SSブログ

夢のハワイで初デート [歌謡曲]

夢のハワイで盆踊り.jpg


今日道端でみごとなタンポポ一輪を発見しました。
え、こんな季節にタンポポ? と一瞬思いましたがもはや三月。春が迫っていたのでした。
しかしわたしはダウンにニット帽に手袋の冬仕様。トップをきって咲き誇ったタンポポが勝ち誇ったように「あんた、そろそろだよ」と教えてくれました。では。

舟木一夫こそ「青春歌謡」の代名詞でしょう。

御三家では橋幸夫のほうがデビューは早いのですが、舟木一夫が制服でうたったデビュー曲「高校三年生」で、その後百花繚乱咲き乱れる「青春歌謡」の幕が開いたといってもいいのでは。

デビューは西郷輝彦より1年早く、わたしは小学生ながらすでに片耳で洋楽を片耳で歌謡曲を聴いていました。
「高校三年生」はたしかにそのタイトルからして衝撃的でした。高校生の流行歌などそれまで聞いたことがなかった( あったのかもしれませんが)。
それまで歌謡曲といえば大人の歌というのが当たり前で、なにが大人かといえば自ら働いているということが条件のひとつとしてあったのではないでしょうか。つまり十代であっても学生ではなく、労働者、社会人ということ。当時は中学卒業したら半分近くが就職していたのではないでしょうか。それほど社会は若い働き手を必要としていたということでもあります。

それがいきなり♪こうこうさんねんせい ですからびっくり。
まぁ、ひとつにはレコード会社の戦略として、高校生、さらには中学生にまでレコードを買わせちゃおうという算段があったのもたしか。それだけ当時の中高生の懐事情がよくなってきていた、すなわち親からもらう小遣いの額が増え始めてきたという時代でもありました。
わたしもこの頃はじめて小遣いでレコードを買いました。残念ながら「高校三年生」ではなくブラザース・フォアの「グリーン・フィールズ」でしたが。

ところが中学に入ると、それまでそれほどファンではなかった舟木一夫と対峙しなくてはならない事態に。
当時のクラスの中ではたしかに「青春歌謡」の嵐が吹きまくっておりました。とりわけその熱狂的支持者は圧倒的に女子が多く、休み時間になるとあちこちのグループで舟木一夫だ、いや西郷輝彦だとか、それぞれの新曲の話などでもちきり。

わたしはさほど感心がなく、「蚊帳の外」常態だったのですが、夏休みを控えたある日、なんと熱狂女子のひとりがわたしを映画に誘ってきたのだからびっくり。
とくべつ気になっていたクラスメートでもなかったのですが、「チケットがあるから」という「タダ」の誘惑に勝てず「お供」することに。
いまから考えれば中学生のアヴェック? が映画でデートなんていい度胸だとおもいます。当時も女子中学生は「無敵」だった。

で、そのとき観た映画が「夢のハワイで盆踊り」。

https://youtu.be/BYRp2uFI-7k

たしか二本立てだったと思いますが、もう一本は覚えておりません。「夢のハワイ」というのが時代を感じさせますが。
また、映画の内容も断片的にしか記憶にありません。そりゃそうです、それまではというと同じ東映でも大友柳太郎や大川橋蔵などの時代劇ばかり観ていたのですから。ただ本間千代子は可愛かった。

それでも「夢のハワイで盆踊り」の同名の主題歌はしっかり脳内の歌謡曲アーカイブスに保管されております。
実はこの歌、舟木一夫だけではなく、映画で共演していた本間千代子、高橋元太郎、二代目コロムビア・ローズの四人でうたっているのです。ソロシンガーが四人で、というのはめずらしい。軍歌や盆踊りの歌など以前はたまにあったようですが。

面白い歌だと思うのですが、どこか難しく、カラオケでうたったことはありません。
作曲がなんと後の演歌の大御所・船村徹。
舟木一夫への楽曲提供は少なからずあるようで、ヒット曲でも「夕笛」「夏子の季節」「ブルー・トランペット」「太陽にヤァ!」などが。
作詞はゴジラ、モスラ映画などの脚本家として、また元祖トリ鉄の鉄道写真家としての顔ももつ多才ぶりで知られた関沢新一。
作詞は、古くは小林旭の「ダイナマイトが150屯」や美空ひばりの「柔」、都はるみの「涙の連絡船」などが。また舟木一夫では「学園広場」や「高原のお嬢さん」「銭形平次」などがあります。

YOU-TUBEを見ても当時の記憶は甦ってきませんが、改めて笠智衆が出ていたことに驚き。また加藤治子も。キレイでしたね加藤治子。それと落語家の桂伸治も。さらにチラチラ見えていたハーフっぽい女性はもしかして高見理沙では?すべてこれらの俳優の顔と名前が一致するのはずっとあとのこと。

蛇足ですが、初心なわたしを映画に誘った彼女との後日談。
その後わたしと彼女は恋に発展した、ということはまったくなく、夏休みが過ぎ新学期が始まっても彼女から何のアプローチもありません。私の方といえばはじめから気にしていなかったとはいえ、映画に誘われたのですから、いささか気になっておりました。
多分、夏休みに新しいボーイフレンドでも見つけたのでしょう、わたしにはまるで無関心。
そのまま卒業していきました。

と、わたしの初デートの盛り上がらない話ではありますが、じつはその数年後、大学生になったあるとき突然彼女から電話が、という続編が。

彼女曰く「話したいことがあるから逢いたい」と。
彼女の通う大学のある御茶ノ水の喫茶店での再会。彼女はロングヘアはあの頃のままでしたが、少しキレイになっておりました。
どうでもいい近況のやりとりのあと、彼女はバッグから写真を取り出しました、それも100枚はあろうかというスナップ写真。なんでも最近ドイツへ旅行にいったとかで、そのスナップを一枚一枚、その時の感想とともに説明してくれるのです。
ソイツにもドイツにもまったく興味のないわたしは、数枚目で思考停止。
1時間余りドイツの「スライドショー」が続いたあと、「これから授業なの、また連絡するね」の言葉を残して彼女はさっそうとドアを開けて出ていきました。

「夢のハワイで盆踊り」の映画同伴事件といい、喫茶店でのスライドショー事件といい、わたしが暇つぶしに都合のいい男だったことは間違いありません。
でもそれもまた若い頃の思い出の一粒(ふた粒か)と考えれば、彼女に対して退屈しのぎでも誘ってくれてありがとう、といいたいくらい。当時の気持ちは別としても。

それにしてもロシアの横暴といいますか狂暴といいますか、止まりそうもありません。話が変わっております。
まだ始まっておりませんが、今日はパラリンピックの開会式。
世界が注視している戦争のさなかに平和の祭典って正気なのかって思います。選手の方々には気の毒だと思いますけど、「延期」っていう選択肢はなかったのでしょうか。ロシアとベラルーシの選手を締めだしましたが、国連のロシア非難決議に賛成しなかった中国で開催するのもヘン。気持ちはわかりますが、「我が国は戦時下では競技はできません」といってボイコットする国はないのでしょうか。
戦争は戦争、オリンピックはオリンピックと割り切っているのでしょうか。これから先オリンピックが平和の祭典だなんて言っても誰も納得しないでしょうね。

そうでした青春歌謡でした。
では舟木一夫をもう一曲。
せっかくなので正調・船村徹節を。作詞は西條八十で最後のヒット曲かもしれません。西條の先輩詩人・三木露風の「ふるさとの」にインスパイアされた詞だといいます。

https://youtu.be/S33wUB91vm8




nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。