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歌う女歌わない女 [ワールドミュージック]

歌う女歌わない女.jpg


カラオケ文化は日本発のワールドワイドな遊びだそうです。
わたしがカラオケに初めて遭遇したのは1970年代も終ろうとする頃。
先輩と地方都市へ出張したときのこと。
とどこおりなく仕事をこなし、夜は先輩馴染のスナックでお疲れさんの一杯二杯。

宴もたけなわってほどでもなかったけれど、先輩の一連の今日の反省、アドバイスが終ると、やおらママさんからマイクと歌詞の書かれた歌本を受け取り、店の女の子が差し込んだ8トラックのカセットから流れる重厚な演歌のイントロに続いて、吠え、いや歌いはじめたものでした。
忘れもしません、当時そこそこ流行っていた李成愛の「釜山港へ帰れ」。
先輩のダミ声はジャマだったけれど、初めて聴いた伴奏はそこそこ酒の入った脳みそをさらに気持ちよくさせてくれました。

カラオケ初体験といっても、聴くだけで自らマイクを握ることはありませんでした。
わたしだって、幼いころから神戸一郎や島倉千代子を聴いて育ってきたくらいで、歌謡曲は大好き。もちろんいま流行りの歌のひとつやふたつ歌詞カードを見なくたって歌えました。

先輩、♪逢いたいあなた~ とうたい終ると、「次は〇〇くん、なんかやれよ」と、マイクと歌本をわたしに向けます。
「いやぁ、ぼくは音痴ですから」
とお決まりの「社交儀礼的遠慮」。
それでも「そんなこと言わずに下手でもいいから、なにかうたえよ。それが新人の役目だぞ」とかなんとか言われて渋々うたう。というのがお約束のヤリトリだと思っていたのですが、「音痴」を真に受けられ、他に客がいないことをいいことに「そっか、じゃうたうか」と先輩、ふたたび歌本をめくりはじめます。

それから延々、ママとのデュエット「東京ナイトクラブ」などを挟んだ先輩のワンマンショーにつき合わされることに。まだカラオケボックスなどなかった頃の話。

ちょうどこのカラオケ初体験の頃、アニエス・ヴァルダのフランス映画「歌う女歌わない女」が公開されていた。
その映画は観ませんでしたが、「歌う、歌わない」というタイトルから連想される言葉がなぜか脳裏に沁みつきました。

カラオケのなかった時代、日本人は圧倒的に「歌わない人」が多かった。

宴会や祝事でうたうのはほとんど「のど自慢」で、他の参加者は手を叩いて調和しました。なかには小さく口ずさんでいた人もいましたが。
もちろん歌が大好き、うたうの大好きという人もいました。そういう人は職場のコーラスサークルに入ったり、地域の合唱団に入ったり、はたまた歌声喫茶に入り浸ったりして「歌う人生」を謳歌していたのでしょう。

それが経済成長がピークを迎える頃、「カラオケ」なる「歌う人育成マシーン」が登場し、昭和が終ろうとするあたりには、うたうことを隔絶された密室で愉しむことができるというカラオケボックスなるものが登場し、日本人は一気に「歌う人」がマジョリティになっていったのでした。
ということは多くの人は、もとから「歌う人」になりたかった、うたいたかったんですね。
そういう意味ではカラオケは人間のある部分を開放させた画期的な発明だといえます。

今回はYOU-TUBEでみつけた「歌う女歌わない女」を。

まずはじめは、「えっ? うたうんじゃないの…」という女というか少女を。

https://youtu.be/PqMr0zqHXQw

カーリング・ファミリーはスウェーデンのスウィングバンド。
ピアノはもちろんラッパなら何でも、というメインヴォーカルのガンヒルド・カーリング姐さんが率いるまさに家族・親戚楽団のようです。

セーラー帽をかぶった女の子はガンヒルド姐さんの娘・イドゥンちゃん。
演奏が開始されて早々にフレイムインしてきた彼女、「うたうな」「アンドリューズ・シスターズ並にお母さんにハーモニーを付けるのかな」「あれ、うたわないのかな」「2コーラスめにイドゥンちゃんのソロか」なんて思ってるうちにステップを踏みはじめ、結局演奏終了。「うたわんのかい!」とツッコミたくなるような「素敵な貴方」でした。


でも見事なチャールストンを披露してくれたから、いいですね。イドゥンちゃんの名誉のために言っておきますと、彼女は「歌わない女」ではなく、ほかのYOU-TUBEでは「アイスクリーム」とか「サニー・サイド」など、ちゃんとうたっております。あまり上手とはいえませんが。名誉にならないか。


次は「歌う少女」を。

フランスの農村で結成されたバンド。
そんな村人たちのセッションを、見物にきたピンクの上着を着た5、6歳の女の子。ポッケに手を突っ込んでおじさんやおにいちゃんたちの演奏に見とれてる。
と思いきや。

https://youtu.be/kZ1WLIA5DuE

イサクとノアはフランスのファミリーバンドの兄妹。
ギターを弾いているのが父親の韓国系フランス人、ニコラスだそうです。YOU-TUBEのトランぺッターとアコーディオニスト(トーマスおじさんだそうです)は正確にはわかりませんが、親類かニコラスの友人であることは間違いないでしょう。
イサクとノアの母親はキャサリンで、これらのYOU-TUBEを撮影しているらしい。

とにかくノアの歌声は幼いのですが、驚くべきはそのリズム感。2コーラス目の入り方に失敗しますが、いとも簡単にリカヴァリー。覚えたてのウィンクも可愛いですね。

イサクとノアのYOU-TUBEもたくさんあります(ルージュの伝言なんかも)が、なぜかラテンが多い。お母さんの影響でしょうか。

ではおまけで少し成長したイサクとノアのラテンを2つ。
まずはエクアドルの「シナトラ」、フリオ・ハラミジョが60年代にヒットさせたという「回想」REMINISCENCIASを。タイトルどおり、恋多き男が死ぬ前にどうしても逢いたひとりの女性への追慕をうたった歌です。

https://youtu.be/6ojh64c0djI

もう一曲はクバノチャント。
オマーラ・ポルトゥンドとコンパイン・セグンドで知られた「20年」Veinte años。こちらも、帰り来ぬ恋人との愛の日々を偲び嘆く歌。ノアちゃんなぜか間奏でベンチャーズの「アパッチ」を弾いてしまうというミステリー。

https://youtu.be/-9d1_W0f4gg

カラオケボックスの普及で日本人(外国人だって)の大半が「歌う女」「歌う男」に。

わたしもずいぶんお世話になってきました。
学生時代の仲間や、仕事での知人と年に何度かは恥かしげもなく鼻声を披露してまいりました。もう数十年も。
歳を重ねるごとに思うことは、結局うたうのは若い頃に聴いたりうたったりした歌。もう無理して最新ヒット曲なんてうたわない(うたえない)。
カラオケボックスとは、唯一誰憚ることなく「後ろ向き」になれる空間(前を見たって何も見えませんから)。なにしろ、あの頃の仲間たちがいるのですから。

それもコロナの影響でもはや2年あまり、過去を共有する仲間と会っておりません。淋しいことです。わたしを含め仲間は年々、気力体力が衰えていくというのに。
いまのわたしは、不本意ながら「歌えない男」なのです。

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