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十五、十六、十七と…… [covers]

ケイ・ウンスク.jpg

https://youtu.be/-ARBLU7Egw8

今日久しぶりに電車に乗って驚いた。コロナ以前に舞い戻ったような。それほど電車が混んでいたのです。ラッシュアワーのようにからだがくっつくというところまではいきませんでしたが、その寸前。ある種「懐かしさ」さえ感じてしまいました。まん延防止等重点措置(長い)が解除される前日だというのに。

話は変わりますが先日、韓国で新しい大統領にユン・ソギョルさんが決まり、いつまでたっても良好にならない日本との関係の改善が期待されます。
ウクライナへのロシアの侵攻がいまだ続いておりますので、落ち着いて日韓の関係を論じるタイミングになりませんが、こじれにこじれもつれにもつれた糸をほぐす知恵を持った政治家は日韓ともいないようです。

それでも、文化の交流は以前に比べると隔世の感があるほど深まっております。とくに最近は韓国発のテレビドラマや劇場映画、あるいはKポップスなどが日本でも熱烈に歓迎されているようです。

こうした文化の交流はとりわけ若い層に良い影響を及ぼしているようで、オールドピープルが感じている壁や垣根といった障壁を軽々と飛び越えているように感じます。

その強烈なインパクトで転換期となり韓国ブームを巻き起こしたのが平成15年の韓国ドラマ「冬のソナタ」でした。
ただ、それまで昭和40年代あたりから細々、徐々にではありますが、韓国発の歌が日本の流行歌の世界に浸透していき、やがて定着していきます。
つまり「冬のソナタ」の大爆発の起爆剤として韓国ソングがあったことは確かです。

とりわけ韓国女性歌手は受け入れやすかったようで、そのはしりが昭和40年代半ばに来日し、「カスマプゲ」をヒットさせた李成愛(イ・ソンエ)でした。

そもそもその頃までは韓国の流行歌が日本で流れることはほぼなく、反対に日本の歌謡曲やポップスが韓国で披露されることは原則禁止でした。

日本は別に法律で禁止していたわけではなく、そうした慣例がなかっただけで、そうした目新しさもあって「カスマプゲ」のヒットと、李成愛の日本での支持になったのだと記憶しています。

その李成愛がファーストペンギン(最近聞きませんが)となって、以後先日ここで紹介したキム・ヨンジャをはじめ多くの韓国女性歌手が日本を舞台に活動するようになったのでした。

ケイ・ウンスクもまた日本で親しまれた韓国シンガーで、昭和59年「大阪暮色」で日本デビューしています。
ベビーフェイスとハスキーヴォイスで、日本のオジサン族を魅了し、もしかすると最も人気を博した韓国人女性歌手だったかもしれません。
残念なことにその後薬物事件で日本から追放され、地元韓国でも同様の事件を犯し、もはや来日が絶望的の現状で、ファンを失望させております。韓国では活動再開しているようですが、もはや月日が経ちすぎた感があります。

そんな彼女もまた多くの日本の流行歌をカヴァしていますのでその何曲かを。

まずは昭和44年弘田三枝子の歌謡曲進出第一弾でヒットした「人形の家」。

https://youtu.be/60wP7PMNxak

作詞は昨年亡くなったなかにし礼。40年代がなかにし礼の全盛期で、この年にはほかに「恋の奴隷」(奥村チヨ)、「君は心の妻だから」(鶴岡雅義と東京ロマンチカ」、「夜と朝のあいだに」(ピーター)、「本牧ブルース」(ザ・ゴールデンカップス)、「恋のアタック」(響かほる)などが。

作曲も昨年亡くなった川口真。やはり最近亡くなった西郷輝彦の「真夏のあらし」、由紀さおりの「手紙」、布施明の「積木の部屋」、岩崎宏美「熱帯魚」、夏木マリ「絹の靴下」、伊東ゆかり「逢いびき」などのヒット曲を手がけています。
もともとアレンジャーで、作曲はこの「人形の家」が第一作だとか。

作曲もヒット曲の多さに驚きますが、それ以上に素晴らしくかつ多いのが編曲。印象的ないくつかをあげてみますと、「恋の町札幌」(石原裕次郎)「エメラルドの伝説」(ザ・テンプターズ)、「二人の銀座」(山内賢、和泉雅子)、「初恋の人」(小川知子)、「北国の青い空」、「悲しき天使」(森山良子)、「さすらいのギター」(小山ルミ)、いい日旅立ち(山口百恵)、愛人(テレサ・テン)などなど。いつかあらためて聴いてみたい。

2曲目は昭和55年の「ダンシング・オールナイト」。

https://youtu.be/eofvm6Hj8a4

もんた&ブラザースのデビュー曲でダブルミリオンの大ヒットとなりました。
作曲はヴォーカルのもんたよしのりで、作詞はミュージシャンでもある水谷啓二。ほかではちあきなおみの「百花繚乱」や「ほおずきの町」などが。

40年以上も昔の歌ですが、いまだにカラオケでは人気があるとか。オールドファンでしょうが。
歌の延命の大きな理由のひとつがカヴァの多さ。ポップシンガーや演歌の歌上手たちがよくカヴァしています。とりわけ演歌歌手には好まれているようでよく聴きます。ポップなマイナーチューンの歌謡曲という感じでうたいやすいのかもしれません。

ケイ・ウンスクはオリジナル同様のノイジーヴォイスがこの歌に合っています。うたう途中での笑顔が「歌詞わかってんのかな」といささか気になりますが。

最後は昭和45年の藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」。

https://youtu.be/FAutJBqojDA

これはその4年前に大ヒットとなった園まりの「夢は夜ひらく」のカヴァ。ということはケイ・ウンスクはカヴァのカヴァということになる。
といってもこのうたは園まり、藤圭子以外にもかなりの数のカヴァ(20人くらいいるのでは?)があるので、面倒なことはいわずにただカヴァといえばいいのかもしれません。
とはいえ、オリジナルが園まりであることは動かない。

曲は曽根幸明になっているますが、元は「読み人知らず」の俗謡、戯歌を曽根幸明が採譜したものだといわれております。「東京流れ者」や「さすらい」などと同様。
たとえば、軍隊とか刑務所、やくざの世界など閉ざされた世界の中から生まれた歌のようです。

異なるのは詞で園まり盤は中村泰士と富田清吾が、藤圭子版は石坂まさをがつくっております。園まりと競作となった緑川アコ盤は水島哲が、そしてその後のちあきなおみ盤は西沢爽、バーブ佐竹盤は藤間哲郎、香西かおり盤は市川睦月というようにそれぞれがオリジナルの歌詞を提供しております。

そのなかでやはり藤圭子盤の石坂まさをの詞が、もっともインパクトが強く、曲ともども後世に伝えられる歌になっています。

藤圭子もどちらかというとノイジーヴォイスで、ケイ・ウンスクにはカヴァしやすいようにも思いますが、やはりオリジナルの独特のキャラクターの印象が強すぎて、園まりあるいは緑川アコ盤にしたほうがよかったのでは、と感じてしまいます。
「圭子の夢は夜ひらく」にはシンガーの雰囲気とともに70年代ニッポンという時代が貼り付いていてカヴァも難しいかも。

前のキム・ヨンジャ、今回のケイ・ウンスクを聴きますとどうしても懐かしいイ・ソンエが聴きたくなってきます。残念ながら動画がありませんでしたが、せめて歌声だけでも。

https://youtu.be/eB4wbwn9Vag


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