SSブログ

指先に 夕陽が沈む [covers]

キムヨンジャ.jpg

https://youtu.be/tAZWCeJpAIw

最近、あまり見かけませんが韓国の歌姫キム・ヨンジャはどうしているのでしょうか。
もっともわたしが最近、歌のテレビ番組をほとんど見ないので知らないだけなのかも。いまでも彼女は日本で活動しているのでしょうか。それともこのご時世ですから故国へ戻っているのでしょうか。

キム・ヨンジャは1959年全羅南道光州市生まれ、15歳で歌手デビュー。その3年後には日本デビューというから、日本を歌手活動の舞台としてあと数年で半世紀になろうとしています。出稼ぎといったら失礼ですが、腕(のど)と努力がなければ、こんなに長く続けることはできません。
プロゴルファーのように国際ルールがあって、言葉や文化がさほど関係ない「舞台」ならばともかく、オリジナル、カヴァーをふくめすべて日本語で、それも耳の“肥えた”客に聴いてもらい満足してもらうのは、並大抵の努力とセンスがなければ不可能。

とりわけ彼女が日本の流行歌ファンから支持されるのは歌謡曲のカヴァーじゃないでしょうか。もちろん、いまの日本人歌手でも難しい昔のヒット曲をうたうのですから、正直「当たり外れ」はあります。でもハマったときの迫力はそれこそスゴイ。
だからそのカヴァーたるやおびただしい。日本の上手な歌手なら何度か歌えば会得する「歌詞」や「主題」や「ストーリー」を「肉体化」するのにどれだけの時間がかかるものか。

数あるカヴァーの中から、昭和の歌謡曲を聴いてみたいと思います。
それも古い歌謡曲。戦後の復興と発展のなかで庶民に受け入れられた昭和20年代、30年代、40年代の歌謡曲をそれぞれ1曲ずつ3曲を。


まずは昭和29年(1954)のヒット曲、「黒百合の歌」。

https://youtu.be/2iHJeQ5qFOc

29年といえば敗戦から9年、日本がようやくひと息つけそうになってきた頃。それでも横丁には防空壕跡があったり、街角には傷痍軍人が弾くアコーディオンが悲しげに響いていたりと、戦争の残滓はいまだ残っておりました。
そんななかで頻繁にラジオから流れていたのが「黒百合の歌」。

同年に公開された映画「続・君の名は」の主題歌で、前年の前作「君の名は」と同じ織井茂子がうたった。作詞作曲も同じコンビで、詞は原作者でもある劇作家の菊田一夫。曲は戦前・戦中・戦後と一貫して流行歌の売れっ子だった古関裕而。
もともとはその2年前の連続ラジオドラマ「君の名は」からはじまった遭ったり離れたりと運命に翻弄される男女・春樹と真知子のドラマで、社会現象といえる大ブームとなりました。
SNSはもちろん、ケータイもない、テレビもないそんな時代で、ラジオと新聞と書籍と雑誌とレコードで日本のすみずみまで、その存在を知らしめるということは、今の尺度では推し量れないほど爆発的なエネルギーが存在していたはず。

第一作の「君の名は」もヒットしましたが、この「黒百合の歌」のほうがヒットしたようで、いまだうたいつがれているのはこちらのほう。
作詞の菊田一夫はアイヌの娘・ユミ(北原三枝)の激しい情念そのままにプロ作詞家には書けない独特の世界を描いています。
とりわけ、「あたしが死んだら」とか「やがては私も死ぬんだよ」という歌詞のインパクトが大きかった。それまでの歌謡曲にもあったリリシズムとしての「死」ではなく、どこか心中をにおわせていたり、死ぬことへの「居直り」が感じられるコワイ女がうたわれておりました。
別の言い方をすればある種の狂気、それをキム・ヨンジャはみごとに演じております。


時は流れて昭和35年。
この頃になると、日本が完全に経済成長のレールに乗ったといってもいい時代。
その一方我が先輩方のなかには、本気で革命が起きると信じていた政治の季節でもありました。まぁ、いまから考えれば、そうした思いや行動ができたのも、一般庶民にも経済的な基盤ができあがってきたから、といえないこともありません。少なくとも全般的には食うや食わずという生活からはなんとか抜け出せていたのですから。

そんな時代、夜の街に低く暗く流れていたのが松尾和子がうたう「再会」。

https://youtu.be/oDo8imSSY_A

その少し前の昭和32年には29年の「お富さん」以来の大ヒットとなった「有楽町で逢いましょう」が日本を席巻し(大袈裟かな)、翌33年には「西銀座駅前」が、そして34年には「東京ナイトクラブ」と、大人の恋愛ソングが巷に流れます(JPOPと比べるとなんとも流行歌の変遷に唖然とさせられます)。

