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Love me when I'm old [country]

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昨日は久しぶりの太陽、まるで初夏の暑さでした。

でもまだ4月。春真っ最中です。まさに盛春です。

道端の草花、公園の花壇や軒先のプランターの花々がまさに百花繚乱。モンシロチョウだけでなく、はやくもキレイなターコイズブルーをたたえた揚羽蝶が野の花にアタックを加えておりました。

家族連れ、女子高生ズ、ご同輩のカップル、外国人の団体、駐輪場の警備員、と駅前の広場はコロナなんて知らない風。
わたしも今年初めて上着を脱いで出かけました。ペットボトルも必携。マスクもまだ着けたままですが。街中を見てもノーマスクはいまだ1%に充たない。
右にならへだとか同調圧力に過敏だとか外国人から半ば揶揄していわれますが、それで弊害がでないのであればいいじゃないですか。

春の町を歩いていると申し訳ないけど鼻歌も出てこようというもの。
脳内アーカイブスから出てくるのはだいたい出だしが♪春 で始まる歌。
♪春のうららの
♪春がきた春がきた
♪春高楼の
♪春の小川は
♪春よ来い、はやく来い
♪春を愛する人は
とか。

そういえばこんな歌もありました。

https://youtu.be/87WWMvlPXA8

アイルランドの「民謡」、「春の日の花と輝く」Belive me, if all those endearing young charms は古謡で19世紀はじめに詩人のトーマス・ムーアによて詩がつけられたといわれています。トーマスはほかに「庭の千草」The last rose of summer の作詞者でもあり、「春の日…」はオックスフォードの「卒業歌」に採用されているとか。

ほかに作者はちがいますが「ダニー・ボーイ」Danny boyとか「ロンドンデリーの歌」Londonderry air もそうですが、アイルランド民謡(スコットランドもそうですが)というのはなぜか旋律がノスタルジックです。なぜなのでしょうか。
中学あるいは高校という多感な時期に音楽の授業で聴き、うたったといこともあるのかもしれませんが、当時でも音楽教師のピアノ前奏が始まると、そうした思いが胸にしみてきたような気がします。

ただ、こうした歌は今となっては聴くだけの歌になってしまいました。それでいいのですが。まさか、カラオケでうたうような歌ではありません。ひとりカラオケならいいのかもしれませんが、でも…。やっぱり気に入ったヴァージョンを聴きながら、日頃から充満している胸のモヤモヤを洗い流すのがよいようです。日本語ヴァージョンは堀内敬三の名訳が知られています。鮫島有美子でよく聴きました。

https://youtu.be/RnSD3W4V7KM

君の麗しき顔姿がいつか時の流れで色褪せてしまうとしても僕の中ではいつまでも変わらない。という至上のラヴソングを聴くと、もうひとつのアイルランド民謡が聞こえてきます。
もちろん関連はないのですが、はじめにこの歌を聴いたとき、そしてその詞を読んだとき、まるでこの歌の返歌が「春の日の花と輝く」みたいだ、と思ったものです。

https://youtu.be/5EX6_k9JVKE

[Darling, say you'll love me when I'm old]はやはりアイルランドのトラッドで、「わたしが年老いたとしてもわたしのことを愛してください」という内容で、結婚式のときにうたわれることもあるようです。
この歌もまた懐かしい旋律で、ワルツというのも泣かせます。
うたっているのはアイリッシュのカントリーシンガー、ショーン・ローリィです。


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「トリオⅡ」TrioⅡ [country]

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3人のホンキートンク・エンジェルの「Trio」がまぁまぁ成功すると、当然part2の企画が持ち上がるのがショービジネスの常。

もちろん『トリオII』(Trio II) はリリースされました。1999年に。

PartⅠの「トリオ」が1987年ですから、10年以上経ってしまいました。 
実はそのPartⅠも録音されたのが、1970年代。それが3人の所属レーベルが別々という問題からリリースに至らず、条件が整うまでに10年余りかかってしまったという現実がありました。その間、3人はそれぞれ、自身のアルバムに「トリオ」として録音した幻の曲をいくつか収録しました。もったいないものね。
たとえばエミルーなら、「ミスター・サンドマン」とか「エヴァンジェリン」とか「イーヴン・カウガール・ゲット・ザ・ブルース」を。

