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父の日 [sacred song]

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きょう、2回目のワクチンを注入されてまいりました。
1回目はひと月あまり前で、ふつかほどちょっとした痛みがありました。今回はどうなることやら。

あしたは父の日だそうです。

わたしに父はいましたし(あたり前ですが)、父と呼ばれてもいました。
父は10数年前に亡くなりましたし、子供たちはもう20年あまり以前から、それぞれわたしの元を離れて暮らしております。

比較的近くにいる長男とは、連れをまじえて月に1回ほど食事をしていましたが、それもコロナのおかげで1年以上会っておりません。
長男は、わたしたちがワクチンを接種したら会おうと言っていたので、近々久々に会えるかもしれません。もし副反応のダメージがなければ。
うまくいけば、1年ぶりにわたしは、「父親」を演じることになるのですが。

「父の日」。年に一度のことなので、わたしのことではなく、今はいない父を偲んで「父の歌」を聴いてみたいと思います(こんなときしか聴けませんので)。
日本の歌にも「父の歌」はいくつもありますが、やや生々しくなるので例によって洋楽で、それも例によってカントリーで2曲を。

どちらもアメリカでは聖歌(セイクレッドソング)として親しまれております。

まずはじめは「昔、父は伝道者だった」daddy was an old time preacher man。

https://youtu.be/x2NtLIcsblY

1970年に発表されたドリー・パートンとポーター・ワゴナーのデュオ5枚目のアルバム「ワンス・モア」のなかの1曲。のちにシングルカットされ、ビルボードのカントリーで最高7位にチャートインしています。ソングライターはドリー・パートンとドロシー・ジョー・ホープ。
you-tubeはアイリッシュのダニエル・オドネルとメアリー・ダフ。

父は祈りについて神の裁きについて誰にでもわかりやすい言葉で説教をする伝道師でした。そして神の加護を信じ、無償ではたらき続けました。
と貧しくとも信仰に生きた敬愛すべき父親を回想する歌です。

そのなかでみんなで聖歌をうたった、として出てくるのがやはり聖歌である「やがていいつの日にか」sweet by and byと「憧れのカナンの地」I'm on my way to Canaan's land。


「やがていつの日にか」In the sweet by and byは19世紀半ば、ウエブスターによってつくられれた讃美歌で488番の「遥かに仰ぎみる」として日本のキリスト教徒には知られています。

https://youtu.be/XnzlOEKiGhc

われわれはいつか素晴らしい世界をみることができるのです。そしていつの日か美しい岸辺できっと逢えるでしょう。と信仰によって永遠の魂を得て、仲間たちと邂逅するのだとうたっております。


もうひとつの「憧れのカナンの地へ」I'm on my way Canaan's land もやはり讃美歌で、20世紀はじめ、ウィリアム・ゴールデンによってつくられました。
どんなに辛く悲しいことがあったとしても、われわれは永遠の生命を求めて約束の地・カナンをめざす、という「やがていつの日にか」と同様、信仰者の不屈の魂がうたわれています。
カナンはキリストが洗礼を受けたとされるヨルダン河沿いにあり、現在のレバノン付近といわれてます。

https://youtu.be/4qjXt9C1vUA

いちはやくカーター・ファミリーがとりあげ、その後マヘリア・ジャクソンのゴスペルやバート・ランカスターがアカデミー賞を獲った映画「エルマ・ガントリー」のなかでつかわれ、よく知られるようになります。ちなみにわたしが初めて聴いたのはピート・シーガーでした。


「父の歌」のふたつ目は、「ダディ・サング・ベース」daddy sang bass

https://youtu.be/kJHJBvR7wuY

これは「ブルー・スウェード・シューズ」を作りうたったカール・パーキンスが讃美歌を素に1968年に書いたカントリーソングで、その年ジョニー・キャッシュがうたってビルボードのカントリーチャート6週1位というヒットになっています。

内容は子ども時代の家族の絆をうたったもので、
「誰もが辛い時代だった。それでも希望だけはあった。貧しかったけれど仕事が終わると家族みんなが集まって輪になって歌うんだ。父さんの声はバスでさ、母さんはテナーでね。僕も弟たちも一緒になってうたったものさ。『家族の絆は決して切れることはない。どんな困難に見舞われてもいつか天国で必ず再会できる』ってね」
と信仰厚かった両親や兄弟の思い出がうわわれています。

