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Workin' for the man every night and day [not mellow AB]

proud mary.jpg


きょうの大谷、3試合連続はなかったけど、昨日の2連発は久しぶりに気分が良かった。最近のホームランはほとんどセンター方向。ついに開眼したか。

これで今シーズン20勝50本に近づいた。(現実的には16勝40本だけど)
あとは千賀。おとといは今季のベストピッチンングじゃなかったでしょうか。このままいけば15勝は確実で、新人王も夢じゃない。
今年はメジャーの日本人が総じて元気がいい。それだけ楽しみが多いということ。できれば筒香にも頑張ってもらってメジャーに昇格してもらいたい。そうなればもういうことない。

では本題に。
ティナ・ターナーの死はあらためて彼女が偉大なパフォーマーだったことを教えてくれた。「プラウド・メアリー」は彼女の魅力をもっとも伝えてくれる歌のひとつで、「プラウド・メアリー」はティナのものだと思う。

とはいえオリジナルはジョン・フォガティによってつくられたわけで、わたしがはじめて聴いたのもC.C.R.(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル 以下CCR)でした。
CCRはカリフォルニアで生まれたリードギター&ヴォーカルのジョン・フォガティをはじめとする4人組の(カントリー)ロックバンドで60年代末から70年代はじめにかけて、頻繁に聴いた洋楽のひとつ.だった。

https://youtu.be/7F_ILRVJdes

はじめて買ったアルバムがその「プラウド・メアリー」Proud mary が収録された「バイヨー・カントリー」Bayou Country で、1969年にリリースされた彼らの2枚目のアルバム。

詞は「ティナ盤」とまったく同じで、仕事でこき使われ心身ともに疲れ果てた若者が、ミシシッピをダイナミックにすすむ蒸気船の「プラウド・メアリー号」にこころ魅かれ、その船に乗って楽天地を求めるというストーリー。

ティナのおかげで久しぶりにCCRを何曲か聴いてみたくなった。
つぎは今のシーズンにふさわしい雨の歌を。

雨の歌といえばよく知られているのが「雨を見たかい」Have you ever seen the rain 。1970年のアルバム「ペンデュラム」Pendulum の挿入歌でのちにシングルカットされて大ヒットした。当時、雨はナパーム弾のメタファであり、ベトナム戦争の反戦歌なのだという噂が広まり話題になった。その影響もあってか、ボニー・タイラーやロッド・スチュアートなどカヴァするシンガーがいた。カントリーでもウィリー・ネルソンが娘のポーラとレコーディングしているし、AJ・リーもレパートリーにしている。
CCRのなかでもベストソングだと思うけれど、聴きすぎて(飽きてはいないけど)いるので今回はやはり70年のアルバム「コスモス・ファクトリー」Cosmo's Factory の収録曲
[Who'll stop the rain]誰が雨を止められる? を。

https://youtu.be/jaEEFBTtofc

「雨を見たかい」よりこちらのほうがよりトピカルな詞で、雨はひどい状況や厳しい現実を象徴している。善良な市民は太陽を望んでいるのに、雨はいっこうに降り止まない、とうたっている。ストレートなアメリカ政府に対してもの申しているわけで、やはり当時のベトナム戦争の影響が大きかったことは否定できない。また、「プラウド・メアリー」でも同じだがジョン・フォガティにはいわゆるブルーカラーの視線が感じられる。この歌のカヴァではブルース・スプリングスティーンのものが有名。
また、1978年にはこの歌をつかった「WHO'LL STOP THE RAIN」という映画がつくられている。ニック・ノルティ主演のクライムムヴィーだそうだが、観ていない。

つぎも当時のアメリカやジョンの心情を映しているかのようなネガティブな歌を。

https://youtu.be/w6iRNVwslM4

「バッド・ムーン・ライジング」Bad moon rising は1969年の彼らの3枚目のアルバム「グリーン・リヴァー」Green River の1曲で。全米1位になっている。
「悪い月がのぼっている。地震が起こる、ハリケーンだってくる。俺はもうお終いだってことを知っている。あんたたちだって死ぬ準備をしておいたほうがいい」というこの世界の終末を描いたような歌は、核戦争への恐怖をうたったもの、ではない。
これはジョンがホラー映画を観た後にその印象を書き下ろしたものだそうだ。しかし、受け止めようによっては一歩一歩近づいてくる最終戦争への警鐘ととれないこともない。