そしてこのpartⅡも当初、1994年に3人によって録音されましたが、やはりレーベル問題で頓挫。1997年にドリーとエミルーが当時のレーベルを離れたため、99年、ようやくコンピアルバムとしてリリースが可能になったのだそうです。
いわゆる大人の事情というヤツですが、そのほかにも3人のうち誰の名前をいちばん上に表示するかとか、それぞれのレコード会社やエージェントの間で論争があり、合意に時間がかかったとも。こうしたコラボアルバムで、序列とか写真の大きさとかシビアになるのは日本でも同じなんでしょうね。本人よりも周囲がうるさかったりして。

「トリオⅡ」の収録曲はカーター・ファミリーの「ラヴァーズ・リターン」やデル・マッコイの「アイ・フィール・ザ・ブルーズ・ムーヴィン・イン」やタンディ・ニューマンの「フィールス・ライク・ホーム」など10曲。

なかでもシングルカットされ、グラミー賞(ベスト・カントリー・コラボ・ヴォカル)に選ばれたニール・ヤングの名曲「アフター・ゴールド・ラッシュ」が光彩を放ちます。
その寓話のようであり、童話のようであり、黙示録のようでもある不思議な歌を。

https://youtu.be/4CoM9rMQuXE

せっかくですので、前回に続いてアルバムとは関係のない3人の歌を。
ルーツがカントリーであるロケン・ローを3人それぞれで。

まずは、日本でもそこそこヒットしたリンダの「バック・イン・ザ・USA」。
チャック・ベリーの1959年の曲で、1978年リンダのアルバム「ミス・アメリカ」Living in the USAのなかの一曲。日本でもシングル盤が発売され、わたしも買いました、いや神田の人生劇場でGETしました。

https://youtu.be/sXj2nQYm9kU

続いてドリー・パートン。

https://youtu.be/9pKGI-YJEPY

1957年、ジェリー・リー・ルイスのヒット曲「火の玉ロック」Great Balls of Fire 。
「ホール・ロッタ・シェイキン」Whole Lotta Shakin' Goin' On に続くジェリーのロケンロー。まさにこれらの曲でロケンローの夜が明けたわけです。
ドリーは1979年にアルバム「火の玉ロック」をリリース。このアルバムにはビートルズの「ヘルプ」も収められています。

最後はエミルー。

https://youtu.be/qjdYBzzWsew

ふたたびロケンローの神様、チェック・ベリーの「ネヴァ・キャン・テル」You Never Can Tell。1964年のリリースで、彼が売春強要で下獄していたときにつくったといわれる曲。
映画「パルプフィクション」でつかわれ話題になりましたが、エミルーは1977年のアルバム「ラグジュアリ・ライナー」で「セ・ラ・ヴィ/ネヴァ・キャン・テル」としてうたっています。


カントリーに限らずトップシンガーが3人でコラボアルバムをつくることがいかに大変なことかは理解できます。プロモーションもかねて3人そろってテレビ出演はしとようですが、ツアーなどステージにたつことはなかったようです。

松田聖子と中森明菜と小泉今日子がユニットでなんて、実現しなかった(調べてませんが)ですからね。でも全盛期に見られたらスゴかったでしょうね。今実現しても「ほおー」でしょうけど。

余計なことを言わずに「オマケ」の一曲を。
アルバムとは関係ない曲で、いわゆるアメリカのルーツミュージック。結婚式を前に病で死んでいく女性の話。
「私が死んだら柳の木の下に埋めてください。そしてときどき私に逢いに来てください」
という「悲しきソング」です。

https://youtu.be/Fua6PSz4-kY

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トリオtrio [country]

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カントリーでのトリオといえば、思い浮かぶのはドリー・パートン、エミルー・ハリス、リンダ・ロンシュタットの3人娘?。

