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テネシー・ワルツ02 [cover pops]

テネシー・ワルツ02.jpg

今日は半日仕事場にこもっておりました。
こういうときは、誰も見向きもしないカセットデッキにテープを放り込んでBGMとして聴いております。
デタラメに箱に入れてあるテープを、ラベルなど見ず籤を引くように取出しデッキへ。何が聴こえてくるかはお楽しみ。

聴こえてきたのはクラレンス・ホワイトのアコースティック・ギター、「ワイルドウッド・フラワー」。カーターファミリーの作品です。その後もオールドタイミーが続きます。

しばらくするとガチャっと音がして、テープがBサイドにチェンジ。
エミルー・ハリスの「ブルー・ケンタッキーガール」です。

https://youtu.be/1GogWgg61vQ

これも、そろそろテープが千切れるのではないかというほど何度も聴いたアルバム。1曲目がアルバムタイトルで、以下「ウェイファリング・ストレンジャー」、「ミスター・サンドマン」「ムーヴィオン」「ラストダンスは私に」などなどが続き、最後の11曲目が「テネシー・ワルツ」というエミルーがグラミー賞を獲ったデビュー6枚目のアルバム。

ブログのために聴いたのではなく、まったくの偶然。「天啓」?。それほど大げさではないですが。

最近よくグッドタイミングなことがあります。何度も起きるので不思議な感じです。
先日はブックオフで本を探しているとき、たまたま目に止まったのが白水社クセジュ文庫の「香水」という新書。ほぼ同時にBGMが変わって流れてきたのが例の「香水」。周囲に人がいなかったら「へえー」と一声発していたところ。
話がそれてしまいました。

https://youtu.be/bCn1-oRDEPU

パティの世界的ヒットを受けて、江利チエミが「テネシー・ワルツ」をカヴァーしたのが昭和27年。パティに遅れること2年。ただ、江利が参考にしたのはパティ盤ではなく、ジョー・スタッフォード盤だとか。もちろん多重録音もつかっていない。

当時はジャズあるいは軽音楽といわれたカヴァーポップスでは、和製「テネシー・ワルツ」
の2年前、つまり昭和25年に池真理子が映画の主題歌「ボタンとリボン」をリリースし、「バッテンボー」の流行語とともに大ヒット(1年で7万枚とも10万枚とも)させています。
「ボタンとリボン」のオリジナルはダイナ・ショアで、彼女はその後雪村いづみがカヴァーした「青いカナリヤ」をヒットさせます。

江利チエミの「テネシー・ワルツ」には英語と日本語を取り混ぜた構成で、よく聴くヴァージョンは冒頭のダンパで友人を恋人に紹介する場面はパティと同じように女ともだちを恋人に紹介するかたち、つまり「女歌」になっています。

ところが、その冒頭が日本語になっているヴァージョンもあり、そこでは♪別れた あの娘よ 今はいずこ と「男歌」になっている。「別れたあの娘」が恋人を奪った女ともだち、という解釈もできなくはありませんが、去っていった彼女を元彼が偲んでいるというのが流行歌の自然な「お約束」ではないでしょか。

日本では女性が「男歌」をうたうことはめずらしいことではありません。現在のJPOPでも。その逆もごくあたりまえのように横行しております。これが日本の流行歌文化。

その日本語詞は現在では本名の和田寿三になっていますが、当時のクレジットでは「音羽たかし」。それは、チエミが所属していたキングレコードのプロデューサー数人のペンネームで、ザ・ピーナッツ、平尾昌晃、伊東ゆかり、ペギー葉山ら所属シンガーたちのカヴァー曲の訳詞(作詞)はほとんど彼らの手によるものでした。

「情熱の花」も「リトル・ダーリン」も「ロコ・モーション」も「ドミノ」も。
もちろんチエミの「カマナ・マイ・ハウス」「ウスクダラ」「ガイ・イズ・ガイ」なども。
ちなみに「音羽たかし」の「音羽」はキングレコードや親元講談社が文京区の音羽にあったからそう命名したのだとか。「たかし」は不明で、「音は低し」よりも「音は高し」のほうが良かった、なんてことはないでしょうが。

