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悲しきエルヴィス [not mellow BB]

悲しき悪魔.jpg


エルヴィスが生きていたら86歳?
……想像がつかない。

エルヴィスは日本でもっと評価されていいシンガーです。その生き方はともかく、数々のヒット曲で世界のポップシーンに与えた影響はビートルズ以上だと思うのですが…。
それが悲しい。

エルヴィスがサンレコードからデビューしたのが1954年、「ザッツ・オーライト・ママ」で、いわゆるB面がビル・モンローのブルーグラス「ブルームーン・オブ・ケンタッキー」をR&Bにアレンジしたもの。それはまさにその後のロケンローで、カントリーシンガーのパッツィ・クラインやリアン・ライムスのカヴァーもそのうたい方を踏襲している。それほど斬新なアレンジでした。

https://youtu.be/QLb99I86pE4

そして56年RCA移籍後の初シングル、「ハート・ブレイク・ホテル」が文字どおり大ブレイク。その波は日本にまで及び当時ウエスタンのアイドルとなっていた小坂一也がカヴァー。

https://youtu.be/W4euyTDhFnk

少し横道にそれてロケンローの話をしますと、「ハート・ブレイク・ホテル」の前年1955年に映画「暴力教室」のテーマとしてつかわれた「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(ビル・ヘイリーと彼のコメッツが録音したのは前年)が大爆発したのがきっかけ。

昔読んだ本か何かに書いてあったのは、日本でも同じ年(昭和30年)にこの映画が公開されたとき、PTAから上映禁止や鑑賞禁止の運動が起こったとか(実際に禁止されたかどうかはわかりませんが)。

たしかにあの時代にあの映画は刺激が強すぎました。あれからじゃないでしょうか、怒れる若者たちに「飛び出しナイフ」ブームが起き、「俺たちも先公殴っていいんだ」と気づいて校内暴力が発芽したのは。

まぁ、そういう背景がありまして、エルヴィスやロケンローはストレートに日本の社会に入っていかなかったのでしょう。
もし昭和30年代初頭に日本でもエルヴィス旋風が起こっていたら、彼の存在は日本でもっと大きなものになっていたのではないか、と思っています。

ですから当時わたしの耳にはエルヴィス・プレスリーは聴こえてきませんでした。もっとも小学校に上がるか上がらないかという頃ですので当然なのですが。
そのかわりかすかに聴こえていたのが「ビーバップ・ルーラ」と「ダイアナ」。もちろんジーン・ビンセントやポール・アンカなど知る由もなく、近所のお兄さんお姉さんがうたっているのを小耳に挟んだだけなのですが。

もちろん名前は知っていましたが、初めてエルヴィスを聴いたのは「GIブルース」。ただし、これは坂本九&パラダイスキングのカヴァーで。ちなみにこれが安井かずみの作詩(訳詞)デビュー作。

https://youtu.be/oaDkvUucobA

ですから正真正銘エルヴィスの歌唱を聴いたのは1963年といいますから昭和は38年。
当時聴き始めたラジオのヒットパレードで何週にもわったってナンバーワンになった「悲しき悪魔」you are devil disquise。
これこそわたしのエルヴィスの原点なのです。

https://youtu.be/6ZH29Lb_Oh8

その頃ベスト10の上位を競っていたのが、映画「大脱走」のテーマやポール&ポーラの「ヘイ・ポーラ」、ジョニー・シンバルの「ミスター・ベースマン」、クリフ・リチャードの「ラッキー・リップス」、リトル・ペギー・マーチの「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」などなど。
前も書きましたが、至福のラジオデイズでした。

しかしこの「悲しき悪魔」、原題は「君は悪魔の化身」といった意味なのですが、なぜ「悲しき」なのでしょうか。
まぁ、歌のストーリーは天使のような彼女に振り回される男の嘆きで「心うらはら」「言葉うらはら」で彼女が悪魔に見えてしまったのですから、「悲しき」はあながち間違いではありません。

実は、「悲しき…」は坂本九の「悲しき60才」(ムスターファ)あたりから流行ったタイトリングで、「悲しきインディアン」だとか「悲しき街角」、「悲しき片想い」など多くのカヴァーポップスの「冠」となったタイトルでした。

最後にポケットトランジスタを耳にあてて「悲しき悪魔」を聴いていた同じ時期、ヒットパレードを賑わしていた「悲しき」ソングを2曲どうぞ。

https://youtu.be/bQstQST1GiM

https://youtu.be/sjbNblrAJXc

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