この3人で1987年にリリースしたアルバムがまさに「トリオ」Trio。

女性カントリーの「3大テナー」というキャッチで宣伝されたこのアルバムは400万枚を売上げ、ビルボードのカントリーアルバム・チャートで5週間連続で1位になり、翌年グラミー賞のカントリー・グループ・ボーカル部門で最優秀賞をとります。

「トリオ」にはジミー・ロジャーズの「ホーボーズ・メディテーション」やトラディショナルの「紫檀の棺」、ドリーの「ワイルド・フラワーズ」など11曲が収められていますが、
シングルカットされてビルボード・カントリー・チャートでナンバーワンになったのが「つのる想い」To Know Him is To Love Him 。

https://youtu.be/TC-d2AkPqcE

この歌はカヴァで、1959年のテディ・ベアーズがオリジナル。テディ・ベアーズは今年の1月亡くなった、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」などを手がけたプロデューサー、フィル・スペクターが結成したグループ(PPMスタイルのトリオ)。彼のシンガーとしての唯一のヒット曲でもあります。「あなたの笑顔をみるため、あなたを知ろうと努力します。それがあなたを愛するということ」と、無償の愛をうたっています。

のちにビートルズやピーター&ゴードンもカヴァしていますし、日本ではモコ・ビーバー・オリーブのトリオが1969年にシングル盤(B面)をリリースしています。女3人のユニットとしては、TRIOに先がけること18年。

せっかくですから、ドリー、エミルー、リンダそれぞれの曲を独断で聴いてみたいと思います。

https://youtu.be/c1zJzr-kWsI

「コートはカラフル」coat of many colors
というタイトルだけみると、サイケな色とりどりのパッチワークでつくったコートを着たイケイケガールの歌だと思うかもしれませんが、実際はドリーの子どもの頃の思い出をうたったもの。「貧しくて上着が買えず、お母さんがハギレでつくってくれた。それを着て学校へ行くと友だちから笑われたわ。でもわたしは上着をつくってくれた母親を誇りに思うし、大きくなったらきっと成功して親孝行をしてみせる」
と健気な少女の気持ちをうたったものです。

ドリー・パートンは1946年1月のテネシー、セビア生まれ。
子役をしていたことがあるくらい芸事と歌がすきで、初レコーディングは13歳。その頃すでにカントリーの殿堂「グランド・オール・オプリ」に立っていたほどの早熟。さらに高校を出て18歳のときにナッシュビルに移って作曲活動をはじめ、スキータ・デイヴィスなどに曲を提供していたというからスゴイ。
その後、当時の人気カントリーシンガー、ポーター・ワゴナーのテレビ番組に相手役として抜擢され名を売ることに。「ラスト・シング・オン・マイマインド」など彼とのデュエット曲がヒット。

そうしてキャリアを積みソロに。1973年、「ジョリーン」がカントリーの全米ナンバーワンに。翌年には「オールウェイズ・ラヴ・ユー」も1位に輝き全盛を向かえます。
さらに1980年には映画初出演の「9時から5時」の同名主題歌を自作自演。このキャリアウーマンの嘆きはカントリーチャートはもちろん、ポップスチャートでも全米ナンバーワンに。

「マグノリアの女たち」などその後も映画やドラマにも出演し、カントリーの第一人者としてだけではなく、女優としても大成功をおさめます。

https://youtu.be/n2PUEy430Uw

「ブルーケンタッキー・ガール」blue Kentucky girl は1979年に発売されたエミルーのアルバムのタイトルトラック。
ロレッタ・リンのカヴァで、旅立つ彼に「ダイヤモンドも真珠もいらないから早く傷心のケンタッキーの傷心の女の子(自分のこと)の元に帰ってきてね」と「木綿のハカチーフ」のような「待つ少女」の心境をうたっております。

エミルー・ハリスは1947年4月、アラバマ州バーミングハム生まれ。
10代のときディランやジョーン・バエズらフォーキーの影響を受けて音楽の道を志します。1976年のディランのアルバム「欲望」ではバックコーラスで参加しています。
デビューアルバムは1969年の「グライディング・バード」。75年の3rdアルバム「エリート・ホーテル」でグラミー賞(ベストカントリー女性ヴォーカル)を獲り、以後カントリーエンジェルの仲間入りを果たします。
ちなみにこのアルバムでは彼女の代表曲のひとつになるカヴァー曲「トゥギャザー・アゲイン」(バック・オウエンス)と「スウィート・ドリームズ」(パッツィ・クライン)がシングルカットされています。