なにか悲観的な歌が続いたので最後は楽しい歌を。

https://youtu.be/Aae_RHRptRg

「ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア」Lookin' out my back door は「フール・ストップ・ザ・レイン」と同じく1970年のアルバム「コスモス・ファクトリー」の収録曲。
「タンバリンと象がバンド演奏をしている」とか「空飛ぶスプーンに乗ってみない」とか「不思議な世界を醸し出す手品師」など幻想的というかイメージの世界をうたっている。70年という時代もあって、この歌をLSDによるトリップの世界、ととらえる人もいたようだが、実際は子供にきかせるお伽噺のつもりでつくったとジョンは言っている。
音楽も当時はやったサイケデリックサウンドではなく、どちらかというと「ハロー・メリー・ルー」のような50年代のアメリカンポップスっぽく、なんともノリのよいサウンド。


訃報はなりやまず、ブログを書いているときにテレビが上岡龍太郎が亡くなっていたことを報じていた。
漫画トリオ時代もおもしろかったが、「ソロ」になってからのほうがよりおもしろかった。
博識で饒舌でその正論とアイロニーは立川談志も一目置くほどだった。
全盛期のリタイアも見事。当時、関西に(失礼)こんな粋で自分の美学を貫く芸人がいたとは、と感心した記憶がある。
笑福亭鶴瓶を育てたのは彼だし、もしあのまま芸人を続けていたら(無理な話だが)、「本物」のご意見番になっていたのではなでしょうか。ご冥福をお祈りいたします。

妙な流れになりましたが、やっぱりオマケを。
「ルッキンアウト・マイ・バック・ドア」にはこんなフレーズも出てくる。
「蓄音機から聴こえてくるバック・オーエンズ」
そのバック・オーエンズBuck Owensの歌を。ビートルズ・ファンにはおなじみだけど、オリジナルはバックです。

https://youtu.be/3Eev0xt1AwA


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you've got to feel it [not mellow AB]

雲の中の太陽02.jpg

きょうも寒い一日でした。
午前中の早い時間には太陽も輝いていたようですが、わたしが出かけたころはすでに厚いい雲が空をおおい、サンシャインも鈍い光となっておりました。
でも、太陽を直視できるのはこういう時でないと、なかなか。

ということ(?)で、懐かしかったフィフス・ディメンションをもう一度。


フィフス・ディメンション[5th Dimension]は1966年に結成した男3人、女2人あわせて5人のR&Bコーラスユニット。オリジナルメンバー(発足当時の)はビリー・デイビスJr.、マリリン・マックー、ラモンテ・マクレモア、ロン・タウンソン、フローレンス・ラルー。
その後、何度もメンバーチェンジが行われています。現在も活動を続けているそうですが、オリジナルメンバーはいません。

初ヒットが1967年の「ビートでジャンプ」up up and awayで全米7位となり、グラミー賞も獲得。日本のヒットパレードでも、1967年の9月に最高位7位を記録しています。

https://youtu.be/J2hI3-KvYZY

ビートルズが登場した1963年のすこし前あたりから、本場ビルボードのヒットチャートと日本のベストテンのタイムラグがなくなり、アメリカでヒットすればほぼ日本でもヒットするようになります。もちろん、アメリカに先がけて日本でまずヒットというのはかの「スキヤキ」以外にはありません。

前回で少し触れましたがその翌年の1968年、当時ブロードウェイで爆発的にヒットしていたミュージカル「ヘア」(のちに映画化)の挿入歌「輝く星座(アクエリアス/レット・ザ・サンシャイン・イン)」Age of Aquarius/Let the Sunshine in をリリースし、1968年の全米ナンバーワンになり、グラミー賞も受賞して、フィフス・ディメンションの名をお世界にとどろかせます。
楽曲はスローテンポの「アクエリアス」からアップテンポの「レット・ザ・サンシャイン・イン」に切り替わるところがドラマチックで、ブラスとベースをバックに延々と「レッド・サンシャイン・イン」とリフレインします。それはまるで「読経」のようで、思わずからだが動かされてしまうベースランニングとあいまって精神世界にトリップしてしまうような感じさえします。

https://youtu.be/vbCH5lnZ6sA

1968年といえばアフタービートルズですが、いまだ日本でもラジオのヒットパレードが全盛で、ほかではジリオラ・チンクエッティの「雨」とか、サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」が聴こえたいました。CCRの「プラウド・メアリー」を聴いたのもこの頃でした。

その翌年、ビリー(レット・ザ・サンシャイン・インのメイン・ヴォーカルを努めたイケメン)とマリリン・マックー(美形で背の高い方。フローレンスが美形でないというわけではなく、とにかく身長の高い方です)が絵に描いたように結ばれ、しばしグループはマリリンを中心に活動します。
そして1975年にマリリンとビリーが脱退し、ペアユニットとして活動しその年の「星空の二人」You don't Have to be a Star が全米ナンバーワンに。
マリリンはその後もソロシンガーとして、またMCとして活躍していくことになります。

https://youtu.be/Wdzt2HGTYfk

前回もふれましたが、フィフス・ディメンションの「レット・ザ・サンシャイン・イン」はそのサワリだけですが、YOU-TUBEで前篇をカヴァーしているものを探したところダイアナ・ロス(上手だなぁ)とテンプテーションという貴重な動画がありましたが、ほかの楽曲もあって長くなっているのでブログにあげるのはやめておきました。興味のある方は探してみてください。

