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青春の自粛 [day by day]

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完全に感染爆発が起こっています。

もはや必要不可欠の外出であっても、コロナに感染することを半ば覚悟しておかなくてはなりません。感染するしないは、運でしかない。神頼みはしませんが、自分の幸運を信じるしかない。根拠などないけれど。

オリンピックはもはや終盤にさしかかっておりますが、無心に勝負を技を楽しむ余裕がなくなっております。とはいえ、先ほどの女子1500m決勝での田中希実の8位入賞には感動してしまいました。走り終わったあと横すわりして口を開け大きく息をしている映像は神々しかったです。男子4×100mリレーは残念でした。何が起こるかわからないのがスポーツであり、何が起こっても不思議でないのが勝負ですから。

今日は広島の原爆記念日。
平和を祈るの記念式典は例年どおり無事終了いたしました。
オリンピックも平和の祭典です。ふたつの平和を祈るイベントが同時に開催されるなんて、おそらくこの先百年はないのではないでしょうか。

今朝8時15分、オリンピックのどこかの会場、どこかのフィールドで日本のオリンピックのアスリートや関係者の誰かが、黙とうしていたことを信じております。

原爆の記憶も、戦争の記憶も76年も経過すれば薄れていくのはあたりまえのことかもしれません。体験者も年々少なくなっていき、あと数十年も経てば「誰もいなくなった」ということとなるのでしょう。

ただ戦争という強烈な歴史はいつまでも残るでしょうし、学者やジャーナリストは先輩からの「遺言」を学生や市民に伝えていってほしい。また後輩たちには先輩から受け継いだ「遺言」をほぼ原寸で引き渡していってほしい。

同様に一般人のわれわれも父親からの「遺言」を子どもへ、そしてその子は孫へ、さらにひ孫へというように代々、まるで「家宝」を相続するように受け継がれていってほしい。伝言ゲームにならないように正確に。

そんなわけで反戦歌を。
まずは反戦歌の原点ともえる60年代のふたつの歌を。
まずは、もはや古典的といえる反戦歌。歌の成り立ちについては様々な伝説が残っておりますが、間違いないことはピート・シーガーによってつくられ広まったということ。そしてこの歌をカヴァーしたのは多くのフォーキーに限らず、大女優のマレーネ・デートリッヒによっても歌われヒットしたということ。

https://youtu.be/p3ly8cyWvkw

もう一曲は1950年にシンガーソングライター、エド・マッカーディによってつくられた歌。
ほかにピート・シーガー、P.P.M.、ジョー・バエズ、ジョン・デンバー、ジョニー・キャッシュ、ガース・ブルックスなど多くのシンガーによってカヴァーされています。

https://youtu.be/HZFzoqraF8w



コロナによる緊急事態宣言で経済活動をはじめ、多くの人たちがその行動を抑制されております。そのことで、最近のテレビで大学の先生の話が耳に残っております。
「若者は‘青春の自粛’を強いられている」
というような言葉が。
「青春の自粛」という言葉が新しく、なるほどと思いました。と同時にもうずいぶん前に亡くなりましたが、実際に戦争を体験した先輩が生前に言っていたことを思い出しました。

その先輩は帝国陸軍一兵卒として漢口に赴き、運よく生還した人間です。彼が酔うほどに何度かつぶやいた言葉が耳の奥に、さらには胸の底にいまでも残っております。
「二十歳そこそこの頃だよ。青春だよ。それをあの戦争が台無しにしやがった。だから俺はあの戦争と、あの最高責任者を絶対に許さないんだ」

人間のいちばん青々しい頃に、もしかすると最も輝ける時代に、自分の意志に反して生きるか死ぬかの戦地に赴かなくてはならなかった。それでも彼はまだ運が良いほうだった。生きて帰って、慌てて失われた青春を手繰り寄せることができたのだから。じっさいに取り戻せたかどうかはわかりませんが。
それよりも、誰も望まないのに戦地で死んでいった人たちは、文字どおり浮かばれない。青春を奪われたあげく、それを取り戻す術も奪われてしまったのですから。

たしかに、現代の若者たちはある意味「青春を奪われ」ているのかもしれません。そういう意味では同情します。

コロナと戦争は似ている。でもその違いは。
戦争で犠牲になるのは、男でいえば比較的若い人間です。しかしコロナは反対に高齢者がその犠牲になりやすい。
戦争は「人工的」ですがコロナは自然発生です。つまりコロナ(ウィルス)は人間の意志では防げませんが、戦争はそうとは限らない。始めるもの意志ならば、回避するのも止まるのも意志なのですから。
また今回のコロナはワクチンや治療薬によって早晩克服されるはずです。夜明けはそんなに遠くないはずです。先が見えず、事実上原爆によって戦いが終わったあの戦争に比べれば青春の「自粛」「はく奪」期間はそれほど長くない。

若い人たちがコロナで行動を制限されることを「青春が奪われている」と感じるのであれば、もしこの先日本が戦争をすることになったら、今回のコロナとの戦いとは比べものにならないほどの自粛を強要されることを知っておかなくてはなりません。

テレビCMでは「どんなきでもスポーツは私たちを夢中にさせる」と繰り返しておりますが、そんなことはありません。誰かが言っていた「ハルマゲドンにならない限り」ではなく「戦争が起きない限り」平和の祭典は挙行されるのです。戦時になったら歌もスポーツも木っ端みじん。

だからスポーツをはじめ「青春」を謳歌し続けるということは、どんなことがあっても、どんな手をつかってでも戦争を阻止するということにほかなりません。

好きな音楽を好きなときに聞けるというのも、戦争が起きていないからできることです。わたしが生まれてから現在に至るまで、日本は直接的な戦争をしておりません。なんて幸せだったんだ、と思います。
しかしこの先、われわれ世代が死んだあとのことはわかりません。いまの若い人たちは、くれぐれも「青春の自粛」を強いられることがないように、自分たちで注意深く戦争という最悪のウイルスが跋扈しないように見張っていってほしい。

おまけの歌は日本の「反戦歌」を。
どうやら作詞をした詩人にはその意志がなかった(希薄だった)にもかかわらず、日本人の心情に「反戦」を訴えた歌です。作曲は茨城県出身の徳富繁。

https://youtu.be/vwBOm6Yeuwk



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