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過ぎてゆくのさ夜風のように [歌謡曲]

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いまだ、脳内MDコンポでは「さすらい」が流れております。

まえにも言いましたがこの「さすらい」は「詠み人知らず」の歌で、戦時中、フィリピン・ルソン島に赴いていた日本兵たちにうたわれていたという「ギハロの浜辺」という歌を植内要が採譜したものといわれています。以前はYOU-TUBEにあった記憶があるのですが、いまはありませんでした。

ソフィスティケイトされたこの歌が実際に知られるようになったのは昭和35年(1960)の日活映画「南海の狼煙」の主題歌として銀幕に流れてから。「海から来た流れ者」以来の流れ者シリーズの三作目で宇和島の闘牛にからむアクション映画でした。
監督は山崎徳次郎、相手役は浅丘ルリ子。ほかには日活ニューアクションには欠かせない殺し屋として宍戸錠、またキャバレーシーンの名花・白木マリが共演。敵役は金子信雄と岡田真澄。懐かしいなぁ、みんな。
「さすらい」は以後「流れ者シリーズ」の通しの主題歌となります。

2年後の37年にやはり日活で小林旭主演のサーカスを舞台にしたラブ・サスペンス「さすらい」が作られ、その主題歌は2年前の「さすらい」がそもまま流用されます。監督は野口博志、共演は松原智恵子でした。
経緯は不明ですが、「南海―」で同時発売した主題歌の「さすらい」が思いのほかヒットしたため、その主題歌「さすらい」をモチーフとしてあらたに脚本を書き上げたのではないでしょうか。もっといえば、もしかすると小林旭自身がその歌を気に入ってリクエストしたのかもしれない。
なお、この映画では戦前の「サーカスの唄」(昭和8年・松平晃)が挿入歌としてつかわれています。もちろんうたっているのはアキラ。

そして「さすらい」はそれ以外でも、アキラ主演の作品で挿入歌として何度かつかわれたそうで、本人およびスタッフによほど気いられた歌だということがわかります。
実際小林旭は自伝のなかで「さすらい」がいちばん好きな歌だと書いています。その自伝のタイトルも「さすらい」。

「おらおらでひとりいぐも」の桃子さんが♪夜がまた来る 思い出つれて と一節唸ったように、この歌を好きで聴いたり、あるいは口ずさんだりした・している人はめずらしくなかったのかもしれません。

小林旭、ではなくて小林信彦は自著のなかでアキラと「さすらい」のことを書いている。
30年代のエンタメ、とりわけ映画と喜劇について書かせたら右にも左にも出る者がいない作家が小林信彦。

小林信彦は昭和7年(1932)生まれで、「南海の狼煙」が封切られた頃は20代後半。
その4年前の石原裕次郎の鮮烈デビューで始まった日活アクションを支持した主軸年齢層はどのへんだったのか。おそらく中卒の16歳くらいから20代前半あたりの男女だったのではないでしょうか。データがあるわけではありませんが。もしそうだとすれば信彦氏はやや「遅れてきた青年」。

実際、本の中でアキラの映画を観ることが「男として恥かしい」と書いています。実年齢でいってもアキラは信彦さんの6つ年下。アイドルにするにはたしかに恥かしい。

では裕ちゃんはどうだったのか。と気になりますが、裕次郎については書いておりません。
想像するに、裕次郎は信彦氏よりやはり年下ですがその差2つ。ほぼ同世代といってもいいくらいで、アキラよりは己が姿と比較しやすい。
一部では元祖・オタクといわれている信彦氏ですから、かの不良っぽい太陽族の親玉みたいな男はそのカッコよさの嫉妬もからめて肌が合わなかったのではないでしょうか。

その点アキラは、かなりの弟分であり、その演っていることのバカバカしさも相俟って憎めない愛すべき存在だったのかもしれません。
もうひとつのアキラの看板作品「渡り鳥シリーズ」ともどもその無国籍かつ定型ストーリーをマンガのようにおもしろがっていたのでしょう。

アキラの歌にかんしては「ギターを持った渡り鳥」の主題歌および作品ごとにうたわれるアキラの「民謡」の明るさと、「流れ者シリーズ」に一貫して流れる「さすらい」の暗さを比較しています。

https://youtu.be/EyqCvghXz7g

悪党どもとの格闘シーンに流れる「民謡」は笑わせてくれるけれど、いまとなっては三橋美智也に匹敵するよさがあると書いています。言いすぎかな。

https://youtu.be/hM0dRiSxw5U

「さすらい」については、その暗さは本モノで、そのやりきれなさは絶品と称賛しております。その暗さはマイトガイとちやほやされたアキラが銀幕のなかのヒーローと実際の己とのギャップに気づいたときの暗さだ、とまで言っています。ほんとかな。

いかに小林信彦が「さすらい」を気に入っているかは、「さすらい」と立てられた短いチャプターのなかで、「さすらい」の歌詞(1~3番)をすべて書き記していることでもわかります。

さらにその章の最後には、1960年の暮れ、友人数人と新宿ヒカリ座の前をこの「さすらい」を咆哮しながら、まさに夜風のようにすぎて行ったことを記しています。 

わたしにも昨年亡くなった「さすらい」友達がおりましたので、1960年という複雑な年の瀬の新宿を、あくる年に向かってさすらう小林信彦はじめとする青年たちの姿が生々しく目に浮かぶのです。

おまけは、歌:小林旭、詞:西沢爽、補作曲:狛林正一トリオをワンモア。
というよりわが青春のマドンナが出ているもので。

https://youtu.be/9LPU3KHLt3k

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