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愛しのイザベル [ワールドミュージック]

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明日はシャルル・アズナブールの命日。3年前の10月1日、彼は自宅である南フランスのムリエスで亡くなっています。死因は心不全ということで、94歳でした。まぁ、大往生といっていいのだと思います。

驚くべきことは、ラストコンサートがその2週間あまり前の9月18日だったということ。さらに驚くのが、その場所がNHK大阪ホールだったということです。
その2日前には東京のNHKホールでも公演が行われており、彼の最後の舞台が日本だったということは、ファンにとっては強い印象を残したはずです。

地元ではもちろん、世界的にも知られたシャンソン歌手で、日本でもイヴ・モンタン、サルバトーレ・アダモと並んで人気でした。
戦後デビューしたアズナヴールは、フランスではその黒人ぽい声も相まって「ジャズ風のシャンソン」という評価だったようです。60年代の歌はしばしば聴きました。そんな歌をいくつか。

世界的にもっとも知られた歌はシャーリー・バッシーやアンディ・ウィリアムズなど多くのアメリカのポップシンガーにうたわれた「帰り来ぬ青春」Yesterday when I was young ではないでしょうか。カントリーでもグレン・キャンベル、ロイ・クラーク、ウィリー・ネルソンらがうたっております。

https://youtu.be/bHokx2L1wi4

原題は1964年につくられた「昨日もまた」Hier encore で、20歳のころの愚かだった自分を振り返り、後悔の念にさいなまれる日々をうたっております。
どれだけ多くの無謀な夢を描いていたことか、時間が過ぎ去るのがいかに速かったことか、そして何人もの人たちが自分の元から去っていったことか。
と嘆いております。「まぁ、それが青春なのだよ」といわれれば、それまでですが。とりわけ齢を重ねますと身に染みてまいります。

つぎは「帰り来ぬ青春」の前年につくられた「ラ・マンマ」La mamma。

https://youtu.be/mCDbvxeJVhc

直訳すれば「母」で、日本でいえば「かあさん」「おふくろさん」「お母さん」「母の歌」とか。そんな母親讃歌の歌は日本でもいくつもあります。
ただ、アズナヴールの「おふくろさんよ」は母の死に親類をはじめ多くの人が集まり、その想い出にふけり、みんなで母の魂をなぐさめる「アベ・マリア」を合唱するというドラマチックな設定。

この歌は彼のキャリアのなかでも特筆すべきヒット作品といわれ、ある本にはこの歌で1800万フランを稼いだとも。日本円にしたらいくらなのかわかりませんが、その当時の無名の歌手がレストランでうたって(何度か?)50フランだったといいますから、それを5000円とすれば(いい加減)1フランは100円ということに。
そのレートを当てはめてみると当時「ラ・マンマ」は18億円の売上があったということに。その期間がひと月なのか、1シーズンなのか、1年なのかはわかりませが。またその当時のアズナブールのひと晩のギャラはフランスでも最高位で、3万フランだったといいますから、前の計算でいえばワンステージ300万円ということになります。これも多いのか少ないのかわかりませんが。

最後は、フランス国内ではどの程度ヒットしたのかわかりませんが、日本では「ラ・ボエーム」や「愛のために死す」と並んで高く支持された1965年の「イザベル」Isabelle。

https://youtu.be/GZPnUMWtih0

突然自分の目の前に現れ、おだやかだった心を嵐のようにかき乱すイザベルへの激愛をうたっております。イザベルのためなら運命を委ねてもいい、イザベルが死んだら私は永遠に彼女の影を愛し続けるだろう、と。[Love is Blind]とはいいますが、死んでもいい、と思うような恋なんて、……してみたかったなぁ。

この歌は半分以上がシャンソンにありがちの「語り」で、そのためかほとんどカヴァを聴きません。日本の女性シンガーでうたっている人もいますが、作品にしているのは笑福亭鶴光が「イザベル 関西篇」と題したコミックソングだけ。
歌の延命のためにも誰かうたってくれないもんですかねえ。終章の語りから歌になる部分や、全般を通して流れるバロック風の伴奏などすばらしい歌だと思うのですが。

パリっ子のアズナブールは、父親が「酒場の歌手」だったようで、幼いころから芸事をしこまれ、11歳でダンサーとして舞台デビューしています。
彼が本格的な歌手活動をはじめるのは30過ぎてからと奥手なのですが、それまでは作詞家、そして作詞・作曲家としてヒット曲を世に出していました。もちろんその間でも自作自演でうたっていましたが、シャンソニエとして舞台に立つ決心をしたのは、ピアフやトレネ、パタシューらの助言があったからだといわれています。