そのなかで家族全員で合唱したのが「永遠の絆」will the circle be un broken 。

https://youtu.be/Lf5pY_qNBAQ

この歌は1907年、ハーバーソン(詞)とガブリエル(曲)によってつくられた讃美歌を、その後カーター・ファミリーのA・P・カーターがアレンジしたものです。

家族のなかでも最も大事な母の死に直面した子どもたちは、もうみんなバラバラになってしまうのでは、と不安と悲しみに打ちひしがれてしまいます。しかし思い直し、きっといつか天国でまた母さんと再会し、楽しかったあの家族団欒が戻ってくる、家族の絆は壊れることはない、永遠なのだから。とうたっております。
日本ではなぎら健壱がうたっておりますが、この人もレコーディングしております。

https://youtu.be/bIp8Wj33GFY

父親の顔を知らずに生きてきた、という人も少なくないのですが、多くの男はわたしのように父親の人となりや生き方を見ながら成長し、自らも父親になっていくのです。
父親が自分にしてくれたことで、嬉しかったことは自分の子供にもしてあげる。父親が自分にした仕打ちで辛かったことは自分の子供には決してしない。
それを完璧にこなせれば、尊敬してもらわなくてもいいけれど、嫌われない父親にはなれるのでは、と思い子どもたちと接してきましたが、悲しいかな自分の父親と同じ血が流れているのです。完璧になどできるわけがないですね。

思い返して思い浮かぶのは、子どもを叱りつけたり、過剰な期待をしてしまったことばかり。己が父親とさして変らない。唯一違うのはわたしが父にされたような暴力はいっさい振るわなかったことだけかな。このことはいまでも、我ながらよく我慢できたとものだと思っております。

ただ、それはわたしが父より己を律するすべを知っていたというよりも、わたしの子どもがわたしより反抗的かつ捻くれてはいなかった、ということだけだったのかもしれませんが。
いずれにしても、己のましなところ、嫌なところを思い浮かべるとダブルエクスボージャのように父親の姿が浮かんできます。

例によって最後のオマケで日本のdaddy's song を。
YOU-TUBEはNHK番組「二人のビッグショー」まるまるなので、その歌が聴ける35分あたりからです。

https://youtu.be/2RaiRs6D0SM

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ふりむかないで 東京の人 [TVCM]

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テレビで小林亜星さんの訃報を知りました。
寺内貫太郎一家も「両親」の久世光彦、向田邦子をはじめ、もうずいぶんいろいろな方がお亡くなりになってしまいました。
88歳だそうです。ご苦労様でした。

小林亜星さんはその生き様から酸いも甘いも噛み分ける粋な人という印象があります。
彼の「軒行灯の女たち」という著書は今は無き「赤線」に関する蘊蓄をつづったもので、本家の吉行淳之介が唸ったという書物。
もちろん小林さんも「ご利用」された年代ですが、それよりもかなりご自身で調べて書かれたという名著。このへんにも小林さんのさばけた性格があらわれております。

作曲家としてはやはりなかば強制的に耳から侵入してくるCMソングがその思惑どおり耳低に残っております。

デビュー曲からインパクトが強かった。

https://youtu.be/GNGyGcs4s0c

「レナウン ワンサカ娘」は1961年の作品。
♪プールサイドに夏が来りゃ というあの詞も小林さんでした。
うたったのは始めがかまやつひろし、以後弘田三枝子、シルヴィ・バルタンでした。

他で好きなのは47年、ムード歌謡ブームにのってテレビを席巻(大袈裟ですが)したご当地巡回ソング。

https://youtu.be/TaQA6b-Cw44

作詞の池田友彦は、ほかに作品がないようなので、この作品だけに応募して採用された一般の方なのでしょうか。うたっているのはハニー・ナイツ。
ハニー・ナイツは4人組のコーラス・グループで、小林亜星作品では、怪作「オー・チンチン」もうたっている。