その代わり別のカヴァーをみつけました。前回に戻ってしまうようですが、上手とはいえませんが、懐かしいシンガーでフンイキがあり、なによりも貴重な動画ではあります。

https://youtu.be/shgnaiOwrVo

おまけは、以前聞いた[FAST TIME REACTION]で「レット・ザ・サンシャイン・イン」を3連発。それぞれの反応がおもしろい。興味と時間のある方はどうぞ。

https://youtu.be/jovwL16_ZrU

https://youtu.be/DMR32CJ_d7Q

https://youtu.be/hDkjvdbgJi8

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ヒッピーは何処へ [not mellow AB]

ひこうき雲03.jpg

きのうきょうと厳寒です。
手袋をしていても指さきが寒さでしびれるというのは久しくなかった。

ここのところ体調のこともあり、なるべく出かけず、仕事も最小限で余分なこと(これが楽しいのですが)はせず、歩いて10分あまりの仕事場とウチとの往復のみに。

それでもいつもの公園を通ると、心動かされることがある。
きょうもきのうに続いての青空を仰ぐとひこうき雲が。外出すると晴れた日は必ずといって雲をみるので、ひこうき雲はそれほどめずらしくはないけれど、その先頭を見ることができるのはあまりない。

楽しみは、家での仕事を終え、夕食を終え、風呂を終え(面倒くさい)、炬燵にもぐりこんでYOU-TUBEの海でのネットサーフィン。
ほとんどが音楽で、きのうも久々にダリダやフランソワーズ・アルディを聴いていたら波にのりそこなって(ワザと)、初見のユニットのフレンチポップスを聴きました(見た)。

https://youtu.be/sT7RDve7Dpw

懐かしい曲だったのでマウスを手放してしばし見とれてしまった。
[Laissons Entrer Le Soleil]は「太陽を迎え入れよう」で英語なら[let the sunshine in]。
「レット・ザ・サンシャイン・イン」は1960年代後半のブロードウェイミュージカル「ヘアー」の挿入歌。ポップスとしてはR&Bユニットのフィフス・ディメンション5th Dimension によって「輝く星座」Age of Aquarius/Let the Sunshine in としてリリースされ全米ナンバーワンに輝きました。日本でもヒットパレードのベストテンに入るほどヒットしました。

https://youtu.be/kjxSCAalsBE

フィフス・ディメンションの「レット・ザ・サンシャイン・イン」はいわばこの曲のサビ部分を延々とリフレインするだけ(それはそれでインパクトがあり、トリップ作用もありました)ですが、ミュージカルの「レット・ザ・サンシャイン・イン」の正調は冒頭のカヴァーのように前段があるのです。
ちなみに冒頭のユニットは、20年近く前のもので、当時のフランスで行われた「ヌーヴェル・スター」というアイドル発掘番組?によって選ばれたメンバーによるものだそうです。

ブロードウェイの「ヘアー」は当時の時代背景となったベトナム戦争とヒッピームーヴメントの中に生きる若者たちの葛藤を描いたもので、アメリカでは大ヒット。世界のいくつかの国でも公演されました。

フランスでも1969年にパリ公演が行われ、現在フランスポップス界の重鎮であるジュリアン・クレールJulien clerc が主役を演じています。

https://youtu.be/BtWgjS3tNQA

「ヘア」は映画にもなりましたが、そのストーリーはアメリカの田舎に住む若者が徴兵され、入隊する前に都会を見ておこうと思いついてニューヨークへ行くとことから始まります。そしてそこで自由に生きるヒッピーたちと出会い、入隊を反対されたりして心が揺れ動く。そのあとヒッピーの中心人物のラヴアフェアーなどがあったりしたあと、若者は入隊することに。
そして、このへんがファンタジーなのですが、入隊した若者とヒッピーの中心人物がその基地で入れ替わってしまう。そしてそのことが発覚する前にヒッピーの若者はベトナムへ行くことになり……。という内容。