「ブルー・ケンタッキー・ガール」は彼女のもっともカントリーっぽさがあふれたアルバムで、因縁のグラム・パーソンズの「ヒッコリー・ウインドウ」や、ドリフターズでヒットした「ラストダンスは私に」などが収められています。
またこのアルバムでも1980年のグラミー賞(最優秀カントリー・ヴォーカル)を受賞しています。

https://youtu.be/DOAjOdn7YP0

リンダ・ロンシュタットは1946年7月、アリゾナ州ツーソン生まれ
歌好きの両親の影響で幼いころからポップスやフォークに親しみ、デビューは1967年、PPMスタイルのフォークロックバンドでしたが、そのあとすぐにソロデビュー。
1974年、アルバムからシングルカットされた「悪いあなた」で全米1位に。
75年にカントリーで、76年にはポップスの女性ヴォーカルでそれぞれグラミー賞を獲っています。
1977年のアルバム「夢はひとつだけ」と78年の「ミス・アメリカ」で世界的なポップシンガーとしても認知されます。

紹介した「金の糸に銀の針」silver threads and golden needles は1956年にワンダ・ジャクソンがはじめて録音したカントリーで、その後、スキーター・デイビス、ローズ・マドックスなどにカヴァーされ、リンダは1969年、ソロになってからのデビューアルバム「ハンド・サウン」で一曲に加えています。

不実な彼に「お金や名声でわたしの心を買うことはできないわ。わたしの傷ついた心は金の糸と銀の針でも繕うことはできないの」とうたっております。

カントリー3人娘はほぼ同年代ですが、ドリーが「長女」、リンダ、エミルーが「次女」、「三女」といったところ。
リンダとエミルーはもともと友人で、二人と交流のあったドリーが声をかけてこのコンピレーションは成立したのでは。(もちろんプロデュサーがいるので、単なる推測ですが)
結果は好評で当然「第二弾」の話がでたのですが……。

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盗作だとか剽窃だとか part2 [country]

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調子に乗って「似た歌(曲)」アゲインです。

カントリー、あるいはオールド・タイミー、ルーツミュージックと呼ばれるアメリカの古い歌のファンの間では「似すぎている」と言われているのがこの曲。

https://youtu.be/4QCpJpGbN_Y

そしてその元歌といわれるのがこの歌。

https://youtu.be/qjHjm5sRqSA

[Will the circle be unbroken]は元々讃美歌で、それを1930年代、カーター・ファミリーが詞をアレンジし、広く知られるようになった歌。邦題は「永遠の絆」といいなぎら健壱がカヴァーしています。
母親の死にたちあった少年が、悲しみに打ちひしがれながらも家族の絆を守っていきたいと強く願う歌で、アメリカでも広く知られたセイクレッドソングです。

それが1970年代に入るとり、カントリーロックのバンド、ニッティ・グリティ・ダートバンドが多くのカントリーシンガーを巻き込んだ同名のアルバムがヒットし、再評価されました。その後カントリー系を中心に多くのシンガーが持ち歌にしております。

https://youtu.be/36xj-2B_ZBQ

まぁ、甲本ヒロトがカーター・ファミリーを聴いていたとは思えないので、もしインスパイアされたとしたらニッティ・グリティじゃないでしょうか。
カーター・ファミリーをベースにしてると思えるのはこちらの歌では。

https://youtu.be/XcUhACXKx7g

もう一曲これも70年代はじめ日本でよく聴かれたカントリー調の和製フォーク。

https://youtu.be/4xnXZntMB5w

70年安保で挫折した学生たちが愛した歌、なんて解説を読んだことがありますが、60年代安保の「アカシヤの雨がやむとき」ともども、かなり強引な伝説。
ただヒットしたことは間違いなく。日本人の「さすらい幻想」を喚起したことも間違いありません。

https://youtu.be/sIo5x-q1GNo

これはハンク・ウィリアムズの「淋しき汽笛」I Heard That Lonesome Whistle。

家も彼女も失い刑務所入りした男が夜な夜な外から聴こえる淋しい汽笛をききながら、来し方を後悔するという「どうにもならない」歌。
自由を求めて旅立つ「どうにかなるさ」とはまるで違う内容。