そして最も印象的なCMといえばサントリー。

https://youtu.be/zf0B9pavB6o

「夜がくる」のオリジナルは、ジャズギタリストの小西徹に上智大学の教授だったサイラス・モズレー氏のヴォーカルでした。ナレーションのコピーは開高健。
小林さんがうたっている日本語ヴァージョンもあります。

https://youtu.be/ZyDgvz5sacc

そしてサントリーのCMでは「夜がくる」から10年あまり後につくられた「雁風呂」もよかった。たしかCMの年間大賞のようなものを受賞したはずです。

https://youtu.be/pFQAtFYzlhg

もちろん作曲は小林さんで、尺八ひとつでつくりあげた世界がすばらしい。またCMだけにその映像とナレーションも。とりわけ出演した山口瞳が存在感ある中年を演じていたのが印象的で、最後のセリフは江分利満氏自身が。

最後に歌謡曲を少し。

https://youtu.be/FtuOmmmtmWo

「北の宿から」と同じ阿久悠とのコンビでつくった「昭和放浪記」を。うたったのは水前寺清子で昭和47年の作品でした。
そしてもう一曲。
この「昭和放浪記」を聞いて、「僕にもこういう曲を作ってください」と当時高価だったジョニ黒を添えて亜星さんに手紙を送った高倉健さんのこの曲を。

https://youtu.be/MVjqaABwK68

「約束」はNHKドラマ「刑事」(1995年)の主題歌だそうで、健さんが依頼してか20年余り経って実現した曲だそうです。
改めましてご冥福をお祈りいたします。


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老犬は死なず [day by day]

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今日電車に乗っているとき、盲導犬協会のポスターが目に入りました。

昨日の今日なので、じっと見入ってしまいました。
要は、「盲導犬のことを可哀そうと思わないでください」というメッセージでした。

わたしは考えたこともなかったのですが、なかには人間のために自身の意志?を我慢して尽くしている姿が哀れと思う人がいるらしい。
極論すれば「動物虐待」ととられかねないということなのでしょう。
そうなると最近話題になったばんえい競馬はもちろん、人間のギャンブル欲のために走らされている競馬だって「動物虐待」になってしまう。
おそらく筋金入りの動物愛護論者はそう思っているのかも。

しかし、人間ではなく盲導犬の口を借りて「私たちを可哀そうと思わないで」と言ってしまうの妙な話では、と思ってしまいます。
誰も犬の「本心」など聞いたことがないのですから。

何度も言いますが、わたしは可哀そうとは思いませんが、そう思う人がいたって少しもヘンではない。今回のオリンピックも「やれ」「やめろ」と意見が分かれるように、正反対の意見が生まれることはあたりまえで、言い方を変えれば社会が健全な証拠。

そんなことを考えながら電車に揺られておりましたが、昨日の盲導犬の情景も再び。そして「あれっ、もしかしたら……」と思ったことが。

わたしは、盲導犬が階段の前で躊躇して立ち止まった。と、あのとき思いましたが、もしかすると、「階段の前では止まること」をしつけられていたのではないか、と思い直した次第です。
たしかに脚が震えているように見えたのでそう思ったのですが、そうではないのでは、と。視覚障害の女性も犬を促したのではなく、階段でちゃんと止まってくれたので、「ありがとう、わかったよ」と合図を送ったのではなかったのかと。

盲導犬のポスターのおかげで予定外の書込みをしてしまいましたが、せっかくなのでもう一度「犬の歌」を。
今度は洋楽で。

洋楽のドッグ・ソングといえば、真先に思い浮かべるのがエルビスほかの「ハウンド・ドッグ」hound dog
それにパティ・ペイジの「ワン・ワン・ワルツ」the doggie in the window

ほかではベンチャーズの「ブルドッグ」bulldog。ビートルズにもありましたがこれは同名異曲。
ビートルズにあれば、ストーンズにはラルフ・トーマスのR&B「ウォーキング・ドッグ」walking dog がありました。

今回は「またか」という声も聞こえてきそうですが、アメリカのルーツミュージックを。
それも極めつけのルーツミュージック、スティーヴン・フォスターの「老犬トレイ」old dog trayを。

https://youtu.be/2OfOSeywnRI

you-tubeは「金髪のジェニー」I dream of jeanie with the light という1952年にアメリカで公開されたフォスターの生涯を描いた映画(日本未公開?)のようです。フォスターを演じたビル・シャーリーは声楽家でもあり、歌声は吹替ではないようです。
外出から帰ったフォスターがピアノで自身の「金髪のジェニー」を弾こうとしたところ愛犬に促されて「老犬トレイ」を弾くというシーン(多分)。