最後に「レット・ザ・サンシャイン・イン」がつかわれているているミュージカルのワンシーンを。もちろん当時のものではありません。いまでも「ヘア」を上演されているようですね。ということはヒッピーはともかく(いやそうでもないかも)、もうひとつの主題である若者たちの戦争に対するプレッシャーはいまのアメリカ(だけではない)でも通用するのかも。

https://youtu.be/wH43IpeC98g

当然日本でも当時「ヘア」は日本人キャストで上演されました。
なんでも、グループサウンズのブームが消えて、その残党たちがオーディションに多数応募したとか。主役を射止めたのもそのひとりでした。
しかし「ヘア」の主題である愛と自由のヒッピー文化はいまひとつ馴染まず、ましてや徴兵制、身に迫る戦争への恐怖などは他人事で、当時の日本ではいささか無理のあるテーマだったようでした。寺山修司が「反戦」を在日朝鮮人に対する「差別」に置き換えて台本を書き上演という動きもあったようですが、もうひとつの主題であるヒッピームーヴメントと関連付けるのは無理で実現しなかったとか。

さらに公演中にプロデューサーと主役が大麻所持で逮捕されるという事件が起こり公演は中止に。薬物だけはヒッピーを真似てみたのでしょうが。

当時高校生だったわたしは、出演者が舞台上で全裸になる(アメリカではそうだったのですが、はたして日本で実行されたのかは不明)という報道だったので、「ああ、ヘアってそういうことだったのか」なんてノーテンキなことを考えていたのを覚えています。

ベトナム戦争もヒッピームーヴメントももはや半世紀あまり昔のこと。
近隣大国の軍事戦略による防衛費増強で戦争も「他人ごと」ではなくなりつつあるのかもしれない日本(徴兵制だって)。それも気になりますがあのヒッピーたちはどこへ行ってしまったのでしょうか。そして今、何をしているのでしょうか。

戦後のビートニクの流れから発生したヒッピーたちはワールドワイドで文化や社会にそれなりの影響を与えたように思うのですが、思いのほか「短命」でその姿が見えなくなってしまいました。いまでもどこかのコミューンでそのライフスタイルをまっとうしているのでしょうか。
歴史を逆行することはできないにしても、現在社会のロシアのウクライナへの侵略や深刻な大気汚染による環境破壊の脅威を思えば、ドラッグや宗教という問題を棚上げしても彼らの思想を読み返してみることは、無駄なことではないような気がします。

オマケは当時ヒッピー文化の影響を受け、日本でもヒットしたサイケデリックミュージックを。

https://youtu.be/aU7hVMc3q6Y


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クリストファーソン [not mellow AB]

kristofferson.jpg

「ボビー・マギー」は実に多くのシンガーによってカヴァーされています。
でもジャニス以上にジンとくるカヴァーはありません。

いちばんはじめに聴いたバージョンだからということもあるかもしれませんが、たとえ
ば前回ピックアップした「朝日のあたる家」などは、アニマルズよりブラザーズ・フォア、よりプラターズ、よりニーナ・シモンというように後で聴いたバージョンがより「よく」聴こえるという場合もあるので、いちがいにそうともいえません。

ジャニス盤は、もちろん「ボビー・マギー」の産みの親、クリス・クリストファーソン以上でもありました。

とはいえ、クリスが卓越したソングライターであることは間違いありません。
「ボビー・マギー」が1970年の彼のデビューアルバム「クリストファーソン」に収録されていたことは前回紹介しました。またそのアルバムが不発だったことも。ただその後、カヴァーされてヒットする曲がいくつか収録されているというスゴイアルバムでもあるのです。
そのいくつかを紹介してみます。

まずは「フォー・ザ・グッド・タイム」。

https://youtu.be/1BW0_D6jJ1g

レイ・プライスによって1970年にカヴァー。
別れていく彼女に、未練を残しながらも、楽しかった日々を思い出に歩いていこうとする男のストーリー。

50年代、「クレイジー・アームス」「シティ・ライツ」「リリース・ミー」などでカントリーチャート、トップに輝いたレイ・プライスの11年ぶりのナンバーワンヒット。ポピュラーチャートでも11位という快挙でした。
その後カントリー・シンガーよりはむしろポップシンガーにカヴァーされました。アンディ・ウィリアムス、ペリー・コモ、フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリー、ディーン・マーチン、アン・マレーなど。

日本では加山雄三が「心の想い出」の邦題で美声を聞かせております。

https://youtu.be/UYhgAJ7YJjY

つぎが、「サンデー・モーニング・カミング・ダウン」。

https://youtu.be/SPiSYVLFCM8

69年にレイ・スティーブンスが初録音(クリスのデビュー盤よりはやい)しましたが、70年に後に親友となるジョニー・キャッシュがカヴァーしてカントリーチャートで1位に輝きます。その後、フランキー・レイン、リン・アンダーソン、ウェイロン・ジェニングス、ウィリー・ネルソンなどのカントリーシンガーが次々にカヴァー。

土曜の夜、タバコの煙とカントリーミュージックの演奏が充満するホンキートンクでさんざ遊んだ男。翌日曜の朝、目覚め、その余韻のなか町を散歩するという物語。
通りで遊ぶ子どもたち。見知らぬ家からただよってくる朝食の匂い。公園で遊ぶ父娘づれ。教会から聞こえる讃美歌と鐘の音。
そんなありふれた日曜の朝、自分だけがなにか取り残されているような……。

