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鬼滅のあとの白い雲 [on the park]

白い雲02.jpg

https://youtu.be/n4en0wYZC5s

ようやく、白い雲が見えました。
白い雲ということは青い空。セットになっています。

1945年の8月15日、東京では快晴だったそうです。
青空をバックに白い雲が浮かんでいたのではないでしょうか。見たわけではないのですが。

敗戦の悔しさ悲しみ、そしてその先の不安に心穏やかではなかった先輩方も多かったでしょうが、なかには、もう空襲から逃げまどわなくてもよい、という死の恐怖から解放された喜びで、空と雲を見上げていた人たちもきっといたはずです。

そして年があけると、「リンゴの歌」がラジオから流れてくるようになります。
さらにその年が押しせまる頃、
♪ゆらぐ青葉 白き雲は湧きて
という歌が戦争の傷をいやすように巷に浸透していきます。

https://youtu.be/WLWDpziCb0w

岡晴夫がうたった「青春のパラダイス」。
その曲は躍動的ではありますが、決して軍歌にあったような勇壮感はなく、なによりもその詞は、「青春の花」「愛の小鳥」「風も甘く」「バラは赤く」「牧場の道」「美しの恋」「二人を結ぶ」と一年前だったら絶対に許されない「軟弱」な言葉が並んだ流行歌でした。

そもそも1年前まではタイトルの「パラダイス」は敵性用語でしたし、「青春」という言葉すら、軟弱な言葉とされていたようです。
少なくとも太平洋戦争がはじまった1941年以後、軍歌や国民歌謡で「青春」という言葉はタイトルはもちろん、歌詞にすら出てこなかったのではないでしょうか。

きっと、みんな「青春」をつかいたかったし、歌いたかったのだと思います。

岡晴夫は戦前からの歌手で、上海や広東の「花売り娘」シリーズがヒットしました。当然軍歌もうたいましたが、その声質とかキングという傍流のレコード会社所属だったなどの理由からか、その数は少なく、戦火が激しくなるころには体調を壊したりと、軍歌で名をはせた歌手ではありません。

戦後、ほとんど間髪を入れずに歌謡界で光を放つことになったのは、そのことと無関係ではありません。それはやはり昭和20年代前半にスポットライトがあたった近江俊郎や灰田勝彦にもいえることです。

「オカッパル」という愛称で親しまれた岡晴夫。戦後は「東京の花売り娘」で再起し、そのあとの「青春のパラダイス」に続いて「啼くな小鳩よ」「憧れのハワイ航路」で多くのファンを楽しませました。
その後は、もともとからだが弱いとろこへ当時流行したヒロポン(覚せい剤)の依存症などもあって54歳という若さで亡くなりました。

「青春のパラダイス」の作詞は詩人でもあった吉川静夫。その後昭和40年代には森進一の「女のためいき」三沢あけみの「島のブルース」、青江三奈の「長崎ブルース」、「池袋の夜」などをつくります。。
作曲の福島正二は主にアレンジャーとして活躍。テイチク専属だったようで、20年代なら田端義夫の「かえり船」、30年代なら石原裕次郎の「錆びたナイフ」や「二人の世界」、三波春夫の「雪の渡り鳥」から「東京五輪音頭」、「世界の国からこんにちは」などの編曲を担当しています。

ではそれ以外の昭和20年代の「白い雲」を。

25年には岡本敦郎のこの歌が。

https://youtu.be/iLKm2SccM1g

岡本敦郎はクラシック畑出身で音楽教師の経験もあることから、抒情的あるいは明朗な歌が多く、「教科書のような歌い方」ともいわれました。29年には「高原列車は行く」のビッグヒットがあります。
作曲は戦前からの作曲家の田村しげる。作詞はその妻の寺尾智沙。

https://youtu.be/CdV2QdwBqOo

続いては(最後ですが)、26年のハワイ生まれの江戸っ子、灰田勝彦のヒット曲。
独特の高音で戦前からトップシンガーでした。とりわけ兄の有紀彦が作曲し、佐伯孝夫が作詞した「森の小径」は今でもハワイアンナンバーとして親しまれています。

「水色のスーツケース」は気ままな汽車旅の歌。
いまならなんのことはない旅情をうたったものですが、ほんの数年前までは旅行など許されるわけがなく、気ままなひとり旅なんて「非国民」扱い、という時代を経てつくられた歌です。
終戦から6年といえばまだまだ旅行する余裕などなかった人が多かったはず。それでも、そう遠くないうちに、という現実に限りなく近い夢をみることはできるようになっていました。そんな希望を与えてくれたものが流行歌でした。

作曲は利根一郎、作詞は井田誠一。いずれもビクターの専属で、利根はほかに「星の流れに」(菊地章子)、「ミネソタの卵売り」(暁テル子)、「若いおまわりさん」(曽根史郎)な
どがあり、40年代には橋幸夫の「霧氷」でレコード大賞を獲っています。

井田誠一は「若いおまわりさん」や「泣かないで」(和田弘とマヒナスターズ)の作詞のほか、「青いカナリヤ」(雪村いづみ)や「バナナ・ボート」(浜村美智子)などビクターの洋楽の訳詞を一手にひきうけていました。

戦争という暗黒時代に引っ張られて長くなりすぎ、昭和20年代で終わってしまいました。「白い雲」の続きはいずれ近いうちにということで。

「鬼滅の刃」が話題になっております。
もちろんコミックもアニメも見ておりませんが、ニュースに取り上げられるほどで、その概略は耳目に入ってきます。
なにが気になるかというと大正時代という設定。「大正時代に鬼退治かよ」とか「大正時代に切った張ったかよ」などツッコミどころはありますが、エンタメあるいはフィクションとしてはおもしろそう。

あの時代、日本にとっての鬼はアメリカでした。
鬼退治に乗りだした日本でしたが、みごとに返り討ちにされてしまいました。
時々想像します。あの時鬼退治に成功していたらどうなったか。
こたえは、日本が鬼になっていた。
ではなく、実は日本が鬼だったので、あの戦に勝っていたら、さらに永い「鬼の春」が続いたというのが正解。しかし幸か不幸か日本はあのとき滅ぼされてしまいました。
くれぐれも鬼が復活して「青春」や「パラダイス」が抑圧されませんようにと。

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