とにかくチエミの初レコード「テネシー・ワルツ」は2か月足らずで7万枚以上、1年では20万枚以上を売上げ、当時のカヴァー曲としては異例のビッグヒットとなります。

昭和27年といえば、戦争が終結してわずか7年。テレビ出現以前で、貧しさという後遺症は未だ癒えず、レコードを購入する余裕のある人など多くはなかった。そのなかでの7万枚なのですから現在とはまるで比較になりません。

15歳で「テネシー・ワルツ」でデビューした江利チエミはその後、ポップス、スタンダードなどの洋楽を中心(「新妻にささげる歌」、「酒場にて」ほかオリジナルのヒット曲もあるよ)に、日本のトップシンガーに君臨していきます。その後の波瀾万丈の人生については、ウィキあるいは評伝もでておりますので、そちらのほうで。

これだけの名曲だけに、日本人のカヴァーも少なくないので、何曲か聴いてみたいと思います。

その後の洋楽カヴァーというとレコード会社のいくつかが競作というかたちで出版されますが、「テネシー・ワルツ」はどうだったのか。
同時ではありませんが、翌28年にフランキー堺がLP収録曲の一曲としてレコーディングしています。
アメリカのスパイク・ジョーンズを真似たシティ・スリッカーズというバンドを率いての冗談音楽で、ほぼ原語ですが、擬音を駆使したり、♪マイ トモダチ ストール マイ スイーハート フラム ミイ などと泣きながらうたっております。
ほかに「別れのワルツ」も「悲しき結婚式」というタイトルで、♪俺の好きな あの娘は お嫁に行く
と涙ながらにうたっておりました。 
残念ながらYOU-TUBEにはありませんでしたが。

ほかでは僚友の美空ひばり、雪村いづみがカバーしています。

https://youtu.be/xSB_m-RkyHU

ジャズでは旗照夫、綾戸智恵、デューク・エイセスらがいますが、ペギー葉山の「学生時代」をつくったビブラホン奏者・平岡精二の「あいつ」をうたった懐かしいこの人で。

https://youtu.be/6jkPcJDoGcU

カントリーでは亡くなったジミー時田、黒田美治、トミ藤山ほか、だいたいのシンガーはうたっています。なかでも歌のうまさはいちばん、日本のハンク・ウィリアムズに。

https://youtu.be/sSH_oMrulrw

ポップスではザ・ピーナッツ、伊東ゆかり、園まり、ペギー葉山、ペドロ&カプリシャスクミコ、夏川りみなどいちばん多いのですが、柳ジョージと江利チエミとの貴重なデュエットで。柳ジョージにはR&Bのカヴァーアルバムがあり、その中にもおさめられてます。アレンジはサム・クックをベースにしているようです。

https://youtu.be/Zb8YXSeWnq0

歌謡曲でも五木ひろし、島津亜矢、キム・ヨンジャ、川野夏美などがうたっていますが、異色三人娘プラスワンで。一緒に出てくるもう一曲は1945年ドリス・デイでヒットした曲。先に紹介した池真理子の「ボタンとリボン」のB面。

https://youtu.be/xioix-1DGrs

「テネシー・ワルツ」が流れた映画といえば、江利チエミ自身がうたった「サザエさん」は別として健さんの「鉄道員(ぽっぽや)」が思いつきます。

この歌が採用されたいきさつについてはウィキにいろいろ書いてあるのでスルーしますが、いささか違和感も。もちろん健さんからの提案ではなく、プロデューサーや監督からの話だったのでしょうが、承諾したということは健さんにも「使ってもいいかな」という思いがあったのでしょう。「でも、それをプロモーションにはしないでくれよな」なんて健さんの声が聞こえてくるようです。映画を一部私物化するのも健さんなら、テネシー・ワルツならいいかな。

「テネシーワルツ」というテレビドラマがあったそうで、その主題歌を安倍恭弘がうたっているようですが、どちらも初耳でした。テネシー・ワルツのレコードがキーとなるミステリーだそうで、多分何度も「テネシー・ワルツ」(パティ盤?)が流れていたのでしょう。なお、同名の主題歌はオリジナルです。

さいごのオマケは、別の「テネシー・ワルツ」が出てくる歌を。

https://youtu.be/j5aINIgqRVE
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