「老犬トレイ」は、年老いた男が人生の黄昏を感じながら「みんな死んでしまった、俺の親友はお前だけだよ」と老犬に語りかける歌。
愛犬家ならば、泣けてくる歌です。そうでないわたしでもジンとくるのですから。


おまけの1曲はカントリーでグランパ・ジョーンズgrandpa jonesやスタンレー・ブラザーズstanley brothers で聴ける「老犬ラトラー」old rattler 。こちらは年老いて目が見えなくなった老犬ラトラーとの話。

https://youtu.be/ESPJOh26b_A

ラトラーは他の動物に対して絶対に危害を加えないやさしい犬で。大きなアライグマが出没するので電話でラトラーに追い払うように頼んだら、月夜の晩、ラトラーとアライグマは立ち上がって楽しそうに踊っていた。そんなラトラーも悲しいことに他の犬と同じように天国に召されてしまった。
いま犬を飼おうと考えているみなさんに言いたい。おやめなさい。そうでないとあなたも天国へ行くことになるかもしれませんから。
というようなカントリーにありがちなホラ話の一曲。

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話し相手の犬つれて [day by day]

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先日駅の構内で盲導犬と共に歩く女性の視覚障碍者が目にはいりました。

わたしの少し前を歩いていたのですが、その先には10段足らずの小さな階段が。
女性は右手に杖を、左手で盲導犬のハーネスを握っています。この通路と階段は慣れているのか、器用に杖で階段を確認し、昇っていきます。ところが盲導犬が階段の前で躊躇してしまう。よく見ると後ろ足が震えています。女性はそこのことも承知しているようで、なにやら声をかけます。すると盲導犬は躊躇うことなく階段を昇っていきました。ただ、その足取りはスムーズではなく、やはり震えていました。

盲導犬をしつけた(訓練を終えているとしても)女性もたいしたものだと思うけれど、やっぱり盲導犬がスゴイ。
本音を言えば? 階段を上るのは苦手なのでしょう。それを震えながらも主人の意向に従い、本能に抗って教えられたことをやり遂げるのだから感心してしまう。逆に考えるとコワイことでもありますが、それはともかく。

実はこの小さな階段の横に緩やかなスロープがあり、そちらを選択してもよかったのです。
おそらくあの女性はそのことも了解していたはず。それでも階段を選んだのは、「訓練」をしているのだなということに思い当たります。どこにでも必ずスロープがあるとは限りませんし、そのことを考えるのであれば。

まだ、「訓練」途中の盲導犬くんですが、これから何度もこうした階段を昇り、いつか震えずにごく自然の歩調で昇りきることができるようになるのだと思います。

個人的には犬ではなく猫派なのですが、こうしたことでは犬にはかなわない。
といいますか、誰も猫にこうした介添えを期待していない。
そういう意味では猫はほとんど人間の役に立たない。番ネコや警察ネコ、麻薬ネコなんて聞いたこともありませんから。(麻薬ネコみたいなものはあるのかも)

盲導犬や警察犬を否定するつもりはありませんが、そもそもそれらは人間の「勝手」によってできたものですから。
そう言ってしまうと、ペットだって人間の勝手、と言われれば否定はできませんが。
わたしは猫も犬も飼っておりませんが、猫は道端を歩いていたり、屋根の上で寝ているのを見るだけで、なぜかホッとするのです。でも今回は犬。

犬が出てくる歌もそこそこあります。

小坂明子の「あなた」や五輪真弓の「少女」には子犬がでてきますし、たまの「さよなら人類」、佐良直美の「私のすきなもの」には野良犬が出てきます。犬種でいうと中森明菜の「スローモーション」にはシェパード、坂本九の「九ちゃんのズンタタッタ」にはコリーがでてきます。

