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back home again [country]

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今日12月31日ははジョン・デンバーJohn Denverの生誕日。
79年前の1943年に生れている。ちょうど太平洋戦争のさなかです。
自身が操縦する自家用飛行機の事故で亡くなったのが1997年、53歳。生きていれば来年80歳。はやすぎました。

ジョンの本名はヘンリー・ジョン・ドイッシェンドルフ・ジュニアで、ジョンはあるけど「デンバー」はない。生誕地もニューメキシコ州のロズウェルで、コロラド州のデンバーではない。その由来は、その後のジョンの数々の歌からもわかるように、ロッキーマウンテンの麓にあったデンバーという地をこよなく愛していたからとか。

彼のヒット曲である「故郷へ帰りたい」Take Me Home, Country Road はおそらく日本で最もポピュラーなカントリーソングでしょう。それまでは「テネシー・ワルツ」Tennessee Waltz でしたが。アニメの主題歌に採用されたことで、ジョン・デンバーは知らなくても、この歌を知っている若者は多い。
ちなみに「故郷へ帰りたい」はジョンのナンバーワンヒットではなく、ポップスチャートで2位、カントリーチャートでは50位にとどまっている。ポップス、カントリーともに1位になったシングルは「すばらしきカントリーボーイ」Thank God I'm country boy と「アイム・ソーリー」I'm Sorry の2曲でともに1975年のリリース。

プライベートでは環境問題や飢餓撲滅運動に関わるなど、社会性に富んだアーチストとして知られ、日本でも誠実で素朴なカントリーシンガーとしての評価が高いようですが、アメリカではそうした活動も「スタンドプレイ」として反感も少なくなかったとか。1980年代のアフリカ飢饉救済ソング「ウィ・アー・ザ・ワールド」への参加を希望するも排除されたり、自宅の傍にガスタンクをつくろうとして活動家たちから非難されたりと、日本でのイメージとはいささか異なるようです。

それでも彼が70年代のカントリーというよりはポップシーンを彩ってくれた屈指のソングライターであることには変わりありません。
そんな彼のマイ・フェヴァリットソングをいくつか。

https://youtu.be/ZkvOUMseObI

「悲しみのジェット・プレイン」Leaving on a Jet Plane 1969年。
デンバーの初アルバム 「ジョン・デンバーは歌う」John Denver Sings (デモ盤)と次の初のセールス用アルバム「ライムス&リーズン」Rhymes & Reason に収録された曲で1966年につくられています。当初のタイトルは「行きたくないよ」Babe I Hate to Go でしたがのちにプロデューサーの意見で改名。そのプロデューサーが同じだったためPPMが1967年にレコーディング。そしてその年のビルボードのシングルナンバーワンになります。その後1969年にジョンがセルフカヴァしました。

個人的にはいちばん好きな歌。
女と男の別離の歌ですが、なぜふたりは別れるのか、ジェット機に乗ってどこへ行くのか。「いつ帰ってこれるかわからない」「帰ってきたらもうあなたを話さない。結婚しよう」と言っているので、ケンカ別れではない。
マリー・トラヴァースがうたったので当然去っていくのは女性。となるといったいどこへ行くのでしょうか。キャリアをつけるために海外へ行くのか。
ただ実際につくったのはジョン・デンバー、つまり男。
かれは実際に空港でこの歌をつくったそうで、その内容については深く説明されていませんし、おそらくドラマチックな別れのラブソングを書いたのだろうと思います。ただ、1966年というつくられた年とPPMがうたったということで、彼あるいは彼女はベトナムの戦地に赴くのでは、という解釈もあるようです。つまり、これもまた反戦歌なのだと。

https://youtu.be/JA5ASbk37M4

「シティ・オブ・ニュー・オーリンズ」City of New Orleans 1971年。
この曲は以前とりあげましたが、ソングライトは彼ではなく、1971年にシカゴのスティーヴ・グッドマンによってつくられました。
グッドマンの地元シカゴからニューオーリンズへ南下する鉄道、特急シティ・オブ・ニューオーオリンズ号のことをうたっています。
特急に乗車する人々、車窓から見える風景などを擬人化されたシティ・オブ・ニューオーリンズ号が暖かく見守っています。作者スティーヴが「鉄道オタク」だったかどうかは知りませんが、この特急に何度も乗り、こよなく愛していたことは伝わってきます。

1972年にアロー・ガスリーによってうたわれ、1985年にはウィリー・ネルソンがこの歌でグラミー賞を獲っています。名曲です。
ジョン・デンバーは1971年のアルバム「エアリー」Aerie に収録しています。わたしはこの歌をジョン・デンバーで初めて聴きました。いまでも時折シティ・オブ・ニューオーリンズ号はわたしの脳内鉄道を疾走しております。

https://youtu.be/wPndmL6HfIs

「バック・ホーム・アゲイン」Back Home Again 1974年。
1974年8枚目のアルバム[Back Home Again]バック・ホーム・アゲインの表題曲で、このアルバムには「緑の風のアニー」Annie's Song も収録されていて、ともにシングルカットされています。ちなみにバック・ホーム・アゲインはカントリーチャートの1位に、緑の風のアニーはポップチャートの1位になっています。
「アニー」は彼の最初の妻であるアニー・マーテルのことで、そのジャケットにはふたりが寄りそう写真がつかわれています。

「バック・ホーム・アゲイン」は長い旅を終え、自分の家へ帰る男の歌。
どんな「長い旅」だったのかはわかりませんが、かれはトラックドライバーで10日以上遠方へ行っていたのか、はたまた出稼ぎかなんかで半年、あるいは1年のほんとうの「長旅」から帰る途中だったのか。さらにさらに映画「スケアクロー」のアル・パチーノのように自由を求めて家族を捨て長きの旅に出たものの、その自由に疲れ果て忘れがたき「我が家」へ帰ろうとしているのか。いずれにしろ、それがもはや荊であっても帰るべき「我が家」を持つ男であることにはかわりない。「長い旅」を終えて家路をたどる男の疲労感とちょっとした幸福感がうかがえてとてもすきな歌です。

今年はいまだおさまらないコロナ、ウクライナ侵略、安倍元首相暗殺とそれから派生した様々な事件と「嫌な」一年でした。個人的にも心身ともに「劣化」を感じさせられた一年でした。衰えは仕方ないとしても、来年はもう少し余裕をもって音楽を楽しみたいと思っております。

おまけは「悲しみのジェットプレイン」でママキャスことキャス・エリオット(彼女もずいぶん前に亡くなってしまいました)を聴けたのでママス・アンド・パパス[Mama's and Papa's]の「夢のカリフォルニア」Carifornia Dreamin'を。最近YOU-TUBEでときどきみている欧米のユーチュバーたちが発信している[Reaction]とか[First Time Hearing]という動画で。現代の若者たちが60年代70年代を中心としたオールディーズを初めて聴いてどんな反応や感想を示すかというYOU-TUBEですが、途中で中断して感想を述べたりしますが、それはそれでおもしろい。ユーチューバーとその音楽を共有している気分にもなりますし。英語を完全に理解できなくてもそのリアクションは伝わってきます。

https://youtu.be/cAom10KQOOI


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