燕返し、ならず [deporte]

今日は午前中ちょっと仕事場によってから駅前のスーパーへ。
5年あまり着て膝が抜けそうなスエットのズボンを見に。
結局買い物は見るだけ。衣料品を選ぶのはほんとに苦手で優柔不断そのままに、気に入ったものがなく手ぶらで帰宅。
テレビをつけると女子の大学駅伝が。
名城大がぶっちぎりで連覇。8位9位の来年のシード権争いも面白かった9位以下でも、自己記録を行進したのか、アンカーがゴールする瞬間と、それを迎える補欠を含めたメンバーたちの歓喜の様子がとてもよかった。とにかくスゴイアスリートたちだね。みんな。
そのあと本命のわが燕軍が崖っぷちに立たされてしまった日本シリーズ。
ですが、今日はその前に「天皇賞」。秋のGⅠ連敗中ですが、きょうはなんとなく当たる気が(ソロソロという意味で)。
結果は本命は馬群に沈みましたが、自分を信用しない性格が奏功して念のために買っておいた「タテ目」が的中。大当たりとはいきませんでしたが、中当たりで今秋GⅠ初勝利とあいなりました。これが吉兆になれば。
スワローズのここ数戦の貧打が気になります。
今日こそ山田、村上、オスナ、サンタナをはじめ打線の大爆発を。頼む明日む一丁。
1回オリックス1番太田サイスニードの初球をいきなりセンターオーバーのホームラン。
先制された。なんとかしてくれ。
3番中川もセンター前。外人は不運がつきまとう。
吉田アウトだが杉本死球。ムッとしていた。なんとか追加点を免れた。コワくて見てられない、ピッチャー代えてくれ。
その裏スワローズ相手の先発は宮城。塩見、キグレハン簡単にツーアウト。山田!一発! ショートゴロでチェンジ。貧打ヤクルト。
2回バファローズ、2三振の三者凡退。サイスニードまだ信用できない。
裏、、村上見逃し三振。打てそうにない。オスナ三塁ゴロ、中村同じように三塁へ、た宗弾いてヒット。サンタナもセンター前でツーアウト1、2塁。若武者・長岡、中途半端でョートゴロ。でもコツコツヒットも出ていい感じだ。と思い込む。
3回バファローズ、あっさり三者凡退ならチャンスが来るぞ。
宗二塁ゴロ、中川三振、吉田だ。よしサードゴロアウト。予想どおりスワローズ爆発だ。
9番サイスニードから。なんでもいいから出塁してくれ。大方の予想どおりあっさり三振。
塩見も三振。キグレハン、なんで2番なの? 昨日のマクガフから高津采配疑問。ピッチャーゴロ。
4回杉本、安達とセンタ―フ
ライ。紅林三振。
さぁ、山田今度こそ。球は見えてると思うんだけど。三振。宮城がよすぎるのか。
今日午前中のテレビで落合は村上調子よくないようなことを言っていた。やっぱりタイミング外されピッチャーゴロ。これは打てそうもないか。よし、オスナ打った、同点だ。と思ったら失速のセンターフライ。宮城にツキがある。
5回伏見ライト前。ノーアウトで中嶋采配の見せ場。まずは宮城バント。内野のシフトの乱れで内野安打。1、2塁。ラッキーボーイか宮城が。バントもう一丁だろう。かんべんしてくれ、太田のバントも誰もとれず、ノーアウト満塁。スワローズ運気なし。何点はいるか。ゴロ、ホームゲッツーでまずは抑えたい。ファーストゴロ、絵に描いたようなゲッツー。これで抑えれば流れはスワローズだ。3番中川フルカウントから四球。また満塁。で、吉田。今日の天王山。打たれればオリックスの勝ちでしょうがない。
なんとデッドボール。押し出しで追加点。0-2。ズルズルいくなよ、サイスニード。球が高め。杉本左中間抜いて、で3人生還。ひどいセンター塩見の守備。あれは捕っていれば好守だけど、捕れなければエラーだ。
スワローズ、ピッチャー交代。0-5でもはや九割がた負け。奇跡を願うだけ。
記録訂正でやはり塩見のエラーとなった。しょうがない。これこそ魔が差したんだ。
2番手大西。三振でおさえる。解説の千賀が、バントヒット2本がスワローズのミスで追加点の伏線になっていたというようなことを言っていた。まさに。バントにやられた。
裏、中村から。せめて2点獲ってくれ。セカンドファウルフライ。サンタナ四球。長岡ライト前ヒット。下位打線好調。代打川端。もう切り札? 打者も投手も層がうすいスワローズ。でも最低2点はとってくれ。イン低め三振。低いけどなぁ。塩見挽回の一発を。ショートゴロ。チェンジ。宮城完璧。これで6回裏からバファローズの最強リリーフショーが始まる。
