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嫌いは嫌い好きは好き [memory]

宝田明.jpg


宝田明さんがお亡くなりになりました。
87歳だそうで、容体がわるくなり翌日に永眠されたそうです。
あれほど美貌の方でも亡くなるのか、とあたりまえのことにながら不条理を感じております。また、自分も願わくば長く寝付くことなく、体調をくずしたら即あの世へ行きたいものだ、という思いも浮かんでまいりました。


昭和9年生まれといいますから、昔よく言われた昭和一ケタ世代。
朝鮮の清津(ちょんじん)で生まれ、終戦は満洲の哈爾浜(はるびん)で迎えたと履歴に書いてありました。終戦後、ソ連軍の満洲への侵攻、蹂躙で過酷な引き揚げ体験があったそうで、そのとき残虐なソ連軍の記憶が消えず、いまでもロシアの文学、音楽ほか藝術に親しめなかったそうです。


昭和30年代の前半、イケ面といえば(いまは主演俳優ほぼそうですが、当時はそう多くはいなかった)宝田明と鶴田浩二が双璧でした。
わたしが小学校へあがるかあがらない頃、近所の遊び友達がいまして、そのお姉さん(いまでいう女子高生)がわたしに歌謡曲を教えてくれまして、そのイチ押しだったのが神戸一郎。彼女曰く「神戸一郎っていい男よね。だって宝田明と鶴田浩二を足して二で割った顔をしてるじゃない」。わたしはふたりのイケ面俳優も神戸一郎も知らなかったのですが、そのとき初めて宝田明という名とその存在をインプットされたわけです。

また彼女の強いプッシュもあってその後、幼いながら神戸一郎のファンになりました。
ちなみに神戸一郎は今でいうアイドルシンガーで、映画にも引っ張りだこ。のちに観ましたが宝田明とも「嵐を呼ぶ楽団」で共演しております。

お姉さんが言った宝田明、鶴田浩二が当時の二枚目スターの代表格であったということは後日知ることになり、あらためてかのお姉さんのミーハー度を確認することにもなったわけです。

「時代の顔」というのもあるのかもしれませんが、古い人間にとってはこの二人はもうしわけないけれどキムタクより「上」でした。すくなくとも、40歳、50歳になっても端正な顔は保たれておりましたし。現在のイケ面だらけの時代、誰が真の二枚目なのでしょうか。それはともかく。

宝田明といえば古くはゴジラ俳優、あるいは近年ではミュージカル俳優としてその存在感を示しておりましたが、昭和30年代に青春を謳歌した先輩方にとっては大学生ものや源氏鶏太原作のサラリーマンもの、つまり東宝青春映画を牽引したトップスターという印象がもっとも強いのではないでしょうか。

個人的に映画に関しては残念ながら東映、日活専門でしたので、ほとんど観ておりませんが、最も印象に残っているのは昭和37年に封切られた(死語?)成瀬巳喜男監督の「放浪記」。林芙美子の自伝原作で高峰秀子が芙美子を演じ、「浮雲」とともに彼女の代表作といえる映画です。
そのなかで芙美子の三人目の夫で、才能に乏しく気の強い妻からもやりこめられる作家を存在感たっぷり、みごとに演じていたのが宝田明でした。
彼の著書には、そのとき成瀬監督から出されたロングNGと高峰秀子とのやりとり、そしてその後日談がおもしろく書かれておりました。

当時の映画界は「歌うスター」というのが重要なプロモーションのひとつで、主題歌をレコーディングする主演級の男優、女優が少なからずいました。
代表的な俳優が日活の石原裕次郎や小林旭、松竹の鶴田浩二、東映の高倉健など。

宝田明は元々高校時代から演劇部に所属していたこともあり、エンタメ志向がつよく、歌も好きだったようです。映画の舞台あいさつや、プライベートで遊んでいたキャバレーなどではよく流行歌やジャズを披露していたとか。

そして彼がはじめてうたった映画主題歌が昭和32年の「美貌の都」。監督は松林宗恵監督でヒロインはその後東宝のトップペアになる司葉子。
この歌こそが彼の唯一最大のヒット曲です。

https://youtu.be/I-yGNgabMzo

作詞は歌謡曲草創期の「東京行進曲」から「愛染かつら」、さらには戦後復興期の代表曲「青い山脈」など昭和の歌謡曲を牽引した西條八十。作曲はやはりコロムビアの看板で「東京の花売り娘」「港町十三番地」「逢いたいなァあの人に」「東京のバスガール」「恋人をもつならば」など戦後歌謡曲を支えたヒットメイカー、上原げんと。

この映画と主題歌のヒットにより翌年「愛情の都」が製作され、その主題歌もうたったそうですが、映画も歌もほぼ埋もれた存在となっております。

「美貌の都」が公開された昭和32年は戦後日本映画のピーク(観客動員)で、各映画制作会社も多作となり、宝田明も主演級を19本こなしたとか。その昭和32年、「美貌の都」の数作品あとに「青い山脈」(新子の巻と雪子の巻の2作品)が公開されその主題歌をうたっております

https://youtu.be/gWgx391uekk

昭和24年今井正監督、原節子・池部亮主演の8年後のリメイク版です。
ちなみに新子はやはり石坂洋次郎原作の「山と川のある町」で共演した雪村いづみ、雪子(島崎先生)には司葉子。六助が久保明で宝田は校医の沼田という配役でした。

そのほかにも「大学の侍たち」とか「恋のいのち」など多くの映画主題歌・挿入歌をレコーディングしておりますが、音源としてどれだけ残っているのか、ほぼ絶望的です。

https://youtu.be/UyOlRk3yFPA

そんななか、YOU-TUBEに当時の二枚目双璧の共演、鶴田浩二と出演した「暗黒街の顔
役」の予告編があり、そのなかで宝田明が一瞬キャバレーでうたうシーンがありましたので、それを。

https://youtu.be/F6wsXQAqvKw

音源をもっていないので確信はありませんが、多分この映画の主題歌「毀れた方向指示器」だと思うのですが。
そうであれば作曲は浜口庫之助、作詞は最近も舟木一夫の青春歌謡でふれました脚本家であり鉄道写真家でもある関沢新一です。もし、違う歌だったとしても宝田明の若き日の姿と美声を聴けるのでご容赦ください。

日本のミュージカルを支えてきたひとりとしても、また常々映画の社会性を語り、いまだタブー視される俳優・タレントの思想・信条をあたりまえのこととして発信してきた貴重な俳優が亡くなられたことはとても残念に思いますし、ご冥福をお祈りするばかりです。

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