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テネシー・ワルツTennessee waltz [not mellow BB]

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アメリカの大統領選はようやく「バイバイ・トランプ」で終わりそうですが、ほんとに彼にとっては惜敗で、州によっては圧勝だったところも少なくない。
激戦となったジョージア州のすぐ北に位置する南部・テネシー州では、トランプが60%以上を獲得して勝利だそうです。
それでも、州都のメンフィスや大都市ナッシュビルではバイデンが勝っているのがアメリカの分断や複雑さを象徴しています。

ちなみにメンフィスにはエルヴィスが初レコーディングしたサン・レコードがあり、ナッシュビルはカントリーミュージックの祭典「グランド・オール・オプリ」の開催地。

そのテネシー州の州歌といえば有名なのが「テネシー・ワルツ」。
実はほかにも9つの州歌があるのですが。

https://youtu.be/44B6B1OycgI

「テネシー・ワルツ」は1950年、パティ・ペイジによってうたわれ、世界的ポップソングとなりました。それから70年が経過してしまったので、今の若者にとっては、よほどの「若年寄」でなければ忘れられた歌といわれても仕方のないところ。

この美しい歌のルーツがカントリーミュージックであるとこも高齢の洋楽好き以外は誰も知らないのかもしれません。

https://youtu.be/yL5lLDdnDgo

誕生したのは1948年。つくったのは当時流行のウエスタン・スイングバンドを率いていたピー・ウィー・キングと、そのバンドのフィドル兼ヴォーカルだったレッド・スチュアートのコンビ。ちなみにふたりはジョー・スタッフォードをはじめ多くのシンガーがうたっているスタンダード「ユー・ビロング・トゥ・ミー」のライターでも。

その年、ピー・ウィーたちのほかにもパティと同じオクラホマ出身のカントリーのバラードシンガー、“カウボーイ”コーパスがこの「テネシー・ワルツ」をレコーディングし、ともにカントリーチャートに入っています。

パティがプロになったのは47年、20歳のときで、23歳で「テネシー・ワルツ」をヒットさせる前にも、いくつもビルボードのチャートに入る曲をうたっています。「テネシー・ワルツ」をリリースする半年前には「オール・マイ・ラヴ/ボレロ」でチャート1位を獲るなど、いわば有望なポップシンガーでした。

パティがピー・ウィーたちの「テネシー・ワルツ」を知っていたかどうかは不明ですが、少なくともそれらを聴いてこの歌をうたいたいと思ったわけではないらしい。

https://youtu.be/de5kkTdWn7E

実はピー・ウィー達や、コーパスのほかに同じ年「テネシー・ワルツ」をリリースしていたグループがいました。
それがアーキン・ホーキンス楽団で、ヴォーカルにピアニスト兼のエイス・ハリスをフューチャーした「テネシー・ワルツ」は、R&Bチャートのランク6位に。

そのホーキンス楽団盤をパティにすすめたのが音楽プロデューサーだったジェリー・ウェクスラー。
ジェリーはレイ・チャールズやアレサ・フランクリン、クリス・コナーらを育てた辣腕で元々ジャーナリストだったこともあり、それまでのレイス(黒人)ミュージックを「リズム・アンド・ブルーズ」と言い換えた男でもあります。

これを気に入りパティはさっそくシングル盤としてレコーディング。
そしてご存知のとおりパティの「テネシー・ワルツ」は1950年から数年間で700万枚を超える大ミリオンヒットとなったのです

パティによって「男歌」から「女歌」に変えられた「テネシー・ワルツ」は早い話が「寝盗られソング」。
ダンスパーティーで恋人と踊っていたら、久しぶりの旧友と再会。自然の流れでその彼女をダーリンに照会したところ、自然の流れ?でふたりは踊ることに。

するとその一曲踊る間に、旧友はなななんとダーリンのハートを盗んでしまった。という悲しき恋の物語。
失恋も過ぎてしまえば良い思い出という、美しい歌です。


パティはその後、いくつものナンバーワンを含む、日本でもおなじみのミリオンヒットを連発しています。

https://youtu.be/g0OSRuaKKig

「モッキンバード・ヒル」Mockin' bird hill
美声で啼くモッキンバード(つぐみに似た小鳥)の囀りで目覚める丘での幸せな暮らしをうたってミリオンヒットに。パティより少し前にレス・ポール&メリー・フォードでヒットしている。日本ではペギー葉山がカヴァー。

https://youtu.be/2AkLE4X-bbU

「ワンワン・ワルツ」Doggie in the Window
ペットショップで、「防犯や散歩するために必要なの、あの犬はおいくら?」と値踏みをする女性の他愛のない歌。犬の鳴き声が当時はめずらしかったノヴェルティソング。桜田淳子がカヴァーしてるらしいが、YOU-TUBEには見当たらない。かわりにナンシー梅木のヴァージョンがありました。

https://youtu.be/Qph5hIicNbI

「涙のワルツ」I went to your wedding
これまたワルツ。「テネシー・ワルツ」ほどではないが日本でもヒットし、ファンも多い。元彼?の結婚式で涙するハートブレイクソング。「テネシー・ワルツ」の続編ととれないこともない。のちにハンク・スノウがカントリーにアレンジし、チャートインさせている。
日本ではペギー葉山、伊東ゆかり、エミー・ジャクソンらがカヴァー。

https://youtu.be/PZd1wgl665k

「チェンジング・パートナーズ」Changing partners
これも日本では人気のあったPatti's song 。内容は彼と行ったダンスパーティでの出来事。「彼との楽しいダンスも、すぐに相手を変えなければならない踊りだったため、彼はあっという間に彼方へ。だから私は次々に相手を変えて早く彼の所へいくの」という女心をうたっている。日本では江利チエミが「君慕うワルツ」という邦題で♪悲しや チェンジパートナー 君去りゆけば とうたっている。またこれもレッド・スチュアートやビル・モンローらによってカントリーにアレンジされている。

「テネシー・ワルツ」は名曲だけにカヴァーも多い。
カントリーならロイ・エイカフ、エディ・アーノルドやアーネスト・タブ。ディーヴァならパッツィ・クライン、エミルー・ハリス、エヴァ・キャシディ、ヘイディ・ハウゲとか。

ジャズではソニー・ロリンズが知られていますが、ポップスならジョー・スタッフォード、アン・マレー、ボニー・ライアット、ノラ・ジョーンズ、コニー・フランシス、ペトゥラ・クラークなど。男性ならパット・ブーン、オーティス・レディング、サム・クック、YOU-TUBEを探せばエルヴィスでも聴けます。

もちろん日本でもヒットしました。
ドリス・デイと並んで、この時代日本で最も知られた女性ジャズ(そう呼ばれた)ヴォーカリストだったペティ・ベイジ。

当時高校生だった、元演出家で作家の久世光彦はその著書のなかで、「《Patti Page》と表紙に書いたノートを、いつも通学鞄に入れていた。中には彼女のヒット・ナンバーの英語の詞が、小さな几帳面な私の字で書かれていた……私たちの世代にとって、《パティ・ページ》だけは特別だった。」と「パティ・ペイジの時代」を書いています。


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