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星歌 [歌謡曲]

西郷輝彦.jpg


西郷輝彦さんが先月20日に亡くなりました。

「御三家」のなかでもいちばん若く、ときおりテレビで見かける姿は元気そのもので驚きました。昨年がんの治療でオーストラリアへ行ったというニューは聞いていたのですが、これほどはやく亡くなるとは。

デビューが昭和39年(1964)といいますから、まさに東京オリンピックの年。
御三家、橋幸夫、舟木一夫のなかでは最後発で、最年少。
彼らをふくめて当時の歌の一部は「青春歌謡」などと呼ばれておりました。わたしも中学へ入りたてで、まさに青春の門をくぐりはじめた頃でした。

ですから、リアルタイムで青春歌謡は聞こえていたのですが、その一方でカヴァポップスから「洋楽事始」の頃で、その新鮮さインパクトの強さでヒットパレードに夢中になっていた頃でもありました。

それでも西郷輝彦をはじめ青春歌謡の印象は当時の思い出とともに記憶の壺に残留しております。そこで「御三家」の印象に残っている歌を聴いてみたいと思います。

まずは西郷輝彦。

彼の歌のなかで当時よく聞こえていたのは「星娘」や「星のフラメンコ」でしょう。
どちらもそれまでの歌謡曲とは異なり、ビートやリズムが効果的につかわれていて洋楽風でもありました。それもそのはずで、作曲はラテン出身の浜口庫之助。ハマクラ節ではほかにも「願い星叶い星」というのもありました。

わたしが印象に残っているのはやはり「星」に関する歌なのですが、ハマクラさんではなく当時のクラウンレコードの花形作曲家で、西郷輝彦のデビュー曲「君だけを」もてがけた北原じゅんの「星空のあいつ」。

https://youtu.be/IPHzSxXo8MY

ちなみにこの歌はハマクラさんの「星歌三部作」よりも早い、デビュー3枚目のシングルです。YOU-TUBEの映像は日活映画「涙をありがとう」で見ておりませんが、山本陽子、久保菜穂子が懐かしい。

当時の小学校からの幼なじみとは中学へ入ってもお互いの家を行き来しておりました。そして西郷輝彦がデビューして間もない頃、彼の家へいくと彼はなんとガットギターをかかえておりました。彼の兄のもので、見よう見まねで彼もつまびいていたというわけ。エレキギターのブームが起こる少し前だったような記憶です。
彼はわたしの目の前でギターをつまびきながら一節を口ずさんでみせました。いまでいうドヤ顔で。それが♪星空のあいつは という「星空のあいつ」のはじめの二小節。
残念ながらその先へは進まず、延々とその二小節の弾き語りをリピートするばかり。その先は未だ未習得だったのでしょう。

それでもギターなどに触ったこともなかったわたしにとっては大したことで、なぜかその二小節の旋律と歌詞が頭の中に強くインプットされ、時折再生されてくるのです。今でも。
ちなみに作詞はやはり西郷輝彦のデビューから初期のヒット曲をてがけた水島哲。
水島は新聞記者と二足の草鞋を履いていた作詞家で、ほかに平尾昌晃の「星は何でも知っている」、布施明の「霧の摩周湖」、三島敏夫の「面影」、渡哲也の「星よ嘆くな」などがあります。

「二小節シンガー」の彼、どうしているのでしょうか。中学を出て別々の高校へ行った頃から徐々に疎遠になっていきました。何かの都合で引っ越したという話は聞きましたが。どこかの道でバッタリなんてこともなく半世紀以上が過ぎてしまいました。
最後にもう一曲、西郷輝彦作詞作曲歌唱の歌を。
YOU-TUBEではじめて知ったのですが、平成10年(1998)の星歌を。

https://youtu.be/qNw8hgw-EzY





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サンフランシスコ人

西郷輝彦....10年前にサンフランシスコに来ました.....

http://rafu.com/2013/04/teruhiko-saigo-to-serve-as-grand-marshal-in-parade-perform-at-yoshis/
by サンフランシスコ人 (2023-04-14 03:46) 

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