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明るく明るく走るのよ [歌謡曲]

百日紅と入道雲.jpg


真夏だから暑いのはあたりまえだけど、突然やってくるスコールがやっかい。きのうも家から出たとたんポツポツと。引き返して傘を手にして再出発。雨を見たかいなんて余裕もなく激しい雨に。
それでも、1時間あまり用事をすませて外へ出ると手にした傘がマヌケに見えるほどの青空にお陽さまサンサン。
年寄りはなるべく家にてテレビでも見ているのが無難なようです。

きょうは降らなかったけれど、空にはみごとな夏の雲が。
天には白い雲に青い空、そして地には鮮やかな赤い花をつけた百日紅並木。
夏ならではの光景でしょうか。

話変わって、エンゼルスのPSシリーズは絶望的で、大谷もビッグアーチが不発ぎみでウォチャーもいまいちスッキリしない。贅沢はいいません、せめて大谷にホームランキングMVPを獲ってほしい。
今夏はスポーツの花盛り。いまは女子ワールドカップ。なでしこジャパンは優勝アゲインがありそうな勢い。スピードと個々のテクニックが抜けてるよう。少なくとも男よりは世界レベルのチーム。それ以外でもこれからはワールドワイドでいえばラグビーがあり、バスケがあり、陸上もあるし、バレーもあるし楽しみは多い。とりわけ世界陸上は楽しみ。

そして夜の寝しなには相も変わらずYOU-TUBEで音楽を。これまた相変わらず歌謡曲のカヴァが「睡眠導入剤」にはもってこい。

今回は現在休業中という林あさ美を。
青森県出身で幼い頃から民謡と演歌に接していたというよくある経歴。平成8年にデビューし、当初は演ドル(演歌のアイドル)と呼ばれていたとか。
音楽以外でもテレビ、ラジオで活動したい多様だが、なぜか平成25年より休業している。
それでもTOU-TUBEがいくつも残っているということはやがて歌手活動を再開するのかもしれない。

まずはこの曲を。

https://youtu.be/NzA__3QzBYY

「東京のバスガール」は昭和32年の大ヒット曲。
うたったのはコロムビア・ローズ(初代)。幼い頃、彼女がバスガールの制服と帽子をまとってうたう姿をテレビで見た記憶がある。わたしにとってもっとも古い歌謡曲の映像かもしれない。
いまや観光バス以外では見ることのできないバスガイドさんの歌ですが、当時は「バスガール」といった。また昭和40年代のはじめころまではその姿をみることができた。その後、一気に現在のようなワンマンバスに切り替わって、あっという間にいなくなってしまった束の間の少女たちだった。
バスの振動を見事なフットワークでこなして、YOU-TUBEにあったような釣り銭と切符の入った蝦蟇口型のポシェットを提げた姿が可憐で、見とれていたり、口説いた男客も多かったのではないでしょうか。

作曲は「東京の花売り娘」(岡晴夫)や「白鷺三味線」(高田浩吉)、「銀座九丁目は水の上」(神戸一郎)などの上原げんと。作詞は「高原列車は行く」(岡本敦郎)、「山のロザリア」(スリー・グレイセス)、「高校三年生」(舟木一夫)などの丘灯至夫。

昭和32年といえば、終戦から12年目。その前の年には経済白書で「もはや戦後ではない」という宣言が出て、豊かさ行きの急行列車が走り始めた時期。今から思えばいちばん幸せな時代だったかもしれない。
そこで林あさ美の残りの二曲も昭和32年の歌を。
2曲目はやはり上原げんと作曲のこの歌。

https://youtu.be/OrjYJXPT26E

昭和24年「河童ブギウギ」でデビューした美空ひばりの8年目、111枚目のシングル「港町十三番地」。8年で100枚越え。今では考えられない。
ちなみに「港町十三番地」は彼女のシングル売り上げの第7位。ちなみに1位は「柔」で2位が「川の流れのように」で、ひとつ上の6位が「みだれ髪」。
とはいえ、この昭和32年は、彼女にとって災難の年。年明け、浅草国際劇場での正月興行でファンの十代の女の子から舞台上で硫酸をかけられ負傷するという被害を受け、興行も休演となった。「港町十三番地」はその2か月後にリリースされ、大ヒットとなり、みごとにマイナスイメージを払拭してみせた。

作詞は「柿の木坂の家」(青木光一)や「憧れのハワイ航路」(岡晴夫)、矢切の渡し(細川たかし他)のヒットメーカー石本美由起。
♪な~がい 旅路の 航海おえて
とはじまる「カッコイイ男」海の男をうたったマドロスソング。
そうです、この時代はマドロスがモテモテで、船、港、波止場をキーワドに旅立つ男に見送る女のドラマをうたったマドロスソングが全盛だった。誰もが身近にマドロスなんていなかったのに、なぜかキャプテンハットをかぶり縞のジャケツを着た「幻のヒーロー」が存在していたのです。

最後もそんなマドロスソングを今度は女の立場から。

https://youtu.be/g5B6RvRPH-E

「未練の波止場」は昭和30年「マドロス娘」でデビュー(松山恵子名義)した「おけいちゃん」こと松山恵子の大ヒット曲。
その後、「だから云ったじゃないの」や「お別れ公衆電話」などのヒット曲を連発したマーキュリーレコードのエースで、30年代の女性スター歌手のひとりだった。
彼女のトレードマークは「えくぼ」と「白い手袋に白いハンカチ」、そして小林幸子の先をいっていたときおり見せるビッグな衣装。ひばりや島倉千代子に対抗するにはこのくらい派手でなくては。

「未練の波止場」はタイトルどおり、航海に出るマドロスに「置いてかないで、連れてってよ」とすがる恋女の歌。
作詞は井沢八郎の「男船」や氷川きよしの「箱根八里の半次郎」をつくった松井由利夫。松山恵子では「だから云ったじゃないの」や「バックナンバー1050」も。
作曲の水時富士夫はほかに花村菊江の「潮来花嫁さん」や赤木圭一郎の「海の情事に賭けろ」などがある。

おまけも昭和32年の歌を。
この時代のリアルヒーローといえばマドロスさんではなく、その前年に映画デビューし、その主題歌もうたって一時代を築いていくことになる石原裕次郎。その32年のヒット曲「俺はまってるぜ」と「錆びたナイフ」をライバルのカヴァで。

https://youtu.be/qawN6f6hMzs

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