6回、ヤクルト投手は田口。紅林凡打のあと伏見がセンター前。宮城の代打・野口三振。トップの太田センターフライでチェンジ。
リリバーまずは宇田川。キグレハンに代えて丸山。高津監督のオーダーミス。速球で三振。山田、どうかなぁ。せめて一発。球は見えてる。見た四球。村上2点打期待だ。これで打てなきゃ九分九厘負け。ファウルの感じ打てそうもない。やっぱり見逃し三振。手出さなきゃ。グチが増えてます。オスナ力負けのレフト凡打。クリーンナップもあっさり。貧打は続くよどこまでも。山田、もう一回廻ってくるはずの打席に期待。
7回田口連投。宗一塁ゴロ、中川三振、吉田フルカウントからセンターライナーでスリーアウト。田口はいい仕事しました。
スワローズ下位打線、オリックス宇田川が続投。中村ライトフライ、サンタナセンターへツーベース。このあと塁を貯めてくれ。でも長岡レフトフライ。代打青木。繋げて。ハースイングをとられて三振。万事急須、いや休す。
8回スワローズのマウンド石山。杉本三振。解説・古田の「三者凡退に逆転あり」に期待。安達深いショートゴロ、長岡ナイススローイングでアウト。コワイ紅林センターフライでみごと三者凡退。
せめて見せ場はつくってくれ。オリックス、リリバー2番手は山崎。1番塩見、さっきの失策の挽回を。よしシブトイい、1、2塁間にワザありのヒット。2番丸山、よく見てね。見てる3-2フルカウント。よし、センター前抜けた。ランナー1、2塁でマイボーイ・山田。だめか!変化球で三振。村上ここで打たねば。1、2塁間ヒットで塩見生還。ここからだ。やったオスナだオスナオスナ、オスナだ。レフトへ3ラン。4-5だ。1点差だ。いけるぞスワローズ。
ピッチャー交代、ベテラン比嘉。バッター中村出てくれ。スローボールを三振。サンタナの一発しかない。いい勝負フルカウント。だめかぁ、ピッチャーゴロ。
9回、スワローズ投手は清水。ここは絶対に零点で9回裏へ。
といったそばから伏見に2塁打。福田犠牲バントでランナー三塁。手堅いなぁ、オリックス。解説陣はスクイズ談義。中嶋采配は。スゴイ場面、1番太田ファーストゴロ、オスナ弾いて、三塁ランナーホームへ突っ込む。が、足がもつれて本塁憤死。宗見逃し三振。よし抑えた。
さあ最後の(延長がなければ)スワローズの攻撃。バファローズは押さえの切り札・ワゲスパック。もう誰かとりあえず一発打ってくれ。まず長岡センターフライ。代打内山。第二戦の再現はない、ショートフライ。ああ。ツーアウト。バッター塩見。ヒットでいいよ。
三振。今年の日本シリーズが終った。
オリックス・バファローズ26年ぶりの日本一。おめでとう。本当に強いチームでした。
スワローズ。後半しっくりこなかった高須采配。でもしょうがない貧打は監督でもどうしようもないもの。それでも8回の見せ場があったから。あれがなければ眠れない夜です。負け惜しみですが。
オリックス中嶋監督の胴上げを見ております。
ヤクルトのスタッフ、選手ご苦労様でした。高津監督眼を赤くしてファンに挨拶しております。ほんとにお疲れさまでした。MVPは杉本だそうです。
気をとりなおして、音楽でも聴いてから眠ります。
バイオリンのネタも尽きかかっておりますが、やはり日本の歌で。
演歌だってレコーディングをオーケストラ(カラオケでも)で録ればストリングスが奏でられ、当然ヴァイオリンも入ってきます。ただ伴奏の主役がヴァイオリンという演歌はあまり聴きません。あるのかもしれませんが。
で、ヴァイオリンがバックの演奏の主役(準主役かも)になっているといえば、すぐに思い浮かぶのがフォークソング。
なかでもシンガーがヴァイオリン、つまりヴァイオリンの弾き語り(同時ではないけど)をしたのがグレープ。さだまさし(ヴァイオリン、ヴォーカル)と吉田正美(ギター)のデュオ。
https://youtu.be/2A2XT1sSCmI
1974年の「精霊流し」も75年の「無縁坂」もさだのヴァイオリンがフューチャされ、水彩画のような詞(作曲ともにさだまさし)とはかないメロディーは「抒情フォーク」と呼ばれました。