といろいろありますが、今回は歌謡曲、それも昭和30年代のヒット曲。きっといまなら演歌なんて言われてしまうのでしょうが。

昭和34年といいますから、60年以上昔に流行った歌謡曲で、犬はワンカットしか出てきませんが、その主人との関係が想像できてとてもいい。にもかかわらずこの歌の「主人公」はその飼い主でも犬でもない、というのがまたいい。

https://youtu.be/iHZm-1xDnII

うたっているのは春日八郎。「お富さん」「別れの一本杉」「赤いランプの終列車」などのビッグヒットがあります。
作曲の吉田矢健治は春日八郎では「足摺岬」、「別れの燈台」などがあり、ほかでは三橋美智也の「お花ちゃん」「夕焼けトンビ」、松島詩子の「スペインの恋唄」、バーブ佐竹の「女ごころの唄」が。
作詞はキングレコードのヒットメーカー横井弘。
伊藤久男の「あざみの歌」、三橋美智也の「哀愁列車」をはじめ倍賞千恵子の「下町の太陽」、仲宗根美樹の「川は流れる」ほか、「銀座の蝶」(大津美子)、「虹色の湖」(中村晃子)、「夜霧の滑走路」(三船浩)、「夕焼け雲」(千昌夫)などなど。ほんの一部です。

「山の吊橋」はなかでも好きな歌。
こういうスケッチ画のような歌は最近でもあまり聴きません。まぁ、現代では極々一部にしかウケないでしょうから、まずヒットしない。
そもそもこの歌のような自然が、もはや消えてしまっています。残っていても、それは観光用で、生活の中にあった自然ではありませんから。

吊橋を「主人公」にしたのがおもしろいし、全篇自然描写の中に心に残るオムニバスのドラマがあったり。
YOU-TUBEでは2番がカットされていますが、以下のとおりです。

♪山の吊橋ァ どなたが通る
遠い都へ 離れたひとを
そっとしのびに 村娘
谷の瀬音が 心にしむか
涙ひとふき して通る
ソレ ユウウラユラ

短い言葉の中に長いドラマがあります。
こういつプロの作詞家がいたんですね、昔は。

もう一曲おまけに。
春日八郎もいいですが、やはり男性ときたら女性を。
「山の吊橋」がつくられた昭和34年、横井弘の詞でリリースされたザ・ピーナッツの曲を。作曲は「夏の思い出」や「小さい秋みつけた」の中田喜直。ほんの一節ですが。

https://youtu.be/Jqpew6DeJlo

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あれから20年 [latin]

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イサクとノアのうたを聴いたいたら、わたしのラテンハート? に火がつきました。

それで昨日の口直しといったらノアちゃんに失礼ですが、彼女がカヴァーした2曲のオリジナルを聴いてみました。
まずは「回想」REMINISCENCIAS。

https://youtu.be/xntwGDWac4Y

回想はチリの作曲家、ルイス・アギーレ・ピントが1929年、21歳のときにつくった歌。

それを1960年代にエクアドルのフリオ・ハラミジョがうたってヒット。1935年生まれのフリオは、靴職人でしたが、二十歳くらいのときに好きだった歌の道に入ります。そして50年代からメキシコ、チリ、コロンビア、アルゼンチンなどを公演して回り、各所で多くの歌に触れ、自らも作曲して音楽的才能を開花させます。

また音楽だけでなく、映画にも出演し、エクアドルのスターとなります。私生活では5度の結婚に28人の子どもをもうけるほどの情熱家だったとか。
そうした歌と恋との激しい生活が禍したのか、わずか41歳という若さで亡くなっております。

YOU-TUBEのミュージックビデオに出演しているのはもちろんフリオではありません。あくまで音源だけです。 念のために。

2曲目は、キューバのオマーラ・ポルトゥンドとコンパイン・セグンドがうたった「20年」Veinte años。
20年前あれほど愛してくれたのに、あなたの心はわたしから離れてしまった。と恋人の心変わりを嘆くハートブレイクソング。

https://youtu.be/VRlxgW5yzVU

ちょっとしたつむじ風が吹くようにキューバ音楽が日本でブームになったのが、2000年の1月に公開されたヴィム・ヴェンダース監督の音楽ドキュメンタリー映画「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」が公開されてから。

アメリカのミュージシャン、ライ・クーダがキューバ旅行のときに出会った、キューバのミュージシャンと結成したツアーバンドが「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」。
映画は魅力的なキューバの音楽家たちのツアーやレコーディングの模様などが描かれて
おりました。

