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父の日 [sacred song]

父と子.jpg

きょう、2回目のワクチンを注入されてまいりました。
1回目はひと月あまり前で、ふつかほどちょっとした痛みがありました。今回はどうなることやら。

あしたは父の日だそうです。

わたしに父はいましたし(あたり前ですが)、父と呼ばれてもいました。
父は10数年前に亡くなりましたし、子供たちはもう20年あまり以前から、それぞれわたしの元を離れて暮らしております。

比較的近くにいる長男とは、連れをまじえて月に1回ほど食事をしていましたが、それもコロナのおかげで1年以上会っておりません。
長男は、わたしたちがワクチンを接種したら会おうと言っていたので、近々久々に会えるかもしれません。もし副反応のダメージがなければ。
うまくいけば、1年ぶりにわたしは、「父親」を演じることになるのですが。

「父の日」。年に一度のことなので、わたしのことではなく、今はいない父を偲んで「父の歌」を聴いてみたいと思います(こんなときしか聴けませんので)。
日本の歌にも「父の歌」はいくつもありますが、やや生々しくなるので例によって洋楽で、それも例によってカントリーで2曲を。

どちらもアメリカでは聖歌(セイクレッドソング)として親しまれております。

まずはじめは「昔、父は伝道者だった」daddy was an old time preacher man。

https://youtu.be/x2NtLIcsblY

1970年に発表されたドリー・パートンとポーター・ワゴナーのデュオ5枚目のアルバム「ワンス・モア」のなかの1曲。のちにシングルカットされ、ビルボードのカントリーで最高7位にチャートインしています。ソングライターはドリー・パートンとドロシー・ジョー・ホープ。
you-tubeはアイリッシュのダニエル・オドネルとメアリー・ダフ。

父は祈りについて神の裁きについて誰にでもわかりやすい言葉で説教をする伝道師でした。そして神の加護を信じ、無償ではたらき続けました。
と貧しくとも信仰に生きた敬愛すべき父親を回想する歌です。

そのなかでみんなで聖歌をうたった、として出てくるのがやはり聖歌である「やがていいつの日にか」sweet by and byと「憧れのカナンの地」I'm on my way to Canaan's land。


「やがていつの日にか」In the sweet by and byは19世紀半ば、ウエブスターによってつくられれた讃美歌で488番の「遥かに仰ぎみる」として日本のキリスト教徒には知られています。

https://youtu.be/XnzlOEKiGhc

われわれはいつか素晴らしい世界をみることができるのです。そしていつの日か美しい岸辺できっと逢えるでしょう。と信仰によって永遠の魂を得て、仲間たちと邂逅するのだとうたっております。


もうひとつの「憧れのカナンの地へ」I'm on my way Canaan's land もやはり讃美歌で、20世紀はじめ、ウィリアム・ゴールデンによってつくられました。
どんなに辛く悲しいことがあったとしても、われわれは永遠の生命を求めて約束の地・カナンをめざす、という「やがていつの日にか」と同様、信仰者の不屈の魂がうたわれています。
カナンはキリストが洗礼を受けたとされるヨルダン河沿いにあり、現在のレバノン付近といわれてます。

https://youtu.be/4qjXt9C1vUA

いちはやくカーター・ファミリーがとりあげ、その後マヘリア・ジャクソンのゴスペルやバート・ランカスターがアカデミー賞を獲った映画「エルマ・ガントリー」のなかでつかわれ、よく知られるようになります。ちなみにわたしが初めて聴いたのはピート・シーガーでした。


「父の歌」のふたつ目は、「ダディ・サング・ベース」daddy sang bass

https://youtu.be/kJHJBvR7wuY

これは「ブルー・スウェード・シューズ」を作りうたったカール・パーキンスが讃美歌を素に1968年に書いたカントリーソングで、その年ジョニー・キャッシュがうたってビルボードのカントリーチャート6週1位というヒットになっています。

内容は子ども時代の家族の絆をうたったもので、
「誰もが辛い時代だった。それでも希望だけはあった。貧しかったけれど仕事が終わると家族みんなが集まって輪になって歌うんだ。父さんの声はバスでさ、母さんはテナーでね。僕も弟たちも一緒になってうたったものさ。『家族の絆は決して切れることはない。どんな困難に見舞われてもいつか天国で必ず再会できる』ってね」
と信仰厚かった両親や兄弟の思い出がうわわれています。

そのなかで家族全員で合唱したのが「永遠の絆」will the circle be un broken 。

https://youtu.be/Lf5pY_qNBAQ

この歌は1907年、ハーバーソン(詞)とガブリエル(曲)によってつくられた讃美歌を、その後カーター・ファミリーのA・P・カーターがアレンジしたものです。

家族のなかでも最も大事な母の死に直面した子どもたちは、もうみんなバラバラになってしまうのでは、と不安と悲しみに打ちひしがれてしまいます。しかし思い直し、きっといつか天国でまた母さんと再会し、楽しかったあの家族団欒が戻ってくる、家族の絆は壊れることはない、永遠なのだから。とうたっております。
日本ではなぎら健壱がうたっておりますが、この人もレコーディングしております。

https://youtu.be/bIp8Wj33GFY

父親の顔を知らずに生きてきた、という人も少なくないのですが、多くの男はわたしのように父親の人となりや生き方を見ながら成長し、自らも父親になっていくのです。
父親が自分にしてくれたことで、嬉しかったことは自分の子供にもしてあげる。父親が自分にした仕打ちで辛かったことは自分の子供には決してしない。
それを完璧にこなせれば、尊敬してもらわなくてもいいけれど、嫌われない父親にはなれるのでは、と思い子どもたちと接してきましたが、悲しいかな自分の父親と同じ血が流れているのです。完璧になどできるわけがないですね。

思い返して思い浮かぶのは、子どもを叱りつけたり、過剰な期待をしてしまったことばかり。己が父親とさして変らない。唯一違うのはわたしが父にされたような暴力はいっさい振るわなかったことだけかな。このことはいまでも、我ながらよく我慢できたとものだと思っております。

ただ、それはわたしが父より己を律するすべを知っていたというよりも、わたしの子どもがわたしより反抗的かつ捻くれてはいなかった、ということだけだったのかもしれませんが。
いずれにしても、己のましなところ、嫌なところを思い浮かべるとダブルエクスボージャのように父親の姿が浮かんできます。

例によって最後のオマケで日本のdaddy's song を。
YOU-TUBEはNHK番組「二人のビッグショー」まるまるなので、その歌が聴ける35分あたりからです。

https://youtu.be/2RaiRs6D0SM

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