ではフォークでヴァイオリンを前面に出したグレープが画期的だったかというと、そのまえに画期的な「ヴァイオリン・フォーク」という歌がありました。こちらは途中からですが。とくに間奏のヴァイオリンがよかった。
https://youtu.be/dKBFWMQHR58
あがた森魚の「赤色エレジー」。しばらくまえに聴きましたが、林静一の漫画のイメージをあがた森魚が書き下ろしたもの。残念ながら曲が「あざみの歌」に似ているといわれ、作曲は八洲秀章とクレジットされています。
ヴァイオリンのイメージは演歌師がかっ歩した明治・大正ロマンでしょうが、それを昭和モダニズムに置き換えてもすこしも違和感はありません。ジンタともよく合っておりました。
「精霊流し」の2年前の1972年に発売されています。
多分フォークでは「赤色エレジー」が嚆矢だと思いますが、フォークとヴァイオリンの関係を決定的にしたのが、この曲。
https://youtu.be/-FuuZlRqMIQ
「赤色エレジー」の翌年、1973年にリリースされ、和製フォーク最大のヒットとなったのが南こうせつとかぐや姫の「神田川」。
作曲は南こうせつ、作詞は昨年亡くなった喜多條忠。
「赤色エレジー」でアンティークな感じでつかわれたヴァイオリンは、「この歌」では抒情的につかわれております。イントロからヴァイオリンのささやきが聴き手の気持ちをつかみます。
その雰囲気を醸し出しているのが編曲。アレンジャーは木田高介。
東京藝大出身で元ジャックスのメンバー。その後アレンジャーに。主な作品は「出発の歌」(上條恒彦)、「結婚するって本当ですか」(ダ・カーポ)、ルーム・ライト(由紀さおり)、「蒼き夜は」(森田童子)など。75年からブルーグラスバンド高石ともやとナターシャセブンに参加し、パーカッションやベースを担当(カヴァ曲のアレンジもしています)。そしてソロになった1980年、自動車事故で亡くなっています。31歳という若さでした。
もう一曲。せっかく木田高介をとりあげたので、かれの作品(編曲)を。
こちらはヴァイオリン(つかわれていますが)ではなく、当初ベースの弾き語りが話題となりました。ギターとクラリネットのコンビがジャジーで抜群。you-tubeにオリジナル盤がなかなかなくて。これはそうです。
https://youtu.be/y40bllY5C_k
悪い予感が…、 [deporte]

今日も寒い朝でした。
必須の用事もないし、ゴミ出しの日でもないので蒲団の中で怠惰な木曜日。
のんびり、というか歳のせいで動作が緩慢になっているので、衣替えの用意をそれなりに。
昼前に一度、郵便物を出しに外出。
近くの公園のゲートボール場では、ご同輩、というより男女の先輩方が50人あまり集まって、なにやらゲームを。
きのは0-1の完封負け。山岡をはじめバファローズの投手陣が意地を見せました。
スワローズは先発メンバーにベテランの石川と青木を出しましたが善戦及ばずでした。山田も村上もいいとこなかったですし。
でもこれで確実に神宮に帰れます。
きょうは試合開始からテレビの前でスタンバイ。
1回
スワローズ先発山下はビックリ。ルーキーで実績が2試合だけという。ドラ1ではあるけど。まぁ高津監督の戦法なので間違いないとは思う。1回はヒットを打たれたがみごとスリーアウト。バファローズは左腕の田嶋。
ヤクルト1回は好調オスナのセンター前で先取点。山田はみごとな選球でフォアボール。村上はスイングアウトの三振。
2回不振で8番に下がったサンタナがシーズン中と同じパワーで左中間へ放り込んだ。そろそろ爆発かな。
その裏山下は四球を提供した後、好調紅林にセンターオーバーのツーベース。2、3塁のピンチをなんとか乗り切る。ツキがある。今日はイケそうだ。次は山田から。
3回、山田あっさりショートフライ。これでこのシリーズ17打数2安打。ちょっとなぁ。村上もショートゴロ。強烈だったけど、紅林が上手い。オスナも三振できょう初の三者凡退。
その裏、流れがバファローズにいきそうのところ、山下は持ち味の打たせて取る投球でこちらも三人を簡単に打ち取る。
4回、スワローズは2、3塁のチャンスを活かせず。2点リードとはいえ読めない試合です。
その裏バファローズ。吉田も不振でショートフライ。山下さすが、というか高津監督さすが。
