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1964年のエルヴィス [not mellow]

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エルヴィスは歌手だけではなく俳優でもありました。
1956年の「やさしく愛して」Love me tender からはじまって生涯32本の映画に主演しています。マネージャーのパーカー大佐の意向もあってコンサートから映画にシフトしていき、60年代はほぼ年間3本というペースで快男児を演じ続けました。

そのおかげで、ヒットチャート(シングル)は62年の「グッド・ラク・チャーム」Good luck charm 以後、亡くなるまで100曲以上をリリースしながら全米ナンバーワンになったのは、64年の「ブルー・クリスマス」Blue cristmas と69年の「サスピシャス・マインド」Suspicious minds の2曲だけ。
それでも日本では、エルヴィス映画のサントラからシングルカットされた歌は、映画と共に親しまれておりました。

また、日本でナンバーワンになった63年の「悲しき悪魔」も全米チャートでは3位まででした。ただし「悲しき悪魔」は年が変わってもしばらくヒットチャートに留まるほどの大健闘でした。

その1964年とは戦後復興の象徴「東京オリンピック」が開催された年。
そして洋楽シーンでは超弩級タイフーン「ザ・ビートルズ」が日本に上陸した年でもあります。

まさにこの年、ヒットチャート上でエルヴィスとビートルズがクロスしたのです。
ではその年、ヒットチャートを賑わし、新星ビートルズと競い合ったエルヴィスのヒット曲の数々を。

https://youtu.be/_GanoEE7VUc

ボサノヴァ・ベイビー Bossa nova babyは1963年にアメリカで公開された映画「アカプルコの海」の挿入歌。シングルチャートでは全米8位まで。映画雑誌でおなじみだったグラマーガール、ウースラ・アンドレスが共演しておりました。YOU-TUBEで久々に観ました。
日本では前年末からチャートに入ってきで、「悲しき悪魔」と入れ替わるように2月にはなんとかベスト10に。

そして同じ2月、その「ボサノヴァ・ベイビー」を追い抜くようにビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」がチャートインし、続いて「抱きしめたい」「シー・ラブズ・ユー」「ツスト・アンド・シャウト」が続いてきます。
まさに64年の春から夏にかけてはビートルズ旋風がすさまじく吹き荒れました。

https://youtu.be/dVYPO0N8KF4

そして3月になると同じ映画「アカプルコの海」の主題歌「アカプルコの海」 Fun in Acapulcoが「ボサノヴァ・ベイビー」に変ってチャートインし、1位にこそなれませんでしたがベスト3に入るほどのヒット。

https://youtu.be/ui0EgRsFVN8

5月になると「プリーズ・プリーズ・ミー」がナンバーワンになりますが、エルヴィス映画「ラスヴェガス万才」が日本でも封切られ、その同名主題歌「ラスヴェガス万才」Viva Las Vegas がチャートインしてきます。

https://youtu.be/qiJ7uQfogKA

この映画では共演のアン・マーグレットが日本のファンに強烈な印象を与えます。同じ時期に彼女主演のミュージカル映画「バイ・バイ・バーディー」がその歌と共に話題になりましたが、どちらが先だったか…。いずれにせよその後の「シンシナティ・キッド」や「愛の狩人」など当時の洋画ファンを愉しませてくれた美人女優でした。

これも3位どまりで、7月になると勢いが衰え、「プリーズ・ミスター・ポストマン」や「ア・ハード・デイズ・ナイト」に追い抜かれていきます。

https://youtu.be/3cj8vKae4Wk

その「ラスヴェガス万才」に変ってチャートに入ってきたのが、これもこの年に公開された同名映画の主題歌「いとこにキッス」kissin' cousins。
秋から木枯しが吹き始めるころまでヒットチャートで健闘しましたがこちらはベスト10に入るのがやっとでした。
でも、この歌は「ボサノヴァ・ベイビー」や「ラスヴェガス万才」などと比べると、いかにもロケンローという雰囲気でのりのいい歌でした。

このように1964年は強烈な新旧交代が行われた年で、その後しばらくのあいだ、世界のポップシーンはビートルズを中心に回っていくことになります。

エルヴィスが残り火のように最後の閃光を放つのは68年のTVライヴでのカムバック、その後のラスヴェガス、ハワイをはじめとするライヴツアーでした。日本でもエルヴィスの再ブレイク? 現象が起こり、現地までツアーを観に行ったり、その映画版に何度も足を運ぶファンが出現します。
この再ブレイクで新たにエルヴィスのファンになったという人も少なくなかったのでは。
1961年に全米2位になったこの歌も70年代の日本でヒットしました。

https://youtu.be/GSaxhqJG1Mw

1964年、東京オリンピックの渡辺長武も凄かったけど、今振り返るとエルヴィスとビートルズが交差していたということに改めて輝ける一年だったという感慨があります。
まさにわが青春の洋楽事始めでした。

でも、あの時わたしが夢中になっていたのは「ラスヴェガス万才」でも「恋する二人」でもなく、この歌でした。

https://youtu.be/3NwWrxmRLcg


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