雨にぬれても [day by day]
きょうはえらい目にあいました。
買い物の帰り道、店に入る前はあんなに晴れていたのに、10分あまりで曇天になり、雨がポツリポツリ。そしてパラパラ、シトシト、やがてザーザー。
家まで5、6分。急いでいるわけではないので一瞬、どこかで雨やどりしてやり過ごそうとも思いましたが。すぐに止むのではないかという根拠なき確信で信号を渡り家路へ。
雨はどんどん激しくなり、やがて集中豪雨のように。
ビルの入り口に駆け込み、買った食料品をバッグの中へ、さらにバッグから帽子を取り出して被り、レッツゴー。
もう止まらない。
豪雨の中を諦めの境地で、走るでもなく速足になるでもなく、忌野清志郎ではないけれど、「どうぞ勝手に降ってくれ、いつまで続くのか見せてもらうぜ」なんて思いで、濡れネズミになりながら帰っていきました。
こんなにひどく雨に濡れたのは多分、子どもの頃以来ではないでしょうか。いくらかそうした「子どもかえり」を楽しんでいた節も。
そうでした、今日は昨日から買いたてのシャツとズックで出かけようと決めていたのです。
ただ朝、出かける直前になってゴミ箱へ放り込むはずだった古い靴(信じがたいことですが、6年あまり履いております。だいたいは寿命2年)に「いいのか? 冷たいじゃないか」と言われたような気がして、じゃあもうしばらく、と思い直しておニューはシャツだけにしたのでした。
もちろん新品のシャツは川に落ちたような有様。古い靴の中の靴下もはっきり濡れた感覚がありました。帰って着替えるともちろん下着までビッショリ。
カバンのなかもかなり雨水が侵入しておりましたが、食料品はエコバッグにしっかり守られていて無事でした。ただ、バッグのポケットに入れておいた新書本がグッショリ。まだ半分も読んでいないのですが。もちろん棄てずに乾かして読むつもりですが。
とても新鮮な経験でしたが、もういいです。今度こんなことがあったら、どこかで雨宿りをするかタクシーを拾うつもりです。
久しぶりに日本の歌を。
「雨に濡れる」という歌はけっこうあります。
そんななかから1950年代、60年代、70年代、80年代(まぁ早く言うと昭和ですね)の歌を。
まずは1957年、昭和でいうと32年。歌謡曲の時代。
高度経済成長の前期、ようやく日本人にも余裕がでてきて、裕福な家ではテレビが登場したころ。知られた小説を題材にするという歌も少なくなかった。
こういう歌謡曲をいまの若い人はどういうふうに受け止めるのでしょうか。40年代のフォーク世代が大正時代の「籠の鳥」を聴いたときの「ふるくさい」感じなのでしょうか。といっても「籠の鳥」も知らないか。
https://youtu.be/dSK_XFUWZaA
つづいて1968年(昭和43年)のデュエット曲。
いまでも「銀恋」とか「東京ナイトクラブ」、「カナダからの手紙」などと一緒にオールド歌謡曲ファンがカラオケでうたう歌。この頃はテレビの音楽ベストテン番組が隆盛で、歌謡曲のポップス化がはじまっておりました。
https://youtu.be/SmtVfGsG_b0
3曲目は1972年(昭和47年)の和製フォーク。しばらくはフォークブームが続くのですが、この歌はプロテストでもメッセージでもない、歌のベーシックなテーマであるラヴソング。この時代は政治の季節でもあったのですが、このシンガーは潔いほど政治には背を向けておりました。あえてそうした社会の動きに「でもさ」と異論をはさんだ歌。
https://youtu.be/B0Y049RpIZc
最後は1981年(昭和56年)の歌謡ポップス。
ニューミュージックが全盛の頃で、かつてのフォークシンガーや当時のニューミュージック系シンガーソングライターがアイドルシンガーに曲を提供するというかたちが多かった。このシンガーも桑田佳祐や松山千春の歌をうたっておりましたが、この歌はポプコン出身のシンガーソングライターがつくった歌。
https://youtu.be/en4b8MQ7qqs
ジェリー藤尾さんがお亡くなりになりました。
このブログを書きながら豪雨の中でずぶ濡れになりながら日本刀を振り回す男の映像が浮かんでまいりました。黒澤明監督の「どですかでん」の中でジェリーさんが演じた酒乱の男の役です。俳優としても個性的な方でした。ご冥福をお祈りいたします。
ジェリーさんの歌を+ワンで。よく見ていたテレビ番組のテーマソング。
https://youtu.be/wkS_0EdHrTM
ところで6年生の古靴は雨でグショグショヨタヨタ。踵は減って雨はしみてくるけど穴があいているわけではないし、皮(ビニール)が剥げてもいない。とにかく「私情稀」なタフな靴なのです。さすがに今日の豪雨で死んだようになっておりますが。
そろそろ引導を渡すべきか。でも愛着も一入なのです。どうしたものか思案しております。