よくいわれる「パーティは終わった」という孤独と哀愁が感じられ歌です。

最後の一曲、これは「ボビー・マギー」にも劣らない名曲。ヒットさせたのが女性。「ボビー・マギー」と同じです。

1971年にサミ・スミスが歌ってヒットした「ヘルプ・ミー・メイク・イット・スルー・ザ・ナイト」。

https://youtu.be/jLQAAxcBTQs

邦訳すると「夜を一緒に」というきわどいラヴソング。
カントリーチャートでは1位、ポップチャートでも8位の大ヒットとなりました。

冒頭がクリスのオリジナルでは、
「キミの髪のリボンをはずして…」ですが、
サミの場合は「女歌」なので「(あなたは)わたしの髪のリボンをはずし…」とうたっています。

もちろんあとは同じで、そのサビは、
「もう何も解らないし、解りたくもない」
「明日なんか悪魔にくれてやるわ。だから今夜だけはあなたといたい」
という強烈なラヴソング。これがウケたのでしょう。

クリスの「男歌」では問題ないのですが、サミがうたうことで、「女性が誘っている」「セクシーすぎる」と当時議論になったとか。70年代でもまだそういう時代だったのです。

とにかく詞、旋律とも絶妙のラヴソング。まさに名曲。

名曲の定義は主観的な部分もありますが、客観的な要素としては、どれだけの人が聴いたか(音源を購入したか)ということがあります。売れれば名曲かよ、という反論もありますが。
もうひとつの名曲を測るメジャーとして、どれだけカヴァーされているかということもあります。つまりプロがうたいたくなる歌、これは名曲と考えてもいいのでは。
そういう意味ではこの「ヘルプ・ミー・メイク・イット・スルー・ザ・ナイト」は名曲といえるのです。

女性でいえば、グラディス・ナイト、リアン・ライムス、オリビア・ニュートン・ジョン、ノラ・ジョーンズ、アン・マレー、スキーター・デイヴィスなどが。

https://youtu.be/ocReUIHoI4s

男ならウィリー・ネルソン、レイ・プライス、ウェイロン・ジェニングス、マイケル・ブーブレ、グレン・キャンベル、エルヴィス・プレスリー、エンゲルベルト・フンパーティンク、パーシー・スレッジなどなどがカヴァーしています。

https://youtu.be/OwgFmM0krb8

YOU-TUBEでは韓国のカントリーシンガー? もうたっておりました。

https://youtu.be/Rl0WTlhFZ0Q

イ・ラヒさんというようで、とても上手です。韓国のほうが日本より「カントリーソング」が定着しているのでしょうか。Kポップで全米1位になったユニットもいるようで、ポップスは韓国の方が日本よりもいわゆる「洋楽」を上手に取り入れ、うまくオリジナルとして反映させているような印象もあります。

かつては、日本でもカントリーが若者に支持され(そうになっ)た頃もあったのですが、
いまや日本のカントリー事情は寂しいものです。

と思っていたらYOU-TUBEで日本人カントリーシンガーの「ヘルプ・ミー・メイク・イット・スルー・ザ・ナイト」をみつけました。
それも日本語まじりで。さらにいうならうたっているのは伝説の日本人女性カントリーシンガーです。

https://youtu.be/DhcDnwxy6WQ

ところで、クリス・クリストファーソンですが、前回もふれたように俳優としても知られております。わたしも何度もかれの出演作を見たのですが、だいたいは二枚目として描かれています。「アリスの恋」のときも善良ではあるけど、いわゆる「イケメン」ではないのになんで二枚目なのかと不思議に思ったものです。

もしかするとアメリカ人と日本人の「イケメン」の感じ方が異なるのかもしれません。「美女」に関してはさほど違わないと思うのですが。
個人的にアメリカの「イケメン」といえばグレゴリー・ペックとかゲイリー・クーパー(どちらも古いね)などが思い浮かびますが。それに比べると。

ただクリスにはジェントルとインテリジェンスが感じられますし、体形もスマート。こういうところもアメリカの女性には「イイ男」として評価されるのかもしれません。

脱線しましたので最後はご本人の歌で。

https://youtu.be/5x0b7XOUmH0
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ボビー、俺も男だ [not mellow AB]

ジャニス パール.jpg


いまだに脳内蓄音機でときとして再生される「シティ・オブ・ニューオーリンズ」。

https://youtu.be/RnGJ3KJri1g

列車もいいですが、ニューオーリンズという街の響きががなんとも魅力的です。
ルイジアナ州最大の街はメキシコ湾に面する港町でジャズの発祥地。まぁ雰囲気ありますね。行ったことないけど。

