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夜霧のブルース [歌謡曲]

夜霧のブルース.jpg

石原慎太郎が亡くなった。
テレビでは在りし日の彼の映像を流しています。

https://youtu.be/Ha9nQDSPTnM

そんななかに、弟裕次郎とデュエットする40代くらいの彼の動画があった。
以前YO-TUBEで見たことのあるものでした。石原慎太郎の歌声が見聴きできる貴重な映像です。

歌は昭和22年にヒットしたディック・ミネの「夜霧のブルース」。

https://youtu.be/4vzVzOS_-oE

同年封切られた映画「地獄の顔」の主題歌のひとつで、映画は日本のウィリアム・ホールデン(と個人的にいってます)こと水島道太郎の主演で、ディック・ミネもちょい役で出ていた。水島道太郎は歌も上手で、ミネ亡き後、よく「夜霧のブルース」などミネの歌を披露しておりました。

映画もヒットした(多分)でしょうが、それ以上に「夜霧のブルース」が巷のすみずみにい流れていったようです(未生ですので見たわけではありませんが)。
ワイルドサイドを生きるいかにも男くさく、さらにはどこかあニヒリズムをまとったような男に、終戦間のない日本の若者の一部が共感したようです。
素直でなくて反抗的で、いわば「不良」(自称・他称問わず)と呼ばれる若者たちの琴線を鷲づかみにしたような流行歌だったようです。
♪男同士の合々傘で なんていうと 昭和残侠伝の高倉健と池部良をイメージしてしまいます。

ともにいまでいう中学生だった石原兄弟は「大人なんか信用できない」「真面目なんかになれない」といういわば「不良」予備軍で、このカタギではない歌、そしてそれをうたったこれまた硬派と軟派を兼ねそなえたような、およそ真面目とはいいがたい歌手、ディック・ミネに魅かれたのではないでしょうか。
いってみれば「俺たちの兄貴」(いささか歳は離れていますが)のような存在だったのかも。少し前でいうと一部の「不良」が矢沢永吉を盲目的に支持したように。
そういえば、高倉健も同世代でやはり当時「夜霧のブルース」を口ずさんでいたというようなことが彼の著書に書かれていました。

誰かの本にあるように「男はみんな不良だった」(なわけはないけど)の伝でいえば、あの頃「男はみんな夜霧のブルースを口ずさんだのよ」ということになる。

ディック・ミネはたしかにどこか不良の匂いがただよう歌手で、実際戦前、東京の浅草で「不良の神様」と呼ばれ、戦後ボクシングジムを開いてチャンピオンも育てた益戸克己と親交があったとか。
益戸会長が亡くなったとき、ボクシングのメッカ後楽園ホールで追悼式がおこなわれたのだが、そのときディック・ミネがリング上から「夜霧のブルース」をうたった。

「夜霧のブルース」の作曲は大久保徳二郎。戦前からのテイチク専属の作曲家で、ディック・ミネの「或る雨の午後」や「上海ブルース」を書いています。また映画音楽も多く手掛けた。
作詞はやはりテイチク専属(昭和40年代ころまでは専属制度が当たり前でした)の島田磬也(きんや)。
佐伯孝夫やサトウハチローと同じ西條八十門下で、上記のディック・ミネの歌のほか上原敏の「裏町人生」や赤坂小梅の「黒田節」、霧島昇の「白虎隊」などを書いています。

また、映画「地獄の顔」は「夜霧のブルース」のほかにも三つの主題歌というか挿入歌があり、渡辺はま子の「雨のオランダ坂」(曲・古関裕而、詞・菊田一夫)も大ヒットしましたが、もう一曲、大久保・島田コンビでディック・ミネが藤原千多歌とデュエットした「長崎エレジー」もヒット。

おまけはディック・ミネの戦前のヒット曲を。

https://youtu.be/iN1cdFSffM8

冬季五輪がはじまっております。
チラチラ、ジロジロ見ております。
昨日の高木美帆と高梨沙羅は残念でした。高梨はどうも運が巡ってこないようですね。これで引退となってしまうのでしょうか。高木はなんとか銅メダルをと思っていたので6位は残念。個人では得意の1500m以外でも500と1000もありますから、最低ひとつは金を撮ってくれるのではないでしょうか。
いま、男子のジャンプ、ノーマルヒルで小林 陵侑 が断然の金メダル。スゴイのひと言。


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