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トリオtrio [country]

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カントリーでのトリオといえば、思い浮かぶのはドリー・パートン、エミルー・ハリス、リンダ・ロンシュタットの3人娘?。

この3人で1987年にリリースしたアルバムがまさに「トリオ」Trio。

女性カントリーの「3大テナー」というキャッチで宣伝されたこのアルバムは400万枚を売上げ、ビルボードのカントリーアルバム・チャートで5週間連続で1位になり、翌年グラミー賞のカントリー・グループ・ボーカル部門で最優秀賞をとります。

「トリオ」にはジミー・ロジャーズの「ホーボーズ・メディテーション」やトラディショナルの「紫檀の棺」、ドリーの「ワイルド・フラワーズ」など11曲が収められていますが、
シングルカットされてビルボード・カントリー・チャートでナンバーワンになったのが「つのる想い」To Know Him is To Love Him 。

https://youtu.be/TC-d2AkPqcE

この歌はカヴァで、1959年のテディ・ベアーズがオリジナル。テディ・ベアーズは今年の1月亡くなった、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」などを手がけたプロデューサー、フィル・スペクターが結成したグループ(PPMスタイルのトリオ)。彼のシンガーとしての唯一のヒット曲でもあります。「あなたの笑顔をみるため、あなたを知ろうと努力します。それがあなたを愛するということ」と、無償の愛をうたっています。

のちにビートルズやピーター&ゴードンもカヴァしていますし、日本ではモコ・ビーバー・オリーブのトリオが1969年にシングル盤(B面)をリリースしています。女3人のユニットとしては、TRIOに先がけること18年。

せっかくですから、ドリー、エミルー、リンダそれぞれの曲を独断で聴いてみたいと思います。

https://youtu.be/c1zJzr-kWsI

「コートはカラフル」coat of many colors
というタイトルだけみると、サイケな色とりどりのパッチワークでつくったコートを着たイケイケガールの歌だと思うかもしれませんが、実際はドリーの子どもの頃の思い出をうたったもの。「貧しくて上着が買えず、お母さんがハギレでつくってくれた。それを着て学校へ行くと友だちから笑われたわ。でもわたしは上着をつくってくれた母親を誇りに思うし、大きくなったらきっと成功して親孝行をしてみせる」
と健気な少女の気持ちをうたったものです。

ドリー・パートンは1946年1月のテネシー、セビア生まれ。
子役をしていたことがあるくらい芸事と歌がすきで、初レコーディングは13歳。その頃すでにカントリーの殿堂「グランド・オール・オプリ」に立っていたほどの早熟。さらに高校を出て18歳のときにナッシュビルに移って作曲活動をはじめ、スキータ・デイヴィスなどに曲を提供していたというからスゴイ。
その後、当時の人気カントリーシンガー、ポーター・ワゴナーのテレビ番組に相手役として抜擢され名を売ることに。「ラスト・シング・オン・マイマインド」など彼とのデュエット曲がヒット。

そうしてキャリアを積みソロに。1973年、「ジョリーン」がカントリーの全米ナンバーワンに。翌年には「オールウェイズ・ラヴ・ユー」も1位に輝き全盛を向かえます。
さらに1980年には映画初出演の「9時から5時」の同名主題歌を自作自演。このキャリアウーマンの嘆きはカントリーチャートはもちろん、ポップスチャートでも全米ナンバーワンに。

「マグノリアの女たち」などその後も映画やドラマにも出演し、カントリーの第一人者としてだけではなく、女優としても大成功をおさめます。

https://youtu.be/n2PUEy430Uw

「ブルーケンタッキー・ガール」blue Kentucky girl は1979年に発売されたエミルーのアルバムのタイトルトラック。
ロレッタ・リンのカヴァで、旅立つ彼に「ダイヤモンドも真珠もいらないから早く傷心のケンタッキーの傷心の女の子(自分のこと)の元に帰ってきてね」と「木綿のハカチーフ」のような「待つ少女」の心境をうたっております。

エミルー・ハリスは1947年4月、アラバマ州バーミングハム生まれ。
10代のときディランやジョーン・バエズらフォーキーの影響を受けて音楽の道を志します。1976年のディランのアルバム「欲望」ではバックコーラスで参加しています。
デビューアルバムは1969年の「グライディング・バード」。75年の3rdアルバム「エリート・ホーテル」でグラミー賞(ベストカントリー女性ヴォーカル)を獲り、以後カントリーエンジェルの仲間入りを果たします。
ちなみにこのアルバムでは彼女の代表曲のひとつになるカヴァー曲「トゥギャザー・アゲイン」(バック・オウエンス)と「スウィート・ドリームズ」(パッツィ・クライン)がシングルカットされています。

「ブルー・ケンタッキー・ガール」は彼女のもっともカントリーっぽさがあふれたアルバムで、因縁のグラム・パーソンズの「ヒッコリー・ウインドウ」や、ドリフターズでヒットした「ラストダンスは私に」などが収められています。
またこのアルバムでも1980年のグラミー賞(最優秀カントリー・ヴォーカル)を受賞しています。

https://youtu.be/DOAjOdn7YP0

リンダ・ロンシュタットは1946年7月、アリゾナ州ツーソン生まれ
歌好きの両親の影響で幼いころからポップスやフォークに親しみ、デビューは1967年、PPMスタイルのフォークロックバンドでしたが、そのあとすぐにソロデビュー。
1974年、アルバムからシングルカットされた「悪いあなた」で全米1位に。
75年にカントリーで、76年にはポップスの女性ヴォーカルでそれぞれグラミー賞を獲っています。
1977年のアルバム「夢はひとつだけ」と78年の「ミス・アメリカ」で世界的なポップシンガーとしても認知されます。

紹介した「金の糸に銀の針」silver threads and golden needles は1956年にワンダ・ジャクソンがはじめて録音したカントリーで、その後、スキーター・デイビス、ローズ・マドックスなどにカヴァーされ、リンダは1969年、ソロになってからのデビューアルバム「ハンド・サウン」で一曲に加えています。

不実な彼に「お金や名声でわたしの心を買うことはできないわ。わたしの傷ついた心は金の糸と銀の針でも繕うことはできないの」とうたっております。

カントリー3人娘はほぼ同年代ですが、ドリーが「長女」、リンダ、エミルーが「次女」、「三女」といったところ。
リンダとエミルーはもともと友人で、二人と交流のあったドリーが声をかけてこのコンピレーションは成立したのでは。(もちろんプロデュサーがいるので、単なる推測ですが)
結果は好評で当然「第二弾」の話がでたのですが……。

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