SSブログ

なかにし礼▼サバの女王 [cover pops]

なかにし礼02.jpg

先月23日にお亡くなりになったなかにし礼さん。
とり急いでお悔やみのブログを上げてからひと月あまりが過ぎました。

テレビ各局コロナの報道が中心とはいえ、なかにし礼(以後敬称略)の歌があまり聴こえてきません。阿久悠さんが亡くなったときはもっとあちこちから彼の歌が聴こえていたような気がしますが。タイミングもあるのでしょうが。

多くのすばらしい「詞」を聴かせてもらった身としましては、少し落ち着いたところで、あらためてその素晴らしい歌のいくつかを聴いてみたいと思ってます。

まずはプロの作詞かになる足がかりとなった「訳詞」から。

大学時代アルバイトでシャンソンの訳詞をしていた昭和35年、CBC(中部日本放送)のラジオ歌謡に「めぐり来る秋の日に」で応募、みごと入選します。その歌を戦前からのタカラジェンヌでシャンソン歌手の深緑夏代がうたいました。
となれば、なかにし礼の作詞第一号だと思うのですが、レコード化されず、音源も残っていないようで「幻の第一号」?になってしまったようです。ちなみに作詞第一号は、ひと月前のブログでピックアップした「涙と雨にぬれて」です。作曲も。

そのラジオ歌謡が縁で、深緑のシャンソンの訳詞を多くてがけるようになります。なかにしはそのシャンソンの訳詞がその後の作詞の原点だと自著で書いております。そのうちの「ジプシーの恋唄」「不思議ね」「知らない街」は彼女のCDアルバムにも入っています。

また、なかにしの訳詞は1000曲あまりあるそうで、そのうちの100曲は、2004年に「東京の空の下、人生は過ぎゆく」という6枚組のCDアルバムに収められています。深緑夏代のCDともども現在は廃盤でしょうから入手は困難でしょうが。

で、訳詞のレコード化第一号は芦野宏がうたった「チャオ・ベラ」(さらば恋人)で昭和37年のこと。ただこれはシャンソンではなくカンツォーネだとか。

そして初めてのヒットとなるのがこの歌。

https://youtu.be/dCn0k3syvDA

昭和40年に大ヒットした「知りたくないの」。
1954年エディ・アーノルドでヒットしたドン・ロバートソン作曲のカントリーソング。ほかにメアリー&レス・ポールやエルヴィスもレコーディングしています。
原題はI really don't want to know でほぼ邦題どおりで、♪あなたの 過去など 知りたくないの という訳詞も全般的には原曲に忠実。
20年代の「テネシー・ワルツ」同様、カントリーのカヴァーは当たると大きい。

クラシックを学んで主にタンゴをうたっていた菅原洋一が40年にレコーディング。以後息の長い人気曲となり、2年後に大ブレイクしました。
日本の場合は「女歌」で、女性が恋人である男の過去は不問というかたちに。こういう前向きで、主体的な女性というのは、この時代まだめずらしく、それも新鮮でした。

この訳詞についてなかにしは自著のなかで、「過去」という詞にひらめいたと語っています。歌謡曲のなかで「過去」は聴いたことがなくはじめてではないか、と。たしかにいまでこそあたりまえのように使われている「過去」ですが、それまではまず聴いたことがありません。だいたいは「むかし」と使ってしまいがち。35年に星野哲郎が「東京へ戻っておいでよ」(守屋浩)で「過去」という字面をつかっていますが、これもやはり「むかし」と読ませています。
「新しい言葉」を発見し、つかうのも作詞家の才能でしょう。

次は流行歌の王道ともいえる昭和46年の「別れうた」。

https://youtu.be/a3NZjpdnbls

原曲はオーストリア生まれのドイツで活躍していたシンガーソングライター、ウド・ユルゲンスがつくった「夕映えの二人」。原題は「君に伝えたいこと」。
46年にペドロ&カプリシャスがこのなかにしの詞を擁してレコードデビュー。
ペドロ&カプリシャスはペドロ梅村がリーダーのラテンポップスバンドで、初代のヴォーカルは宝塚に在籍した前野曜子。

原曲を意識してか、なかにし礼が描く女性は、まるでフランス映画のヒロインのようにクール。そしてドラマチックなシチュエーションは駅。
昭和30年代の第一期歌謡曲黄金時代にも「駅」は欠かせない舞台でした。しかし、それは望郷歌謡に代表されるような、一旗あげに都へ旅立つ男と、ホームで見送る女との涙の別れ。

シチュエーションは同じでも「別れの朝」のヒロインは違います。
なぜ別れるのか、流行歌の場合別れに理由はいらない。ふたりが遠く離れることが重要で、そのため「汽車」も欠かせません。
朝、ふたりで紅茶を飲み、キスをかわして彼を駅まで送る。そして列車の中で手を振る彼の目をただみつめている。
クールで不可解な女性です。そうした謎めいたキャラクターがヒットの要因でしょうか。

なおヴォーカルの前野は2年余りでカプリシャスを脱退し、その後いくつかのバンドに所属したりソロになったりしてシングル、アルバムをリリースしています。52年には、なかにし礼作詞、フリオ・イグレシアス作曲という豪華コンビの「抱きしめて」を出しましたが、ヒットまでには至りませんでした。
その数年後、40歳という若さで病死しております。

最後はお得意のシャンソン。

https://youtu.be/6gtlgYnFcuA

シンガー・ソングライターのミシェル・ローランが自作自演した1967年の作品。
サバは旧約聖書にでてくる、エジプトやエチオピア付近を支配していたともいわれる幻の国。フランス読みでは「シバ」、英語なら「サバ」。

原曲は「キミはシバの女王のような魅力的な女性だ」というような意味だとか。なかにし礼はそうした伝説にとらわれることなく男の気持ちをつなぎ留められない女心をうたったトーチソングにしあげています。
とりわけ男性が去っていくことで、生きる力も希望も失せていく心理を「砂時計」によって表現しているのが新鮮でした。

43年に作曲者のミシェル・ローランがうたってレコード発売。それから5年後の48年、アルゼンチンのグラシェラ・スサーナがうたってヒット。
ほかに水原弘、尾崎紀世彦、雪村いづみ、今陽子などがカヴァーしている。

https://youtu.be/KRxWX4YIYV4

なぜかスサーナのオリジナル版は2番の歌詞♪けれどもあなたが 帰る望みは……
の部分を♪帰るのよりは……とうたっています(オリジナルのローランの発音もあぶなっかしいですが)。つまり「望み」を「のより」と。
さづがに、その後のコンサートでは正しく「帰る望みは」とうたっております。
レコーディングでなぜこんなミスがスルーしてしまったのか不思議ですが、そののちカヴァーする歌手のなかにはそのまま「帰るのよりは」と不思議な日本語をそのまま踏襲している人もおりました。

以上3曲いずれも主人公は女性。
だいたいなかにし礼は「女歌」の方が多いようです。シンガーは男でも女でも。
そんなわけで次は昭和40年代のガールポップスを。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。