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10755 [spring]

枝垂桜.jpg


知り合いとの約束があったため、まず千駄木で使用を済ませ、歩いて根津へ。地下鉄の根津駅前でおち合い、近くの中華料理店で黙食。

いつも多忙な知人ですが、今日は夕方まで時間があるというので、食後、急遽桜を見に行こうということになり、谷中の墓地へ。

上着を脱ぎたい陽気だったので、谷中には同様の期待をもった方々なのか、パラパラと人出が。ところが墓地のメインストリートの桜はさっぱり。東京の開花宣言は出ているはずですが、谷中ではほとんど蕾。たまにみつける花びらは、まるで四つ葉のクローバーを探す感覚。

わき道にそれて墓地を散策しましたが、点在する桜もまだ休眠中。
しかたなく、千駄木へ向かうことに。
と、その途中にあったお寺の境内にみごとな枝垂桜が。
「近くへ行こう」と知人と共に境内に入り、桜のそばへ。当然、外国人を含め数人の花見客とおぼしき人たちがスマホをかざしておりました。

これで今年の「花見」は無事終わりました。
ちなみにその枝垂桜のみごとな御寺は「長明寺」といって枝垂桜の名所だそうです。

桜の歌。

詳しくは知りませんが、JPOPSには「さくら」の歌はずいぶんあるようで、まさに百花繚乱らしいのですが、昭和30年代、40年代のわが歌謡曲やアーリーポップスでは、ありそうでなさそうで。

すぐに思い浮かぶのは昭和48年の「桜三月散歩道」(井上陽水)。
歌詞の中ではさいごに♪狂った桜が散るのは三月 と出てきます。

あとはすこし後になりますが平成6年の「夜桜お七」(坂本冬美)。作曲は三木たかしで、作詞は歌人の林あまり。

戦前には「同期の桜」なんて勇ましい歌もありましたが、これは予科練に学ぶ兵隊予備軍を散華の美として桜にたとえたもの。いわば擬人化された桜。

当時?の歌は「桜」や「さくら」をタイトルにしたものがほんとに少ない。日本人としてあまりにもあたり前すぎるのか、戦後なんらかの桜を避ける意識があったのか、よくわかりませんが、JPOPの満開模様と比べるとほんとに寂しいかぎり。

しかし、「桜」が歌詞に出てくる歌は、そこそこあります。

昭和22年、戦後を象徴する歌のひとつだったこの歌からはじまります。

https://youtu.be/M2yQKUGpL20

終戦間のないということもあり、どこかノスタルジックでブルーな歌ですが、電灯に映える公園の桜がなんともささやかな希望の象徴のように感じられます。桜が一輪咲き始め、満開になり、散り落ちてやがて葉桜になるまでを、恋が思い出にかわるまでに喩えてうたっております。平野愛子の名曲です。作詞作曲は東辰三。

その2年後の「青い山脈」にも、♪雪割り桜 が出てきます。
ほかでは27年の「伊豆の佐太郎」(高田浩吉)に♪はいた草鞋に 散る桜
32年の「東京だよおっ母さん」にも♪桜の下で さぞかし待つだろ
などがありますし、
さらには石原裕次郎の晩年の名曲「わが人生に悔いなし」にも。詞は先日亡くなったなかにし礼。作曲の加藤登紀子の歌で。

https://youtu.be/HZFOKGj-91s

とはいえ、日本人にとって「桜の歌」の最大公約数といえば童謡・唱歌でP.D.の「さくらさくら」ではないでしょうか。
といいながら、おのれの義務教育時代、うたった記憶がほぼないのですが。
しかし、昭和30年代、トリオ・ロス・パンチョスがラテンにアレンジした「さくら さくら」はわが脳内ジュークボックスにおさめられております。

https://youtu.be/IIGf797ya9w

長明寺の枝垂桜は、青空に映えてささやかながら感動がありました。
しかし、それより感動したことが。
結局、その後「夕焼けだんだん」から谷中銀座、よみせ通りを通って地下鉄千駄木駅で知人と別れ、わたしは地下鉄へ。

そして下車し、駅を出て家路の公園で家人に電話をしようとバッグからスマホを取出し画面をみてびっくり、さらに今日2度目のささやかな感動。
歩数計がなんと10755歩になっていたのです。
1万歩以上歩いたなんて、ここ数年記憶にありません。
5000歩あるけば「合格点」と思っていましたので。

ただ、「10755」という数字を見たあと、浮かれる気持ちとは裏腹に足の太ももあたりがずっしりと重たくなり、ときどきよろけながら家路へ。

歳そうおうに歩かなくてはいけない、なんて想いながら今夜は桜風吹の夢でも見ながら安眠したいものです。

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