日本人はそんなメンバーのなかにオマーラやコンパイン、そしてイブライム・フェレール、ギターのエリアーデス・オチョア、ピアノのルベン・ゴンザレスなど魅力的なミュージシャンを発見したのでした。
まさに、あの熱狂から20年、カストロも亡くなり、オマーラもコンパインも亡くなり、キューバ音楽はどのように変化しているのでしょうか。

最後におまけの2曲を。
当時、わたしも映画を観ましたし、CDも買いました。そんななかで最もインパクトの強かったコンパイン・セグンド、オチョア、ライ・クーダ、ゴンザレスらブエナビスタ・ソシアル・クラブの演奏で「チャン・チャン」Chan Chan を。

https://youtu.be/UXwLBS3yUkA

もう1曲はオマーラとイブライムのデュオで「キサス・キサス・キサス」Quizas Quizas Quizas 。

https://youtu.be/SEQpp2xvWY0

40年代のキューバの歌で、ラテンでは世界的名曲。日本でも坂本スミ子やアイ・ジョージらにカヴァーされたよく知られた歌です。個人的にも子どもの頃からよく耳にした曲で、「明日食わんど 明日食わんど」と聞こえて面白かった。そんなことはどうでも。
この曲は「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」には入っていませんでしたが。

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歌う女歌わない女 [ワールドミュージック]

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カラオケ文化は日本発のワールドワイドな遊びだそうです。
わたしがカラオケに初めて遭遇したのは1970年代も終ろうとする頃。
先輩と地方都市へ出張したときのこと。
とどこおりなく仕事をこなし、夜は先輩馴染のスナックでお疲れさんの一杯二杯。

宴もたけなわってほどでもなかったけれど、先輩の一連の今日の反省、アドバイスが終ると、やおらママさんからマイクと歌詞の書かれた歌本を受け取り、店の女の子が差し込んだ8トラックのカセットから流れる重厚な演歌のイントロに続いて、吠え、いや歌いはじめたものでした。
忘れもしません、当時そこそこ流行っていた李成愛の「釜山港へ帰れ」。
先輩のダミ声はジャマだったけれど、初めて聴いた伴奏はそこそこ酒の入った脳みそをさらに気持ちよくさせてくれました。

カラオケ初体験といっても、聴くだけで自らマイクを握ることはありませんでした。
わたしだって、幼いころから神戸一郎や島倉千代子を聴いて育ってきたくらいで、歌謡曲は大好き。もちろんいま流行りの歌のひとつやふたつ歌詞カードを見なくたって歌えました。

先輩、♪逢いたいあなた~ とうたい終ると、「次は〇〇くん、なんかやれよ」と、マイクと歌本をわたしに向けます。
「いやぁ、ぼくは音痴ですから」
とお決まりの「社交儀礼的遠慮」。
それでも「そんなこと言わずに下手でもいいから、なにかうたえよ。それが新人の役目だぞ」とかなんとか言われて渋々うたう。というのがお約束のヤリトリだと思っていたのですが、「音痴」を真に受けられ、他に客がいないことをいいことに「そっか、じゃうたうか」と先輩、ふたたび歌本をめくりはじめます。

それから延々、ママとのデュエット「東京ナイトクラブ」などを挟んだ先輩のワンマンショーにつき合わされることに。まだカラオケボックスなどなかった頃の話。

ちょうどこのカラオケ初体験の頃、アニエス・ヴァルダのフランス映画「歌う女歌わない女」が公開されていた。
その映画は観ませんでしたが、「歌う、歌わない」というタイトルから連想される言葉がなぜか脳裏に沁みつきました。

カラオケのなかった時代、日本人は圧倒的に「歌わない人」が多かった。

宴会や祝事でうたうのはほとんど「のど自慢」で、他の参加者は手を叩いて調和しました。なかには小さく口ずさんでいた人もいましたが。
もちろん歌が大好き、うたうの大好きという人もいました。そういう人は職場のコーラスサークルに入ったり、地域の合唱団に入ったり、はたまた歌声喫茶に入り浸ったりして「歌う人生」を謳歌していたのでしょう。

それが経済成長がピークを迎える頃、「カラオケ」なる「歌う人育成マシーン」が登場し、昭和が終ろうとするあたりには、うたうことを隔絶された密室で愉しむことができるというカラオケボックスなるものが登場し、日本人は一気に「歌う人」がマジョリティになっていったのでした。
ということは多くの人は、もとから「歌う人」になりたかった、うたいたかったんですね。
そういう意味ではカラオケは人間のある部分を開放させた画期的な発明だといえます。