そんなわけでオマケは彼が作詞家時代につくった歌で、ジルベール・ベコーが作曲し自らうたった1953年の「メケ・メケ」Méqué méquéを。アズナブールの歌唱もYOU-TUBEにありましたが、ここは日本のシャンソニエに。
うたっているのは当時の新進シャンソンシンガーの丸山信吾。銀座の「銀巴里」や神田の「ラドリオ」でうたっていたそうです。
日本でも話題になった歌で、訳も分からないままメケ・メケという言葉(それがどうした、という意味)が流通していたようです。
わたしも子どもながらに「メケ・メケのバッキャロー」(そう聴いた記憶があるのですが)という歌詞が耳に残っておりました。リュシエンヌ・ボワイエの名曲(バラ色の人生ではありませんよ)もついております。

https://youtu.be/y3w5LiMrQEw

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秋の日のヴィオロンの…… [on the park]

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コロナがピークアウトしたことを感じているのか、平日の公園はいつになく散歩やくつろぐ人があちこちに。わたしのように駅へ向かう人通りもけっこうありました。

公園では夏の名残りの百日紅の赤、白、ピンクの花が咲き誇っております。
そして秋を告げる金木犀の香がいつもの場所から薫ってきました。いよいよ秋がはじまるぞ。

とはいえ残暑ゆえ、歩いているとうっすらと汗がにじんできます。
去年も今年もコロナの夏でしたが、それでも秋は来る。油断大敵とテレビで叫んでおりますが、これほど劇的に感染者数が減ってきますと、どうしても心は開放的とまではいかずとも、すこしは秋風を入れておこうとばかり、その扉を半開きにしてしまうのです。
もちろん、2年に及ぶコロナ禍でマスク、手洗い等の感染対策を怠ることはありませんが。

秋、そして歌となれば……、シャンソンかな、古い人間としては。
別にシャンソンは秋の歌ではありませんが、代表曲の「枯葉」の印象もあって、またピアフやモンタンの「パリの空の下」やアズナブールの「ラ・ボエーム」なんか、よく聴く歌はどことなくメランコリックな歌が多いようで(そんなことはないか)、太陽さんさんや雪やこんことうよりはやっぱり、枯葉舞うペーブメントが思い浮かんできてしまいます。

カントリーほどではありませんが、日本では最近シャンソンもあまり聴こえてこなくなりました。そこで「昔きいたシャンソン」を聴いてみたくなりました。

聴いてみたい歌や、シンガーは数多おりますが、かなり記憶の底の底の方に残っている歌がこれです。

https://youtu.be/tf-cDKuGsSA

1956年のダリダのデビューヒット曲。
日本でヒットしたかどうかはわかりませんが、芦野宏がカヴァしているくらいですから、そこそこ話題にはなったのではないでしょうか。幼児だったわたしの耳に残るほどラジオから流れていたのではないかと思います。

「バンビーノ」 Bambino とは大人の目からみた子供のことで、この歌では20歳くらいのお姉さんが15,6歳の男の子に「そんなことじゃ彼女がふり向いてくれないよ」と恋の手管を教えているというストーリー。本当は年下の男の子、つまりバンビーノが好きなんでしょうね、お姉さんも。
ですから「バンビーノ」とは、「プレイバックpart2」で山口百恵お姉さんが♪坊や いったい何を 教わってきたの と彼氏を諭すように言う「坊や」のニュアンス。だから「バンビーノ」に邦題をつけるならば「坊や、教えたげる」、なんて。

56年のデビューから87年に54歳で悲劇的な死を遂げるまでの30年あまり、「ラストダンスは私に」Garde-moi la dernière danse、「18歳の彼」Il venait d'avoir 18 ans(岩下志麻がカヴァしています)、アラン・ドロンとのデュオ「甘いささやき」 Paroles Paroles、「ベサメムーチョ」Besame muchoなどヒット曲は数々ありますが、日本のシャンソン歌手、とりわけ女性に最もカヴァーされているのが83年の「歌いつづけて」 Mourir sur scène。

https://youtu.be/NN2mxivM8Bo

シンガーの生きざまをうたった歌だけに、歌手を生業としている人にとっては思い入れ一入でうたえるのでしょう。
日本人で初めて聴いたのは大木康子。知られたところでは加藤登紀子、安奈淳、美川憲一などほんとに多くのシャンソン歌手がうたっています。