そして35年には「好き好き好き」や「東京カチート」が。
これらすべてフランク永井の歌。そしてこれらすべてソングライターは曲が吉田正、詞は佐伯孝夫のコンビ。
あきらかにそれまでの流行歌とは異なった雰囲気の歌で、当時「都会調歌謡曲」なんて呼ばれていました。それが後にトレンドとなるムード歌謡のさきがけでもありました。

「再会」も吉田・佐伯コンビの作で、フランク永井同様、ジャズシンガー出身の松尾和子が情念たっぷりにうたっております。牢獄に囚われの身となった男を指折り数えて待つという健気な女性のストーリー。ひと昔前なら戦地に赴いた夫や恋人を待ったり、少し前なら都(東京)へひとはた上げに出て行った男を待つというのが定番でしたが、「再会」のヒロインは監獄に囚われの身の男を待つというのが新鮮でした。

前述したように35年は安保闘争の時代。
先輩たちは「戦いすんで日が暮れた」その虚脱感を西田佐知子の「アカシヤの雨がやむとき」で癒し、それを「われらが歌」とした、という伝説が残っております。しかし後輩は「再会」こそ安保を象徴する歌ではないか、と思うのです。
感情を抑え気味のオリジナルに比べるとキム・ヨンジャはやや感情過多ですが、そういう「待つ女」でもそれはそれでストーリーが浮かんできます。


ふたたび時は流れて、昭和は40年代。
かつてはダミ声といわれ、歌手には向かないといわれていたハスキーヴォイスの時代がやってきました。

https://youtu.be/q80UalD2Km0

昭和43年、矢吹健がうたったのが「あなたのブルース」。
7,8年前に亡くなってしまいましたが、彼のデビュー曲です。
その2年あまり前に「女のためいき」でデビューして大ブレイクしたのが元祖ハスキーヴォイスで「女歌」をうたったのが森進一。
ある歌手がブレイクすると、「柳の下の泥鰌」を探せとばかり、そのエピゴーネンが何人も出てくるのは今も昔も。

矢吹健もハスキーヴォイスで、森進一の亜流のひとりかと思われましたが、師匠・藤本卓也作詞作曲のこの「女歌」は大ヒット。多くの歌手にうたいつがれる名曲となっております。柳の下に泥鰌は2、3匹いるようです。
「あなた」を連呼する女の情念もスゴイですが、恋人に去られた女の「取り残され感」が半端ない。

この歌もある意味夜の世界を思わせる「ムード歌謡」でこのあたりから本格的なムード歌謡が流行歌のトレンドとなる時代がはじまっていました。
「あなたのブルース」の少し前の41年には黒沢清とロス・プリモスが「ラブユー東京」でデビュー、「あなたのブルース」の翌44年には内山田洋とクールファイブが「長崎は今日も雨だった」でデビューしております。

昔なにかの本でこの歌が実は「同性愛」をうたったものだ、という記事を読んだことがありました。真偽のほどはわかりませんが、そう思って聴けばそう聞こえないことはありません。女同士であれ、男同士であれ。
キム・ヨンジャのカヴァはその演出も含めて圧巻です。やっぱりこの歌は男がうたう「女歌」ではなく、女のシンガーで聴きたいと思わせられました。それほど彼女の歌は素晴らしかった。



北京五輪はいくつか問題を残しながらも終了しました。
平和の祭典が終った途端に戦争が始まろうとしています。
「平和が終ったのだから戦争だ」ってまるでマンガみたいな話です。ロシアとしてはオリンピックが終わったら軍事行動を起こそうな、と決まってたのでしょうし、欧米側だってそのことは承知していたのでしょうし。いや中国だってこのことを知ってたはず。
だとすれば、世界情勢からみればオリンピックなんて茶番なんでしょうね。IOCもオリンピックの期間中だけは避けてくださいねというスタンスなんでしょうか。

しかし昨日平和を唱和しながら、夜があけたら砲弾が飛び交う(かもしれない)というのはあまりにも露骨で、ばかばかしい行動。これが大人のやることか、という気さえします。

まだ全面戦争が始まったわけではないので、多くのひとたちの心配が杞憂におわることを願うだけです。
スポーツにはもちろん音楽にも戦争を回避する力はないけれど、それでもやりたくなるし、見たくなるし、聴きたくなるし、うたいたくなる。
オマケはロシアの変心を願ってこの歌を。

https://youtu.be/4o1KAKEGxbk


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。