杉本、宗と連打。太田も快音もショートライナー。スワローズにツキがある。紅林だ。打ち取ったと思ったけど打球のコースがよくてセンター前。杉本生還で1点。やっぱり紅林か。山下、くずれなければいいけど。やられた若月、レフト線へツーベース。宗が還って同点。山下続投。佐野が痛くないデッドボールで満塁。大丈夫かな山下。我慢の高津監督です。打者は好調西野。よし、セカンドゴロ。なんとか同点で抑えた。
5回、スワローズ絶対追加点で突き放すのだ。
2番青木きょう2本目、センターへ。さすが。で、山田だ。ここで打てば。ノースリー、球は見えてるんだよなぁ。デジャヴかまたフォアボール。この回いけるぞ。
ノーアウト1、2塁で村上。今シリーズ初のヒーローになるチャンス。でもファーストゴロ。ファーストのミスで一塁はセーフ。ワンアウト1、3塁。田嶋交代。オスナだからしょうがないな。良く投げたよ。2番手巧者比嘉。オスナショートゴロ、今度はゲッツー。さすが比嘉。スワローズ零点はイタイ。
その裏山下続投。監督5回までは投げさせせるつもりかな、将来のエースだから。でも心配は当たった。眠れる小さな巨人・吉田がセンターへホームラン。ピンチのあとのチャンスだなぁ。ついにバファローズリード。山下、あとは抑えてくれ。よしあとを抑えて5回3点。しょうがないか。
6回すぐに追いつけ、追い越せ。オリックス投手は近藤に。
キブレハン凡退のあと、中村が三塁線のツーベース。サンタナもう一丁。はならず三振。長岡打てそうもないなぁ。やった打ち取られたと思ったらレフト前のテキサスヒット。同点だ。つぎの塩見も止めたバットのボテボテセカンドゴロが内野安打。きょう2安打の青木。最低もう1点はとれそう。やった1塁線破った。さすがベテラン。4対3と勝ち越し。これで青木はお役御免のピンチランナー丸山。歳だからしょうがないか。まだ試合はわからないけど。近藤ツキに見放されて降板。4番手は阿部。 山田ここは絶対打つところ。3-1相変わらず見えています。打った。だめだ、センターフライ。打率.111。
まだ6回、このままいかないだろうなぁ。
その裏、スワローズ投手は石山に。
いきなり太田にツーベース。いやな感じの紅林。なんと送りバント。投手石川が捕ってサードアウト。消極的だな中島監督。このまま終れば、ここが岐れ目とうことになるかも。
代打福田レフト前ヒットでツーアウト1、2塁。1打同点、長打で逆転のいい場面で西野。打った。前進のレフトにフライ。アレと思ったけどキブレハンのグラブに。
7回の村上。フルカウントからフォアボール。阿部ビビった。
オスナレフトフライ、パッとしなかったキブレハンがライト線のツーベース。これでワンアウト2、3塁。中村が打てば勝負ありだ。サードゴロでホームアウト。ツーアウト2、3塁に。8番サンタナ、ツキが戻ったならここでもう一発。投打の攻防、息詰まるね。中村2盗。フォーク振らず、カウント3-2。しつこくフォーク。決まった三振。阿部の気迫勝ち。
もはや9時半。これじゃ11時で終らないぞ。
7回裏のバファローズ。ヤクルト3番手は清水。
中川、吉田、杉本のクリーンナップを簡単に3アウト。
8回オリックス投手は元メジャーの平野。
スワローズも長岡、塩見が簡単に凡打。2番青木に代わった丸山もレフトフライでチェンジ。両チーム淡泊。
その裏清水が続投。バファローズ6番宗から。まずサーストゴロ。7番太田は三振。清水のってきた。続く紅林、一瞬イッたか、と思ったけどレフトフライ。清水の力勝ち。
9回スワローズはクリーンナップからだからダメ押しを。バファローズ投手ワゲスパック。
まずは山田。ダメだショートゴロ。もはや明日に期待。
村上もこのシリーズホームラン1本、打率2割チョイと好調ではない。ああ三振。高めでちょっと気の毒。オスナもクソボールを空振り三振。三者凡退やな感じ。
9回裏、ドラマよ起こるな。
スワローズ、勝利の方程式投手マクガフ。
代打安達。マクガフ制球定まらず四球。途中出場の福田。バントはないよな。やったバントだ。成功。ワンナウト2塁。2番西野。もう10時をまわっている、延長は勘弁してもらいたい。
やっちまったピッチャーゴロを焦ったマクガフが一塁へ暴投。セカンドランナーホームイン。同点だ。なんだか延長ムードだなぁ。バファローズにツキがあればサヨナラだけど。