でもそのロケーションから19世紀のはじめ頃より「奴隷貿易」の港の一つとして多くのアフリカ人が連れて来られました。
時代の犯罪といいますか、歴史の犯罪といいますか、人身売買ですから現代では許されないことなのですが、もしこうした「犯罪」が行われなかったとしたら、ジャズをはじめアメリカの音楽はいまほど豊潤にはなっていなかったのでは。皮肉なものです。

とにかくジャズをはじめブルーズ、ゴスペルなど、音楽の都市・ニューオーリンズはしばしば歌にうたわれています。

子どものころ、おそらくはじめて「ニューオーリンズ」という見知らぬ町を歌のなかで聴いたのは60年代初めのころのカヴァーポップス「ルイジアナ・ママ」でした。
♪あの娘はルジアナ・ママ やって来たのはニューオリン

飯田久彦や弘田三枝子がうたっておりました。
ミコさんは♪イカした ルジアナママ 遠いニューオリン でしたが。

https://youtu.be/kUrmxrGvAtw

オリジナルはジーン・ピットニーで歌詞は
♪She's my red hot Louisiana mama
from towan called New Orleans

ほぼ原語どおりです。
アメリカではさほどだったのですが、日本ではヒット。

つぎがビートルズとほぼ時を同じくして日本のヒットチャートにとびこんで来たアニマルズの「朝日のあたる家」House of the rising sun 。

https://youtu.be/0Fy7opKu46c

♪There is a house in New Orleans
 They call the Rising Sun

元はウディ・ガスリィもうたったトラディショナルソング。これもよく聴きました。はじめはもちろんアニマルズ。そしてブラフォー、それからプラターズで、さらにはニーナ・シモンというように。
日本では「朝日楼」というタイトルで浅川マキやちあきなおみがうたっておりました。

さらにはロケンローのバイブル「ジョニー・B・グッド」Jonny B goode

https://youtu.be/aKCt8ssC7cs

♪Deep down in Louisiana close to New Orleans

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でマーティが近過去へタイムスリップして、学園祭で「ジョニー・B・グッド」を演奏すると、級友が電話で「お前が探してたイカした歌があった」といとこに教えてあげる。そのいとこがチャック・ベリーという手の込んだギャグがありました。

このようにいくつもの名曲にうたわれているニューオーリンズですが、「シティ・オブ・ニューオーリンズ」を聴きながら、もう片耳に聴こえてきた「ニューオーリンズ・ソング」はそのいずれでもなく、70年代前半にヒットしたこの曲。

https://youtu.be/vY1j9LbISFA

「ボビー・マギー」Me and Bobby McGee これもあまりにも有名な歌です。

ジャニス・ジョプリンの1971年のアルバム「パール」に収録された一曲。すぐにシングルカットされて、ビルボードのナンバーワンになります。
ただ、ジャニスは前年に亡くなりこの快挙を知りません。(最近こんなはなしばかりです)

「ボビー・マギー」は69年にクリス・クリストファーソンがロジャー・ミラーに書いたカントリーソング。彼自身、デビューアルバム「クリストファーソン」の中でうたっています。もはやジャニスの歌なので、元はカントリーだと知らない人も少なくないようです。

https://youtu.be/D8NsoN4S7IE

旅の途中、くたびれて列車を待っていた時、やはり旅をしていたボビーがヒッチハイクでディーゼル車を停め、私も一緒にニューオリンズへ向かった。と始まる歌。
♪Bobby thumbed a diesel down just before it rained
 Took us all the way to New Orleans

ふたりの旅は楽しかった。自由とはなにも失うことがないってことだとわかった。ふたりは自由だったし、愛し合った。でも、目的が一緒ではなく、ボビーとは別れることになった。本当はずっと一緒にいたいと思ったけど、彼女の目的が叶うのであれば。彼女は「自由」だけを残して去っていった。

という自由を求めてさすらう男と女の物語。もちろんジャニスがうたえばボビーは男だし、クリスがうたえば女になる。
60年代後半から70年代初頭にかけてのヒッピームーヴメントが色濃く反映された名曲です。

自由の端的な象徴として「旅」がうたわれています。
それは50年代のビートニクたちから受け継がれたものであり、さらに遡ること20年、かの大不況時代から仕事を求めて大陸をさすらったホーボーたちのロマンとしての「自由」も引き継いでいるように聴こえます。

1970年前後のアメリカン・ニューシネマにはどこかそうした「さすらい」On the roadのスピリットが感じられました。「イージー・ライダー」「真夜中のカーボーイ」、「スケアクロウ」、「ビリー・ザ・キッド」……。

