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ユア・マイ・サンシャインをうたって [country]

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きょうは、昨晩からの歯痛(いつも土日に襲われる)のため、鎮痛剤をのんで部屋でおとなしくしております。
テレビでスポーツ観戦をしながら、このブログを書いております。
もはや晩秋でしょうが、さすがスポーツの秋。思わず見入ってしまう熱戦の数々でした。

女子ゴルフはプレイオフでみごとなバーディで勝った山下美夢有。小柄な選手ですが年間賞金王だそうで、比類なきパッティングセンスはみていて唸ります。ゴルフがパワー戦でないことをみごとに証明しています。優勝インタビューで声をふるわせて恩師でもある父親に感謝していたのが印象的でした。

その前にみた実業団女子駅伝も面白かった。結果は資生堂が久々に優勝したのですが、3区がスゴかった。新谷仁美(積水化学)、 一山麻緒(資生堂)、廣中瑠梨佳(JP日本郵政グループ)の激戦。トップでタスキをつないだのは廣中だったが、区間賞はわずかの差で新谷でした。最近にない日本の長距離トップランナーたちの闘いは見ごたえがありました。

ジャパンカップもスゴかった。結果は日本馬のワンツウスリー。むかしからそうだが海を
渡ってくる海外馬は不利。私的ですが、わたしの本命馬は5着。いつもどおりのタテ目で馬券吹雪が舞いました。

相撲は千秋楽。一歩リードの高安が阿炎にかき回されて土俵下に突き落とされた。そんなにわるい相撲ではなかったけれど、かたくなっていたのかな。ほんとうにツキがないというか。肝心のところでとりこぼす。でも決定戦で再戦で勝てそうな気が。結びの貴景勝も気迫で若隆景に勝って(ガッツボーズしていた)巴戦に。高安に勝ってほしいけど、阿炎かな。

前回の続きでスタットラー・ブラザーズをもう一度。

1964年にデビューし2002年、解散・引退するまで40年弱の音楽活動だったスタットラー・ブラザーズ。
カントリーファンだけでなくポップスファンにも知られたヒット曲があるわけでもなく、日本でもカントリーファン以外はまず知られていないコーラスグループですが、グラミー賞もいくつか獲っていますし、アメリカのカントリーシーン、とりわけゴスペルやセイクレッドソングではそれなりに貢献したグループでもあります。
ある作家は彼らのオリジナルソングの詞がとても「詩的」だと指摘しています。ほぼ作詞作曲はハロルドとドンのリード兄弟がおこなっています。

カントリーソングの変わらぬテーマのひとつに「ノスタルジィ」があります。
緑豊かな谷間。そこに建つ古びたわが家。ランプの下で過ごした一家の団欒。丘の教会とその鐘の音。祭りの夜のダンスパーティ。そして仕事や進学のための故郷との別れ。好きだった女の子(男の子)との切ない別離。
などなど。カントリーソングには田園風景を背景に(若い)男女の生活の営みがうたわれているのです。それが1940年代から50年代にかけてのカントリー。いまでいうカントリークラシック。

スタットラー・ブラザーズに対する評価のひとつとして、そうしたかつての自然に囲まれた故郷のノスタルジーを「郊外」のノスタルジーに変えたことをあげる評論家がいます。
20世紀初頭にうたわれたアメリカの田舎も、第二次世界大戦を経て大きく近代化されるなか、50年代、60年代になると郊外といえども豊かな生活の恩恵を受け、そうした日々が10年20年のちにはノスタルジックな日常としてアメリカ人たちに共有されていったのです。そういう甘酸っぱい郷愁を美しいハーモニーでうたってくれたのがスタットラー・ブラザーズでした。

そんなスタットラー・ブラザーズのノスタルジックなオリジナルソングをいくつか。

まずはいずれも全米カントリーチャートのトップ10に入った2曲。いずれもデビュー9年目の1972年にリリースされています。

まずは[do you remember these]こんなことあんなこと 。その年のカントリー・チャート2位にランクされたヒット曲。動画は彼らの映像ではなく、何が流行っていたのかが垣間見える動画で。

https://youtu.be/puGQsQux80k

彼ら(スタットラー・ブラザーズ)が子どもだった頃、ティーンネイジャだった頃(1950年代)に一世を風靡したり、流行った物や事柄の数々をうたっています。

アメリカでラジオ放送がはじまったのが1920年、それから約20年後の1941年にテレビ放送(白黒)が始まっている。したがって50年代になるとテレビは全米でかなり普及し、オールアメリカンで娯楽やファッション、物事などが共有されるようになります。日本は50年代半ば頃からテレビが出はじめ、急激に普及したのが60年代前後なので、アメリカから約10年遅れてテレビ時代が始まったことに。

そして大人になり、同世代の集まりで、むかしの事柄や出来事が話題になり盛り上がる「ナツカシズム」は日本でもおなじことのようです。

で、50年代のアメリカではどんなものが流行ったのかというと、YOU-TUBEでみたような事柄で、多いのが髪型や服装、靴などのファッション、マンガや映画のキャラクター、清涼飲料、コレクショングッズなど。ツェッペリン号炎上墜落や大統領選の大誤報など社会的ビッグニュースも子どもたちの話題になったようです。
日本とはいささか異なるのがハイスクールでのダンスパーティ(一部ありましたが)や父親への「鍵ねだり」(クルマを持つことがステイタスだった)。

