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フォークはどこへ行った [folksongs]

kingston trio02.jpg

https://youtu.be/kguj_dz9JjI

昭和40年代、日本の隅々にまで浸透したフォークソング。
吉田拓郎も井上陽水も五つの赤い風船も南こせつとかぐや姫も、すべてはその10年余り以前、西暦でいうと1958年に全米を席巻したこのトリオの登場からはじまったのでした。

https://youtu.be/wfTDFy4Z2O4

キングストン・トリオはハワイ生まれのデイブ・ガード(ギター)とボブ・シェーン(ギター、バンジョー)、サンディエゴ出身のニック・レイノルズ(ギター、パーカッション)の3人がカリフォルニアで結成したポップス・トリオグループ。当初はハワイアンやカリプソを演奏していたとか。「キングストン」(ジャマイカ)というトリオ名がその指向を象徴しています。

トム・ドゥーリ、この歌でアメリカのフォークリバイバルがはじまります。
歌の内容はいわゆる「人殺しソング」で19世紀のノースカロライナで、トム・ドゥーリ(ドゥラ)によって惹き起こされた愛人殺人事件がうたわれています。

ノースカロライナはアメリカ東海岸に面し、アパラチア山脈沿いにある州で、まさにアメリカ音楽のルーツのひとつであるマウンテンミュージックの宝庫。
そんななかで生まれたトム・ドゥーリもトラディショナルソングです。

元歌を聴いたわけではありませんが、多分、その歌のケバや凹凸をカンナ掛けしその時代風にしたものがキングストン・トリオの「トム・ドゥーリ」なのでしょう。

しかしアメリカ人(だけではないけど)ってなんでこういう残虐な歌が好きなのでしょうか。「オハイオの岸辺で」なんかもそうですし。昨年はボブ・ディランがケネディ暗殺をうたった「最も卑劣な殺人」をうたって(何で今?)少し話題になりました。
日本では不謹慎と言われてしまいそう。オウムや大量殺人について歌にしようというミュージシャンはまずいません。犯人にというより被害者に配慮しているのでしょうか。

この歌のヒットにより全米でフォークブームが起こります。もちろんビフォア・ビートルズです。
そして60年代に入り、ベトナム戦争が勃発し、アメリカの若者たちは徴兵という現実の中で死に直面していきます。
今アメリカで問題になっている「アジア人(主に黄色人種)への暴力事件」は、白人の何割かに確実にある東洋人への潜在的蔑視思想でしょう。いや白人だけじゃないですね、黒人もまたというか、の方が顕著ではないかとすら思えるアジア人へのヘイト行動。ただ、黒人は白人からの被差別があり、「被差別が差別を産む」という面があり100万分の一くらいは同情できないこともないのですが。

https://youtu.be/ecyI0SM85YE

日本でキングストン・トリオの代表曲といえば、「トム・ドゥーリ」ではなく、おそらくピート・シーガーの「花はどこへ行った」ではないでしょうか。歌の内容がワールドワイドの分。また、彼らのビジュアルではおそろいのストライプ柄のボタンダウンがカッコよかった。ビーチ・ボーイズもそうでしたけど、当時日本でも流行りました。たしか。

20世紀最高のプロテクトソングといわれるこの歌は、ピート・シーガーがショーロホフの小説「静かなるドン」を読んでいてインスパイアされて詞を書き上げたといわれていますが、そうではないという評論家も。小説を読んでおりませんので何ともいえませんが。
とにかくピートの作品(補作者はいる)であることには異論はないようです。近年100歳をまたずに亡くなったピートは1940年代のアメリカの錯乱「赤狩り」の標的にもされた筋金入りの反戦・平和主義者です

このピートのある意味「ただの反戦歌」だった歌を、その美しくドラマチックな詞ゆえ、とりあげて洗練された世界的フォークソングに仕立てたのがキングストン・トリオでした。1961年のことです。

