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and never do wrong [not mellow BB]

アメリカン・グラフィティ.jpg

https://youtu.be/Ud67rvrwYhE

「リトル・ダーリン」little darling は1957年、カナダの白人ポップコーラスグループ「ダイヤモンズ」diamonds がヒットさせたドウ・ワップ。ビルボードの年間3位になるほどのビッグヒットに。
なので完全な白人ドゥワップかと思いきや、実はオリジナルは黒人ドゥワップグループのグラディオラスthe gladiolas がダイヤモンズの発売の数か月前にリリースしたもの。ソングライトもグラディオラスのメンバー、モーリス・ウィリアムズmaurice williamsによるもの。

https://youtu.be/W5TNqxMfIkg

元祖オールディーズ映画の「アメリカングラフティ」にもピックアップされた名曲で、エルヴィスやモンキーズなどがカヴァしています。

https://youtu.be/Cy35aQN-O1k

トップの動画は歌とは関係ない1952年の映画「青春物語」。
当時のベストセラー小説Peyton Place の映画化。架空の街ペイトン・プレイスを舞台とした青春群像ドラマで、その後リメイクされたりテレビのシリーズドラマ「ペイトン・プレイス物語」として日本でも放映されました。ぼんやりですが見た記憶があり、不倫あり殺人事件ありのドロドロしたシリアスドラマで「アメリカ人も陽気で明るいばかりじゃないんだな」と思ったものです。「パパは何でも知っている」や「わんぱくデニス」、「ビーバーちゃん」などだけで成り立っているんじゃないアメリカの現実を子どもながらに思い知らされたドラマでした。

動画の女優ダイアン・ヴァーシは、18歳でこの映画がスクリーンデビューでアカデミー助演女優賞にノミネートされた女優。その後の活躍が期待されましたが、独自の道を歩み50代で病死した伝説の女優。グレイス・ケリーやキャンディス・バーゲンのような雰囲気があります。

「リトル・ダーリン」からそれてしまったので軌道修正。

歌詞は最愛の恋人に思いのたけをぶっつけいるのですが、なんだか浮気かなんかをやらかして、それが発覚しフラれてしまった男が、それでも「誰よりも負けずに愛しているんだよ、許してくれよ」と懇願している未練節のように聞こえます。

日本でもロカビリー全盛の昭和33年(1958)に早くも輸入されています。はじめにレコーディングしたのはその年の1月キングからの平尾昌晃で、これがデビュー曲。伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズがバックコーラスをつけています。訳詞はキングレコード定番の「音羽たかし」。
なおその年の2月に「第1回日劇ウエスタン・カーニバル」が開かれています。平尾昌晃はそのデビューから半年後「星は何でも知っている」をリリースしてさらにブレイク。

https://youtu.be/HX-3xzlE-QU

昭和33年はまさに若者にロカビリーが支持された年で、レコード売上では前半は平尾昌晃や山下敬二郎の「ダイアナ」が席巻。後半は平尾の「星は何でも知っている」がナンバーワンになり、残念ながら「リトル・ダーリン」は小ヒット程度だったようです。

なお、平尾昌晃のバックをつけた伊藤素道とリリオ・リズム・エアーは、その後単独で「リトル・ダーリン」をリリース。TVの「ザ。ヒットパレード」などではリリオの記憶の方が残っています。平尾が専念したのは「ダイアナ」や「星は何でも知っている」だったのでしょう。

https://youtu.be/Ulp0fu0btpo

おまけにYOU-TUBEでみつけた「リトル・ダーリン」の日本人カヴァをふたつ。もう「ヤ・ヤ・ヤ・ヤア」ですね。

https://youtu.be/WKMxC4AlrA4

https://youtu.be/nn7FKCpFkJw






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