日本の60年代で言ったら、たとえば「巨人の星」「おそ松くん」「石原裕次郎」「アイビールック」「ミニスカート」「パンタロン」「VAN」「JUN」「バイタリス」「MG5」「コント55号」「リカちゃん人形」「人生ゲーム」なんてところでしょうか。


このdo you remember these のアイデアソングのヒットで柳の下の何とかを狙ったのか数カ月後にリリースしたのが[class of '57] 1957年の同窓会。

https://youtu.be/RLr_C8QqPWg

前回は20年あまり前に流行した物や事柄をただ連呼するというアイデアでしたが、今回は20年前のハイスクールの級友たちが、その後どういう仕事に就いたのか、あるいはどんなハプニングがあったのかという「あの人は今」を名前入りでうたいあげています。こちらも前作ほどではありませんでしたが、それでもカントリーチャートで6位にランクインしています。

内容は級友たちの卒業後の仕事が中心になっていて、「トミーは中古車販売、ナンシーは美容師をしている」で始まり、トラックドライバー、生命保険の営業、工場勤務、小学校の先生、教会のオルガン弾きなどと級友の現状を紹介していきます。なかにはレイのように借金まみれになっていたり、マービスのようにいまだフーテン生活で、級友の誰もが彼がどうなるのか気にしているというヤツがいたり。マービスはきっとハイスクール時代、クラスの人気者だったのでしょうね。

そしてありがちな同級生同士の結婚。リンダはソニーと結婚し、ブレンダは私と結婚したと。「私」とはこの歌の作者でありスタットラー・ブラザーズのバスを担当しているハロルド・リードのことで、実際に彼の奥さんの名はブレンダ。
ただ、同級生結婚で皆が幸せになっているわけではなく、ジョーの奥さんを寝取ったフレディはそのジョーに殺されたなどという悲劇もあったり。

いろいろな人生があるけれど57年のクラスには夢があった。誰もが自分の描いた世界が実現すると思っていた。でも現実は思い通りにはならない。18歳を過ぎると事態は複雑になっていくのだ。しかし、あの年のわれらがクラスに夢があふれていたことは間違いなかった。と結んでいます。


最後は[do you know you are my sunshine]ユア・マイ・サンシャインをうたって 。
1978年のシングル。ビルボード・カントリー・チャートで初めてのナンバーワンになった歌。

https://youtu.be/VxT3Mf1i8TY

「ユア・マイ・サンシャイン」は1940年、後にルイジアナ州知事になったジミー・デイヴィスとチャーリー・ミッチェルによってつくられた(版権を買っただけという説も)カントリーソングで、ジーン・オートリーやビング・クロスビーなどでヒットとなり、以後多くのシンガーによってうたいつがれている歌でもあります。

スタットラー・ブラザーズのdo you know, you are my sunshine は彼らがライブ中に聴衆に向かって『「ユー・アー・マイ・サンシャイン」って歌、知ってますか?』とコールしている歌ではなく、ちょっとしたラヴソングなのです。

コンサートで演奏者の僕は観衆のなかに太陽のように輝くひとりの少女をみつけた。そしてなんとその少女は一曲を演り終えた僕らのいるステージに近寄ってきて、
「ねえ、『ユア・マイ・サンシャイン』演ってくれませんか?」
とリクエストしてきた。そして「この歌をもう一度聞きたいの。だから私のために歌ってくれませんか」と可愛い声で言ったのだった。

それからあの娘は僕の前から消えてしまったけれど、僕はどこのコンサート会場へ行っても、必ず「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を歌い、大勢の観衆の中に彼女がいないかといつも探しているんだ。

という歌。ファンが好きなバンドに熱視線を送るコンサートで反対に演奏者がファンに一目惚れするという、これもありそうであまり聞かないストーリー。
当時から遡っても40年近く前の歌も懐かしいですが、バンドの純なボーカルが好きになったひとりのファンを探し求めるというシチュエーションは、かの「アメリカングラフィティ」の主人公が白い車の女性を探して町じゅうをクルマで走り回るという純情に似てノスタルジィを感じてしまいます。

この歳になりますと、もはや小・中・高の同窓会は霧消してしまい、誰が何処で何をしているかなど、風の便りさえほぼ聞こえてきません。ただ死んだヤツの噂は何人か伝わってくるのはなぜなのでしょうか。
唯一残っていた大学時代の少人数のささやかな「同窓会」もコロナで延期しているうちに昨年世話役が死んでしまい、はたしてこのあとどうなることやら。

ただ「1957年の同窓会」を聴くと、やっぱり無垢でオモロイことばかり考えていて、思い返してもいちばん楽しかった高校時代の級友たちには会ってみたい、という気持ちはあります。というよりは、あの時の自分に時代に戻って彼らに会いたいというのが本音でしょうか。
オマケの歌を。当時級友たちのたまり場になっていた「ヒミツのアパート」で夜な夜な下手なギターを弾きながら暴唱していたナツカシソングを。

https://youtu.be/LR-T2qTLF6o

大相撲の結果は初戦で阿炎が高安を破り、そのとき高安が脳震盪で一時土俵から立てなくなるというアクシデントで大波乱。そんなわけで阿炎、貴景勝は勝った方がほぼ優勝。やっぱり勢いに乗った阿炎が数秒で大関を突き出して初優勝。横綱不在、大関不調の今場所でしたが、ニューカマー登場のしめくくりで良かったのでは。
スポーツ三昧の仕上げはもちろん日本―コスタリカ戦。

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