ディランの「風に吹かれて」が1963年ですから。それに先がけてのキングストン・トリオによる「プロテストソング」でした。
ジョーン・バエズやブラザース・フォアやPPMといったフォーキーばかりでなく、ドイツの大女優マレーネ・デイトリッヒがカヴァーしたことでも世界的な歌となりました。
日本でも雪村いずみやザ・ピーナッツ、梓みちよなどがカヴァしています。女性が多いということはキングストン・トリオよりはPPMやジョーン・バエズの影響のほうが強かったのかも。

https://youtu.be/Miq1lfb2AwI

これもファースト・アルバム「キングストン・トリオ」に収められていた一曲。元はカリプソソング(バハマの民謡)で、多くのフォーキー、あるいはビーチ・ボーイズも取り上げている名曲です。
スループとは帆船のかたちで、1本マストの帆船のこと。
邦題はキングストン・トリオ盤では「ジョン・B号の遭難」、ビーチ・ボーイズ盤では「ジョン・B号の難破」となっておりますが、内容は「俺と爺さんの航海記」でケンカ沙汰や警察沙汰があった最悪の航海となり、早く家に帰りたい、という外国のフォークソングにありがちな荒唐無稽な話。
でも座礁とか遭難なんて話は出てきません。はじめにタイトリングした人が船のトラブルだから「遭難」じゃないか、なんて思ったのでしょうか。
日本ではウルフルズが日本語でうたっています。もはや航海でもなんでもなくなっておりますが、「家へ帰りたい」というホームシックソングであることは同じです。

とにかくモダンフォークの魁となったキングストン・トリオの功績は大きい。冒頭にもふれましたが、日本にも輸入され、それを日本風にアレンジした和製フォークが爆発した1960年代後半、その影響で空前のフォークギターブームが起きました。これは60年代のエレキギターブームを遥かに凌駕するもので(アンプがない分誰もが遠慮なく自室で掻き鳴らすことができた)、わたしもその時代に乗った(乗らされた)ひとりです。

実は1950年代後半、アメリカでも空前のアンプラグドのギターブームが起きたのですが、そのきっかけとなったのがこのキングストン・トリオの登場にあったといわれています。
この時ギターを手にして弦を掻きならした若者の中から、のちにどれだけのミュージシャンが誕生したことか。ボブ・ディランもそうした一人だったそうです。

そんなキングストン・トリオですが、なぜか評価がいまひとつ。
多分、50年代後半彼らによって勃発したフォークブームが、60年代に入りベトナム戦争という時代背景もあって、プロテストソングが主流になっていったからでしょう。そしてその担い手としてピート・シーガー、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、PPMたちが抬頭してきます。

そんななかにあってキングストン・トリオは政治的中立を保ち続けたといわれます。「花はどこへ行った」もおそらく、反戦歌というより、抒情歌としてうたったのではないでしょうか。「俺たちはノンポリである」「反戦歌はうたわない」というグループがいたってかまわないのですが。

1849年にカリフォルニアで起こった「ゴールドラッシュ」。30万人あまりの人間が殺到し僻地だったサンフランシスコは一夜にして(大袈裟です)都市へと変貌したといわれています。では、はじめてその金脈を掘り当てたのは誰なのか。
それはニュージャージー出身のカーペンター、ジェームズ・マーシャルだと歴史書に記されています。
それに倣えば、アメリカン・モダンフォークの先駆者としてのキングストン・トリオも、ジェームズ・マーシャルに匹敵するくらいの功績があり、アメリカの、いや世界のポップミュージック史の1ページに記されてもいいし、きっとその名をとどめるはずです。
なお、昨年、最後のオリジナルメンバー、ボブ・シェーンが亡くなっています。


https://youtu.be/10oDs-S7yC0

おまけの一曲。
アメリカというより、世界のポップミュージックのモニュメント的ソング「トム・ドゥリー」はファーストアルバムからシングルカットされた一曲ですが、実はこの歌、セカンドシングルなのです。ファーストシングルはアルバムの前に出した「スカーレット・リボン」(B面?はスリージョリー・コーチマン)。
1949年に書かれたもので、父親が娘のために赤いリボンを買ってあげようと思うのですが、町じゅうどこを探しても売っていなくて、途方に暮れて家へ帰り、娘の寝ている部屋をのぞくと、ベッドの上にたくさんの覚えのない赤いリボンが散乱していたという幻想的な歌。
この歌もアメリカでは多くのシンガーにカヴァーされているよく知られた歌です。




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