2曲では寂しいので、もう少し。
ダリダは「ラストダンスは私に」に代表されるようにカヴァ曲が多い。そんなかからシャンソンらしくない歌をシャンソンにしたらということで2曲を。私有のベスト盤にはない歌なので、YOU-TUBEはほんとに楽しい。

まずは60年代に流行ったアメリカンポップスを。日本ではパラキンや田代みどりがうたっておりました。

https://youtu.be/6Eva66d4t-g

続いてこれはイスラエル民謡。50年代にハリー・ベラフォンテがコンサートで披露して広く知られるようになりました。

https://youtu.be/YBj2PZ1IeIc

おまけはダリダの「バンビーノ」がラジオから流れている頃、やはり聴こえていた日本人によるカヴァ曲。当時のフランス映画の主題歌だそうですが、それもやっぱりシャンソンですよね。

https://youtu.be/QkDtPIlRYcA


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職務質問 [on the road]

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残暑のようです。このウンザリ感がないと夏は終わらず、秋はやってきません。

駅へ向かって歩いていると、工事現場のそばで怒鳴り声が聞こえました。昨今耳鳴りと聞こえにくさの二重苦でその内容はよくわかりませんでしたが、怒声の方へ視線を向けると、警察官ふたりとリュックを背負った60代前後の男が対峙しておりました。男の後にはその奥さんとおぼしき同年代の女性が間に入って止めるでもなく、なぜか自身のバッグの中をかき回している。

おそらく、 夫婦が散歩か何かをしているとき警察官に呼び止められたのでしょう。しかし見た目は夫婦ともごくふつうの人々(?)という風体なのですが、警官はどんな理由で男を呼び止めたのでしょうか。ちょっと気になったのは男がいわゆる「あごマスク」をしていたこと。
しかし、屋外で、それもさほど混雑しているようにはみえない路上で、マスクをずらしていたからといって呼び止めるかなぁ。
ちなみにふたりの警察官はもちろんしっかりマスクをしており、マスクをずらした男に怒鳴られているのだから飛沫を考えたら堪ったものではない。

立ち止まって成り行きを見るのはいささか憚られるので、わたしは彼らの横をシラーッと通り過ぎて駅へ向かいました。
そして10mあまり遠ざかったところで再び怒声が。反射的に振り返ってしまいましたが、そのとき目に入った光景に思わずニヤけてしまいました。
なんとなんと、怒鳴っていたのは警察官だったのです。それも怒りがおさまらないのか、何度も何度もかの男を怒鳴りつけているのです。

そのあと、結末を知りたい気持ちもありましたが、ほぼ予想はつくので駅へ。もちろんどうなったのかはわかりませんが、警察官vs中年男の勝負は、わたしの心のなかではイーブン。
警官を怒鳴りつけるという光景はそれほど珍しくはありません。血の気の多い若者や酔っぱらい、半袖からこれみよがしに倶利伽羅紋々をご披露されているお兄さんなどなどで。でもそういうケースのほとんどは、相手が手を出さない限り警察官は常に冷静です。つまり警察官の「勝ち」。そう教育されているのです。

それがあの警察官のすさまじいキレ方はめずらしい。よほど我慢のならないことを言われたのでしょう。警察官も人の子、と言ってあげたいけど、やっぱりダメ。我慢しなきゃ。辛いだろうけど、それも仕事だと思わなくては。周囲の人間はわかっています。警察官は絶対に手を出さない、とわかっていて怒鳴りつける男がわるいのだと。

警察官がなんで男を呼び止めたのか、男が何を言われてキレたのか、また警察官が説得中になにを言われて逆ギレしたのか。まるでわかりませんが、ここ数日警察官の姿が目立っていました。なにかあったのでしょうか。

昔ほど多くはありませんが、いまだに職務質問の光景をみかけます。あれはノルマがあるのだという人もいます。

わたしも以前はしばしばその「餌食」になりました。
いまでこそ歳をとりすぎて相手にされませんが、50歳くらいまでは年に何度かは警察官に「話かけられた」もの。
とにかく混雑している街中でやられるのは困る。地元だと顔見知りもいるだろうし、そうでなくても、通行人に警察官たちに呼び止められ詰問されているとうつるだけで恥かしい。

若い頃は食ってかかることもありましたが、場数を踏むとこちらから通行人の少ない場所に誘導して話を聞いたり、若い警官のプライベートを逆に質問したり。一度急いでいたときなど「急な用事があるので、家まで着いてきていいよ」と煙に巻いたこともありました。