とにかく今日のマクガフが不運の悪魔を背負っているようで。3番中川三振。これでツーアウト。バッターは今日ホームランの吉田。大団円の舞台は整いました。
予想通りレフトへサヨナラ―ホームラン。
すごい試合だ。負けたけど堪能しました。吉田はスゴイ。マクガフの変調の不安が的中してしまった。これで2勝2敗1分。まったくの五分で神宮へ。
今日はバファローズ吉田の2ホーマーに尽きます。負け惜しみをいえばマクガフのゴロ処理失敗で負け穴に落ち込んだ。アンラッキーボーイだ。野球はコワイ。
冷静になって(スワローズにも自然体で第六戦に望んでほしい。明後日?)音楽でも。
つかの間の秋のヴァイオリンといえば、やっぱり行き着くところはカントリー。
広い意味でのカントリーミュージックやルーツミュージックなどではヴァイオリンのことをフィドルといいます。アイルランドやスコットランドの民俗音楽でもフィドルがよくつかわれます。というか、カントリー、ブルーグラスなどがその下流にあるものですから。
つまりアメリカンミュージックのルーツにはフィドルがある。
18世紀のアメリカ独立以前から、結婚式や集会ではダンスが興じられ、その伴奏を努めたのが、ギターでもなくバンジョーでもなく、まずはフィドルでした。
能書きはこのくらいで、フィドラーの名演を。
カントリーの名フィドラーといえば、ヴァッサー・クレメンツ、スチュアート・ダンカン、マイケル・クリーブランドなど数多おりますが、カントリーのみならず、ボストン・ポップスやロンドン・ポップスと共演したり、ヨーヨー・マやベースのエドガー・メイヤーとのコラボなどでグラミー賞を3度受賞しているアメリカを代表するフィドラーといえばマーク・オコーナー。
マーク・オコーナーはワシントン州マウントレイク・テラス生まれで、一流はほとんどそうでしょうが、子どもの頃から天才的なフィドラーとして注目され、12歳でカントリーの殿堂、グランド・オール・オプリに出場したというまさに天童。
そのフィドルではもちろん全米タイトルを獲っていますが、それだけではなくギターとマンドリンでも全米ナンバーワンに輝いているというから茫然。それもすべて10代の頃だというから自失。ちなみにドーグミュージックのデヴィッド・グリスマン・クアルテットにはギタリストとしてフューチャされています。
ビルボードでクラシック年間ナンバーワンとなったヨーヨー・マとの「アパラチアン・ワルツ」もいいですが、今回はカントリーということで、ブルーグラスの代表的フィドルチューン「オレンジ・ブロッサム・スペシャル」を。
https://youtu.be/_ICDIb9b4Kw
オレンジ・ブロッサム・スペシャルはニューヨークから南下してマイアミにいたる旅客列車の名称。1925年から1957年まで運行された。
この雄姿をみたフィドラーのアービン・ラウズとロバート・ラッセルが1938年に「オレンジ・ブロッサム・スペシャル」を書き、数年後ビル・モンローとブルーグラスボーイズの演奏で広くしられることになり、ブルーグラスのインスト代表曲となった。
もうひとつ、スティーヴン・フォスターの「お眠り、いとし子」Slumber my darling を。「わたしが、そして天使たちがあなたを守るわ」というわが子に愛をそそぐ母親の子守唄。ヨーヨー・マ、そしてやはりフィドラーでもあるアリソン・クラウスとの共演です。
https://youtu.be/I_SyJ-yxU30
おまけに前述したように双葉より芳しかったマイクの若き日の動画。ポーター・ワゴナー・ショーに出た時のマイク。13歳だそうです。
https://youtu.be/NUYVy5kXL2s
曲は初耳ですが「トム&ジェリー」、あの漫画のでしょうか。そうであればやっぱり子どもなんですね。YOU-TUBEには成人したマイクの「トム&ジェリー」もありました。
明日の朝も寒いぞ、でもまだ毛布は我慢して一枚多めで眠ろう。
まけたけど嫌な気がせず、ぐっすり眠れそうなのは、確実にあと2試合、うまくいけば?3試合見られるという期待感があるからでしょう。
グッドナイト、スリープタイト。
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