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なかにし礼▼エメラルドの伝説 [歌謡曲]

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グループサウンズが大ブレイクしたのは、昭和41年のジャッキー吉川とブルー・コメッツの「青い瞳」からでしょう。

ただその前年から、スパイダースやジャイアンツはレコードデビューしていて、インストながら寺内タケシ率いるブルー・ジーンズもレコードを出しています。
オリジナルということになるとスパイダースの「フリ・フリ」(詞・曲かまやつひろし)が嚆矢ということになります。

この頃音楽業界の業態が変りつつあり、フリーの作詞家だったなかにしにも依頼がきます。

https://youtu.be/BcHBFAXYwww

なかにし礼のGSデビューは42年、フレッシュメンの「バラは帰らない」とそのB面の
「お花おばさん」。曲はフレッシュメンのリーダー、石橋修。同バンドはその後、第二弾を出すこともなくフェイドアウト。
また、ほぼ同時期にテンプターズが「忘れ得ぬ君」でデビューしていますが、そのB面がグラス・ルーツのカヴァー「今日を生きよう」。その訳詞(ほとんど作詞ですが)をなかにし礼が担当。

そして翌年、ショーケンこと萩原健一がヴォーカルのそのテンプターズが彼ら最大のヒット曲を出します。

https://youtu.be/wiIEDA0Mqi8

その詞がなかにし礼。ちなみに曲はのちに実業家に転身する村井邦彦。
一見リアリストのなかにし礼がかくもメルヘンチックな詞を書くんだなぁという感嘆もありますが、おそらくプロデューサーの強い要望があり、売れっ子作詞家はプロの仕事をしたのでしょう。
テンプターズでは、「純愛」「帰らなかったケーン」ほか5枚のシングルで詞を書いています。

つぎはテンプターズ同様、比較的多くの曲を書いているゴールデン・カップスのこの歌。

https://youtu.be/0ke4qCTY-RU

カップスのデビュー曲で、B面の「陽はまた昇る」ともども詞を書きます。曲はいずれも
鈴木邦彦。その後、4枚目のシングル「愛する君に」と6枚目の「本牧ブルース」を書きます。こちらはいずれも村井邦彦の作曲。
昨年はルイズルイス加部とマモル・マヌーが亡くなり、オリジナルメンバーはリードギターのエディ藩だけになってしまいました。寂しいことですが、それだけ長い時間が経ってしまったということでもあります。

なかにし礼は自著のなかでGSについて、それまでのレコード会社にかわる音楽出版社の登場と、フリーの作詞・作曲家の出現(それまでは共にレコード会社専属だった)、さらには新しい欧米の音楽を取り入れようとするミュージシャンたちが交差し、切磋琢磨してつくられた音楽だと書いています。

GSのピークは短く、40年代も半ばを過ぎるとほとんどのバンドが解散してしまいましたが、その後何度も訪れたバンドブームや、現在の音楽事情をみればその意味、意義はたしかにあったといえるのではないでしょうか。

ところでGSはその人気のバロメーターでいえば、御三家がブルー・コメッツ、タイガース、スパイダースで、その下がテンプターズ、ワイルドワンズ、ゴールデン・カップアスというようなランクではなかったしょうか。
もちろんなかにし礼はそんな人気どころともしっかり仕事をしております。

御三家でいえばブルー・コメッツ「海辺の石段」、スパイダース「涙の日曜日」「ガラスの聖女」、タイガース「美しき愛の掟」「花の首飾り」(補作詞)。
さいごにそのなかからGSの終焉を告げ、和琴まで使って歌謡曲への転向?を示唆する一曲を。

https://youtu.be/j4tDikdV3JE

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