でもここ20年ほどはまったく職務質問してくれない。相手にされないほど歳をとったかと思うと寂しいものです。

経験上、職務質問されやすいタイプというのがあるように思います

キョロキョロと辺りを妙に気にしているとか、あきらかに挙動が不審だという以外では、まず大きめのカバンを持っている人。手提げでも、ショルダーでもリュックでも。つぎにノーネクタイ。背広、Yシャツ、ネクタイのサラリーマン風が職質されているところは見たことが無い。

ほかでは、長髪は短髪よりもされやすい。わかりやすいのは強面もされにくく、見た目穏やかというか人懐っこそうな人のほうがされやすい。
そりゃそうです、警察官だって人の子、仕事とはいえできるだけトラブルにならないで職務質問をまっとうしたいでしょうから。

ですから、職質をされないためには、髪は短髪で整え、スーツにネクタイ、かばんは小さめで薄め、やりすぎにならない程度に眉間にシワをよせ、「話かけるなオーラ」を出しておけば完璧。

まぁ、叩いてもホコリが出なければそんなこと気にする必要はないのですが。
逆に、閑で、友だちが少なく「求む話し相手」の人は、長髪で芸人・森本サイダーのような大きなリュックを背負い、穏やかな表情で歩いていれば「ちょっとすいません」と声を掛けられる可能性大。

職務質問の歌などないと思ってはいけません、これがあるのです。
それが泉谷しげるの「黒いカバン」。70年代はじめの和製フォークで、ヒットはしませんでしたが(圧力で?)話題にはなりました。

https://youtu.be/Z0ZSTmwYsKc

曲は泉谷しげるですが詞は「襟裳岬」や「落陽」などよしだたくろうの歌で知られた岡本おさみ。泉谷のキャラクターで反警察のような歌になってしまいましたが、おそらく岡本おさみの実体験に基づいた歌で、もっと冷静に対応したんじゃないかと思います。

同じフォークでほぼ同年代に岡林信康の「おまわりさんに捧げる唄」がありました。これは職務質問ではありませんが、「黒いカバン」以上に一般には知られていない歌。警察官が権力の僕だとか、税金で生活できているとか、あまりにも内容が抽象的で、言い古された話、たとえるなら酔ったオヤジの「グダ話」のようでほぼ話題にもならなかった。
70年代初頭というのは、こういう一見「反権力」の歌がそれなりにもてはやされる時代ではありました。
同じ時代を反映した歌といっても「黒いカバン」のほうがはるかに完成度が高い。

ほかでは昭和31年(1956)の歌謡曲「若いおまわりさん」(曽根史郎)。

https://youtu.be/9OafJK_hnfo

文字どおり若いお巡りさんが夜公園のベンチでいちゃつくアベック(?)に「こんな時間に治安がよくないからそろそろ帰ったほうがいいですよ」と声をかけるというストーリー。これも職質といえばいえなくもありません。
いまでは考えられません。そもそも大きなお世話ですし、まず同じ光景があったとしても現在の警察官ならば職質どころか声をかけることもないでしょう。時代のなせる話でしょうか。それにしても当時は警察官の見回りはひとりで行動していたのでしょうか。

子供のころ、テレビの歌番組で警察官の制服を着た曽根史郎がよくうたっておりました。拳銃は持っておりませんでしたが(当たり前)、警棒はあったような。とにかく、この歌をテレビで仮装してうたえたということは、警察も黙認(もしかすると推奨していたかも)してたようで、歌の内容もお巡りさんは優しく、非番の日は恋もするんですよ(ナンパしてる)と、イメージアップに貢献しようという歌でした。

その後、あまり職質はもちろん警察官の歌を聞きません。
昭和51年(1976)のピンク・レディーの「ペッパー警部」くらいでしょうか。

ほかではまぁ職務質問といえばいえるのが童謡の「犬のおまわりさん」。
また昭和30年代のテレビ番組では警察ものがいくつかありましたが、主題歌としてなんとなくあったなと覚えているのが「走れ白バイ」。残念ながら曲も詞も脳内蓄音機で再生できません。「いい歌だったな」という印象だけで。YOU-TUBEにもありませんでした。残念。

オマケは今回の話題に6年ほど前に亡くなった岡本おさみが出てきたので、彼のつくった歌を。何の脈絡もなく、ふと聴きたくなるのが彼の歌です。かれが職質を受けている微笑ましい光景を思い浮かべながら聴きたいと思います。

https://youtu.be/IUgqm3m95cU


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