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勅使下向の春弥生 [歌謡曲]

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大谷は無安打。そんなときもあるさ。なにしろ10打席で7回は不発なのだから。
高校野球は「密な青春」の仙台育英を応援していたけれど、完敗。「エンジョイ・ベースボール」の勝ち。107年ぶりだってスゴイな。でも甲子園球場のあの慶應ホーム感は、仙台育英にはつらい。泣くな坊主たち。
世界陸上は110mハードルの泉谷にメダルを期待していたが、わずかに及ばず5位。いまだメダルなし。あとは予選トップで決勝進出した女子やり投げの北口にどうでも、いや、銅でもいいから獲ってほしい。それがだめだと男子の4×100mリレーと4×400mリレーに期待するしかなくなってしまう。番狂わせで幅跳びの城山、橋岡、吉田の誰かとか、あるいは今大会は期待できない男女のマラソンでヒーローがでるとか。とにかく「にわかナショナリズム」を充たしてほしい。まぁ世界のトップアスリートをみるだけでも充分堪能できますが。ただ、夜中というか明け方の決勝はキツイ。


今回は島津亜矢で。
島津亜矢は熊本県出身で、今年デビューより37年というこちらもベテラン。
うたの上手さは「歌怪獣」の名で知られるほどの超絶ぶりで、演歌ファンだけでなくポップス好きにも知れわたっている。
このブログでも何度かとりあげているが、ちょっと「上手すぎる」という印象もある。

彼女の歌の魅力は、その声量とうたいあげる迫力で、その魅力を十二分に発揮している歌を三つ選んでみた。はからずもそれらのオリジナルシンガーがすべて浪曲師出身ということになった。また三つとも昭和30年代の歌で、まずは女性の歌うま演歌歌手がこぞってカヴァするという聞かせどころ満載でプロに好かれるという歌を。

https://youtu.be/GlEAuU-xmhY?si=iVcjgSRJXUFAxczg

「無法松の一生」は昭和戦前の岩下俊作の小説「富島松五郎伝」を元にした映画で、戦前戦後と何度か制作されている。
粗野で乱暴者だが純情という人力車夫・松五郎の叶わぬ恋の物語で、「馬鹿だが憎めない」キャラクターが日本人の人情にふれて広く親しまれた。松五郎を演じた阪東妻三郎や三船敏郎のそれらしき演技がさらに松五郎像をかたちづくっていくことに。
そうした日本人の好きな松五郎というキャラクターはその後、山田洋次によって「馬鹿まる出し」の安五郎(ハナ肇)や「男はつらいよ」の寅次郎に受け継がれていく。

福岡生まれ佐賀育ちの村田英雄は5歳から浪曲師・酒井雲門下に。その世界でも頭角をあらわしていたが、古賀政男に見いだされ昭和33年、29歳で歌謡曲デビュー。それが古賀政男作の「無法松の一生」だった。皮肉なことだが、戦前戦後聞く娯楽として一世を風靡した浪曲は歌謡曲の発展とともに衰退していくことに。

作曲の古賀政男はあらためていうまでもない「歌謡曲の父」。
作詞の吉野夫二郎は浪曲作家で、作詞家としては村田英雄の「海の悪太郎」「流れる雲」、やはり浪曲師出身の二葉百合子の「一本刀土俵入り」や「残菊物語」がある。

また、現在うたわれている ♪空にひびいた ではじまる「度胸千両」の部分はのちに付け加えられたもので、当初はなかった。この「度胸千両」の作詞も吉野夫二郎だが、こちらの歌が単独でうたわれるということはない(多分)。

つぎは村田英雄より6歳年上の三波春夫の昭和34年のヒット曲。

https://youtu.be/gn2WwDdTg8k?si=_U-ssXu4CrRfqCEw

新潟出身の三波春夫は16歳のとき「南篠文若」の名で浪曲師デビュー。その後従軍し敗戦後は4年間シベリアに抑留されるという苦難を味わっている。
帰国後、浪曲師として復活するが、その行く末を予感してか32年に歌謡曲に転向。民謡の三橋なら浪曲の三波だとばかり所属のテイチクレコードが総力をあげて売り出し、2枚目のシングルの望郷歌謡曲「チャンチキおけさ」が大ヒット。33年のNHK紅白歌合戦に初出場。
「大利根無情」は34年リリースで、実際にあったヤクザ同士の縄張り争いを描いた講談・浪曲「天保水滸伝」の中の架空の用心棒・平手造酒を主人公とした歌。
この年のテイチクナンバーワンヒットとなり、三波春夫は押しも押されもせぬ歌謡曲の王道をゆく歌手となっていく。

余談ですが、学生の頃、夏休みに昔の歌舞伎座で恒例だった「三波春夫ショー」の大道具のアルバイトをしたことがあって、好きでもなかった三波春夫をこの「大利根無情」と「チャンチキおけさ」に魅了されてすっかりファンになってしまった。
この歌に関しては以前とりあげたので、作曲は長津義司、作詞は猪又良ということで。

最後は昭和36年に発表された、江戸時代から人気の忠臣蔵を題材とした時代物の歌を。

https://youtu.be/VJGsZG24Jlg?si=wJim3nXgvvDPY1rB

これまた浪曲師・真山一郎の昭和36年のヒット曲。

忠臣蔵は昭和の時代までは、年末の時代劇映画の定番であり、NHKの大河ドラマでもとりあげられ、大佛次郎や池波正太郎をはじめ外伝をふくめ小説としても多くの作家がとりあげたドラマチックなストーリー。
日本人の好き(だった)な人情・仇討ち物で、今風にいえばいじめられ我慢の限界を超えた藩主が公の場で刃物をふりまわしいじめた当人を傷つけたため、切腹の刑に処せられ、藩は取り潰された。そのことに納得できない藩士たちが徒党を組みいじめた当人の家に殴り込みをかけ、その首を打ち取ったという仕返しストーリー。
観客・読者は相手の首をとったところで歓喜の涙を流し、そのご47人の元藩士たちは切腹に処せられる(そういう時代)ところで哀悼の涙を流すのである。
ただ近年、打ち取られた相手側の地方から「いじめはなかった」「濡れ衣である」という反論も出ている。

真山一郎も山口県出身の浪曲師から歌謡曲デビューした歌手。36年にこの「刃傷松の廊下」をヒットさせたが、以後ビッグヒットはなかったが、その後は独自の歌謡浪曲を最後まで貫いた。
作曲は桜田誠一でほかには「川は流れる」(仲宗根美樹)、「銀座の蝶」(大津美子)、「あの娘たずねて」(佐々木新一)などのヒット曲ををつくっている。
この難解な詞の作者・藤間哲郎はキングのエースでほかに「おんな船頭唄」(三橋美智也)、「別れの波止場」(春日八郎)、「東京アンナ」(大津美子)、「お別れ公衆電話」(松山恵子)などのビッグヒットがある。
いまは令和の世の中。富島松五郎も天保水滸伝も忠臣蔵も、さらには村田も三波も真山も、さらにさらには浪曲も歌謡曲も忘れられていくのは仕方がない。

おまけは彼女のカヴァアルバムにも意欲的に取り入れられているポップスを。「演歌ばかりじゃないわよ。ポップスだって上手いんだから」という彼女の声が聞こえてきそうなので、それではお口並み拝見ということで。
いろいろあるのですが、動画があるカヴァとなると限定されます。
ここは歌上手同士のデュエットで。

https://youtu.be/FKaWJ9rUPWc?si=qydVehJbWMv-Kj1n


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