ムッシュはもともと日本のカントリーシンガーからスタートし、ロカビリアン、グループサウンズ、フォークシンガーと時代の波をうまく乗り切ったシンガーソングライターサ。トライはしたけれど唯一乗り切れなかったのが平尾昌晃、守屋浩、水原弘らのような歌謡曲シンガーでしたが。

彼の名をもっとも知らしめたのがスパイダース時代。
その引退後のセカンド・ソロアルバムが「どうにかなるさ」。
彼の自伝「ムッシュ」(面白い!)では、「どうにかなるさ」のあとのビッグヒット「我が良き友よ」について吉田拓郎との交流も含めてそのメイキングを詳細に綴っていますが、「どうにかなるさ」については「カントリー&ウエスタン調の歌をつくった」とだけで、あっさりしたもの。
ソングライターがメイキングについては詳細に語りたがらないものなのでしょうが、やっぱりどこかうしろめたい気持ちもあったのではないでしょうか。インスパイアの域を超えていますからね。
でも、日本人の9割以上はハンクの「淋しき汽笛」なんて知りませんからいいのかも。

ただカントリーファンとしては、「赤色エレジー」の作曲が八洲秀章ならば、この歌もどこかにハンクのクレジットを入れてほしいとは思います。
とはいえ、恥ずかしながら当時牢屋のような狭い部屋で弾き語りなどしていたくらい好きな歌ではあるのですが。

最後に、もう一曲。
最近YOU-TUBE巡りをしていて「あれっ?」と思った曲を。

https://youtu.be/uq4pe0cKQc0

ボブ・ディランの60年代の歌、「時代は変わる」The Times They Are A Changin
YOU-TUBEはバックバンドだったバーズがうたっています。
何の歌に似ていると思ったのか、これは僭越ですがクイズということで。あくまで部分的に似ていると思っただけで、盗作だとか剽窃だとか言うつもりはさらさらありませんから。
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雪よ降れ [country]

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明日、北海道は雪だといいます。
東京はというと、とうとう今年の冬は雪が積もりませんでした。
豪雪地帯の人たちには申しわけありませんが、雪の積もらない冬はつもらない。いやつまらない。
これもそれもコロナのせいだ。と、言いたくなる。
でも、過去には4月に入って雪が降り、積もったこともあったから、まだあきらめるのは早い、と言っておこう。


雪が積もったら絶対に聴きたくなる、そして口ずさみたくなるうたがエミルー・ハリスの「雪に映える薔薇」Roses in the snow 。

https://youtu.be/l-r8Vm6UCIM

彼と出会ったのは春。
そして6月に結婚しました。

それから輝ける日々が続き、雪が積もった12月の晴れた日、
わたしたちは、雪の上に真赤なバラを置きました。

その後彼は天に召され、雪の上の薔薇の想い出が残りました。

やがて彼が眠っている丘にも花咲きみだれる、春がやってきます。
そして季節が移り、冬が来ると、わたしは雪の積もった彼の墓に赤いバラを供えるのです。

というまるで、八代亜紀の「ともしび」を彷彿とさせる湿り気たっぷりのブルーグラスソングです。

エミルーの最も美しい歌ですね。
はじめのYOU-TUBEの見どころは、ユニオンステーションを引き連れたアリソン・クラウスのハーモニー。なんとも贅沢。さらにいえば間奏でジェリー・ダグラスのドブローが聴けるという至福のセッション。惜しむらくは映像のシャープさにやや駆けること。文句を言ってはいけません、UPしてくれた方に感謝あるのみです。

