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hand in hand 4 [not mellow]

hand in hand02.jpg

今日も晴れて、よい雲がでておりました。

いくらか風があったようでゆっくりと流れておりました。
その塊からしばし目を離すと、すでにその形はくずれ、砂や油のアニメーションのようにメタモルフォーゼされていきます。飽きません。

きょうは用事ででかけ、地下鉄のある駅をでて、目の前の信号で待機していますと、反対側にカップルがやはり信号待ちをしておりました。
30前後らしきそのカップルはみごとに?手をつないでおりました。

どちらもちょっと細身で中背。きょうは暑かったので男性は上着を手にしてYシャツネクタイ姿でした。女性も白いブラウスにベージュ系のロングスカート。まったく絵に描いたようなカップルのハンドインハンド。太めの方々のハンドインハンドが似合わないということではないのですが。

洋楽のハンドインハンドを。
洋楽でも、というか洋楽の方が昔ながらの習慣でハンドインハンドはよくうたわれてきたのでは。日本では明治以降ですよね、大ぴらに男女が手をつなぐようになったのは。時代劇でもあまり江戸の市中で恋人同士が手をつないで、なんて光景見ませんから。

もっとも知られた洋楽のハンドインハンドはこの歌ではないでしょうか。

https://youtu.be/jenWdylTtzs

ビートルズが日本に上陸したのは64年のはじめ頃。
その前年から洋楽に目覚めたわたしは、トランジスタラジオで聴きまくり。
エルヴィスの「悲しい悪魔」クリフ・リチャードの「ラッキー・リップス」、ジョニー・シンバルの「ミスター・ベースマン」、ベルベッツの「愛しのラナ」、ブラフォーの「北京の55日」などなど、あげたらキリがありませんが、とにかく新鮮な洋楽ポップスの大洪水に酔い痴れておりました。

ちょうどトロイ・ドナヒューの「恋のパーム・スプリングス」のナンバーワンを祈願しているとき、ベスト10にはいってきたのが「プリーズ・プリーズ・ミー」。
それは衝撃的、なんてことはなく「恋はスバヤク」とか「ドミニク」と同じようなたんなるグッド・ソングのひとつでした。
当時のミュージシャンにとっては衝撃的な楽曲だったのかもしれませんが、一洋楽ファンにとってはワンノムゼム。

でもそのあとすぐ、ビートルズに衝撃を受けました。それは2曲目の「抱きしめたい」以後、「プリーズ・ミスター・ポストマン」や「ア・ハード・デイズ・ナイト」、「ラブミー・ドゥ」、「恋する二人」など次々と新曲がベスト10にランキングされ、ピークのときなどベスト10の半分以上をビートルズナンバーが占めるなんてことまで。このときは正直魂消ました。

でもなんで、[hold your hand]が「抱きしめたい」なのか。
直訳で「手を握りたい」とか「手を掴みたい」ではなんともタイトルのインパクトとしては不十分。レコード会社のプロデューサーがつけたのでしょうが、「抱きしめたい」はなかなかのタイトリング。

当時カヴァバンドの東京ビートルズは、
♪オープリーイ お前を 抱きしめたい
とはじまり、[I wanna hold your hand]はそのままで、次は
♪オープリーイ お前の 手を取りたい
とうたっておりました。

https://youtu.be/yBHWrZKB_OM

スリー・ファンキーズもカヴァーしていて、微妙に歌詞が異なりますが、訳詞はどちらも伝説の訳詞家・漣健児。
スパイダースもやっておりました。ただ日本語ではなく原詞どおり英語で。かまやつひろしがレノンパートだったのでしょうね。

https://youtu.be/jW2MRTqzJug

そのビートルズの日本上陸の前年、アメリカでは公民権運動の一環としてキング牧師らによるワシントン大行進が行われていました。日本ではほとんど報道されなかった(子どものわたしが知らなかっただけか?)。
そのときにうたわれた歌のひとつがこの「勝利を我らに」We sha'll overcome。もちろんこのうたのハンドインハンドは恋人同士ではなく、連帯のしるし。アメリカではその年、ジョーン・バエズでヒットしたようです。

「勝利を我らに」は古いスピリチャル「アイル・オーヴァーカム・サムデイ」I'll Overcome Someday をピート・シーガーがアレンジし、独自の詞をつけたもの。
聖歌や讃美歌はしばしばフォークソングに取り入れられているようで、ウディ・ガスリーの「わが祖国」も元は讃美歌ですし。

この歌は日本でもジョーン・バエズでよく耳にしましたが、ベスト10番組で聴いた記憶がありません。70年代のフォークブームでコンサートで日本のバンドが演っていて広がったのではなかったでしょうか。
ピート・シーガーの代表的なプロテスト・ソングですが、最近本場のアメリカで聴かれなくなっているようなのが寂しい。日本ではもはや忘れられた歌に近いのかも。


3曲目(最後です)は、やっぱりカントリーで。

https://youtu.be/N6wBxQVBozI

フレッド・ローズの47年の作品で、うたったのはロイ・エイカフ。その後ハンク・ウィリアムズをはじめ、スリム・ホイットマン、ジーン・ヴィンセント、エルヴィス・プレスリーなどがカバー。大ヒットとなったのは75年のウィリー・ネルソンによってでした。
メロディーも詞も美しく、いまでも多くのシンガーがカヴァーしています。

邦題が「雨の別離」であるように、別れの歌です。別れの歌でハンドインハンドはないと思いますが、「いつかまた君と会えるとしたら、そこは別れのない国で、僕たちは手をつないで散歩しようね」。という「もし生まれ変わったら……」とどこかで聴いたような切ないハンドインハンドなのです。

オマケはビートルズのカヴァーを日本人の歌と、訳詞で。
訳詞を担当したのは羽切美代子で、70年代はじめにビートルズの訳詞集を2冊出版しています。ほかにも詩の本があるので詩人なのでしょうか。詳細は不明です。ただ2冊のビートルズ詩集のなかに、「抱きしめたい」も「プリーズ・プリーズ・ミー」もありません。
あえて除いたのか、許可が下りなかったのか。理由は不明ですが、多分後者では。

https://youtu.be/hgROMR97wrQ


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