今回はYOU-TUBEでみつけた「歌う女歌わない女」を。

まずはじめは、「えっ? うたうんじゃないの…」という女というか少女を。

https://youtu.be/PqMr0zqHXQw

カーリング・ファミリーはスウェーデンのスウィングバンド。
ピアノはもちろんラッパなら何でも、というメインヴォーカルのガンヒルド・カーリング姐さんが率いるまさに家族・親戚楽団のようです。

セーラー帽をかぶった女の子はガンヒルド姐さんの娘・イドゥンちゃん。
演奏が開始されて早々にフレイムインしてきた彼女、「うたうな」「アンドリューズ・シスターズ並にお母さんにハーモニーを付けるのかな」「あれ、うたわないのかな」「2コーラスめにイドゥンちゃんのソロか」なんて思ってるうちにステップを踏みはじめ、結局演奏終了。「うたわんのかい!」とツッコミたくなるような「素敵な貴方」でした。


でも見事なチャールストンを披露してくれたから、いいですね。イドゥンちゃんの名誉のために言っておきますと、彼女は「歌わない女」ではなく、ほかのYOU-TUBEでは「アイスクリーム」とか「サニー・サイド」など、ちゃんとうたっております。あまり上手とはいえませんが。名誉にならないか。


次は「歌う少女」を。

フランスの農村で結成されたバンド。
そんな村人たちのセッションを、見物にきたピンクの上着を着た5、6歳の女の子。ポッケに手を突っ込んでおじさんやおにいちゃんたちの演奏に見とれてる。
と思いきや。

https://youtu.be/kZ1WLIA5DuE

イサクとノアはフランスのファミリーバンドの兄妹。
ギターを弾いているのが父親の韓国系フランス人、ニコラスだそうです。YOU-TUBEのトランぺッターとアコーディオニスト(トーマスおじさんだそうです)は正確にはわかりませんが、親類かニコラスの友人であることは間違いないでしょう。
イサクとノアの母親はキャサリンで、これらのYOU-TUBEを撮影しているらしい。

とにかくノアの歌声は幼いのですが、驚くべきはそのリズム感。2コーラス目の入り方に失敗しますが、いとも簡単にリカヴァリー。覚えたてのウィンクも可愛いですね。

イサクとノアのYOU-TUBEもたくさんあります(ルージュの伝言なんかも)が、なぜかラテンが多い。お母さんの影響でしょうか。

ではおまけで少し成長したイサクとノアのラテンを2つ。
まずはエクアドルの「シナトラ」、フリオ・ハラミジョが60年代にヒットさせたという「回想」REMINISCENCIASを。タイトルどおり、恋多き男が死ぬ前にどうしても逢いたひとりの女性への追慕をうたった歌です。

https://youtu.be/6ojh64c0djI

もう一曲はクバノチャント。
オマーラ・ポルトゥンドとコンパイン・セグンドで知られた「20年」Veinte años。こちらも、帰り来ぬ恋人との愛の日々を偲び嘆く歌。ノアちゃんなぜか間奏でベンチャーズの「アパッチ」を弾いてしまうというミステリー。

https://youtu.be/-9d1_W0f4gg

カラオケボックスの普及で日本人(外国人だって)の大半が「歌う女」「歌う男」に。

わたしもずいぶんお世話になってきました。
学生時代の仲間や、仕事での知人と年に何度かは恥かしげもなく鼻声を披露してまいりました。もう数十年も。
歳を重ねるごとに思うことは、結局うたうのは若い頃に聴いたりうたったりした歌。もう無理して最新ヒット曲なんてうたわない(うたえない)。
カラオケボックスとは、唯一誰憚ることなく「後ろ向き」になれる空間(前を見たって何も見えませんから)。なにしろ、あの頃の仲間たちがいるのですから。

それもコロナの影響でもはや2年あまり、過去を共有する仲間と会っておりません。淋しいことです。わたしを含め仲間は年々、気力体力が衰えていくというのに。
いまのわたしは、不本意ながら「歌えない男」なのです。

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