東京も雪景色を見ないまま、もうすぐ春がやってきます。

いくつになっても「春が来る」予感に言い知れぬうれしさで頬がほころびます。たとえコロナで自粛を余儀なくされるとしても。
みいちゃんだって、「おんもへでたいと」待っているのですから。

最後に春を待ちわびる歌を。離ればなれになる愛する人に「春がまた来れば逢えるじゃないか」というブルーグラスを。

https://youtu.be/XuWn8wZDIjI

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でも結局は青い草 [country]

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バンジョーにもいろいろありますが、やっぱりブルーグラスでの速弾きバンジョーの爽快感がいちばん。

https://youtu.be/weRevEv-GQQ

あのスリーフィンガーのピッキングをつくりあげたのがアール・スクラッグス。スクラッグス奏法なんていわれています。
ブルーグラスのうみの親、ビル・モンローのバンド、ブルーグラスボーイズのメンバー時代にこの奏法を会得したといわれています。

ブルーグラスの名曲は数々ありますが、やっぱりマイナーなジャンルなので、一般にはどの曲も同じように聴こえて印象に残らないようです。

そんななかでも、カントリーやブルーグラスのファンでなくともなんとなく耳にしたことがあるという曲がいくつかあります。
それは曲の力というよりは、メディアミックスつまりテレビや映画の力を借りて一般に知れ渡ったものなのです。

まずは60年代前半のTVコメディの主題歌。

https://youtu.be/OvE9zJgm8OY

アメリカでは10年余り続く人気ドラマとなったようですが、日本でも「じゃじゃ馬億万長者」のタイトルで一年余り放映されました。アメリカほどではないので、それほど浸透はしていないかもしれませんが。
アールはこの主題歌The Ballad of Jed Clampett でスクラッグスピッキングを披露しています。

その後、60年半ばから70年代前半にかけてふたつの映画でブルーグラスナンバーが注目されるました。

はじめは 60年代のアカデミー賞映画。「イージー・ライダー」や「真夜中のカーボーイ」とともにアメリカン・ニューシネマの代表的な作品。

https://youtu.be/7rf9mAmFBEk

フェイ・ダナウェイがカッコよかった。ジーン・ハックマンの演技がリアルだった。ふたりともこの映画がのちのブレイクのキッカケとなった記念碑的作品。ほかではバローギャングのドライバーとして雇われるC・W・モスのクセ者感がスゴかった。演じたのがマイケル・J・フォックスではなくて、ポラード。あのダブルチンはいまでも忘れられません。

このFoggy Mountain Break Downを作り、演奏したのがアール・スクラッグス。アールはこの曲で映画公開のよく翌年にグラミー賞を獲っています。


2曲目は(これで最後ですが)、70年代はじめに作られた映画。バート・レイノルズやジョン・ボイドが出演したアドヴェンチャー映画といえば洋画ファンはピンとくるのでは。
この映画で使われて話題になった曲は50年代にアーサー・スミスがつくったもの。

https://youtu.be/gsC4kf6x_Q0

とにかくスミスが意図したギターとバンジョーのファイトが凄かった。映画の中では若干トウトツ感もありましたが。演奏が終わったあと、少年が握手を拒むところがこの映画の後半を象徴しているようで。この曲が地獄への序曲になるとは。衝撃的な映画ではありました。

しかし、この映画といい「じゃじゃ馬億万長者」といい、どこかアメリカ南部のヒルビリーに対する誇張というか、偏見があるんじゃないかというのは穿ちすぎ?


ところで、このバンジョーのブログを書くキッカケとなったバンジョーイントロのJPOPSですが、その後もういちど有線で聴く機会があり、そのとき歌詞の一部をしっかり記憶して家へ戻り、パソコン検索の結果判明いたしました。

https://youtu.be/rUdoV_DAnko

湘南乃風、その名前は聞いたことがありましたが、曲は聴いたことがなかった。でもこの曲はカントリーの匂いもしてなかなかいい曲です。
あいみょんといいこの湘南乃風といい、もしかしたらオールドファッションのシンガーでありユニットなのかなぁ。だから年寄りにもウケるのでは。よくわかりませんが。

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