ペキンパーの「ビリー・ザ・キッド」ではクリス・クリストファーソンがキッド役を演じていました。また、エレン・バーステインが最高の「子持ちさすらいの女」を演じたスコセッシの「アリスの恋」にも善良な恋人役で出ていました。役者としても存在感のあるクリスです。

「ボビー・マギー」といえば、亡くなって久しい小説家の景山民夫に「俺とボビー・マギー」という作品があります。
芸能界を描いた「トラブル・バスターズ」シリーズの第2作で、「ボビー・マギー」とは主人公の相棒ではなく、相(愛)犬でした。彼もきっとこの歌が好きだったんでしょうね。

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Good morning America how are you? [not mellow AB]

city of new orleans号.jpg


Go Toトラベルは中断のようです。

旅行好きには気の毒なこと、というか割引がなくなるだけで通常の旅行は出かけてもかまわない、というかこの時期大手を振って名所めぐりする豪気な人はなかなかいませんので年末年始の国民大移動も今年はなさそうです。もはや仕事や冠婚葬祭でも遠出することが億劫になってしまっているわたしにとっては、ニヒトノイエスというところ。

旅行するのは腰が重いけれど、列車に揺られながら車窓を眺めることの心地よさは体で覚えていて、瞬間移動できるのなら列車に(新幹線ではなく)乗ってみたいという欲求はあるのですが。ですから「世界の車窓から」はたまに見るともなく見ております。

おそらくこの曲をつくった男も子どものころ、あるいは青春真っただ中で乗った列車がとてつもなく愛おしく思っていたのではないでしょうか。

https://youtu.be/9xzzw0UZebE

はじめてこの歌を聴いたのは70年代も後半の頃。
当時勤めていた会社の先輩とレコードの貸し借りをしていて、ある時借りたジョン・デンバーのアルバムにこの「シティ・オブ・ニューオーリンズ」が入っていました。

https://youtu.be/fF1lqEQFVUo

この曲が知られるようになったのは、1972年、アロー・ガースリィの歌唱によって。その後1985年には代ウィリー・ネルソンがうたってグラミー賞を獲り、さらに浸透していきました。

https://youtu.be/allg6Ajr6PA

歌のタイトルだけみると、音楽のメッカ、ニューオーリンズでの思い出や出来事をうたったものかな、と思いますが実は「シティ・オブ・ニューオーリンズ号」という特急列車の話。アメリカで昔からあるトレイン・ソング。

イリノイ州シカゴからミシシッピーのニューオーリンズへ、つまりアメリカ大陸を北から南へ縦断する列車のことで、イリノイ・セントラル鉄道が1947年から運行をはじめました。1971年に鉄道の経営がアムストラックというアメリカの公社に代わるまで、その雄姿をほこっていました。
現在はこの歌のおかげか、シティ・オブ・ニューオーリンズは夜行列車として復活し、週に3往復走っているのだとか。

歌は特急が月曜日の朝、カンカキー駅を出発するところからはじまり、乗務員やお客さんのこと、さらには車窓からみえる田園風景や街並み、さらには操車場ではたらく人たちや積み上げられたクルマの墓場などを具体的に、主人公である特急列車の視点で紹介していきます。
途中で「おはよう、アメリカ!。調子はどうだい?オレは生粋のアメリカ生まれなんだぜ」
と軽口をたたいてみせるところにこの歌の作者のユーモアあふれる人柄が感じられます。

https://youtu.be/e4ztWNJYFrU

この歌をつくったのはイリノイ州シカゴ生まれのスティーヴ・グッドマンというフォーキー。1971年自身のアルバムのなかでうたっています。
その翌年、親交のあったアロー・ガースリィがカヴァーして小ヒット。
しかし、71年というとシティ・オブ・ニューオーリンズ号が一時的に廃止になった時期。
スティーヴはそのことを知っていたのでしょうか。

もしかすると彼はシティ・オブ・ニューオーリンズが消えていくことを惜しんで、この歌にその雄姿をとどめておこうと思ったのかもしれません。

彼は1984年に白血病のため36歳という若さで亡くなっています。
もちろんその翌年にウィリー・ネルソンが彼の曲でグラミー賞を獲ったことを知りません。しかしその4年後、亡くなった後のアルバム「アンフィニッシュド・ビジネス」でグラミー賞(コンテンポラリーフォーク・アルバム部門)を獲ります。

またスティーヴは大のベースボールファンで、当然ご贔屓は地元のシカゴ・カブス。
熱狂的なファンだったようで、カブスに関する曲をいくつかつくっています。
そのうちの「ゴー・カブス・ゴー」は、ヤンキースが試合終了後シナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク」を流すように、カブスも勝利の「祝曲」としてリグリーフィールドに流しています。
ただ、残念なことにこのこともスティーヴはしりません。

https://youtu.be/A9XtDyDUjIU

おまけは2016年のワールドシリーズでカブスがインディアンスを破って優勝したときのスティーヴ、いやファンの歓喜の様子を。日本でもアメリカでもファンは熱い。

https://youtu.be/VPB0UMVTlj8

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悲しみの雲 [not mellow AB]

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「雲」のさいごは洋楽で。

「雲」で即座に思い起こす洋楽はジャズギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトの「雲」Nuage でしょうか。また、ケルト音楽の[Moving Cloud]もカナダのフィドラー、ナタリー・マクマスターで聴いたことがあります。
いずれもインストなので、どのような雲なのかはわかりませんが。

しかし欧米人というのは、日本人ほど「雲」に思い入れが少ないのか「雲」の歌というのはあまり聴いたことがありません。
カントリーでも「曇り」Cloudy はたまにありますが、日本のような「うろこ雲」とか「ヒコーキ雲」とか「ちぎれ雲」とか「あかね雲」といった多様な表現はないのかもしれません。ちなみに「あかね雲」を翻訳ソフトにかけたら[Akane Cloud]でした。あたり前だね。

もっている音源のなかでみつけることができたのは、サイモン&ガーファンクルの「曇り空」Cloudy 。

https://youtu.be/akW2S1HAZvA

青年の不安定な気持ちを曇り空にたとえてうたっています。
空に貼り付いた雲は、死ぬまでそこにとどまるのか、どこへ行ってしまうのか自分にも誰にもわからない、と。

1966年のアルバム「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」の中の1曲。「スカボロ・フェア」や「早く家に帰りたい」、「7時のニュース/きよしこの夜」 が入っている3rdアルバムです。

また、この歌は1967年のシーカーズのアルバムでカヴァーされています。

シーカーズはオーストラリア出身のポップグループで、60年代から70年代にかけてアメリカ、イギリスのチャートを賑わしました。

とりわけ日本でもヒットした「ジョージー・ガール」は自国とイギリスでナンバーワンを獲得しています(全米では2位)。

そのシーカーズには「悲しみの雲」the sad cloud という歌があります。

https://youtu.be/fUHdFemGvac

こちらはポール・サイモンのつくる哲学的な歌ではなく、もっとポップな失恋ソングとなっています。

あの太陽は去っていき、理由もなく悲しみの雲が涙を流している。ぼくは立ち尽くし、その雨をただ眺めている……

「曇り空」にしろ「悲しみの雲」にしろ、欧米人は、青空の白い雲というよりは曇った灰色の雲に詩的なものを感じる、また自身のネガティヴな気持ちを託して表現する傾向があるようです。

おまけです。
Cloudには「雲」のほかに、「集団」とか「まとまり」「かたまり」というような意味があるようで、昨今聞く「クラウド・ファンディング」や「クラウド・コンピューティング」などがそんな意味だそうです。そんな歌を最後に。ちなみにストーンズには別れを予感するふたりに覆いかぶさる「雲はいつ晴れるんだい」という歌詞がある全米ナンバーワンヒットの[Angie]悲しみのアンジー もある。

https://youtu.be/qUDMzhlefMs



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悪魔とモリ― [not mellow AB]

mitch ryder.jpg

https://youtu.be/lEl5m6xXg7A

久しぶりにYOU-TUBEで聴いて(見て)懐かしかった。
1967年のはじめ、ビートルズ旋風がひと段落したころヒットしたロケンロー。

ノリのいい歌でしたが、当時は「青い服の悪魔」と「グッド・ゴーリー・ミス・モーリ」の2曲を合体させたものだとは思わなかった。
あとになってR&Bのショーティ・ロングとR&Rのリトル・リチャードの歌だとわかった。最近亡くなったリトル・リチャードやチャック・ベリーをよく聴くようになったのもこの歌がキッカケ。いわば個人的にはロケンローの第一章でした。

こういう2曲合体という構成はあまり聞きません(多分しらないだけであるのでしょうが)。カントリーの「ダディ・サング・バス」みたいに、「歌中歌」として出てくるものはあるけど。フィフス・ディメンションの「輝く星座」もそうなのかな。

当時、日本ではグループサウンズが全盛だったので、モップスあたりがカヴァーしているのではと思ってyou-tubeで探したけれどみつからなかった。
でも「グッド・ゴーリー・ミス・モリー」はスパイダースあたりがやっていた記憶がありますし、YOU-TUBEでこんなものがありました。初めて聴きました。

https://youtu.be/g4oJ9BjJvu0

この歌がベストテンの上位(多分1位になった記憶が)にランクされた頃、ビーチボーイズの「グッド・バイブレーション」やシーカーズの「ジョージー・ガール」とともに、こんな歌も巷に流れていました。

https://youtu.be/I0884U0CD2Y

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